第9話 祈りの授業と、長い依頼
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草むしり騒動の翌日。
私は、祈堂学舎の静かな教室で、机に向かっていた。
「――祈りとは、願いの形ではありません」
教壇に立つ女性教師の声は、落ち着いていて、眠くなる。
「祈りとは、“向き”です。
世界に対して、心をどこへ向けるか。
それだけの行為です」
私は、ノートを取りながら、窓の外を見た。
中庭は、昨日よりずっと綺麗になっている。
草は一本も残っていない。
……木が一本、減っている気もするけれど。
(やっぱり、怒ってたよね)
昨日、門の外で別れた時のガルドの背中を思い出す。
何か言いかけて、何も言わずに歩き出した背中。
「セラさん」
名前を呼ばれて、はっとした。
「はい」
「集中してください」
「……はい」
小さく頷いて、視線を戻す。
その時、後ろの席から小声が聞こえた。
「なあ、聞いたか?」
男子の声。
「また例の冒険者、動くらしいぞ」
「草むしりの?」
「そうそう。あの人」
くすくすと笑い声。
「今日はギルドで討伐依頼取ったって話だ」
私は、ノートを取る手を止めない。
(……討伐)
何となく、嫌な予感がした。
「しかもな」
声が少し弾む。
「灰皮の主がいた山脈方面だって」
それを聞いた瞬間、胸の奥が、きゅっと縮んだ。
(……え)
昨日、あんなに軽い依頼だったのに。
今日は、もう――。
私は、知らないふりをして、文字を書き続けた。
でも、祈りの言葉が、頭に入ってこない。
今日は、何をしているんだろう。
***
冒険者ギルドの受付。
ミルダが紙を置いた。
「ゴブリン調査依頼」
「灰皮の主が討伐されて以降、
山脈周辺で被害が急増しています」
「規模は?」
「正確には不明です」
嫌な言い方だった。
「確認されているだけで、五十以上。
巣が複数ある可能性もあります」
「……なるほど」
「本来は位置確認と規模報告が目的です」
「殲滅してもいいのか」
「……制度上、問題はありません」
「ただし」
「ノービスが殲滅したら目立ちます」
「それは困る」
「期間は?」
「通常調査で往復込み、早くて二週間。
殲滅も含めると、一ヶ月以上」
「分かった」
「単独で行かれますか?」
「ああ」
「……応援要請は?」
「必要ない」
「ナイトの冒険者パーティーで殲滅できるかどうかの規模ですよ?」
「階級関係あるか?」
ミルダは、それ以上何も言わなかった。
そんなやり取りを思い出しながら装備を整えた。
剣を背負い、街の出入り口に向かう。
街の音が、遠くなる。
(……長くなるな)
セラの顔が、ふと浮かぶ。
学校の門の前。
何か言いたそうにして、結局言わなかった顔。
俺は、足を止めなかった。
山の方角を見る。
灰皮の主がいた場所。
今度は、ゴブリンどもか。
「……数が多いだけだ」
独り言が、風に消える。
ゴブリンは、主じゃない。
群れるだけの生き物だ。
――だから。
少し時間がかかるだけだ。
露店の声が止まった。
子供が泣き止んだ。
門番が顔を背けた。
俺は、街を出た。
その背中に、
街の注目が集まってるとも知らずに。
***
その日の夜。
私は、寮の部屋で、一人、窓辺に座っていた。
祈りの時間でもないのに、
胸の奥が、ざわつく。
(長い、気がする)
理由は、分からない。
ただ、嫌な感じがする。
私は、そっと手を組みかけて――やめた。
(まだ、祈るほどじゃない)
痣が疼く。
祈らない理由を探している自分が、嫌だった。
外では、風が鳴っていた。
ガルドが、もう街にいないことを、
私はまだ、知らない。




