隣にいたい
◇ ◆ ◇
ティシェとトールが寝泊まりしている部屋は、寝台が二つ並び、それぞれの側に物書き机が置かれただけの簡素な部屋だった。
それでも広さは十分あり、荷を置いたって余裕があるのだから、調度類を置いても狭くは感じないだろう。
住み込みの弟子が使っていた部屋だったらしい。
「しばらくは旅の費用の心配、いらなくなっちゃったね」
金の入った袋を財布袋に入れ直したトールは、満足げな顔をして寝台に腰掛ける。
寝台の枕元ですでに眠っていたラッフィルが、ぎしりと軋む音に一度目を覚ますも、トールが座っただけだと知るとまた目を閉じた。
ティシェはその隣の寝台上で足裏を付け、あぐらをかくように座っているも、その表情は渋い。
ちなみに隣り合った寝台ではあるが、就寝時はその間に衝立が立つ。
寝台と寝台の間にある卓に灯竜灯を置くと、つまみを回して夜に支配された部屋に優しい灯りを灯す。
「……私はべつに対価を求めていたわけではないし、滞在費や訪問費が返せればそれでよかったんだが」
ティシェは納得がいかないと、眉間に小さくしわを寄せた。
先程受け取ってしまった金が余剰ではないかと、ティシェには感じてしまう。
「僕は妥当だと思うけどな。大きくなりそうだった話が小さく収まったっていうことは、当初の予定額よりも抑えられたってことでもあるだろうし、余剰ってことはないと思うよ」
「……まぁ、そういった面もあると考えれば」
「それにさ、見合ったものをきちんともらっておいた方が、お互いに後腐れなくていいと思う」
その考えは、あまり深い付き合いを好まないトールらしい考えだと思えた。
それでも、まだどこか納得できない。
渋面になりつつあるティシェに苦笑したトールが、じゃあ、と人差し指を立てる。
「こう考えるのどうかな? あの夜、僕達は無断で鉱山に入っちゃったわけだけど――」
トールのその言葉に、ティシェは小さくきゅっと口を引き結ぶ。
あの鉱山は街からは離れていたし、人の手が入っていた痕跡はありながらも、それは随分と時が経っている様子だった。
ゆえに二人は足を踏み入れたわけだが、あの鉱山の管理は街の方でまかされていたというのを、二人は街に戻ってから知ったのだ。
正直に立ち入ってしまったと口にしたわけではないが、鉱山の調査の話になった際に、洞窟が崩れる心配はない、と断言してしまったことから、きっと街側には知られている。
あの時はトールはまだ寝込んでいたし、そこまで深く考えが至らなかったのはティシェの落ち度だ。
気まずげにそっと目を逸らした。
トールはそんな彼女に苦笑しつつ、それで、と話を繋ぐ。
「それを、ティシェの言う『余剰に報酬をもらった』ことで、あの夜のことを街からの依頼っていう形にしてもらった、って考えるんだ」
「……つまり、無断に立ち入ってしまったのを、なかったことにしてもらった、ということか」
「うん、そーいうこと」
そう考えてみるのはどうかな、と首を傾げるトールに、ティシェは視線を落として飲み込んでみる。
つまりは、視点の切り替えだ。
落とした視線の先では、灯竜灯の灯りで家具の陰影が揺らいでいた。
その様は水面が揺らめいているようにも見えた。
影と影の間を、時折カロンが水面を跳ねる魚のように跳ねては、行ったり来たりを繰り返して遊んでいる。
それをしばらく眺めていたティシェは、やがてゆっくりと顔を上げた。
「その視点での考えなら、飲み込めそうだ」
「ん、よかった。受け取ったものに対して納得いかないのも、あとからいざこざになることもあるしね」
少しだけ困ったように笑うトールに、ティシェもそうだなと頷いたのだった。
*
「――で、本題はここからなわけだけど」
トールがひたとティシェを見据える。
真面目な空気を感じ取り、ティシェも足裏を付けてあぐらのようにかいていた姿勢から、寝台から足を下ろして聞きの体勢に変えた。
二人の間では、床の影から顔だけを出したカロンが、二人を交互に見やっていた。
「本題というのは」
「うん。これからの旅、についてなんだけどね」
これからの旅、と言われ、ティシェは身を強張らせる。
なんだ。ここで別れようとでも言われるのだろうか。
流れ星を見たあの夜、一緒に行ってもいいか、と問うてきたのはトールだったから、これからの旅も一緒なのだと思っていた。だが、それは勝手なティシェの思い込みだったのか。
でも、そういえば、と。ティシェは少し前のことを思い出す。
地竜の子竜をみつけ、狂った物と化してしまった熊とトールが対峙してしまったあの出来事。
その際にトールが言っていた『勝手には、いなくならないよ』の言葉は、別の視点で考えれば、何かを告げていなくなることがある、ということにならないだろうか。
それは、すごく嫌だ。
気持ちのままに視線を落とすと、膝上に乗せていた手を無意識に握っていた。
影から顔を出すカロンと目が合うと、彼は心配そうに、カロロォ、と小さく声をもらした。
「――シェ」
ティシェはカロンに、大丈夫だと小さく笑い返す。
「ティシェ」
呼ばれた声に、はっとして顔を上げる。
「すまない。考え事をしていた」
謝を口にしたティシェに、トールは顔をしかめた。
「なんでそんな、不安そうな顔してるの」
「……そんな顔はしてないと思うが」
表情が動いた自覚はない。
ティシェは常と変わらぬ表情に乏しい顔で告げるも、トールはふるりと首を横に振った。
「僕と君の付き合いもそれなりになってくれば、なんとなく解ってくるものだよ。ティシェのことだし、なおさら」
こともなげにそう言われてしまうから、ティシェは思わず睨むように彼を見やってしまった。
それではまるで、付き合いが長くなってきたからもあるが、ティシェだからこそ解る、と言われているようではないか。
思わず睨むように見てしまったのは悔しさから。それとたぶん、嬉しさから。それがまた悔しい。
むっとした気持ちのままに口をへの字にし、蒼の瞳を伏せる。だが、伏せた先で顔を覗き込むトールと目が合ってしまい、さらにへの字の口がへの字になった。
「そうやって表情の動くティシェも、普段はあんまり見ることがないから新鮮ではあるけど、今は何が不安なのかちゃんと聞かせて欲しいな」
そうやって優しい声を出すのもずるいと思う。
想いやってくれてるんだと思ってしまって、抱える気持ちを吐き出したくなる。
「……トールがいなくなるのは、嫌だなと思った。隣にいたいと思った。いなくならないで欲しい、とも」
「わぁ……思ったよりも多くでてきて反応に困るやつだけど、これは先に言っておくよ。――旅には、僕も一緒に行っていいかなって、訊こうと思ってたんだけど」
え、と声にならなく、吐息だけをこぼしてティシェはトールを見つめた。
ぱちりと蒼の瞳が瞬く。
「私はそのつもりでいたんだが……?」
そういう話になっていたはずだ。
「星が流れたあの夜、そういう話になっていただろう」
「そう、だけどさ……あの夜はまぁ、僕も不調だったし、曖昧になっちゃってないかなぁって、改めて確認はしたかったんだ」
覗き込む姿勢から戻ったトールが、気恥ずかしそうに「不安だったんだ」と小さく笑う。
「ティシェに一人で星を追うって言われたら、それは嫌だなって思うのは僕も一緒。……ティシェはどうして、僕がいなくなるかもって不安に思ったの?」
首を傾げたトールに、ティシェは一瞬視線を落として「それは……」と言い淀む。だが、彼から感ずるやわらかな空気に自然と口を開いていた。
「トールが前に言っていたから。勝手にはいなくならない、と。それは視点を変えれば、何かを告げていなくなるということだろう?」
「あ、あぁー……そんなことも言ったことあったね。あの時はあれが精一杯の返しだったからで――」
「じゃあ、今は違うのか?」
え、と吐息をこぼすのは、今度はトールの番だった。
間髪を容れずに言葉を返したティシェに、トールは言葉に窮する。
ティシェの蒼の瞳が、真っ直ぐトールを射抜くように向けられる。
今は、と言いかけ、けれどもまだ明確な言葉にはできなくて言い直す。
「……僕も、ティシェの隣にいたいって思ってるよ」
これが今の精一杯だった。
それでも、ティシェが小さく口元を緩めたのが見えた。
安堵したようにも見えるその様子に、正解な答えではなくとも、たぶん間違った答えでもなかったのだろう。トールも表情を緩めた。




