第36話 遅延された痛みと、墜ちる空
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「なぁセラの嬢ちゃんよぉ」
焚き火の向こうで、ロイがぼやく。
「祈りってのは、代償ありきってのがどうも腑に落ちねぇ」
「だってよ、理を変えたら反動が来るってのは分かるが、
それだけってのはおかしくねぇか?」
セラが首を傾げる。
「例えば?」
「んー……例えばだ」
ロイは枝で火をつつきながら言う。
「本来持ってる力を引き出すだけなら、
代償がないとか、そういう抜け道があってもいいだろって話だ」
セラは少し考えた。
「……それなら、“変えてない”から?」
「そうそう、そんな感じだ」
リィナが横から口を挟む。
「都合いい理屈ね」
「でも、あり得なくはねぇだろ?」
「もしその時が来たら、俺に使え」
セラは黙る。
火を見つめながら、小さく息を吐いた。
***
(できる)
もしかしたら、じゃない。
(お願いじゃない)
(これは――できる)
目の前で。
ガルドが、壊れかけている。
左脚。
右腕。
呼吸。
全部、限界を越えてる。
それでも立っている。
だから。
(今は――まだ壊れない)
セラは目を閉じた。
(痛みを――)
(後に回す)
その瞬間。
ほんの一瞬だけ。
世界の“流れ”が、歪んだ。
***
痛みが――消えた。
違う。
「来てないだけだ」
俺は理解する。
骨は折れてる。
筋肉も裂けてる。
分かる。
だが。
動ける。
(今だけか)
それでいい。
「行くぞ」
俺は踏み込んだ。
風が爆ぜる。
グリフォンが動く。
二体同時。
今度は迷いがない。
一直線。
「来るぞ!」
ロイがロープを握る。
リィナが弓を引く。
俺は前に出る。
痛みがない。
なら、限界もない。
踏み込み。
深い。
速い。
地面が近い。
空が近い。
全部が繋がる。
一体目。
低空で突っ込んでくる。
俺は横に滑る。
足場ギリギリ。
普通なら無理だ。
だが、今は違う。
剣を振る。
――ズン。
翼。
深く斬れる。
グリフォンの軌道が乱れる。
「一体目、崩れた!」
リィナの矢。
追撃。
目を射抜く。
悲鳴。
バランスを失う。
そのまま――
落ちた。
「あと一!」
ロイが叫ぶ。
最後の一体。
止まらない。
むしろ、速い。
怒ってる。
真っ直ぐ。
俺へ。
「来い」
俺は構える。
リミッター。
もう一段。
世界が、さらに軽くなる。
(まだいける)
グリフォンが迫る。
爪。
牙。
全部見える。
遅い。
いや――
俺が速い。
踏み込む。
ぶつかる直前。
身体を沈める。
下から。
大剣。
全力。
――ズン。
首を、断つ。
手応え。
確かに、入った。
だが。
完全じゃない。
「っ……!」
浅い。
グリフォンが暴れる。
翼が叩きつけられる。
衝撃。
身体が浮く。
足場が消える。
(落ちる)
その瞬間。
ロープが張る。
ロイだ。
「離すな!」
「離さねぇ!」
空中で踏み直す。
残った足場に戻る。
グリフォンも体勢を立て直す。
だが。
首から血が溢れている。
終わりが近い。
リィナが矢をつがえる。
「止める」
放つ。
一直線。
今度は曲がらない。
心臓。
貫通。
グリフォンの動きが止まる。
一瞬。
空中で、止まる。
そのまま――
崩れた。
落ちる。
静かに。
深い谷へ。
消えた。
***
静寂。
風だけが残る。
誰も、すぐには動かなかった。
「……終わったか」
ロイが呟く。
リィナが弓を下ろす。
「終わりね」
セラが息を吐く。
その瞬間。
来た。
――ドン。
遅れていた“全部”が来た。
骨。 筋肉。 神経。
一気に、噛み砕かれる。
全身。
「っぐ……!!」
膝が崩れる。
息が止まる。
視界が揺れる。
遅延されていた全部が、
まとめて来る。
「ガルド!」
セラが駆け寄る。
「……問題ねぇ」
そう言ったが、
意識が落ちかけた。
ナイフを刺す。
そして、立つ。
倒れない。
「私が……やったの?」
(ガルドを……壊しかけてる)
「お前に代償は?」
「今のところ……ない。
でもガルドに――」
「いい」
息が荒い。
視界が、まだ揺れている。
(……まだ動ける)
「まとめて来ただけだ」
息を吐くたびに、痛みが軋む。
ロイが呆れる。
「お前イカれてるぞ。それ普通耐えらんねぇ」
リィナが笑う。
「まあ本人バカだからいけるでしょ」
「うるせぇ」
セラが不安そうに見る。
「……次も、やるの?」
ほんの少しだけ、
怖さが混ざる。
即答する。
「ああ」
「合図したらやれ」
「……うん」
俺は、前を見る。
「行くぞ」
山はまだ終わっていない。
だが。
越えられる。
俺たちは歩き出した。
白い壁の、その先へ。




