第12話 刻印の疼きと、通さない世界
***
痣が、疼いた。
祈りをしていないのに、疼く。
理由は分からない。
だが、確かに“今じゃない”という感覚だけが、胸の奥に引っかかっていた。
祈堂学舎の教室。
朝の光が、白い壁に反射している。
私は机に向かいながら、無意識に手首を押さえていた。
布の下、皮膚の内側で、黒い刻印が脈打つように熱を持っている。
(……見られてる)
(刻印の奥を、覗かれてる)
誰に、とは分からない。
ただ、何かがこちらを測っているような、嫌な感覚。
「――では、今日の講義に入ります」
教壇に立つ教員が、淡々と話し始めた。
「今日は“祈りの本質”についてです」
私は、息を止めた。
「現在、祈りは精神を整え、集中力を高めるための技法として扱われています」
黒板に、簡素な図が描かれる。
「ですが――これは本来の姿ではありません」
教室が、静まり返る。
「今では失われましたが、祈りとは元々、
世界に直接干渉する“技術”でした」
……え?
喉が、ひくりと鳴る。
「非常に強力な力です。
その反面、必ず“厄災”を伴うと伝えられています」
教員は、まるで昔話を語るように言った。
「その力を恐れた当時の王権は、
祈りを行使できる人々――いわゆる“祈り人”を、
街ごと、どこかへ封じた」
「……もっとも」
教員は、肩をすくめる。
「これはおとぎ話の一種です。
史実かどうかは分かっていません」
教室に、安堵したような空気が流れる。
だが――
私の中では、何かが、音を立てて崩れていた。
(……閉じ込めた?)
(じゃあ、あの集落は……)
教員の声が、遠くなる。
「当学舎では、祈りを“自らを高める行為”として教えます。
精神と気力を整え、より高い実力を発揮するためのものです」
「三年を通して、皆さんには――」
私は、ノートを取る手を止めていた。
(じゃあ……)
(私の祈りは……?)
世界に触れていた?
厄災だった?
だから、閉ざされた?
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
(ガルド……)
名前を呼びそうになって、唇を噛む。
(お願い……)
(早く、戻ってきて……)
***
見張りを斬った。
音は、最小限。
倒れたゴブリンの身体が、地面に崩れる前に支える。
――もう何匹目だ。
数えるのを、やめた。
数えられるうちは、まだ余裕がある。
今は、そんな段階じゃない。
洞窟の奥へ、慎重に進む。
湿った空気。
血と獣の臭い。
途中、無造作に転がる人間の死体が見えた。
「……集落の男達か」
原型は、ほとんど残っていない。
骨と肉の区別も曖昧だ。
胃の奥が、冷える。
さらに進むと、空間が開けた。
「……」
思わず、息を呑む。
広い。
そして――
「うじゃうじゃ、いやがる」
五十?
違う。
百?
いや……百五十はいる。
洞窟の中央、石を積み上げた祭壇。
その上に立つ影。
「……デカいな」
俺の倍はある。
ただのゴブリンじゃない。
異様に整った身体。
知性を宿した目。
――群れの主か。
いないって聞いてたがな……
その横。
裸で、吊るされた三人の村娘。
微かに、動いている。
……生きている。
その瞬間。
背後から、殺気。
反射的に、大剣を振る。
薙。
三匹同時に、斬り伏せた。
だが――
「……クソ」
さらに後ろから、足音。
抜け道か。
完全に、挟まれた。
気づかれた。
もう、隠密は意味を持たない。
「……流石に、やべぇな」
ひとまず出口側。
左手の剣と大剣で、五匹を押し返す。
反転。
突っ込んできた一体の体勢を崩し、
左で刺し、右で薙ぐ。
間合いは、取れた。
――が。
「っ……!」
肩に、衝撃。
矢だ。
歯を食いしばる。
「……はぁ」
血が、垂れる。
視界の端で、弓持ちが動く。
「本当に……」
苦笑が漏れた。
「世界は、通す気がないな」
それでも。
退く気は、ない。
前には、助ける理由がある。
後ろには、戻れない理由がある。
だから――
剣を、握り直した。
ここからが、本当の戦いだ。




