表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/16

第二幕 運命の歯車

 豪奢なシャンデリアが黄金の光を落とし、広間は絢爛たる装飾が施されている。

楽師達の演奏が流れ、人々が優雅に煌びやかな仮面を付けステップを踏んでいた。


 仮面舞踏会――

 名前も素顔もその本音さえも、仮面の奥に隠して。

誰もが一夜の役者となり、芝居がかった戯れに身を委ねる。

その夢は儚く、そして甘やかに夜を彩っていた。


 

 フェリオは仮面を直しながら、広間の隅へと歩を進めた。

マルセロが隣で陽気に微笑む。


「見ろ、貴族どもの仮面舞踏会だ。まるで別世界だな」


 フェリオは仮面の奥から広間を見渡す。


「華やかだが、いくら隠そうとも本質は変わらない」


 人々の間を抜けながら。


 フェリオの視線が、ある人物に惹きつけられた。


 雷に打たれたような衝撃。


 息が止まるほどの胸の高鳴り。


 柔らかなローズピンクのドレスが揺れる。

その人の微笑みはまるで、音楽そのもののように軽やかだった。


 優雅に舞う姿に、目を離せなくなった。


 マルセロは隣で杯を傾けながら、彼の視線に気づいた。


「おい……えっ? まさか、一目惚れってやつか?」


 フェリオはゆっくりと目を逸らそうとする。


「そんなことはない」


 しかし、その瞬間。


 彼女がふっと、フェリオの居る方へ視線を向けた。


 二人の視線が交わりあう。


 だが直後、彼女は視線を外し軽く身を引く。


 まるで、何かを避けるように。


 フェリオは無意識に足を動かしていた。


 行ってしまう?


 彼女は人々の間をすり抜け、広間の奥へと向かおうとしていた。


 フェリオは慌てて後を追う。


「待ってくれっ」


 彼女は振り返り、ふわっと花が咲くように微笑んだ。

そして小首を傾げて、小鳥が鳴くような声で返事をした。


「どうして?」

 

「この夜が終わる前に、もう少しだけ――」


 フェリオは仮面の奥で息を整えつつ、平静を装いながら声を出す。


「巡礼者が聖堂に祈るように、この手を預けてもいいか?」


 彼女は暫く彼を見つめたあと、ゆっくりと手を差し出し、唇の端を上げる。


「巡礼者の願いなら、拒む理由はないわね」

 

 その仕草全てが、舞台上の誰よりも美しく見えた。


 フェリオはその手を取り、仮面越しに思わず口元を綻ばせる。


 その瞬間、二人だけの舞踏会が始まった。

 音楽も、ざわめきも、遠のいてゆく。


「罪を清める方法を教えてほしい」


 と彼は言う。


「祈りを捧げることね」


 と彼女は応える。


 フェリオは彼女の手を唇へと近づけた。

 だが彼女はその手をスッと引いた。


「偽りを許す夜に、そんな言葉を言うあなたは誰?」


「ただの旅人さ。たまたま月のもとへ迷い込んだだけ」


「旅人なら行くべき場所があるはず。だけど……その目は彷徨っているわ」


「行き先を失ったのかもしれない。君を見た瞬間に」


 ほんのひと欠片の音も残さず、彼女は笑った。


「甘い言葉は舞踏会の魔法と同じ。朝が来れば、消えてしまうわ」


「なら、夜の間だけでいい。この魔法を信じてみないか?」


 二人は仮面のまま、再び踊り出す。

 

 踊りながら、彼は吐息交じりに囁く。


「この手は祈りの場のようだ。触れるのが罪なら、口づけで許しを請おう」


 彼女は一歩踏み出しながら言う。


「巡礼者は手を合わせ祈るもの。唇を使う必要はないわ」


「でも聖者にも唇はある。巡礼者にも」


「それは祈りの言葉を紡ぐためのものよ」


「ならば、君の許しを得るために──この唇を使わせて欲しい」


 仮面はつけたまま。ただ、距離だけが確かに縮まっていく。


「動かずにいてくれ。祈りが叶う瞬間に」

 

 フェリオは彼女に、躊躇いがちに口づけた。


「まるで教科書通りのキスね」


 唇が離れ、仮面の下の目を合わせて微笑あう。


 今度はごく自然に、再びその唇が重なった。


「ふふっ。教科書通りね」


 楽しそうに同じ言葉を繰り返した彼女は、やがて仮面の紐にそっと指を添えた。


「見てはいけないはずのものを、見ようとしてるのね?

 素顔を知れば、魔法が溶けるかも。それでもいいの?」


「ああ。見せて欲しい。仮面の下の君と、漸く出会えた気がするんだ」


 フェリオも応えるように仮面を外し、そして――


 月光の下で二人の素顔が交差した。

 

 それと同時に。

 その幻想を裂くように、遠くの方から鋭い声が飛んできた。


「――様っ!」


 彼女が振り返った先の向こう。

そこに立つのは──カステリ家の者。


 現実が、二人の間に割り込んでくる。


「今夜は、ここまでね」


 そう告げて、彼女は静かに身を引いた。


 フェリオは、その手を離したくなかった。


 けれど彼女は、毅然とした背を見せて去っていく。


 彼はその背中を見つめながら、ぽつりと呟いた。


「……名前を、聞いていない」


「フェリオ……」


 近づいてきたマルセロが、低い声で告げる。


「彼女はカステリ家の娘、マリエッタだ」


 そう聞いたフェリオは、息を呑んだ。


 カステリ家──


 この街で、最も遠い存在のはずだった。


 祈りを交わすように手を重ね、唇を重ねた、あの時間。


 それは名を持たぬが故の、ひとつの確かな愛があった。



 一方でマリエッタは、ナースに導かれながら小さく呟く。


「……あの人は」


 マリエッタの声を拾ったナースは、ため息をつき低く答える。


「フェリオ・ヴェルナ。ヴェルナ家の時期当主ですよ」


 その名前を聞いた瞬間、マリエッタの足が止まった。


 何かが、鋭く胸を貫くような感覚。


 言葉が、喉の奥で形を失う。


 視界の端で、フェリオの姿が揺らぐ。


 彼の名が、彼の家が、すべての意味を変えてしまう。


 この夜の奇跡が、ただの幻想だったと告げられたのだ。



 夜の静寂がヴェローナの街を包み込む。


舞踏会の余韻がまだ空気に残る中、フェリオは石畳の道を歩いていた。


「おい、フェリオ!」


 背後からマルセロの声が響く。


「どこへ行くつもりだ?舞踏会は終わったんだぞ!」


 フェリオは足を止めず、ただ前を見つめる。


「少し、風に当たりたいだけだ」


 マルセロは苦笑しながら、肩をすくめた。


「風に当たる? それとも、誰かを探してるんじゃないのか?」


 フェリオは答えない。


 マルセロは軽く仮面を指で回しながら、陽気に続ける。


「いいか、フェリオ。舞踏会の魔法は夜が明ければ消えるんだ。甘い言葉も、優雅な踊りも、すべては一夜限りの夢なんだ」


 フェリオは立ち止まり、夜空を見上げる。


「それでも、今夜だけは信じてみてもいいだろう?」


 マルセロはため息をつき、フェリオの肩を軽く叩いた。


「好きにしろよ。俺は酒場へ行く。お前も来るなら、今のうちだぞ?」


 フェリオは微笑み、ゆっくりと来た道を戻るように歩き出した。


「俺は……別の場所へ行く」


 マルセロは彼の背中を見つめながら、苦笑した。


「まったく。あいつは夢追い人だな」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ