3-1.ワイルドカード
すっかり秋も深まったその日、外は嫌味なほどの晴天だった。風もなく、薄雲が気持ちよさそうに青空を漂っている。
浮かないのは光の心だ。図書館の中にいれば空の青さが気になることもないのだが、出勤途上で見上げた晴れやかな青空に無性に腹が立った。うまくいかない陽多との日常を嘲笑われているような気がした。
「今日はずいぶんと物憂げだね、佐竹くん」
隣のカウンターで仕事をしている優茉に声をかけられた。「そうですか」と光はごまかす気もなくぶっきらぼうに答えた。
「同居してる義弟くんとケンカでもした?」
女性ならではの勘の鋭さを見せつけられ、たじろがずにはいられなかった。喧嘩中ではないが、関係が良好とは言い難い状況だった。
「ちょっと、難しいヤツで」
ため息まじりに陽多は話した。
「相手が特殊な職業だから、どう付き合っていいのかわからないっていうか」
「夜のお仕事、だっけ」
「まぁ……そんな感じです」
水商売には変わりないだろう。自分を売り、金を稼ぐ。彼らが一個人として守られることは保証されない。買い手のいいように扱われるのが日常だ。
すいません、と光は優茉に謝った。
「余計な心配かけてますね、俺」
「ううん、私が勝手に心配してるだけだから。大丈夫かな、って」
光はぎこちなく微笑んだ。以前から優茉は優しい人だと知っていたが、今は彼女の気づかいがいつも以上に身に染みた。
「ねぇ」
優茉が不意に顔を寄せ、ナイショ話をするような声で言った。
「気晴らしに飲みにでも行かない? 今日は佐竹くん遅番だから無理だけど、二人とも早番の日にさ」
その誘いが純粋な優しさからくるものだったら、乗っていたかもしれない。だが、斜め下から見上げるように視線を投げかけてくる優茉の瞳の奥に、下心が見えた気がした。
光は黙って席を立つ。弱っているところを付け込まれるのは御免だ。虎視眈々と隙を狙うような真似をする人に、心を許すつもりはない。
「ありがとうございます。お気持ちだけ受け取っておきます」
冷ややかに答え、光は優茉に背を向けて歩き出した。返却図書を書架へ戻す作業は、光が主に担当する力仕事だ。
何十冊と本が積まれたキャスター付きの赤いラックをゴロゴロと押し、広い図書館の中を練り歩く。仕事に集中することで、暗雲のかかる陽多との日々を一時的に忘れられた。心の波が穏やかになった。
遅番の日は、午後三時から四時の間に休憩をとる。そろそろかな、と書架の前で腕時計に目を落としたところで、同僚の女性に声をかけられた。
「佐竹くん、お客様がお見えになってるけど」
「はい?」
お客様? 誰だろう。光がピンとこない顔をすると、同僚が教えてくれた。
「イソダさんという方。今、貸出カウンターのところで待ってもらってる」
イソダ。五十田か。陽多の担当マネージャーだ。
嫌な予感がした。光に用があるなんてよほどのことだ。陽多の身になにか起きたのなら沙知佳に連絡がいくはずなのでそういう話ではないだろうが、それにしたって、冷静でいられる状況ではない。今朝の陽多の様子は明らかにおかしかった。
受け持っていた仕事を同僚に託し、光は貸出カウンターへと急いだ。優茉が光を振り返ったのが目の端に映ったが、そちらは気にせず、光はカウンターの外側に佇んでいる黒いトレンチコートの男をまっすぐ視界にとらえた。
男はささやかな笑みを口もとに湛え、慇懃に頭を下げた。くせ毛なのか、パーマなのか、サイドを刈り上げたワイルドな髪型は男らしく、切れ長で鋭く光る瞳はいかにも仕事ができそうな雰囲気を醸し出していた。
席をはずすと優茉に告げ、光は五十田と連れ立って図書館を出た。
なるべくひとけのない場所へ行こうと、訪れたのは芝生の広がる公園のようなエリアだった。バスケットボールコート三面分ほどの面積があり、噴水はないが、芝生を囲うようにベンチがいくつか並んでいる。学生たちがのんびりと過ごす憩いの場だ。
ちらほらとある人の姿を避けるように、光は図書館から一番遠いベンチの前で足を止めた。立ったままで向き合うと、五十田は「はじめまして」と言い、名刺を一枚差し出してきた。
「志波陽多の担当マネージャーをしております、プロダクションインフィニティの五十田と申します」
渋い声で名乗られ、光もあまり出番のない名刺を取り出し「佐竹です」とだけ名乗った。
交換した名刺を見る。五十田のファーストネームは武史というらしい。彼は光の名刺を収め、どこか挑戦的な目をして言った。
「お仕事中に申し訳ありません。一度きちんとご挨拶をと常々思っていたのですが、なかなか時間が取れず、ご連絡も差し上げないまま押し掛ける形になってしまいました」
「いえ、こちらこそご丁寧にありがとうございます」
「このたびは、お父様のご結婚、まことにおめでとうございます」
祝福してくれているとはとても思えない、冷ややかな口調だった。「ありがとうございます」と光は定型的に返したが、少しも嬉しくなかった。
「陽多もたいそうな喜びようでしてね。僕にお兄ちゃんができるんだって、子役を始めた小学生の頃のように無邪気にはしゃいでいました」
口角は上がっているが、目はまったく笑っていなかった。なにが言いたいのだろう。自分のほうが陽多とは付き合いが長いのだとでも主張したいのか。
「あの、ご用件は」
光が促すと、五十田は口もとから笑みを消した。
「単刀直入に申し上げます。佐竹さん、あなたには中目黒の家から出て行っていただきたい。早急に」




