その想いは
仮眠から目を覚ましたティシェは、髪は下ろしたまま早足で竜舎へと向かった。
とりあえずとしてトールには控えてもらい、まずはティシェだけで。
「グローシャの反応がわからないからな」
ティシェは大丈夫だ。
獣医師が診ようとした際の反応で、グローシャはティシェを守る動きをしてくれた。
けれども、トールに対してどのような反応をするのかがわからない。
グローシャにとってのトールは、ティシェのように乗り手としての繋がりがあるわけではない。
グローシャがトールのことをどう位置付けているのかはわからないが、今はとにかく、グローシャに刺激を与えたくはない。
それはトールもわかってくれたから、とりあえずとして竜舎に向かうのを控えてくれた。
トールだってアーリィを心配しているはずなのに。
やわい朝の陽が差し込む廊下を、ティシェは小さく口を引き結んで歩く。
静かな空気であふれる廊下を進んで行くと、一つの扉に行き着く。
ここから先が、宿舎と一棟になっている竜舎の区画だ。
竜舎の中は仕切りの壁があり、四頭の竜が入れる造りになっている。
仕切り部屋には干し藁が敷かれ、簡素な水飲み場も設えられており、昨夜の際には少量の果物も用意してあった。
ティシェが竜舎に足を踏み入れると、その一つの仕切り部屋で三頭の竜が手狭そうに固まって眠っていた。
グローシャに寄り添うように、カロンとアーリィがその両隣を位置取っている。
「……いや、守ってくれているのか」
かさりと、ティシェの足下で音がした。
竜舎に敷かれている干し藁を踏んだ音だ。
最初に目を覚ましたのはアーリィだった。
顔を上げ、とろんとした天色の瞳がティシェを認めると、ぱちりと瞳が瞬いて辺りを見回す。
誰を探しているのかは考えなくともわかる。ティシェが「すまない、今は私だけだ」と告げれば、アーリィは、あっそう、とでも言うのな軽さで息を落とした。
そして彼女はカロンに視線を落とすと、鼻先で雑に彼を突く。
カロンがのっそりと顔を上げる。しぱしぱと紅の瞳を瞬かせてアーリィを見上げ、彼女にくいっと顎で示された方を素直に向く。
その先でティシェをみつけると、カロンはキャロッと上ずった声を上げた。
眠気は飛んでいったようで、嬉しそうに身体を起こすと、今度は全身を使ってグローシャを揺り動かす。
グローシャの身体は揺れるも、彼女が目を覚ます様子はない。
まだ昨夜の薬が抜け切れていないのかもしれない。
「いいよ、カロン。無理に起こさなくても」
ティシェがそっと三頭の側まで歩み寄り、静かに膝を折ってしゃがみ込む。
すうすうと穏やかなグローシャの寝息が聞こえる。
カロンがティシェの膝上に顎を乗せた。
「なあ、カロン。鱗は触れたら痛むだろうか」
カロンを撫でながら問うてみれば、彼はしばし思案げに紅の瞳を細める。
彼にとっては難しい問いだったろうか。言葉を探している様子だった。
「……痛い、ない。竜、鱗に、感覚ない」
「鱗そのものに感覚はない、ということか? ……つまりは、人にとっての毛みたいなものか」
体毛自体に感覚はないが、触れられたことは感知できるのと同じことなのだろう。
「ならば、そっと触れれば大丈夫だろうか」
カロンを撫でていた手が離れ、グローシャのただれた鱗にそっと触れ、彼女の首筋をゆっくりと撫でていく。
ティシェは口を引き結ぶ。
いつもの感触と違う。常は滑るように動く手が、今はそこにおうとつを感じる。
あまり触れていると、指をそのおうとつの隙間に引っかけてしまいそうだ。
ここまでにしておこうと、グローシャに触れる手を離すと、小さくピルルゥと声がした。
次いでまぶたが持ち上がり、頭が持ち上がったかと思えば、ティシェの膝上にカロンと同じく顎が乗った。
橙の瞳がねだるようにティシェを見上げる。
「なんだ、お前。起きていたのか」
驚きをのせて呟けば、グローシャはピルルルと小さな笑い声にも似た声をもらす。
そして、心配そうにティシェの手を見た。そっと口先が伸び、軽く突く。
ピルゥと声の調子が上がるのは、大丈夫なのかと問われているようで、グローシャの橙の瞳が揺れる。
ティシェはグローシャの前で、手を開いたり閉じたりして見せ、小さくやわく笑った。
「私は大丈夫だ。グローシャの方こそ、鱗は痛まないか?」
ピルッ。問題ないと返された声は、いつもの力強さはなかったが、それでもいつもの元気さはある。
そうか、とティシェは口を綻ばせ、グローシャをまた撫で始める。
そこへカロンも自分も撫ででくれ訴えるから、仕方ないなと、ティシェはしゃがんだ体勢から足を崩してあぐらをかく。
二頭の竜を撫でていると、その横をのっそりと起き上がったアーリィが横切っていった。思わず竜を撫でる手が止まる。
彼女が向かって行ったのは、グローシャの隣の仕切り部屋。
トールには控えてもらったゆえに、アーリィには退屈な思いやさみしい思いをさせてしまったのかもしれない。
もしかしたら、アーリィには別の場所へ移ってもらった方が、アーリィにとっても、トールにとってもいいのではないだろうか。
二頭から催促の声が上がるも、ティシェは構わず立ち上がる。
アーリィを心配して隣を覗き込もうとしたが、その前に何かを咥えた彼女の顔がぬっと出てきた。
慌てて顔を仰け反らせて道を空けると、アーリィはまたグローシャの仕切り部屋へと戻る。
なんだなんだと顔を向けたグローシャの目の前に、ぼとりと何かが落とされた。
ティシェもグローシャと一緒になって、彼女の目の前を転がるそれを目で追う。
果物だった。
落とされた衝撃で一部が潰れてしまったが、食べられないわけではない。
グローシャがアーリィを見上げる。が、当の彼女は用は済んだとばかりに隣の仕切り部屋へ戻っていった。
グローシャが今度はティシェを見やる。ピルゥと少し困り気味だ。
ティシェは苦笑して転がる果物を拾うと、それをグローシャに差し出した。
「食べて元気になれということだろう」
グローシャはしばし差し出された果物とティシェの顔を見比べたのち、くわりと大きく口を開くと、一口で果物を飲み込んだ。
呆気にとられ、ティシェは蒼の瞳を瞬かせる。
味わうことなく一飲み。あまりの元気な食べっぷりに、ティシェはふっと息を吐くように笑った。
「よかった、グローシャ」
身体の傷つき具合や消耗具合が相当なゆえに不安になるが、本竜は至って元気なのかもしれない。
よかった、と。ティシェは再度呟いた。
隣の仕切り部屋を覗き込むと、アーリィは背を向けて身を丸めていた。
眠ってしまっているかもと思いながら、その背に「ありがとうな」と声をかけると、尾だけがぱたりと動く。
どうやら起きているようだ。だが、あまり邪魔をするのも悪いなと、すぐに顔を引っ込めた。
グローシャはくわあと大きなあくびをする。
ティシェはグローシャの前にあぐらをかいて座ると、そっと彼女へ手を伸ばして撫でた。
「今はゆっくりと休め」
グローシャはその手にじゃれるように頬を擦り寄せ、ピルルゥと甘えた声を出す。
「なんだ、寝るまで居て欲しいのか」
ピルゥとねだる声に、ティシェは仕方ないなと小さく笑った。
*
穏やかな寝息をたてて眠るグローシャと、その直ぐ側で眠るカロンを眺めながら、ティシェはあぐらをかいたまま膝に肘を置いて頰杖をついた。
朝の気配に包まれて聞こえる寝息に耳を傾け、視線を落とす。
「私はお前達が大事だよ。でも、お前達とトールとでは、その『大事』の形が違うみたいなんだ」
一つ、瞑目する。
「お前達は大事だ。それはこれまでも、これからも変わらない。だってお前達は、いつだって、どこだって、私と共に在ってくれるだろう?」
竜の居場所が、竜が自ら乗り手にと選んだ者の隣だから。
「……カロンはいつか、自分の乗り手に誰かを選ぶんだろうがな」
小さく、苦く笑った。
グローシャが乗り手としてティシェを選んでくれたように、遠い先で、カロンが己の乗り手として誰かを選ぶ時はくるはずだ。
それが竜と人の関係だから。
まぶたが持ち上げ、今度は視線を上げた。
竜のために高く造られた天井。明かり取りの窓から差し込む光が束になって落ち、舎内に舞う埃を瞬かせる。
「お前達は大事だ。だが、私が大事にしたいと思うのはトールなんだ。大事だから、大事にしたいんだ」
それはもう、前から在った気持ちで。
『大事』の形が違うことに気付いたのは昨夜のことで。
そこでティシェは、ふうと息を一つ吐く。
竜の居場所が乗り手の隣だと言うのならば、では、その乗り手の居場所はどこだろうか。
「……私の居場所、か」
束になって落ちる朝の陽に蒼の瞳を細めた。
ティシェに帰れる場所は確かにある。けれども、帰る場所はない。
だってあの場所は、ティシェだけの場所ではないから。
ティシェに親はいない。その親の顔も声も、もう覚えてはいない。けれども、ちゃんとそのぬくもりは覚えている。
だからなのか、養父母となってくれた二人を『親』と思うことができなかった。
いっそのことティシェが、親のぬくもりも記憶に留めておくことができない程に幼かったらよかったのか。
それとも、ティシェと養父母の三人での時間がしっかりと持てればよかったのか。
養父母がティシェを迎えてくれたとき、養母となってくれた女性の腹には子が宿っていた。
大変だったと思う。苦労もあったことだろう。それでも、二人はティシェを大切にしてくれた。想ってくれていたのも伝わっている。
だが、そう感じていても、伝わっていても、ティシェは『申し訳ない』という気持ちを抱いてしまった。
その気持ちを抱いてしまったら、もう――。
はっ、と。ティシェは小さく鼻で笑った。
「だから私は、旅に出たくて旅に出た。それで、トールと出会ったんだ」
視線がまた落ちる。
『大事』の形が違うことに気付いて、自分の居場所がないと思いを馳せて。
それが繋がりを――と、その想いの先に目を向けようとして、ティシェは蒼の瞳を震わせた。そして、何かを振り払うように頭を振る。
それが何と繋がり、どこへ向かうのか。その先に行き着くものについて、考えてはいけない。気付いてはいけない。
「……トールをこちらへ連れてきてしまった要因の一つは、私なんだ」
いや、と。ティシェは口元をゆるりと小さく持ち上げる。自虐の色をはらませて。
「要因の一つどころか、根源そのものじゃないか」
そして、吐き捨てるように呟いた。
奥底で沸き上がる想いに蓋をするように、固く目をつむる。
けれども胸の内に抱く熱は、そう簡単には冷めてくれそうにない。
「透――……」
焦がれるように一つの名を紡げば、胸の内に抱く熱がその温度を上げる。
その熱の温度に、蓋をするのは無理だなと、ティシェは苦笑するしかなかった。
それでも、その熱に絡みつく仄暗いそれ――彼をこちらへ連れてきてしまった要因だという、その自責がティシェを縛るのだ。
だから、その熱が何を訴えているのか。この気持ちが何と繋がり、どこへ向かうのか。その先に行き着くものを、考えてはいけない――気付いてはいけないのだ。
朝の気配に包まれる中、途方に暮れたように静かに息を落とした。




