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少女と竜は今日も旅をする。  作者: 白浜ましろ
Episode 2.灯火、その温度
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名を呼ぶ


「この子の首、ほら見て」


「筒、か……?」


 そう、筒。と、トールは手に留まらせた鳥の羽をそっと持ち上げ、鳥の首元がティシェに見えるように角度を変える。

 鳥の羽毛に埋もれ、小さな筒が提げられていた。

 鳥は自ら胸を反らせ、トールは丁寧な動きでその筒から巻かれた紙を取り出す。どちらも慣れた動きだった。

 筒から紙が取り出されると、鳥はまた自ら姿勢を戻す。

 トールは「ありがと」と言って、その手を空に放る勢いで振り上げて、鳥はそのまま飛び立っていった。

 ぱたたと羽ばたいて夜の空へと消えていく影を思わず見上げ、すぐにトールを見やる。


「い、いいのか?」


「大丈夫。この子達は賢いから、ちゃんと本隊に帰れるよ。どこが安全に帰れるルートかっていうのも知ってるし、状況に応じてルートを変更する知恵もある」


 巻かれた紙を広げて中身を確認するトールに、ティシェは「そ、そうなのか」と言葉をもらしながら、ラッフィルを見つめた。

 確かに同じ種の鳥であるラッフィルを普段から見ていれば、彼らがどれだけ賢いのかはわかる。

 そういえばラッフィルも、この前のトールの療養で滞在した街においても、己の判断でアーリィへの状況報告をしていたなと思い出す。

 あの件については、ティシェもトールもアーリィへ報告は頼んでいない。彼が己で必要だろうと判断しての行動である。アーリィが心配しているのであろうとの、他者の気持ちを察することと、そこを気遣うことができているのだ。


「すごいな、ラッフィル」


 改めて、彼の賢さを痛感した気がした。

 思わず呟けば、トールの肩に留まっていたラッフィルが飛び立ち、ティシェの肩に移る。

 ピィ、といつもよりも高く鳴き、あたたかくてやわらかいものがティシェの頬に触れた。

 それがラッフィルが身を寄せてきたからだとわかれば、くすぐったさに口元が緩んだ。くすぐったいけれども触れ心地は良くて、ティシェも頬を擦り寄せる。


「ラッフィル、褒められて嬉しかったんだね」


 トールの声に、ピィッ、と元気に返事をし、また飛び立って彼の肩へと戻る。

 頬に触れていたあたたかさがなくなり、少しだけさみしく名残惜しかった。


「……ところで、それは何かの連絡だったのか?」


 ティシェがトールの手元に視線を向ければ、トールは、そうだよ、と紙をティシェの方へと広げて見せた。

 紙に書かれていた文字を追う。


「申請は承認した。これより休暇とする――……って、休暇……?」


「うん、そう。休暇申請してたんだよね。で、本隊から承認された旨の連絡が今届いたとこ」


「答えを持っている、というのはこういう意味だったのか」


「だから、仕事の方は大丈夫なのかって質問の答えは、休暇中だから大丈夫だよ、になるのかな」


 風の商人というのは、本隊から各々商人が商品を仕入れて売る、というのが全体の仕組みだ。

 要するに、所属する商人一人一人が、一つの商店のような感じである。ゆえ、働こうが休もうがある意味自由なのだ。


「ほら、前にヨウさんと会ったでしょ。あの時にヨウさんを通じて本隊に休暇申請を出してたんだ」


 いつの間にそんなことをしていたのか、とティシェが少しだけ記憶を思い返してみると、そういえばヨウの見送りには居合わせていなかったなと思い出す。

 その時に話を通していたのかもしれない。


「その時一緒に、商品の在庫を返したり、一部買い取ったりもしたんだよ」


 それでは、今夜食べた物も含め、これまでの旅で消費してきたものは、その際にトールが買い取ったものということか。

 なればその分の、せめて自分が消費した分は――と、思案しかけた時、視線を感じて顔を上げた。


「……なんだ」


「なんだっていうか」


 途端、トールの鳶色の瞳が半目になる。

 そこに滲むのは呆れの色か。


「自分が食べたり使ったりした分は立て替えなきゃとか、何かで返さなきゃとか、そんなこと考えなくていいからね」


 ティシェは少しだけ強く口を引き結んだ。


「なんでわかったって言いたそうだけど、わかるよ、それくらい」


 ティシェは小さく口をへの字にした。


「一緒に旅をしてから、僕と君の財布は一部を共用にしたじゃん。個人的な出費以外はその財布から出してるから、買い取った時の支払いもその財布から出てる。――以上、言いたいことは?」


「…………ない」


「なら、よろしい」


 トールは満足げに息をもらした。


「そういえば、私とトールはもう、この場で終わる関係、というものではなかったな」


「……そうだよ。僕とティシェは、そーいう仲、じゃん?」


 初めて出会った際に、トールが口にした『この場で終わる関係』を引っ張りだすと、トールはこの間のティシェが口にした『そーいう仲』を引っ張ってきた。

 だがトールは、ふいと目を逸らす。その頬がほんのり色付く。


「……自分で言って自分で照れるなよなぁ」


 手の甲で口元を隠す彼に、ティシェはいつもと変わらぬ調子で呼びかける。


「――なあ、トール」


「……照れてるのが僕だけなの、なんか悔しい。……で、なに?」


「あ、いや……商人の仕事を休んで、大丈夫なのかと思ってな。体裁とかあるんだろ?」


「あ、ああ……それは、うん、問題ないよ。そもそも風の商人に入ったのも、こっちの世界について知るのが目的だったし」


 トールは肩をすくめて苦笑する。


「移民としてなら、いろいろ知らなくても仕方ないねって思ってくれたからさ」


「……そうか」


 返答以上の言葉は出なかった。できなかった。

 トールがこちらへ来てしまった要因。その一つをつくったのは自分だ。そう思うと、辛かったな、頑張ったな、と軽々しく口にすることはできなかった。

 いつでも奥底で燻る、自責が絡むその気持ち。ふう、と追い出すようにそっと息を吐き出した。

 それからは互いに言葉はなく、ただぼんやりと熾火を見守るだけだった。

 森に響く虫の声だけが沈黙を埋めていく。

 だが、次第にその声も少しだけ重く感じ始めた。

 耐えかねたのか、トールが火かき棒を手にしてまきをいじり始める。まきはいじられる度に崩れ、火の粉が舞う。

 それを風が時折、いたずらに巻き上げていった。

 焚火に照らされるトールの顔を覗き見る。ゆらゆらと揺れる陰影のせいか、彼がどこかさみしそうに見えて、ティシェは自然と口を開いていた。


「……私に何か、できることはあるか?」


 夜の静けさを壊さぬようにそっと問えば、トールがゆっくりと顔を上げた。


「どうしたの、急に?」


 瞬く鳶色の瞳に、熾火の赤い光が映る。


「なんだかトールがさみしそうに見えたから」


 息を詰めたように、鳶色の瞳が瞠った。

 そして、困ったようにくしゃりと笑う。


「そう見えた?」


「見えた。影のせいもあるかもしれないが」


「ああ、熾火か」


 トールは火かき棒でまきを崩した。

 彼は崩れて舞う火の粉を視線で追いかけながら、やおら口を開く。


「矛盾してるな、とは思うんだよ。こっちに居たいからこっで生きてくって決めたし、今でもそれは変わらないのに、たまにさみしくなる時がある」


 トールはティシェを見て、そっとその感情を口の端にのせて持ち上げる。さみしそうな笑みだった。


「ここに居る僕は『トール』で、僕が『透』だったことなんて誰も知らない。それがたまに、さみしくなるんだ。いつか僕の中からも薄れて消えていっちゃうみたいで。ほら、記憶ってどうしても薄れていくものだから」


「……名の音が、違う?」


 素直に感じたことをティシェが呟けば、トールは、そうなんだよね、と先程の笑みを引っ込めて首を傾げた。


「僕の感覚としては、あっちとこっちとで言葉に違いはないと思うんだけどね。読み書きもとくに違わないし、しいて言えば単語とか、言葉の使い方が違う……のかな? でもそれも、現代ぽくないってだけで、違いっていうのもまた違うのか」


 こっちではあんまりない響きみたいだし、文字の並び的に発音が苦手な類になるのかも。

 などとひとりごちるトールを見つめ、ティシェは「すまない」と詫びの言葉を口にする。

 鳶色の瞳がぱたりと瞬き、トールが顔を上げた。


「なんで謝るの? 謝る理由なくない?」


「『トール』はなまった呼び方だった」


「なまってるなんて思ってないよ」


 苦笑してそのまま受け入れているトールに、ティシェは真剣な顔をして首を横に振る。


「だが、名は正しく呼ぶべきだ。名は個を形つくるものなんだから」


「なんか小難しいこと言ってる……」


「それにトールの名なのだから、きちんと私が呼びたい」


 鳶色の瞳をぱちくりさせるトールを横目にしながら、ティシェはもごもごと口の中で繰り返す。


「トール」


「……透」


 間に、お手本のようにトールの声が挟まる。


「トーォル」


「透」


「とーる」


「近いかな、透」


「とおる」


 今の響きは良かった気がする。

 次は慎重に。


「――……透」


 言えた、気がした。


「透」


 今度ははっきりと告げ、顔を上げる。

 けれども、ティシェはトールの顔を見て息を詰めた。

 最初は呆けていたトールの顔が、次第に崩れて笑っていくから。

 その笑い顔は本当に嬉しそうで、それでいて幼くて。まるでお菓子をもらった子供みたいに見えた。

 ティシェの胸が跳ねる。


「……いいね、人からちゃんと呼ばれるっていうのは。ティシェの言った通りだ」


 ふふふ、とくすぐったそうにトールが笑う。


「また、透、と呼んでもいい……?」


 え、とトールがティシェを見て鳶色の色を瞬かせた。


「誰が知らなくとも、私が知っている。お前が忘れても、私が覚えている」


 ぱちっと焚火の音がする。

 鳶色の瞳がふいにきゅっと細められ、視線が落ちた。


「ずるいなぁ、もう」


 落ちていた視線が持ち上がる。


「そういうの、どきつくんだけど、ティー」


 くしゃりと笑ったトールが名を紡ぐ。

 いつか冗談交じりにティシェが告げた、彼女の愛称。

 ティシェは視線を逸らした。それはまるで、熱いものに手で触れてしまった際に、さっとそれから手を離すみたいに。

 頬に熱が集まっていく気がした。跳ねていた胸が、少しだけうるさい。


「……確かに、どきつくな」


 同意する言葉に、トールがははっと声を出して笑った。

 でしょ、と笑う声に、ティシェも頬を緩めて、そうだな、と笑った。

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