原衛土(ハラエド)3
「わたしは——」
市川航の真っ直ぐな視線に、巨体の男、近藤正親はたじろいだ様子を見せた。スキンヘッドにサングラスをかけたこの男は、口の周りにどこぞの海賊か泥棒かのように髭を生やしている。鍛えられた体はおそらく190cmを超し、6人の中では一番背が高い。額に九隅一生同様傷があり、服装は黒いスーツ。スーツの内から拳銃を出されても違和感がないような男である。
そんな男が、航に尋ねられて固まった。一生が助け舟を出す。
「マサちんはすっごい恥ずかしがり屋さんなんだって」
「……恥ずかしがり屋さん?」
航が眉を顰めてチラリと正親を見る。体躯に見合わず小心者らしい。ならば無理に話すこともないだろうと、航が最後にやってきた女性に目を向ける。
「おや、ワタシですか」
センター分けの長めの前髪を横に垂らして、白地の着物のような姿の女性は、狐のように細い目を開かないまま、5人の視線を集める。淡い金髪の髪は腰のあたりで切り揃えられており、細やかに吹く風にゆらりと揺れる。にこやかな微笑みを口許に称えているが、眉はない。
「ワタシは井崎麗。とあるお方の式です」
それに反応したのは、ここまで一切反応を示さなかったアルバドゥだった。きらりと瞳を輝かせて、麗の方へ一歩踏み出す。
「式紙ですか……! 話には聞きおよんでおりましたが、初めて拝見しました」
「嬉しそうだね、お嬢様」
「はい。我らが四葉にも式紙の研究者がいますが、実用段階には至っておりませんから」
無表情のまま瞳を輝かせるアルバドゥに、麗はふふ、と微笑う。
「しかし、ワタシがここへ来たのは、ほとんどそこの、クズミさまと同じですよ。主さまより廃棄の命を受けたためです」
ほっそりとした肢体に張り付くような白い着物。ふふ、と笑う姿は妖艶に見える。そんな麗に、アルバドゥはそれならば、と自身を手で指し言った。
「わたくしも同じようなものです」
「そうだね」
航が訳知り顔で頷く。
「2人はもともと知り合いなの?」
一生が尋ねた。それにアルバドゥは首を振る。
「わたくしは初めて会いました」
「俺もお嬢様を直に見るのは初めてだよ。俺は市川航、んで、こっちが」
「ブーべ・アシュイシリーズ、個体名はアルバドゥです」
2人もそれぞれに名乗る。どこか似た格好をしている2人だ。アルバドゥは猫毛の短髪に大きな白い帽子を被っている。帽子の前には十字に似た四葉の飾りが金色に輝く。航も似た帽子を被っているが、こちらはアルバドゥに比べると小さい。大きな襟のついた服は白い無地に縁だけが色を持つ。制服のような様相だ。
「そ、アシュイのお嬢様。聞いたことあるかな? 俺たちは四葉聖教院の信者ってやつ。まあ、俺は宗教二世ってやつで、あんまり信仰心はないし、お嬢様に至っては人造人形だけど」
「人造人形?」
腰に手を当ててアルバドゥをじっと見つめる一生に、表情一つ変えず、アルバドゥが訂正を口にする。
「正しくは実験人形です。四葉の信徒から収拾した遺伝子情報から、人形を培養する計画です」
「そんなの喋っちゃっていいの?」
「構いません。冥宮探索のために必要なことは政府によって黙認されています」
「まあ、結構グレーなことやってる新興宗教なんだけどね」
「わたくしも廃棄処分を受け、ここにやってきました」
アルバドゥは淡々と喋る。一生がそれを聞き、航の方に目を向けた。
「あんたは? コウちんだっけ。その宗教とやらでなんかやらかしたの?」
「その呼び方なんなの? まあいいや。俺はいたって真面目な、親のいいなりなだけの二世だよ。俺たちのとこじゃ、人形様——アシュイのお嬢様の処分に付き合うのは名誉なことだとされてる。自分の子がほぼ確実に死ぬところに赴くことになったって、自分たちが良い目に遭えるからと喜ぶような親を持った俺たちが悪いんだよ」
航がやや投げやりに言った。一生はその様子にどこか親近感を感じたらしい。航の肩を組んで、軽く叩く。
「ま、親なんてオレたちが選べるようなもんじゃないし。そういうこともあるよな」
で、と彼らの目がナオに向いた。彼らの話に一切交わろうとしなかった着物の青年は、5人の視線を受けて、仕方なさそうに名乗った。
「立花直」
無愛想な挨拶に、一生が何も言わないわけはなかった。
「ナオちんねー。ナオちんはオトコノコだったんだ? 可愛い顔してるから、てっきりオンナノコなのかと思ったけど」
「……」
おちょくるように言う一生に、ナオは顔を顰める。一生の言うように、可愛らしい顔だちと形容されることは多い。むしろ悪意をもって「女顔」と言われることの方が多いかもしれない。
バチバチと火花が散るような2人の間に、航が割って入る。
「まあまあ。無理に話をする必要もないし。嫌だって言うんなら無理に聞き出す必要もないでしょ」
「そうは言ったって、これだけ協調性のなさそうなやつと一緒に死ぬなんて、オレは嫌だよ」
「一緒に死ぬつもりはない」
「はあ?」
ナオに詰め寄る一生を、航は呆れながら、正親はハラハラしながら、麗は微笑みを浮かべて、アルバドゥは興味なさそうに見つめていた。
一生に肉薄されて、ナオは一生を見下ろし、面倒くさそうにため息をついてから言った。
「禍枉憑きだ」
「へ?」
「私は禍枉憑きだ」
まがつき……と一生は噛み締めるように呟く。
「禍枉憑きって、あの?」
「どのだかは知らないが。祝法が使えないとしても、禍枉は知っているだろう」
「なんとなくだけどね。ってことは、あんたも捨てられたんだ。禍枉憑きって、認定された時点で結門に派遣されるって話だもんね」
ナオはそれには答えなかった。代わりに声を上げたのは、正親だった。
「……わたしも同じです」
え? と一生と航が振り向く。その後ろで、アルバドゥがやや瞳を輝かせた。
「国に禍枉憑きだと認定されれば、結門へと送られる。わたしに祝術は使えませんが……」
「そうか。だから言い出しにくかったんだね」
航が納得した様子で頷いた。禍枉とは、異界に住まうものたちの呼称である。彼らの目の前にある結門を潜り抜けた先は、どこかの異界に繋がっている。
それぞれの異界には特徴があり、それは千差万別だが、ただ一つ共通しているのは、ナオたちのいる世界とは理が違うということだ。
そうして、禍枉もまた、人類とは理の異なるモノたちである。
それが故に、人であって人の理から外れた者のことを、禍枉憑きと呼ぶ。
人は自分とは違うものを恐れる。そういう生き物だ。古来よりその傾向は顕著で、昔はそういうものを「鬼」と呼んだ。
今から半世紀ほど前には、「多様性」という言葉が世界に溢れ、そういうものに寛容な時代もあったらしい。それでも、異端は異端として見られるというのは変わらない。
普通と違うということは、その人にとっても、周りにとっても怖いものなのだ。
この世では、禍枉憑きがその対象にあたる。
他と違う。わけもわからない。違うから怖い。怖いから遠ざける。
そうするのは合理的なのだろうと、ナオは思っている。
だが、一つ弁明するならば、ナオがここにいるのは誰かに決められた枠に従ったからではない。たとえ形式的にはそうであったとしても、ナオがこの門を潜るのは、ナオの意志によるものだ。
不意にナオはその門を見上げる。神社の鳥居によく似た形の朱塗りの門は、3本の横木を伴って、真黒い口を開けている。
ナオは無意識に刀に添えた左手に力を込めた。
「ナオちんは、戦えるひと?」
もの珍しそうに刀を見る一生が、そっと刀に触れようとするのを刀を引いて躱す。
「何をする」
「祝法士なんでしょ? さっきの口ぶりから察するに。祝法がどんななのか詳しいことは知らないけど、こんな物々しい物体とは無縁な世界だったはずだけど?」
一生の言う通り、祝とは祝い寿ぎ魔を祓う、言葉による術である。刀を差す祝法士となれば、それもまた一種異端である。
ナオは一生を一瞥する。まあまあ、と口を挟んだのは航だ。
「これで自己紹介も終わったことだし。そろそろ行かないと怒られちゃうよ」
「そうですね」
麗も賛同する。傍聴はされていないとはいえ、監視はされている。いつまでもここに居座るわけにもいかない。運が悪ければ、結門を潜る前に空から弾丸を落とされかねないのだから。
6人はそれぞれの面持ちで結門を見つめる。そこは死地である。
こくりと喉が鳴るのが聞こえた。それは誰のものだったろう。
それぞれの足で、6人は黒々と口を開ける門を潜った。