原衛土(ハラエド)7
「それほど脅威ではありませんね」
「まあ……、そうだな」
呆気なく斃れていった禍枉たちを見下ろして、アルバドゥとナオは言った。
大きなアリの形状をしていたそれらは地に伏し、残すは最も大型の1体のみとなっている。
それも攻撃をしてくる様子は見せず、互いに構えてはいるものの、広間には静けさすらあった。
地に伏した禍枉は、その負った傷から光となって消えていく。その成分が空中に漂いどこかでまた再生するのか、それとも壁や床などに吸収されるような類なのか、存在ごと消滅するようなものなのかは分からない。
ただ、その断片は確かに、よくよく目を凝らせば「0」と「1」という2つの数字からなっている。
アルバドゥは静かに口を開いた。
「ハラエドは前に一度、探索が行われたことがあると聞きました」
ナオは特に反応を見せない。アルバドゥは続ける。
「ロボットによる調査では、この広間を超えたところまで進めたそうです。その際、禍枉は現れなかったと」
「それがどうした」
「そのロボットはAIを搭載していて、AIによって迷宮の解析が随時行われた。ヒトが確認し分析することはなかったそうです」
それは、どこの冥宮でも行われる調査である。AIを搭載した探索型ロボットを冥宮に入れ、その冥宮が繋がる異界や、内部の調査が行われる。そこで得られた一次情報は、人間には危険である可能性があることから、余程のことがない限りは確認されることはない。
未探索である冥宮では何が起こるかはわからない。より正しく言えば、何が起こってもおかしくはない。
禍枉とは人の理で測れぬものの総称である。
だからこそ、送り込まれたモノから齎された情報は、リアルタイムでデータベースに刻まれる。ロボットによる調査があれば、その情報も記録されている。それを見るか見ないかの選択権はあるが、冥宮の探査に向かう場合には閲覧権が与えられる。
当然、ナオたちがこうして冥宮内部を探索している間にも、この情報は結門の向こう、斯界と呼ばれる彼らの世界に提供されている。
「しかし、探索に出たロボットは帰りはしなかった」
膠着する戦況を前に、ナオは納刀する。鯉口を握る手も、柄に掛けた手も緩めてはいない。
アルバドゥも杖を構えた。淡いブロンドが揺れる。
その様子を一生たちは通路から見守っていた。
「んで、つまりどゆこと?」
「俺も確証は持てないんだけどね。データを逐一送るように組まれたプログラムに不備を生じさせる……、もしくは、全く違うことを報告させるような禍枉がいるんじゃないかって話」
「……いや、どゆことよ」
一生が眉を顰める。要点を突いているような突いていないような説明だが、航にはこれ以上なんとも言うことができなかった。
そもそも全て仮定と推測での話である。
「ヒトで言うなら、記憶を書き換えるといったところでしょうね」
麗が後ろから口を挟んだ。
「記憶を書き換える?」
「そのロボットは、確かに禍枉に出会った。けれどもそのデータ、つまりは記憶を消されてしまった。あるいは、書き換えられてしまった」
「ふむ?」
「それがロボット……、電子計算機に対してのみ有効なのか、それともヒトにも有効なものなのかはわかりませんが」
「後者なら相当厄介だね」
「ふむふむなるほど〜?」
「絶対理解してないよね」
航が白い目を向け、麗が苦笑する。一生は少しだけ肩を竦めてから口を開いた。
「いやいや、よ〜くわかったって。コウちんとレイちんが難しいこと考えてるってことは。んで、オレたちも実は結構ヤバいんじゃね? ってことでしょ? ナオちんたちはあんな戦いまくってるけど」
彼らの視線の先では、口と思しきところから何かの光のようなものを出す禍枉を相手に、飛び回り逃げ回りながら攻撃をいれていく2人の姿がある。
「とりあえず、ここは大丈夫じゃないかな」
航が言った。
「ここは?」
「まだ冥宮に入ったばかりだからね。迷宮っていうのは、大抵どこも階層構造だ。他と同様なら、ここは一層ってことになる。登るのか降るのかは知らないけど、少なくともここの敵はまだ、難敵っていうほどではないはずだよ。それに、あの2人ならあのくらい余裕でしょ」
「つまりまだまだ先は長いと。なるほど、嬉しくはない情報をありがとう」
「どういたしまして」
一生は深くため息をついた。
その視線の先、アルバドゥの足止めした禍枉の脚をナオが切り裂く。
2人はすぐに禍枉から離れる。
禍枉が体勢を崩し、体が傾く。その目と思しき場所が、怪しく光った。
咆哮。
恐らく吼えたのだろう。一生たちのいるところではわからないが、アルバドゥが耳を抑えて後ろへ飛ぶ。ナオは依然として刀を青眼に構えたままだが、その髪や羽織がはためく。
咄嗟に航が一歩踏み出した。両手を合わせて広間へと突き出す。
「【楯】」
現れた光の盾が、一生たちの目の前を塞ぐ。程なくして、その盾の横を暴風が通り抜けていく。
「うっ……わ」
航が頬を歪める。
「コウちん、だいじょぶ?」
「あんまり大丈夫じゃないかも、ね!」
じり、と航が押されたように後退する。その向こうで、片膝をつくアルバドゥの視線の先では、ナオが禍枉目掛けて走り出していた。