第18話 湿地の牙と、見えない敵
朝の冷たい空気が、肺に刺さる。
連携確認を終えた俺たちは、依頼現場へ向かう街道を歩いていた。
舗装は甘く、ところどころ泥が露出している。
湿気が強い。嫌な土地だ。
「ねえ」
隣から、ため息混じりの声。
「なんで馬車使わないの? バカなの?」
「無駄金だ」
即答した。
「信じられない……」
リィナが額を押さえる。
「何日無駄にしたと思ってんの」
「一人なら、もっと速かった」
「はあ!?」
リィナが立ち止まる。
「この距離ぶっ通しで走る気だったわけ?」
「俺より速いんだろ?」
「イカれてんじゃない?」
吐き捨てるように言う。
「距離と速さは別だし」
「いいから行くぞ」
俺は前を見る。
「もう奴らの距離だ」
「ちょっと待ってよ」
リィナが腕を掴む。
「休憩。これじゃ戦う前に死ぬ」
「……」
黙って歩き続ける。
「おい」
振り返らずに言う。
「もう日がてっぺんだ」
「分かったって」
渋々、リィナが歩き出す。
「森の中、気持ち悪いのよ」
街道を外れ、森へ入る。
湿った土の匂いが濃くなる。
「集中しろ」
低く言う。
「嫌な感じがする。さっきからずっとだ」
「……わかってる」
数歩進んで、地形が変わった。
湿地。
所々が沼になり、草が不自然に揺れている。
「足元、気をつけろ」
「ハマるなよ」
「バカにしないで――」
言い切る前に。
「っ……!」
ぬる、と足が沈んだ。
「ちょっと待ちなさい!」
リィナが苛立つ。
「抜けない!」
言ったそばからか。
「しっかりしろ」
「うるさい、振り返らないんでしょ」
「面倒なやつだな、引き上げるぞ」
「ちょっとどこ触って……うそ、やば」
その瞬間だった。
沼が――割れた。
草色の鱗。
長い胴体。
水を裂く音。
「クソが!」
巨体に似合わない速度。
地面を蹴るというより、滑るように迫ってくる。
踏ん張れない。
足場が死んでいる。
「だるいな……!」
噛みつき。
尾の薙ぎ。
重い。
硬い。
「っ……!」
刃が弾かれる。
踏み込みが甘い。
鱗が硬い。
鉄じゃない。石に近い。
その時――
ヒュッ。
一本。
ヒュヒュッ。
二本、三本。
矢が次々と突き立つ。
関節。
目。
喉。
「……効いてる」
アリゲーターが怯んだ。
「今だ!」
ぬかるみを無理やり踏み固める。
重心を殺す。
ゼットの大剣を、全力で薙いだ。
鈍い感触。
抵抗。
「硬い」
だが、巨体が怯む。
刃が通る場所を探す。
「腹の下だ」
鱗が薄い場所。泥で浮いた瞬間だけ、肉が見えた。
もう一度、思い切り踏み込む。
ここしかない――
断。
真っ二つになった巨体が、沼に沈む。
「おい」
俺は言う。
「遅いぞ」
返事がない。
視線を上げると、リィナは木の上にいた。
「……ちょっと待って」
「なんだ?」
「あれ」
その時。
草が、揺れた。
一体。
二体。
三体――
「……おい」
俺は剣を構え直す。
「こいつら、群れるのか?」
十数体。
湿地を割って現れる。
リィナの目が見開かれる。
「……あり得ない」
「複数いても、群れては来ないはず」
「っち……」
舌打ちする。
「また“主”がいるってことか」
空が、暗くなってきた。
速すぎる。
「早めに潰すぞ」
「リィナ、頼む」
「分かってる」
「サポートする」
戦闘。
踏み込む。
斬る。
弾く。
矢が、的確に刺さる。
足を止め、動きを奪う。
「左!」
叫ぶ。
即座に矢が飛ぶ。
連携が、噛み合う。
大剣を振るう。
この相手には大剣を両手で振り回す方が向いてる。
減っていく。
だが――
数が多い。
「っ……!」
左腕が裂ける。
右脚に衝撃。
背中が、熱い。
立った瞬間、視界がボヤける。
「……まだ……動ける」
空は、完全に闇に溶けた。
「リィナ!」
「夜目は効くか!」
「人並み以上にはね!」
「背中見せたら終わりだ」
「このまま殺るぞ」
「わかってる!」
刹那。
鈍い痛み。
「……っ!」
右脚が、削られた。
前には、残り三体。
確実に見えている。
なのに。
「……何だ?」
月光の下。
空気が歪む。
空気が、俺を避けた。
……いや違う。避けたのは“俺”じゃない。
薄っすらと――
輪郭だけが浮かんだ。
「……見えない、だと?」
理解した瞬間、背筋が凍る。
今までの敵じゃない。
これは――
世界そのものが噛みついてきた牙だ。
「……来たか」
俺は剣を握り直す。
「通す気がないってやつか」
背後で、弓が鳴った。
「ガルド!」
リィナの声。
「うそ……矢が、空中で“止まった”」
「……誰かに、つままれたみたいに」
空気が、冷たく笑った。
俺は、前を見る。
「……何かいる。死ぬなよ」
「あんたの方がヤバいじゃん」
次の瞬間――
俺の頬が、勝手に裂けた。
「……っ」
遅れて、温い血が落ちた。
闇が、動いた。
見えない敵が、確かに――
そこにいた。




