5.渡しに来ました。
アヤカは取り込むのが終わったのか、また部屋の中に返って来て、同じようにいつもの場所で本を読み始めた。それを見届けると私は机の前に座っていつものように仕事を始めたのだけれど、彼が言っていた「渡している」というのが気になる。
何かを受け取っているのだろうか?手を見ても、足をみても、体重計に乗ってもさほど変化が無いように感じるのだけれど。
アヤカが言っていたツバサというのも気になっていて、それが私にとってどういうことなのかもさっぱりだし、アヤカの言い方だけでは彼の目的とかどこから来たのか、とかそういうことが分からないまま。
「さて、どうしようか」
アヤカはそれからというものいつものように水を浴びたり、本を読んだり。私が見ている動画を見たりしている。この間、テレビのリモコンの使い方を教えたら水の時と同じで器用に手を使って操作し、テレビを見る事もあった。
情報を手に入れるというよりも彼は「音」を手に入れるということに力を入れているのか、あまり画面を見ている感じはしなかった。
ちょっと待てよ。
私はあることに気が付いたのかもしれない。彼は私に「渡している」と言った。けれど、そもそも彼が取り込んでいるのは「私の世界の」であって「彼の世界の」ではない。ということはどういうことだろうか?
この私の世界に有るモノを取り込んで、その後渡しているのであれば・・・。
頭の中をまた読まれたのかもしれない。アヤカは本を読むのを止めて私の方にやってきた。
「まず一歩目、それが出来ると思ってたから。僕はここに来たんだよ」
「一歩目・・・」
「そう、その一歩。その一歩は人の歩幅であれば数十センチ?になるのかな?でも今日、美香が踏み入れた一歩は多分数ミリ。まるで植物が1日に生長するのが分からないくらいのもの」
「でも進めるか進めないかには大きな違いが有る」
どこか嬉しそうにアヤカが私に語り掛ける。彼と出会ってからしばらく時間が経ったがこんな彼を見るのは初めてだった。まるで久しぶりに会った友人のような感じで話しかけてくる。
「同じ世界に住んでいて、同じものを見ているのに、違うという感想が出てくる時、その時、美香はどうする?」
「うーん・・・?」
「じゃあ、少し形を変えて。泣ける物語は万人が泣く?それとも一部?」
「一部だと思う」
「そうだと僕も思う。泣ける人とそうじゃない人の差は見ている場所が違うんじゃなくて、感受性が豊かどうかじゃなくて、その人が〝見れる場所〟があって、それぞれ違うからだと思うわけ」
アヤカが言うには差が有るのは人が何かを見るということは必ず〝何かを通して見ている〟からであるという。そしてそれは物質的なモノだけに限らず、目に見えないものでもあり得るという話。
「常識、歴史、フィクションを通して人は目の前の事を見ている」
と言うこともできるとのことだった。そう言われるとそうかもと感じるわけで。
実際、私は私の世界を通してアヤカを見ていた。けれどそれでは食べているもの、彼が言う所の取り込んでいるものは理解できないし今でも見えてはいない。
「美香と僕は同じ世界に生きている」
「だから僕が渡しているモノもツバサもこの世界に存在する」
ただ、それを見ることが出来るかどうかというのは別の話。確かに住んでいる世界が違うと話が合わないというのは何となくわかる。プロスポーツ選手と私とでは見ている感覚に差が有ることは言わなくてもそうだろう。
「何を通して見るか。ただそれだけなんだよね」
そう言うとまたアヤカは本に目をやった。どうやら彼が分かりやすく私に伝えてくれるのはとりあえずここまでであることは何となくわかった。
かけている眼鏡を外し、ぼさぼさの髪をヘアゴムでまとめた後、机の上に置いてあった煙草の箱を手に取ると窓を開けて火を付けた。
「通して見る」
彼が言っていることを理解したいと思ってやったのかは分からない。けれど、何か自分の中で変化が有ればいいなと思った。けれど、いつも通り紫煙が立ち上り、静寂な夜が見えるだけ。
しばらくじっと考えてみる。
考えるとき、言葉を使う。その言葉に自分を映し出すのだろうか?「これはこう」みたいな感じで整理整頓が出来ればいいのだけれど、そういうわけにはいかない。
「彼の世界や彼の事を知りたいなら、アヤカを通せってことなんだろうけど」
それから私は窓を閉めて仕事に戻った。




