第6話「田辺の話と、十八歳の話」
金曜日の放課後は、どこか空気が緩む。
部活に行く子、友人と帰る子、急ぎ足で塾に向かう子——いつもより少しだけ声が大きくて、少しだけ笑顔が多い。週末の匂いがする。
ゆうは田辺と並んで、校舎を出た。
特に約束があったわけじゃない。放課後の流れで、自然に並んでいた。
「今日、どこか行くのか?」
「どこも行かない」
「そっか。俺も」
それだけで、二人でしばらく歩いた。
校門を出て、住宅街の方へ。田辺の帰り道とゆうの帰り道は、しばらく重なる。
◇ ◇ ◇
先に口を開いたのは、田辺だった。
「……お前、中三のとき保健の授業あったか?」
「保健?」
「提供登録の説明。うちの中学は三年のときあったんだけど」
ゆうは記憶を探った。
(あった。崎山ゆうの記憶にある)
この世界では高校一年の保健の授業で「人口維持制度」として説明される。成人後は法的な義務提供が発生する。未成年は任意だが、早期登録には報奨金が出る——奨学金の一部免除、または現金給付。担任が淡々と説明して、クラスの男子三人は黙って聞いていた。崎山ゆうもその一人だった。
「あった。高一のとき」
「先生が説明して終わり。質問とかできる空気でもないし」
田辺が淡々と言った。
「田辺は、どう思ってる? それ」
「面倒くさい」
即答だった。
「でも、しょうがないだろ。男が少ないんだから。親父もやってるし——そういうもんだろ」
「報奨金、使うつもりある?」
「……考えてない。でも親父は早期登録した口らしくて、大学の学費それで出たって話は聞いた」
「家で話すの? そういうこと」
「親父が一回だけ言ってきた。『お前も時期が来たらちゃんとやれ』って。それだけ。お袋は何も言わなかった」
「そっか」
「お前はどう思うんだ」
ゆうは少し考えた。
「面倒くさいのはわかる。それ以上のことは——まだよくわかってない」
「まあ、そんなもんだろ」
田辺がそれで話を閉じるような間を作った。でもゆうはもう少し聞きたかった。
「嫌だとは思わない?」
「……嫌、か」
田辺が少し前を見た。
「嫌っていうか——何も言えないだろ、って感じ。文句言う相手もいないし、変えられるもんでもないし。ただ来るもんが来た、みたいな」
(来るもんが来た、か)
社会の仕組みとしてただ避けられないものとして、この世界で生まれ育った男の子が、こういう顔をするのだとゆうは思った。
「……婚姻の方は、どう思ってる」
田辺がゆうを見た。少し、意外そうな顔をした。
「婚姻」
「五人以上、義務だろ」
「……そうだな。提供より、そっちの方が——まあ、実感ないな。まだ高校生だし」
「でも、いずれは」
「いずれはな。親父も五人いるし、そういうもんだと思ってる。ただ——」
田辺が少し言葉を切った。
「五人、全員と向き合えるのかとは思う。たまに」
(全員と、向き合えるのか)
その一言が、頭の中でしばらく残った。五人以上の人間と婚姻して、それぞれの人生と向き合う。制度として義務は果たせても——人として向き合えるかは、別の話だ。
田辺はそれをわかっていた。
◇ ◇ ◇
「俺は——」
ゆうは少し止まった。
「面倒くさいのはわかる。でも、田辺が『来るもんが来た』って感じで話してるのを聞いて——なんか、そっちの方が重たいなと思った」
「重たい?」
「嫌とか嫌じゃないとかじゃなくて、最初からそういうもんだって決まってるのが」
田辺が黙った。
しばらく二人で歩いた。風が少し冷たくなっていた。
「……まあ、そうかもな」
田辺が短く言った。肯定とも否定ともとれる声だった。
「でも、どうしようもないだろ」
「うん。どうしようもない」
「だから考えない」
「俺は考えちゃうけどな」
「知ってる」
田辺が少しだけ、息を吐いた。笑ったのかもしれない。
それで、その話は終わった。
二人はまた並んで歩いた。
◇ ◇ ◇
「じゃあな」
「うん。また来週」
田辺が片手を軽く上げて、歩いていった。
ゆうは一人になって、空を見上げた。
夕方の雲が、オレンジに染まりはじめていた。
(来るもんが来た、か)
田辺の言葉が、もう一度頭の中で鳴った。
嫌とか嫌じゃなく、ただそこにある話として田辺は持っていた。
(でも、田辺と話せてよかった)
答えが出た話じゃない。でも——こういうことを話せる相手が、この学校にいる。
坂を下りながら、ゆうは夕焼けを見ていた。
オレンジが、少しずつ紫に変わっていくところだった。
◇




