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「男子が2割の世界で普通にしてたら、どうやら大問題らしい」   作者: ゆう
第二章 教室の外側

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第3話「声をかけた理由」

帰り道を、一人で歩いていた。


いつもと同じ道だ。駅までの十五分、同じ角を曲がって、同じ坂を下りる。考え事をするのに、ちょうどいい時間。


今日考えているのは——昇降口のことだった。


(なぜ、動いたのだろう)


その問いが、夕方からずっと頭を離れない。


荷物が落ちた。周りに人がいた。でも誰も動かなかった。

澪自身も動けなかった。後ろから来た生徒にぶつかられて、それが自分の不注意だったのか相手の不注意だったのか処理している間に、もう床に散らばっていた。


だから最初の一拍は、仕方がなかった。


でも——その後も、周りは動かなかった。

澪は知っている。なぜ動かないのかも。

男性の持ち物に不用意に触れることへの、この社会の空気。善意からくる遠慮が、ああいう場面を作る。誰かが傷つくわけじゃない。ただ、誰も動けなくなる。


(わかっている。でも)


彼だけが、動いた。


◇  ◇  ◇



崎山ゆう、という名前は知っていた。


同学年の別クラス。最近、久しぶりに登校してきたという話は生徒会室でも出ていた。出席日数の調整で担任と話をしている、という事務的な話として。

それ以上のことは、知らなかった。


その人が——澪の荷物をしゃがんで拾って、ファイルの向きまで揃えて、立ち上がって「気をつけて」と言って行ってしまった。


(お礼を言う間がなかった)


正確には——言おうとして、間に合わなかった。

「気をつけて」という言葉が来た瞬間には、もう背中が向こうを向いていた。引き止める言葉も出てこなかった。澪はただ、手の中にある荷物を見ていた。


ファイルの向きが、揃っていた。

クリアケースの書類も、端がきちんと合わせてあった。


(丁寧だ)


その事実が、じわじわと染み込んできた。

急いで拾ったはずなのに。見返りもなく、すぐ去ったのに。それでも、丁寧だった。


◇  ◇  ◇



夜、自室の机で生徒会の書類を整理しながら、澪はまだ考えていた。


なぜ動いたのか。

それだけが、答えが出ない。


(落ちていたから、拾った——それだけかもしれない)


そう考えると、一番しっくりくる。

特別な意図も、計算も、何もなかった。ただ床に荷物が落ちていたから、しゃがんだ。それだけ。


でも——だとしたら、なぜ他の誰も動かなかったのか。


(この社会の空気が、体に染みついているから。みんなも、わたしも)


それが答えだとわかっている。

でも、わかっていても——彼だけが染みついていなかった、という事実は消えない。


澪はペンを置いた。

窓の外に、夜の住宅街が広がっていた。遠くに駅のホームの明かりが見える。


(忘れよう)


そう決めた。三度目だった。

一度目は昇降口で。二度目は帰り道で。そして今、机の前で。


三度も「忘れよう」と決めているのに、まだ考えている。


(……なぜだろう)


その問いに、今夜は答えを出さないことにした。

書類の続きを手に取って、ペンを走らせた。


◇  ◇  ◇



翌朝。


登校の途中、校門の手前で、崎山ゆうの背中が見えた。


気づいた、と思った瞬間には、もう目で追っていた。


同じ制服。少し遅い歩幅。鞄を肩にかけて、特に急ぐ様子もなく歩いている。

澪は少し歩くペースを落とした。理由は、自分でもわからない。


校門をくぐるとき、崎山ゆうは昇降口の方向へ曲がっていった。

澪も同じ方向に曲がった。それは毎日通る道だから、当然のことだ。


(当然のことだ)


そう自分に言い聞かせながら、澪は歩き続けた。


崎山ゆうは澪に気づいていなかった。

ただ前を向いて、歩いていた。


その背中が、昨日と同じ「なぜ」を澪の中に置いていった。


答えはまだ、出ていない。


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