第34話 雪線の先で
森を抜けると、空気が変わった。
冷たい、じゃない。
薄い。
肺に入る量が減る。
一歩ごとに、息が少し足りない。
目の前に白い斜面が広がる。
木々は減り、岩が剥き出しになっている。
「あれが本番か」
ロイが呟く。
「まだ入口だ」
俺は雪を踏みしめた。
靴底に仕込んだ即席の歯が、ぎり、と氷を噛む。
悪くない。
「足、大丈夫?」
セラが聞く。
「七割って言っただろ」
「七割で山は登れないんじゃない?」
リィナが横から言う。
「八割で登る」
「一割しか増えてない」
「黙れ」
少し笑いが起きる。
だが長くは続かない。
風が強くなった。
***
昼前。
斜面の途中で、気配があった。
リィナが止まる。
「前、三」
「ゴブリンか」
「うん。雪慣れしてる」
低い影が岩陰から動いた。
粗末な槍。
毛皮。
雪山型だ。
「音出すな」
俺が前に出る。
足場が悪い。
踏み込みは浅く。
一体が飛び出す。
俺は最小限で斬る。
右の大剣は振らない。
重すぎる。
左の剣で首を払う。
血が雪に落ちる。
赤が広がる。
残り二体が左右に散る。
「右任せた」
「了解」
リィナの矢が、風に逆らって曲がる。
喉を射抜く。
最後の一体がセラへ向く。
ロイが滑り込む。
槍を弾き、腹に短剣を入れる。
終わり。
「……七割でもいけるな」
ロイが言う。
「七割だからだ」
俺は息を整える。
深くは追わない。
山では欲張ると死ぬ。
***
標高が上がる。
雪が深くなる。
ロープを使う場面が増えた。
俺が先行する。
足場を作る。
リィナが軽く登る。
ロイが支える。
最後にセラ。
順番は決めた。
セラの足が小さい。
雪に沈みやすい。
「ここ、気をつけろ」
俺が言った瞬間だった。
セラの足元の雪が崩れた。
「っ」
身体が横に滑る。
下は岩。
落ちれば止まらない。
「セラ!」
俺は反射でロープを掴み、飛び出した。
足場が悪い。
左脚に負担がかかる。
――ミシ。
骨が鳴った。
無視する。
セラの手首を掴む。
衝撃。
引かれる。
「ガルド、手、離して!」
必死の声。
俺は歯を食いしばる。
「絶対離さない」
左腕で岩を掴む。
右足を蹴り込む。
痛みが爆ぜる。
だが、指は離れない。
ロイが上からロープを引く。
「引くぞ!」
リィナも加わる。
三方向から引き上げる。
セラの身体が雪に戻る。
俺も転がるように上がった。
しばらく、誰も喋らなかった。
風だけが鳴る。
セラが震えている。
「……ごめん」
「謝るな」
俺は短く言う。
左脚が熱い。
だが折れてはいない。
まだ。
リィナが睨む。
「無理すんなって言ったよね」
「してない」
「してる顔」
二回目だな、それ。
ロイが肩で息をしながら笑う。
「仲良いな、お前ら」
***
夕方。
斜面が急になる。
岩と氷の混合。
完全な登攀だ。
「今日はここまでだ」
小さな棚を見つけ、簡易の足場を作る。
風が強い。
焚き火は無理だ。
乾いた肉を齧る。
セラは黙っている。
さっきの恐怖が残っている。
俺は横を見る。
「怖かったか」
「……うん」
「俺もだ」
「え?」
「離したら死ぬからな」
セラが少しだけ笑う。
「離さないって言った」
「言ったな」
風が強くなる。
その時だった。
リィナが空を見た。
「……音」
低い、羽音。
重い。
影が横切る。
三つ。
「グリフォン」
ロイが低く言う。
上空を旋回している。
こちらを見ている。
奴らの縄張り。
「最悪のタイミングだな」
俺は大剣を抜いた。
足場は狭い。
逃げ場はない。
リィナが弓を構える。
「来る」
一体が高度を下げた。
風圧。
雪が舞う。
俺は足を踏み込む。
左脚が軋む。
だが折れない。
「落ちるなよ」
ロイがロープを握る。
セラが俺の背に隠れる。
グリフォンが急降下してくる。
爪が光る。
「――来い」
雪が爆ぜた。
羽音が、耳を裂く。
次の瞬間。
世界が、白と影で塗り潰された。




