少女と竜は今日も野営をする
「そういえばトール、仕事の方は大丈夫なのか?」
火かき棒で焚火の調整をしていたトールは、その手を止めてティシェを振り向いた。
焚火は熾火になっており、まきの芯が赤く光っては揺揺らいでいる。
すでに夕食は済ませたので、寝るまでの間の暖目的ならばこれで十分だろう。
まきが崩れては火の粉が舞う。
空は暮れの色だが、もうそのほとんどが地平へと追いやられてしまい、藍の色が空の大半を占めている。
周囲は薄暗く、間もなく夜に移り変わって星が瞬き始めるだろう。
時折森に風が吹き込み、木々が揺れる。どこかゆったりと聴こえる葉擦れの音は、夜を歓迎するような響きをもっているようだ。
「仕事って、なんのこと?」
首を傾げた彼に、ティシェは洗い終わった鍋を手にしたまま、あれだと言葉を重ねる。
「風の商人としての仕事だ」
「なんでまた突然。あ、洗い物ありがとう。とりあえず、鍋に入ったお皿くれる? 水気を拭いて乾かさないと」
「あ、いや。こちらこそ、いつも火の番をありがとうな」
火かき棒を焚火の側に置き、トールが立ち上がった。
近場の川で洗ってきた皿を、鍋を籠代わりに運んできたのだが、それをひょいとトールに持っていかれてしまう。
側の木の根元に腰を下ろしたトールは、布を敷いて皿を置くと、一枚ずつ乾拭きを始める。
ティシェは鍋を持ったまま、その彼の肩に留まる浅緑色の鳥から目が離せない。気になって仕方がなかった。
当人ならぬ当鳥も、ティシェの視線が気になるのか、ピィ、と首を傾げて鳴く。両肩に留まった内の一羽が。
「……さっきの続きだが、前に確か連絡鳥でもあると言っていたなと思い出してな。川で洗い物をしていたら、ラッフィルに似た鳥が飛んでいくのが見えた」
トールの隣にティシェも腰を下ろし、彼から手渡された乾いた布で鍋の水気を拭き始める。
「それで仕事は? の質問になったんだ」
「一緒に旅をしてしばらく経つが、それらしいところを見かけたことがないなと、今更ながらに思い至った」
ぽつぽつと喋りながら作業をしていると、各々好きなように過ごす竜達の方から、ピルピルカロカロと声が聞こえた。
目を向けてみると、グローシャとカロンが何やら話し込んでいる様子。
時折カロンが皮膜ある前足を羽ばたたかせてはグローシャを見上げ、それを受けた彼女がしばししたのちに返事をする。何やら相談事か。
一方でアーリィは、グローシャらとは少し離れたところで、腹這い姿勢で寝転び、あくびを一つしていた。グローシャとカロンのことは我関せずらしい。
「ティシェの方も拭き終わった?」
「ああ、すぐ終わる」
残りをさっと拭き上げ、鍋をトールに手渡す。
トールは鍋を受け取ると、敷布に並べ伏せていた皿と一緒に鍋も伏せた。
水気を完全に飛ばすために乾燥させるのだ。
「それじゃ、焚火にあたりながら話そうか」
ね、と。トールは肩に乗せたままの、ラッフィルと良く似た鳥の方を指先で軽く撫でた。
熾火が赤く光っては揺らぎ、時折まきが崩れては火の粉が舞う。
空はすっかり夜に移り変わり、周囲も夜闇に包まれている。
焚火を囲うのはティシェとトールの二人と、二羽の鳥だけ。淡い焚火の明かりが周囲をほんのりと照らす。
アーリィの姿は少し離れたところにあるが、グローシャとカロンの姿はない。
アーリィは相変わらず腹這いの姿勢で寝転んだままだったが、天色の瞳はしっかりとトール達へ向けられていた。
姿のないグローシャとカロンは、少し前に二頭揃って夜の森へと消えていった。カロン曰く、夜の森を勉強してくるそうだ。
「カロンが心配?」
トールの声に、グローシャとカロンが消えた方を見ていたティシェは、焚火を挟んで対面に座る彼を見る。
ふるりと緩く首を横に振った。
「心配、というか……さみしいんだと思う」
熾火に視線を落とし、蒼の瞳を伏せる。
「グローシャに教えを請うたということは、きっと竜として成長している証拠でもある。私が拾ってしまって、人の中で成長することになってしまったカロンが、竜として成長できていることは嬉しいんだが……」
人の中で成長することになってしまった弊害が、カロンが人の言葉を扱うようになってしまったことだ。
竜の発声器官では人の言葉には適していないはずなのだ。それをカロンは適応してしまった。
彼がまだ身体の成長途中だったゆえに、おそらく適応できてしまったのだろうとティシェは推測している。
子は親を真似て成長するように、カロンもティシェを真似て成長した。
カロンがティシェに対し、親に近いような感情を抱いているのは仕草からわかっている。トールと共に旅をするようになってからは、彼に対しても同様なものを抱いている様子もある。
人は言葉を発す。それは竜からみれば、人の鳴き声に思えるのかもしれない。
鳴き声を真似ただけ。群れに馴染むために。
「……私も子を見るような心境だったのかな。ううん、違うな。手のかかる弟を見ている心境だったのかも」
「だったら、さみしくなるのは仕方ないと思うよ」
視線を上げる。トールが鳶色の瞳を細めてこちらを見ていた。
その瞳に宿る色がやわくて優しい。
「竜として成長しようとしているってことは、もう僕達みたいな人間では、教えることはできないってことなんだろうし」
「……手がはなれてさみしい、ということか」
なんだか腑に落ちた。
もうティシェが、カロンに教えられることはないのだろう。
言い換えれば、カロンが人の中で過ごすことを身につけた、ということにもなるだろう。
そして次に、彼は竜として成長しようとしている。ならば、人の身であるティシェに教えられることはない。
「なれば、カロンとまた新しい関係をつくっていくだけ、か」
凝り固まったものが、ほぐれていく気がした。
ふふっ、と。口の端を持ち上げ、蒼の瞳をやわく細めてトールを見やる。
「ありがとう、トール。気持ちが軽くなった気がする」
「……そっか。なら、よかったよ」
少しだけトールが目を逸らし、その顔どきつくなぁ、とだけぽそりと呟いた。
「――それで、トール」
「ん?」
ちらりと鳶色の瞳がティシェを見やるも、真面目な色を湛えた蒼の瞳が真っ直ぐに向けられているのに気付いて瞬く。
「お前の話を聞かせてくれ」
「……そうだったね」
鳶色の瞳を一度伏せ、トールは姿勢を正す。
気持ちを整えるようにトールが一つ息を落とすと、彼の肩に留まる二羽が、ピィ、と揃って鳴いた。
伏せられていた鳶色の瞳が持ち上がる。
ぱちっとまきが崩れ、熾火が息をするように火の粉を吐いた。
「仕事の方は大丈夫なのかってことだったよね。その答えはこの子が持ってるよ」
「持ってる……?」
不思議そうに小さく首を傾げたティシェに、トールはラッフィルではない方の鳥を手に留まらせ、ふふっと小さく笑った。




