顛末
女を蹴り飛ばして地へと落としたティシェは、追いかけるように枝から飛び降りた。
地に着地すると、同時に影からカロンが顕現する。
「加勢、助かった」
カロ、と返事だけで応じた彼は、きょろりと周囲を見回して警戒する。
加勢というのは、影を伝って木を登ってきてくれていたカロンが、幹に落ちる影から顕現し、そのまま女に飛び付いて動きを封じてくれたことだ。
おかげですぐに女へ追い付き、ティシェは伸びた太枝を利用して回し蹴りをし、蹴り飛ばせたのだ。
当の女は地に叩きつけられた衝撃で意識を失っている。
と、後方で「ぎゃっ」と濁声が上がった。
すぐに振り返ると、一人がもう一人に肩を貸す二人の男の姿が見えた。
この場から逃げようとしていたのか。瞬間的にティシェに怒りが沸く。
だが、肩を貸されていた方の男には、既にその足にカロンが噛みついていた。
もともと怪我を負っていたらしく、時間を食んで黒くなったそれが、肌に服にとこびりついている。
まだ開いたままのそこへ、カロンが容赦なく牙を食い込ませる。男からまた濁声が上がった。
もう一人の男が苛立ち混じりに舌打ちを一つし、あっさりとその男を打ち捨てた。
地に転がった男は、足をばたつかせてカロンを追い払おうとしながらも、顔には絶望の色が広がっている。
その顔を見たティシェは、哀れだな冷めた目で見やり、瞬間的に沸いたそれが引いていく。
蒼の瞳が男を打ち捨てた男を見た。
男は地に転がる他の者らにも目を向けることなく、脱兎の如く走り出す。
手にしたままの短刀を構え、ティシェが足を踏み出す前に、その横を、ひゅっ、と空気を裂く音を響かせて何かが通った。
足を止めたティシェの前で男が倒れる。その腕には矢が刺さっていた。
「……無理はするな」
ため息混じり振り返り、幹に寄りかかったトールを見やる。
弓を下ろした彼は、軽く顔をしかめながら苦笑していた。背が痛むのだろう。
「逃がしたくなかったからね。――それより、ティシェ」
鳶色の瞳がくいっと動く。
彼の視線を追って、息を詰める。ティシェは短刀を腰に戻すと、すぐにグローシャの元へと駆け出した。
その後方では、トールが矢で射た男が腕を抑えながらもよろよろと立ち上がる。
カロンはそれに気付きながらも、噛みついた男を抑え込むのに手一杯で動けない。
ティシェはグローシャしか目に入ってないために、男の様子には気付いていない。
トールは背の痛みに呻き、寄りかかった幹を滑るようにして座り込む。
男はちらりとそれぞれの様子を窺い、ふっと口元に笑みを薄く乗せてそろりと動き出した。
他の仲間には目もくれない。
――が、夜空に影が飛来する。それも一つではなく、幾つもの影が。
男は自分の上に落ちた影に、反射的に顔を上げた。
だが、男がその影の正体を認識する前に地へと押さえつけられてしまう。
上にのしかかられたような重さが乗り、状況を確認しようと頭を動かすも、それすらも封じられる。
上から何かに強く押さえつけられ、耳のすぐ横で竜の唸り声がした。
己の上に何がのしかかったのか、それを瞬時に理解した男は身体から力が抜けた。本能的に身体が震える。
そして、この場に厳かな声が響き渡った。
「――全員、その場を動くな」
ボワのものだった。
それを合図に、次々に夜空から軍竜が舞い降りる。
◇ ◆ ◇
ティシェらと別れたのち、ボワもまたあの爆発した光を目にしていたという。只事ではないと思った彼は、仲間を呼ぶために一度駐屯所に戻ることにした。
そして仲間を引き連れて現場に向かおうとしたところに、ボワの声を頼りに彼を探していたラッフィルと遭遇したらしい。
そして、あの場を制圧した竜騎士達は、ティシェらも含めた全員の身柄を駐屯所に移し、そののちに例の五人を拘束した。
今は牢に入れられており、後日、領都にある本部へ護送する予定だということだ。
「――と、先程ボワが教えてくれた」
小さな丸椅子に座ったティシェは、寝台で横向き寝になっているトールを見やった。
今は下ろされているティシェの髪が揺れた。
「なんだかごめんね」
よっこいせとトールが身体を起こす。
枕元で眠っていたラッフィルが目を覚まし、起き上がったトールの膝上へと移動した。
移動してきたラッフィルを手の平で包んで指先で撫でると、彼は眠たげに瞳を瞬かせる。
そんなラッフィルにくすりと小さく笑うと、トールはティシェを見やった。
「またいろいろと、ティシェにまかせるかたちになっちゃった」
「それは気にするな。トールのおかげで私が動けるんだから。それより、起きて大丈夫なのか?」
「うん。鎮痛剤が効いてきたからね」
二人が居るのは竜騎士団の駐屯所、その宿舎の一室だった。
いくつかある宿舎の一棟を使っていいとのことだったので、有り難く使わさせていただいている。
人払いもしてくれているのか、二人が使う宿舎ではボワと世話役にと紹介された一人くらいしか、今のところは顔を合わせていない。
だからか、外から聞こえる虫の声以外に物音はしない、静かな場所だ。
「僕は安静にしてれば大丈夫だから」
それよりも、とトールはティシェの手の方へと視線を向けた。
「その怪我、僕は知らないんだけど?」
「ああ、これは」
ティシェは自身の両手を軽く持ち上げる。
その両手には包帯が巻かれ、手の平や手の甲だけでなく、指先まで全体に巻かれており、見た目だけで痛々しく映る。
「怪我、というより火傷だ」
「火傷も怪我じゃん……って、もしかして」
「……グローシャに触れたからな」
ティシェは蒼の瞳を伏せる。
この一棟の中には竜舎がある。今はそこに三頭の竜がいる。
カロンは特に怪我もなく、今は疲れて眠っている。
アーリィも受けた矢傷は浅く、腱や筋に損傷もなかった。だが、痛むものは痛むゆえに今は大人しくしている。
そしてグローシャは。伏せていた蒼の瞳がトールを見る。
「首に負わされた傷は深いが、竜にとって致命傷ではないと先生はおっしゃっていた。……ただ、消耗がひどくてな」
先生というのは、ここの駐屯所に駐在している獣医師。軍竜を診るのを専門にしているという。
「あの鱗は……怪我って言うのもなんだか違う感じだもんね」
トールの脳裏に思い浮かぶのは、ここに連れられるまでに見たグローシャの姿だ。
鱗の溶け落ちたグローシャは、悲惨で痛々しくて、思わず目も背けたくなるような状態だった。
「灯竜は内包する灯で小さな温度変化を起こすのが得意だが、普段は自身に影響がない範囲で行っている。だが、時に自身を護る術として、内包する灯の温度を上げることもある、が――……」
ティシェの視線が落ちる。
「……私だって、初めて見た。灯竜が自分の温度で溶けるなんて」
彼女の声は震えていた。
「先生が状態を診るために近付いただけで、グローシャは興奮して、また灯の温度を上げようとしたから、それで、それを私は、必死に落ち着かせようと――」
グローシャを落ち着かせようと伸ばした手が、その手の平から、じゅっ、と音を立てて煙があがった。
一瞬、呆けたように手の平を見つめた。
焼ける痛みに、火傷を負ったのだと一泊遅れて気付く。
それでも構わず撫で続けていれば、やがて皮膚の溶けた匂いでティシェだと気付いたのか、我に返ったグローシャはティシェの手を気にする素振りを見せた。
それを、落ち着いた頃合いと見た獣医師が近付いた途端、グローシャはグルルと地を這う声で唸り声をあげはじめた。
体内の灯の温度を再び上げるようなことはしなかったが、明らかに強く警戒している。
獣医師が一歩踏み出せば、グローシャの唸り声は度合いを増し、牙をちらつかせる。それ以上踏み込めば容赦しないという意思表示だ。
ティシェが落ち着けと声をかけるも、逆にそのティシェを守るように奥へと押しやられてしまう。
人に対し、これほどまでに強い警戒心をあらわにするグローシャは初めて見た。
戸惑いに蒼の瞳を獣医師に向ける。
それに「大丈夫ですよ」と笑って見せた獣医師は一歩身を引く。そのことでグローシャが少しだけ静かになったところで、獣医師は慣れた動きで彼女に向かって粉を振りかけた。
「それでグローシャは?」
「まだ眠っている。深く眠れる眠り薬らしい。今はとにかく、体力を回復させることに専念させた方がいいとおっしゃられていた」
ティシェは顔を上げる。
蒼の瞳がトールを見た瞬間、弱々しくその瞳が揺らいだ。
「……トール」
「ん、なに?」
やわらかなトールの声に、ティシェの瞳がさらに揺れる。
「頼って、いいだろうか」
「頼るなら鎮痛剤が効いてる今のうちだよ。何して欲しいの?」
何かを堪えるようにティシェは口を引き結び、ややしてからゆっくりと告げた。
「……トールが、欲しい」
トールはやわく浮かべた笑みのまま、ひくりと頬を引きつらせた。
言葉選びが致命的だ。
「……それ、別の意味に聞こえるよ」
やがて諦めたように軽く息を落とすと、手の中で眠るラッフィルを寝台脇にそっと移動させる。そして、おいでと手招くように両腕を広げた。
言葉選びは致命的だが、彼女が何をして欲しいのかは伝わった。
ティシェは口をむぐと引き結び、身をゆだねるようにその腕の中へ飛び込む。トールの手がティシェの背に回る。
包まれる温度に、ティシェは彼の腕の中で頬を擦り寄せた。
「……怖かったんだ。あそこまでグローシャが警戒心をあらわにする姿は初めてで、それはつまり、そこまで消耗していたということだろ? もう少し何かがずれていれば、私はグローシャを失っていたかもしれない」
そう思うと、怖い。あとから恐怖が沸いた。
恐怖は別の恐怖をも呼び寄せるようで。
「グローシャが壊れてしまったらどうしよう。ちゃんと、あの子は元気になるのかな……っ」
身体だけでなく、負ってしまったであろう彼女の奥深くの部分――心の内まで。
そう思うと、怖かった。寒さに震えるように、温度が欲しかった。
なぐさめてくれる温度が欲しかった――その温度に、触れたかった。
その温度を求め、ティシェはさらにトールへ身を寄せる。
「大丈夫、なんて無責任なことは言わないし、言えないけど、もし元気になるのに時間が必要っていうなら、どこか静かな土地でスローライフっていうのもありなんじゃない? みんなで一つ所に暮らすっていうのもいいよね……――ってさ、そう考えるだけでも、気持ちが軽くなったりしない?」
トールはそんな彼女の頭に顎を乗せながら、冗談を少し交えてやわく言葉を落とす。
彼が言葉を発する度に、微かに伝わる振動が心地良い。
「……そう、だな。それもいい、楽しそう」
もし、の話。それでも、そうなったらそうなったらで、きっと楽しいだろうなと思い描くことは容易くて。
それだけで、ふわりと気持ちが少しだけ軽くなる。
窓の外からは、夜明けの気配が近づいていた。




