第32話 火と肉と、生き延びるということ
森は、夜になると音が変わる。
昼間はざわめきだったものが、
今は「気配」になる。
洞窟の前。
簡易に組んだ風除けの内側で、火が小さく揺れている。
「……遅い」
ロイが森の奥を見た。
「文句言うな。あいつなら大丈夫だ」
そう言いながらも、俺は耳を澄ませている。
数分後。
ガサリ、と枝が鳴った。
「ただいま」
現れたのはリィナだった。
肩に――猪。
片手に――野鳥三羽。
ロイが固まる。
「……おい」
「見つけたやつだけ、だからね?」
平然と言う。
……嘘つけ。探しただろ。
俺は無言で立ち上がった。
「上出来だ」
猪を受け取る。
重い。
だが、若い個体だ。
「血抜きは?」
「心臓止めてすぐ首切った」
「合格」
リィナが鼻を鳴らす。
「誰に言ってんの」
セラが目を輝かせていた。
「すごい……」
「触るなよ。今から解体だ」
俺は洞窟の脇に猪を横たえる。
ナイフを取り出す。
大剣を振るうのとは、わけが違う。
刃の扱いは静かにだ。
喉元に正確に刃を入れる。
残った血を抜く。
腹を割く。
内臓を傷つけない。
「……慣れすぎだろ」
ロイが呟く。
「腹減った状態で失敗すると死ぬ」
短く返す。
肝を避け、
食える臓物を分ける。
脂を別に取る。
「脂は貴重だ。
捨てるな」
「へいへい」
ロイが袋を広げる。
「塩は?」
「ある」
ロイは懐から小袋を出した。
さらに、乾燥香草。
小さな鉄串。
麻布。
リィナが目を細める。
「狩れないくせに準備は完璧だね」
「俺は戦場担当じゃねぇ。
生き延びる担当だ」
「へえ」
俺は猪の背肉を切り分ける。
火の位置を少し変える。
「直火はやめろ。煙が出る」
ロイが即座に石を積み直す。
風の通り道を計算する。
火は弱く、
だが安定した。
鳥は羽をむしり、
内臓を抜き、
脂で表面を塗る。
「猪脂で鳥を焼く」
セラが小さく呟く。
「贅沢だね」
「山では普通だ」
「狩れればの話だかな」
狩りは難しい。
獣は皆、逃げることに長けてる。
ゼットの教えが懐かしいな。
肉を串に刺す。
じわ、と脂が溶ける。
音。
香り。
塩を振る。
香草を砕いて指で散らす。
「……やば」
リィナの腹が鳴る。
「今鳴ったの誰だ」
「聞こえない」
ロイが笑う。
猪肉は薄く切り、
軽く炙る。
「焼きすぎるな。
硬くなる」
ひっくり返す。
表面がきつね色になる。
脂が落ち、
火が一瞬強くなる。
石で調整する。
「完成」
まずセラに渡す。
「熱いから気をつけろ」
セラは両手で受け取る。
一口。
目が丸くなる。
「……おいしい」
素直な声。
「やっぱり、ガルドのご飯はおいしい」
俺は何も言わない。
リィナが肉をかじる。
「……やば」
「だろ」
ロイも頷く。
「戦やめて店やれよ」
「黙れ」
猪肉は噛むほどに旨い。
脂が甘い。
鳥は皮がパリッとしている。
塩と香草がちょうどいい。
焚き火の火が揺れる。
森の音が戻る。
しばらく、誰も喋らない。
食う音だけ。
やがてセラが小さく言った。
「……生きてる感じがする」
その言葉で、空気が少し変わる。
ロイが火に薪を足す。
「国境は封鎖。
王都は動く。
騎士団も増える」
現実が戻る。
リィナが淡々と言う。
「山脈ルートは危険。
でも今のあたしたちなら抜けられる」
俺は肉を噛みながら答える。
「俺が動けるまで三日。
それ以上は待たない」
「痣は?」
ロイがセラを見る。
セラは少しだけ笑う。
「痛いけど……平気」
嘘だ。
だが誰も指摘しない。
火が小さくなる。
森の闇が濃くなる。
リィナが壁にもたれる。
「ガルド」
「なんだ」
「さっきの料理。
また作って」
「材料があればな」
「じゃあ明日も狩る」
ロイが吹き出す。
「働かせる気満々だな」
「当たり前でしょ」
セラがくすっと笑う。
その笑いが、
洞窟を少し明るくする。
火が弾ける。
外で風が鳴る。
戦争は近い。
追手も来る。
だが今は。
腹が満ちている。
仲間がいる。
俺は火を見つめる。
「寝ろ。
見張りは俺がやる」
「骨は?」
「問題ねぇ」
嘘だ。
だが誰も指摘しない。
セラが横になり、
リィナも目を閉じる。
ロイは最後に呟く。
「……悪くねぇな、こういうの」
返事はない。
火が静かに燃える。
森の夜は深い。
だが洞窟の中だけは、
確かに温かかった。




