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第一幕 運命の幕

 夜明けの冷気が、ヴェローナの街全体を包み込んでいた。


 石畳の街角を行き交う商人たちは、長年続く確執に染まった空気を知りながらも、いつものように淡々と店を開く。だが、その日ばかりは街に緊張が走っていた。


 広場の片隅で、ヴェルナ家の剣士たちが鋭い視線を交わす。


「カステリ家の奴らめ! 今日こそ思い知らせてやる」


 彼らの言葉は低く、しかし鋼のように冷たい。その視線の先には、誇り高きカステリ家の者たち。彼らもまた、剣を抜く準備をしていた。


「言ったな?」


 カステリ家の若き剣士が挑発的な笑みを浮かべると、次の瞬間、銀の刃が閃いた。鋼の音が鋭く響き、ヴェローナの静寂は一瞬にして断ち切られる。


剣と剣が交錯し、火花が散る。それと同時に、街は戦場と化した。商人たちは慌てて商品を抱え込み、路地裏へと逃げる。


 広場を駆ける兵士たちは、互いの誇りをかけて容赦なく斬り結んだ。



「やめろ! 戦いに意味はない!」


広場の中央へと駆け込む男――マルセロは、その場に響く怒号と鋼の交錯を止めるように剣を構える。


「この街を血で染める気か?」


 しかし彼の言葉にも関わらず、カステリ家の者たちは冷笑を浮かべ剣を構え直す。


 その時、


「平和? そんなものは必要ない」


 静かに戦場へ歩み寄る男がいた。ティベリオ――カステリ家の冷酷な剣士。

彼は余裕の笑みを浮かべながら、ゆっくりと剣を抜いた。


「ヴェルナ家の者は、ここで消え去るべきだ」


 刃が閃き、空気が張り詰める。そして、戦いは再び燃え上がろうとしていた。



「やめよ! この街での武力衝突は、法により禁じられている!」


 厚手のマントを翻しながら、ヴェローナを治める太守・エカラスが広場に現れた。

その姿に、剣を交えていた者たちは一瞬、動きを止める。


「カステリ家、ヴェルナ家……! お前たちの名誉争いが、街を巻き込むなど言語道断だ。次に剣を交わしたら、両家の名にかかわらず死罪とする!」


 その言葉は広場に響き渡ったが、誰の胸にも真に響くことはなかった。

なぜなら、この街を実際に動かしているのは、太守ではなく二つの名門家門――カステリとヴェルナ――その影響力だったからだ。


 エカラスの瞳には、苛立ちとともに、焦燥と諦念が深く浮かぶ。

自らの言葉が無力であることを、彼自身が一番よく理解していた。


 やがて、いくつかの剣が低く下げられる。

しかし、それは忠誠や服従によるものではない。

ただ一時、矛を収めたにすぎなかった。


 緊張は霧のように消え去ることなく、広場の空気に染みついたままだった。


 ――争いは止んだ。

 だが、終わったわけではない。


 その場に残されたのは、火種だけだった。



 フェリオは、その騒ぎを遠く聞きながら、屋敷の窓辺に立っていた。

彼の視線は空へと向けられていたが、その瞳には憂鬱が滲む。


「また争いか……」


 フェリオの指先が窓枠にかすかに触れる。

 人々のざわめきがまだ、耳に届いてくるようだった。


 彼はヴェルナ家の嫡男として、剣を振るう運命を背負っている。


 だが、それに意味があるのか? 

 

 それが彼の心をいつも曇らせていた。


 そんなことを考えていた彼の背後から、静かな声が響く。


「また、高みの見物か」


 フェリオが振り返ると、親友マルセロがそこにいた。


 マルセロは、ヴェルナ家に仕える騎士の息子であり、幼い頃からフェリオと共に剣の稽古を積んできた。彼らは血を分けた兄弟ではなかったが、それ以上に深い絆で結ばれていた。


 フェリオは苦笑し、窓の外を見つめたまま答える。


「俺は……この争いを背負うしかないのか」


 マルセロは片眉を上げると、軽く肩を叩いた。


「まぁ……そんな面倒なことは忘れろ。もっと楽しいことを考えるんだ」


 フェリオは息を吐きながら、小さく笑う。


「そんなもの、俺にはない」


 それがフェリオの答えだった。

名家の後継者として、彼には選択肢は無い。


 ――そう信じていた。



 

 その頃――ヴェローナの街の外縁部、高位貴族や裕福な一族が館を構える郊外。

 中でもひときわ威容を誇る屋敷があった。


 この街を二分する有力家門、その一角。カステリ家の邸宅である。


 今、屋敷では今宵の舞踏会に向けた最終準備が慌ただしく進められていた。


 銀の燭台が磨かれ、幾多の花の装飾が華やかに生けられ、楽師たちは調律や調音を終えようとしている。貴族たちが訪れる前の静けさの中、当主ガリオン・カステリの前では、別の重要な話が進んでいた。


 執事が足音を殺しながら進み出る。


「閣下、パリラス卿がお目通りを願っております」


 ガリオンは書簡から顔を上げると、短く答えた。


「通せ」


 扉が開く。パリラス卿は落ち着いた足取りで広間へ進む。


 二十代の後半くらいだろうか。パリラスと呼ばれた彼の身を包むのは、貴族らしい仕立ての良いダークブルーの礼服。控えめながらも端正な刺繍が施され、礼服の丈は寸分の乱れもない。


 彼は一礼し、毅然とした声で性急に切り出した。


「閣下、マリエッタ嬢との婚姻についてご許可をいただきたく存じます」


 ガリオンは視線を逸らすことなく問う。


「我が娘を所望すると、そのように申すのか?」


「はい」


「婚姻を望むのだな?」


「家門の威信を高めるため、必要なことだと考えております」


 ガリオンはその背を、椅子の背凭れに沈めた。


「この婚姻が為されれば、我が家の名誉をより確かなものとするだろうな」


 パリラスは短く頷く。


「娘と舞踏会の場にて、話す機会を持て」


「心得ました」


 ガリオンは執事に目を向け、短く言い添える。


「舞踏会の準備を滞りなく進めよ」


「御意に」


 執事は深く頭を下げると、静かに退出した。


 広間には再び静寂が戻る。

屋敷では使用人たちが、完璧な夜を目指して最後の仕上げに取りかかっていた





 馬車が夜の闇間に溶けてゆき、車輪の音を響かせながら街の灯を遠ざけて行く。


 フェリオは窓辺に頬を寄せ、深く息をついた。


 マルセロは対面で仮面を指先で回しながら、愉快そうに微笑む。


「もうすぐカステリ家だぞ。貴族どもが華やかに踊り狂う夜になるな」


 フェリオは視線を窓の外に向ける。


「……そうだな」


 馬車の隅に、一枚の紙が置かれていた。

昼間、街の広場で偶然手にした招待客リストだった。


その日の昼――街の広場にて。


 カステリ家の召使いが通りに立ち尽くし、困惑した様子で紙を握りしめていた。


「くそっ。この名前を確認しないといけねぇのに、俺はこの文字が読めねぇ」


 マルセロがふと足を止め、興味深げに覗き込む。


「何を読めないって?」


 召使いは紙を差し出した。


「カステリ閣下から預かったリストだ。舞踏会の招待客の名が書かれてるが、俺は字が苦手でな」


 マルセロは軽く紙を叩きながら、目を走らせる。


「ほう……誰が招待されてるか、か」


 フェリオがふと視線を紙の上に落とした。

その瞬間、心の奥で何かが揺れた。


「……ロライン……」


 そこには、フェリオがかつて想いを寄せていた人物の名が刻まれていた。


「おい、どうしたフェリオ。顔が蒼いぞ」

 

 マルセロがニヤニヤと笑いながら紙に目線を戻す。


 「ロラインか。……面白くなってきたな。なぁフェリオ、行こうぜ。いつまでも失くした恋に未練を置いても仕方ないだろ? 仮面舞踏会だ、何者でもなくなる。俺たちの素性なんて誰も気にしない。そうだろ?」


――


 マルセロはリストを軽く弾きながら言った。


「ロラインに舞踏会で会えるかも知れないってわけだ」


 フェリオは息を吐き、瞼を閉じた。


 マルセロは彼をじっと見つめたあと、軽く笑う。


「その名前を見た瞬間、お前の顔が変わったよな。まぁ……また会ってみて、案外つまらない女だって気づくかも知れねぇし、もっと素晴らしい恋に出会うかもな?」


 フェリオは閉じた瞼をスッと開き、僅かに眉をひそめる。


「あれはもう……昔の話だ」


 それでも、胸の奥に微かなざわめきが残っている。

フェリオは目を窓辺に移し、どこか遠くを見ながら呟く。


「昨夜、奇妙な夢を見た。何か悪いことが起こる気がする」


「おいおい、まさか夢の話でもする気か?」


 仮面をくるりと回しながら、マルセロは笑い飛ばした。


「夢なんてくだらねぇ! いいかフェリオ。夢はただの幻想だ。寝てる間に見る空っぽの世界だろ。そんなもので運命を決めてたら、人生すべて空回りするぜ?」


 フェリオは窓の外を眺めたまま、淡々と答える。


「それでも、この夜は何かが変わる気がするんだよ」


 マルセロは仮面をフェリオに差し出した。


「なら、その変化を迎えに行こうぜ。どうせ仮面の下じゃ、俺たちはただの舞踏会の客だ」


 フェリオは仮面を受け取った。


「そうだな」


 馬車はゆっくりとカステリ家の館へと近づいていた。


 この夜、すべてを変える運命の幕が開かれようとしている。


 その幕の向こうに待つのは、歓喜か、それとも破滅か。


 それはまだ、誰にもわからない。

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