原衛土(ハラエド)5
黒い鉱石でできた床は、時折光の筋をキラリと煌めかせ、その存在を主張している。入り口から一本道の通路を通り、広間に足を踏み入れたナオを待っていたのは、先程航が言っていた通りの禍枉の群れだった。
「……思いのほか、アリ、ですね」
ナオの斜め後ろから、アルバドゥが声をかける。ナオもその発言に異論はなかった。漆黒の体も、3つの球がつながったような形も、そこから生える細い脚も、あまりにもアリである。
それが尖兵として数体こちらに頭らしき方を向けている。大きさは人間の2倍ほどはあるだろう。ただ、触覚はなく、目らしきものもない。細い脚も、どちらかといえば生物の柔らかさより、それをもとにロボットを作りましたという方がしっくりくる。
その後ろにさらに大きなものが見えるが、今は目の前のものからと、ナオは柄に手をかけた。
手前の5体ほど、小さい禍枉がやや前進してくる。床や壁と同様、禍枉もところどころに光を纏っている。
「【マクェル】」
アルバドゥの言葉に反応し、その手に杖が現れる。細い枝状の杖で、先には2枚の葉がついている。
祝の使い手には、杖などを用いる者も多い。一口に祝といっても、文字によって発現するもの、音によって発現するもの、言葉を用いて発現するものなど様々である。その内容も使い方も、使い手によって変わると言う方が正しい。
この国において、禍枉を倒すことのできる術。それが祝と呼ばれるものだ。
ナオは深く腰を落とす。
「左は私がやる」
「ではわたくしは右手に回ります」
会話はそれで終わった。頷く代わりに、ナオの後ろ足が地を蹴ったためだ。上半身を倒したまま、鋭く足が鉱石の床を踏んでいく。それを横目に捉えながら、アルバドゥもまた駆け出した。
比較的小さい禍枉に肉薄したナオが、その勢いのまま飛び上がる。長い髪が空中に取り残される。ギラリと光ったのは、見開かれた瞳か、抜き放たれた刃か。大きな斬撃の音を伴って、一体の禍枉の頭部であろう部分が斬り潰された。
ひしゃげた球が地面を削る。細い足は体を支えられず、地に伏せた。ピクリとも動かない。体を構成する鉱物も、どこか輝きを失ったようだ。斬られたところが地に落ちた衝撃でパックリと割れる。それはさながら大岩を穿つ攻撃だった。その残滓がキラリと光るのをアルバドゥは見た。
一撃の元にひれ伏した同胞に、禍枉はナオを敵と認めた。わらわらと集まってくる禍枉だが、それも大中小と分けられるうちの小さいものだけだ。
華麗に着地を決めたナオは、そのまま刀を構える。脇に取って、そのまま駆け出した。しっかりと開かれた足が地面を掴む。一刀。禍枉の足が薙ぎ払われる。体勢を崩したところを果敢に攻めるその様子は、修羅の如く。
アルバドゥは思わずその様子に魅入ってしまった。幸いにも禍枉たちはナオの方へと意識を向けており、アルバドゥには目もくれていない。それはそれで不愉快だが、ナオがそれほどまでに脅威とされていることは確かだ。
中型と大型の禍枉はまだ動きを見せないが、それでも向こうに意識を割かれているように見える。禍枉に意識という概念があるのかは甚だ疑問であるが——。
アルバドゥはそれを幸いと、杖を構えた。左手に握る杖に、右の指で文字を刻む。
「【エカード】」
言葉に反応して、杖に刻んだ文字が光る。杖を向ければ、床や天井から、光の紐が禍枉に向かって伸びた。紐は禍枉の体に巻きつき、拘束する。動きを止めた禍枉をナオの斬撃が襲う。
これで、3体。撃沈した禍枉は動きを止め、斬られたところから光の粒となって消えていく。
「数字?」
アルバドゥの瞳に一瞬映ったそれは、確かに文字のようなものであると感じられた。空中に溶け出していくその光が、確かな形を持っているように。
ギィン! と、鉄のぶつかる音がアルバドゥの思考を戻す。禍枉に巻き付く光の紐は、当の禍枉たちによって攻略されようとしていた。考え事をしているいとまはない。
近場にいるものから次々と斬り倒していくナオの戦い方は、アルバドゥも初めて見るものだった。そも、祝を唱えずに戦う術者なんて前例がない。物理攻撃が効かないとされている禍枉に対して、武器でもって制するというのが異例なのだ。
だが、それが効くなら——物体であるならば、同様の手法が取れる。
「【カラット】」
アルバドゥは新たな祝を杖に刻む。文字は光となり、杖の形状を変える。祝によって、それを媒介する物がより適した形に変化することはよくあることだ。
新たに現れた杖の形は、剣。アルバドゥはそれを構え、その場で禍枉めがけて振り下ろした。まずは真っ向。その斬撃の形がそのままに、禍枉に向けて放たれる。アルバドゥの近くにいた禍枉が、紐から逃れきる前に崩れ落ちる。
向こうではナオがさらに討伐数を増やしている。アルバドゥも負けじと剣を振った。
二人の刃が広間の左右から禍枉を薙ぎ倒していく。それはまるで舞のようでもあった。




