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蜜月ラプソディ  作者: 貴堂水樹
第一章 失い、そして得る
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3.家族になれた日

 迎えの車に乗り込み、急ぎの仕事へ向かった陽多を見送ると、光は陽多に託された両親へのプレゼントを片手にまっすぐ帰宅した。


 玄関扉をくぐっても、光の「ただいま」にこたえてくれる声はない。父は沙知佳とデート中だ。この家にはまるっきり不釣り合いなティファニーの袋を食卓テーブルに置くと、光はリビングとひとつなぎになっている和室へ向かった。

 庭に面した大きな窓から、傾き始めた西日が柔らかく差し込んでいる。踏みしめるとかすかに感じるぐさの香りを楽しみながら、母の待つ仏壇の前に歩み寄った。


「ただいま、母さん」


 沙知佳ではない。腹を痛めて光を産み、泡沫うたかたのように消えていった、佐竹純玲に微笑みかける。黒いフレームの中の母は、光がこの世で一番好きな優しい笑顔で、いつも光を迎えてくれた。

 聞いてくれよ、と母に話しかけながら、光は座布団の上であぐらを掻いた。


「俺に弟ができるんだ。志波陽多っていう、日本じゅうが知ってるような俳優でさ」


 ちょっと自慢げに胸を張って報告したけれど、口にすればやっぱり嘘みたいな話だと感じた。父と沙知佳と四人で食事をしたことも、二人でティファニーの高級食器を結婚祝いに選んだことも、なにもかも夢だったのではないかと思う。


「びっくりだろ。俳優だってさ。日本アカデミー賞で新人賞取っちゃうようなすげーヤツ。あり得ないよな。そんな男が、突然弟になるなんて」


 でもさ、と光は笑みをこぼす。


「いいヤツだったんだよ、すごく。まじめで、素直で、お母さんのことを大切に思ってて。父さんのことも大切にしてくれそうだった。俺よりもずっと大人で、イケメンで、金持ち。嫉妬心しか湧かないだろ、こんなの。嫉妬の嵐だよ」


 その上でさらに、陽多は光のことを兄として敬おうとしてくれた。人間ができすぎていてムカつくくらいなのに、そんな想いや言葉とは裏腹に、光は声を立てて笑った。

 そういう男なのだ、陽多は。ある意味、ドがつくほどの不器用で、クソまじめにしか生きられない。

 求められたことにはすべてこたえようとする。自分の幸せより、誰かの幸せを優先する。同じ時間を過ごすうちに、そんな印象がどんどん強くなっていった。


 陽多のことを母に話しているうちに、胸の奥に熱いなにかが込み上げてくるのを感じた。


 もっと知りたいと思う。陽多のことを。陽多のすべてを。

 なにもかもわかり合えている兄弟なんてきっといないのだろうけれど、陽多とは、それに限りなく近い存在になれたらいい。そう思っているのが自分だけじゃないと信じたい。


 顔を上げ、光は母の遺影とまっすぐに視線を重ねた。


「今度、ここにも連れてくるよ。俺の三億倍くらいイケメンだから、楽しみにしてて」


 マッチを擦り、だいぶ短くなったろうそくに火をつける。箱から線香を二本取り出して、それぞれ二等分してからろうそくの火にかざした。

 先の赤くなった線香を、一本ずつ丁寧に香炉へと立てていく。光と、父と、沙知佳と、陽多の分だ。

 りんを鳴らし、手を合わせる。あれこれ考えず、「これからも笑って生きていくよ」とだけ伝えた。


 午後五時を過ぎた頃、父から「さっちゃんとディナー行ってくる」と連絡が入り、夕飯はインスタントラーメンと冷凍餃子で済ませることにした。一人の時はいつも料理の手を抜いている。

 だらだらと食事をし、だらだらと風呂に入り、タオルで髪を乾かしながらリビングのテレビをつけた。番組改変期に組み込まれがちな、四時間生放送のクイズ番組がオープニングを迎えるタイミングだった。


 五人一組で戦うこのクイズ番組は、レギュラー放送を何度か見たことがあった。『東大チーム』『アイドルチーム』『インテリ芸人チーム』など、なんらかのくくりで組まれたチームでクイズに挑戦し、百万円の賞金獲得を争うというゲームだが、今回は特番ということで、賞金が三百万円に設定されているらしい。

 司会を務める大阪出身の大物お笑いコンビのツッコミ担当が、九組のチーム、総勢四十五人の出演者を順に紹介し始めた。今日二本目の缶ビールを冷蔵庫から取り出し、光は食卓に腰を落ちつけて液晶画面をぼんやりと見つめる。


 缶のプルタブを手前に引いた瞬間、「えっ」と思わず声が漏れた。

 司会者に『俳優チーム』と紹介された面々の中に、陽多の姿があった。


「嘘だろ」


 急な仕事だと言っていたが、まさかこの番組に呼ばれていたとは。司会者の口から、「志波くんはね、今日はピンチヒッターということで」と説明が入り、切り替わったカメラに映った陽多が「そうなんです」と軽く頭を下げた。

 カメラは再び、司会者の芸人をとらえる。


「この『俳優チーム』には、本来ならば宮田みやた朝日あさひくんが出演予定だったんですけれども、体調不良ということで、急遽、志波くんにすけをお願いした、と。ね、志波くん」

「はい」


 カメラが引き、陽多と司会者の芸人が同時に映る。


「ありがとうございます、急なことやったのに」

「いえいえ。こちらこそ、また呼んでもらえて嬉しいです」


 二回目やね、と進行役のツッコミ担当が右手の指を二本立てると、ボケ担当の相方が「前回はぐだぐだやったよな」と陽多の恥ずかしい過去を暴露して笑いを誘った。


「え、ほんで?」とボケ担当。「今日は暇やったの?」

「暇……ではなかったです」


 暇なわけないやろ、とツッコミ担当の芸人が声を張る。


「忙しいに決まってるやんか。あっちこっちでドラマ出て、映画出て、なぁ?」

「いや、今日はたまたまオフで」

「暇やったんかい!」


 スタジオじゅうから笑いが起きる。陽多もつられ笑いであたふたしながら「違うんです」と弁明を始めた。


「家族と食事に出かけていたんですけど、事務所から電話があって」

「『宮田がアカンようになったから行け』って?」


 はい、と答え、「せっかくなので、朝日くんより活躍して帰ります」と優等生的なコメントを残して、陽多は話を締めくくった。司会者も「はい、ではよろしくお願いします」と言い、次のチームの紹介へと移った。


 陽多が消えた液晶画面を、光はビールの缶を握ったまま呆然と眺めていた。司会者の言葉は耳に届かず、流れゆく映像からも情報はほとんど入ってこない。

 頭の中で、数秒前に見た光景が延々とループしていた。


 ――家族と食事に出かけていたんですけど。


 陽多の放った『家族』という言葉。その中に自分が含まれていることが、現実のものとは思えなかった。


 陽多と出かけていたのは、俺。

 陽多の言った『家族』とは、俺のこと――。


 どうやってもうまく信じられなくて、けれど誇らしさも覚えて、光は缶ビールを口に運んだ。


 志波陽多は、俺の弟。

 陽多は、俺の。


「弟」


 口にすれば、何度でもドキドキする。

 決して不快ではない、炭酸泉に浸かっているような心地よい痺れとあたたかさに身をゆだね、光は我知らず笑みをこぼした。

 冷えたビールの味が、いつもの何倍もうまいと思えた。

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