竜狩り
◇ ◆ ◇
――時を少し遡る。
ティシェと別れたグローシャは、カロンを連れて夜の森へと踏み入った。
細い獣道を辿るも、周囲は背丈のある草で茂っており、いい感じに彼にとっては見通しが悪い。
グローシャは目線が高いゆえに苦もなく進めたが、目線の低い彼にとっては進みにくかったことだろう。
この辺りならばちょうどいいかも。
そう思ったグローシャは後ろを振り返る。カロンが紅の瞳で見上げてきた。
ピルルゥ、とグローシャがカロンに合図すれば、彼は、カロッ、と一つ元気に鳴き、彼は茂みの中へと消えていく。
そこから、ふつりとカロンの気配が掻き消えた。
風が吹いて雲が流れる。頭上で広がる枝葉の合間から星明かりが降り注ぎ、しんと冴えた空気に夜の静寂が満ちる。
カロンが夜に身を浸した証拠だ。夜に紛れてしまったカロンは、同じ竜のグローシャでも、その気配を探ることは容易ではない。
そう、容易にできないだけで――グローシャがひょいっと軽く頭を下げると、その上を飛びかかろうとしたカロンが飛んでいった――探れないということではない。
時に頭を下げて避け、時に尾を振って弾く。その度にカロンは茂みに身を隠し、影に潜み、あれこれと手法を変えては果敢に挑んでくる。
が、飛びかかる寸前で微妙に気配がもれる。呼吸が夜に合わせられていないのだ。
今の彼でも、人であるティシェやトールでは、きっとその気配は探れないだろう。
だが――グローシャはくるりと振り返り、角先で飛んできたカロンを弾いた――竜であるグローシャでは、まだ気配を探れてしまう。
弾かれたカロンはすぐに影に潜む。お、とグローシャは橙の瞳を瞠った。
夜風が吹き抜けたのに合わせ、カロンの気配が断たれた。夜に溶け込むコツは掴んできたらしい。
探ってみるも、やはり気配は掴めない。
ふうと息を落として、カロンの動きを待つことにした。
尾をゆらりと揺らす。頭上で広がる枝葉に遮られ、星の瞬く夜空は満足に望めないが、その星の瞬きに合わせて体内の灯を巡らした。
そういえば、ティシェは気付いているだろうか。
カロン経由で傍を離れると伝えても、そこに渋る素振りはなかった。焚火を囲っていたというのに。
ティシェが苦手する火の側に在りながら、その場にグローシャが居なくとも大丈夫になった。
これを成長ととらえるか――否、グローシャは違うと思っている。
あの場にはまだトールが居たからだ。彼が居たから、グローシャが離れても不安に感じることはなかった。
グローシャはそう思っている。
それは成長ではないにしても、ティシェがグローシャとは違う『大事』をみつけたということ。
幼い頃からティシェを見てきたグローシャは、そのことが嬉しい。同時に少しだけさみしさも覚えてしまうが、だからといってティシェとの関係が終わるわけではない。
このさみしさは後ろ向きな類のものではなく、心をあたたかくする心地の良いさみしさだ。
――と、夜が揺らぐ。夜の中で動く気配を感じた。
ふっと息を吹きかけたように、体内を巡らせていた灯を落とす。
つと上げていた視線を下げ、周囲に視線を走らせて気配を探る。
が、そこで違和を抱いた。橙の瞳が瞬く。この気配はカロンではない。
彼は夜の中で、夜が揺らぐような呼吸はしない。
では何か。グローシャが剣呑を滲ませた橙の瞳を細めた時、彼女の足下で影がうごめいた。
夜が息を吐き出すように夜風が吹き込み、それに合わせてカロンが影から顔を出す。
雲が流れ、星明かりを遮った。
「人、いる。三つ」
紅の瞳に険をはらませ、カロンがグローシャを見上げる。
グローシャはついとその瞳を見やった。
「あれ、嫌な匂いする。――竜、死んだ」
紅の瞳がすぅと冷えていく。
竜といってもカロンらと同じ自然竜のものではない。だが、たとえ自然竜ではない竜のものだとしても、竜というものに手をかける人間は気に入らない。
それはまた、カロンも竜だから。
影からカロンの尾が伸びる。
尾先を飾る鉱石にも似たそれが、普段は丸いのに対し、今は鋭さを持って振り回された。空気を裂き、鋭い風切り音を響かせる。
不穏な気配をまとうカロンに、グローシャは落ち着けと小さく唸る。首を小さく横に振った。
ピルピルゥ――わざわざ旅の一行に危険を持ち込むな――と告げれば、カロンの瞳が次第に温度を取り戻していく。
確かにその通りだ。カロンの脳裏にティシェとトールの姿が過ぎる。彼女達が傷付くのは嫌だ。ものすごく。
風で森がざわめくのに合わせ、カロンは夜に溶けるように影に沈んだ。
完全に彼の気配が溶けたのを確認すると、グローシャはもう一度動く気配の方へと首を巡らす。
早々にこの場を脱し、ティシェらと合流してすぐに離れた方がいいだろう。この場に留まる理由もない。
気配の方角を確認すると、グローシャは夜空へ舞い上がるために皮膜ある前足を広げた。
身を沈ませ、一気に羽ばたく。そのまま木々の群れから上空へと抜ける――はず、だった。
「――っ!」
息が詰まった。
まず始めに感じたのは、後ろ足の引っ掛かり。
くんっ、と身体が下に引っ張られ、抵抗のために皮膜を大きく羽ばたかせてもがくも、次いではその前足の自由を奪われた。
引きづられる。木々が広げる枝葉を幾つも引っ掛けては折り、鱗を擦り、星の瞬く夜空が遠くなる。
地に打ち付けられた時には動きを封じられていた。
身体に巻き付いた縄が食い込み、地に縫い留められる。
それでもグローシャは冷静だった。
空へと舞い上がる竜を縄で捕える手腕。どこを狙えば竜の動きを封じられるかを知る、その慣れた動き。
なるほど、とグローシャは静かに納得する。カロンの言っていた通りだ。
鼻先にその『嫌な匂い』が触れ、その匂いをまとった者達が茂みから姿を見せる。男が三人。
「でっけぇ竜だと思ったけど、ほんとにでっけぇ」
「おい、しっかり縄ぁ張っとけ」
ほいよ、と軽い返事を返し、縄の端を持った二人が力強く縄を引いて張った。
己を縛る縄が強くなり、グローシャは橙の瞳に怒の色を滲ませた。ぐるると唸り声が地を這う。
的確に関節を封じられ、身動きが取れない。
「おーおー、こわいこわい」
戯けた男がグローシャを覗き込み、せせら笑う。
その男が、おや、と目を軽く見開いた。
「こいつ、茶色くないなぁ」
「は? ここいらの竜は茶色だろ?」
「いんや、見てみ。こいつ、金色の鱗してやがるよ」
縄を持つ男の一人が、縄から手を放してグローシャを覗き込む。
縄を持つ者が一人減ったところで、固く張られた縄は緩まない。
グローシャは橙の瞳を細めて覗き込む男に牙を剥く。ぐるると唸る声はさらに低まった。
だが、男らが怯むことはない。構わず会話は続いていく。
「ほんとだ、金色だ。へんいしゅ、とか、あしゅってやつかね。たまに違う色のが出るとかなんとかってやつ。ていうか、睨んでくんだけど」
「さ、知らね。けど、素材としちゃー文句ねぇよなぁ。高く値が付きそうだ」
爛々と目を輝かせ、戯けた男は下卑た笑みを浮かべる。
もう一人の男も、だな、と同じく下卑た笑みを浮かべた。
「なぁ、そろそろ片しちまおうぜ。また竜騎士の奴らが来ちまったら面倒になる」
縄を持っていた残りの一人が、幹に縄を回して結び付けて手を空けた。
そうだな、おうよ、とそれぞれが返事をし、グローシャを取り囲むと腰から短刀を引き抜く。
「――と。その前に探りに行った奴らを呼び戻せ」
指示を受けた男が顔を上げ、森に向けて声真似で仲間を呼ぶ。ホーホー、と真似るその声は、梟の鳴き声に似ていた。
そして、夜闇の中でも鈍く存在を持つ短刀を、グローシャは冷えた瞳で睨み上げ、唸る声はグルルとその度合いを増した。
だが、いくら竜が凄んだところで身動きが取れなければ、男達にとって脅威にはならない。
せせら笑う男の一人が短刀を振り下ろす。目掛けるのは首だ。
しかし振り下ろされた短刀は、竜の肉を裂くどころか鱗によって弾かれた。
は、と眉根を寄せ、取り落とした短刀を拾う。
「……堅いな」
「こんな堅い竜もいるんだ」
「けどま、鱗の間を突けば刃も入るだろ」
男が今度は大きく振りかぶった――刹那、夜が動いた。
風が吹き、森が騒ぐ。流れた雲は厚みを増し、落ちる影が濃くなる。夜闇の中で紅色の双眸が閃いた。
短刀を振り上げていた男はそれを下ろし、揃って男達は、なんだ、と夜の中で息を殺す。だが、事は直ぐに起きた。
風切り音。次いで鮮やかな赤が舞い、半瞬遅れて一人の男から悲鳴が上がった。その男の身体が傾ぎ、足を抑えて呻く。
残った二人は倒れた男の元までゆっくり後退り、周囲に鋭く視線を走らせる。
グローシャの瞳は影を泳ぐカロンをすぐに捉えた。
それに対して男らは、影に何かが潜んでいるのは察知したようだが、その動きを追うことまではできていない。
「何かいるとしかわかんねぇや」
「速くて追えねぇしな」
気配を感じて目を向けても、その時にはもうカロンはいない。
そうして撹乱させつつ、カロンは隙を狙って影から飛び出した。
くわっと口を開き、一人の男の腕に噛みつく。歯がすぶりと肉に入った感触に、さらにぐっと力を入れた。
噛みつかれた男は堪らず短刀を落とす。くぐもった呻き声をもらしながら、カロンの姿をしかと目におさめて腕を力強く振る。
カロンはあっさりと口を放し、また影に潜む。
「……竜だよ。竜の形してた」
男は血の滴る腕を抑えながら、もう一人の男に訴える。
「竜だ? そんな芸当ができる竜なんて聞いたことねぇぞ」
「けど、あれは確かに竜だった。小柄だったけど……」
腕の痛みと、得体の知れなさによる恐怖で、男はすっかり及び腰になっていた。
そんな男の足を狙い、影からぬらりとカロンの尾が伸びる。尾先は鋭く、先程の男を斬り裂いた血でぬとりとしていた。
が、それにいち早く気付いたもう一人の男が、その男を突き飛ばし、足を抑えて転がる男を蹴飛ばす。
カロンの尾先は空を斬った。空振りだ。
グローシャがピルゥッと吼える。逃げを促す声にカロンは動きを鈍らせ、尾先が迷ったように震えた。
それが隙となる。その尾をカロンに腕を噛まれた男が掴む。咄嗟に影に逃げようとしたが、自身以外を影に潜めることが出来ないカロンは逃げ切れない。
ならばと今度は影から顔を出し、くわりと口を開けて牙を向ける――が、カロンに出来たのはそこまでだった。
ギャオッ、グローシャの叫びが響く。
反射的にカロンは、男の腕に噛みつく寸前で動きを止めた。
紅の瞳だけでグローシャを見やり、くわっと瞳孔が開く。
「わかるよな」
グローシャの上に馬乗りになった男が、グローシャに突き刺した短刀に力を入れた。
ギャ、と短な、グローシャの苦痛はらむ声がもれる。
鱗と鱗の間、的確に狙って突き刺した短刀。そこから鮮やかな赤が流れ、むんっと鉄の匂いが強く立つ。
橙の瞳が薄く開かれる。そこに宿る生気は衰えていない。深手だが、致命傷ではない。
カロンはゆっくりと身を引き戻した。
へぇ、と関心した声をもらしたのは、カロンの尾を掴む男だった。
「仲間がまずいっていうの、わかるんだ」
夜風が吹く。厚くなっていた雲が流れ、星明かりが落ちる。
カロンは思わず夜空を見上げた。星瞬く夜空が見えた。
星明かりによって影は薄くなり、それを見逃さなかった男は一気にカロンを引きずり出した。
男もまたカロンに馬乗りになる。グローシャに比べてまだ小柄なカロンならば、それだけで動きを封じることは容易い。
地に押し付けるように体重を乗せれば、カロンから苦しげな声がもれた。
「お前、夜みたいな鱗だな」
綺麗な夜色の鱗。これもまた収集家が喜びそうだ。
カロンの鱗の隙間に指を引っかけ、くいっと生え際とは逆方向に引っ張れば、カロンが軽い痛みに身をよじる。
下卑た笑みを少しだけ口の端に乗せた。
「そんで、どうすんの?」
男がグローシャに馬乗りになった男へ顔を向ける。
「んー、そうだなぁ」
その男はぐりぐりと短刀を押して弄びながら、視線は地に転がる男を見る。
足を抑え、脂汗を浮かべている様に、深く斬られたのだろうなとぼんやり思う。となると、担いでいくの少し手間だ。
「偵察の奴らが戻るまで待つかぁ」
夜空を見上げてしっぽりと呟いた。




