星が流れたから
水桶を持ったトールが外へと出れば、夜風をふうわりと肌に感じた。
森の空気を薄らと感じ、トールの肩に留まるラッフィルが、ピィ、と小さく鳴く。それに小さく笑って空を見上げた。
空は夕食の間にすっかりと夜へ塗り替わり、星々が瞬いている。
よいしょ、と水桶を下に置くと、張った水がちゃふんと揺れた。
直接外と通じている炊事場の戸口から、ティシェが顔を出す。その手には重ねられた木皿がある。
「皿を持ってきたが」
「ん、ありがとう。そこに置いてもらっていいかな」
トールが指し示したのは、戸口の直ぐ側に置かれた台。
ティシェは重ねて持ってきた木皿をそこへ置く。
「洗い物はまかせてもいいだろうか?」
「うん、まかされた」
とんっと笑って胸を叩くトールに、ティシェは小さく笑う。
「では、卓の片付けは私にまかせてもらおう」
「うん、まかせた」
そう言ってトールが手を持ち上げるものだから、ティシェは一瞬きょとりとするも、その意図をすぐに察してティシェも手を持ち上げた。
ぱんっ、と軽い乾いた音が響く。ラッフィルが驚きで、ピッ、と小さく鳴いた。
手を互いで打ち鳴らして笑い合うと、ティシェは炊事場の方へと戻っていった。
その背を見送り、トールは皿を洗うためのタワシ――蔓植物の果実の乾燥させ、皮や果肉を取り除いたもの――を片手に持つと、水桶の前に座り込み、置かれた木皿を取って洗い始める。
「……すっかり慣れちゃったものだよね」
肩のラッフィルが不思議そうに首を傾げた。
「だって洗剤なしの洗い物なんて、油汚れどうするのとか、感覚的な違いに、なんかいろいろと気持ちが落ち着かなかったんだけど」
石鹸は高価ゆえに、日常生活においてあまり馴染みがない。貴族などの富裕層ならば馴染みはあるのだろうが。
せっせとタワシで木皿を洗う己の手元を見下ろし、トールは苦笑する。
「これで案外汚れは落ちるんだよね」
タワシをきゅっと軽く絞って、洗い終わった木皿を水から引き上げた。ぽたぽたと滴がしたたる。
ラッフィルに見せるように傾けると、指の腹を木皿の内側で滑らせた。
「ほら、油汚れも落ちてるでしょ?」
だが、見せられてもラッフィルにその良し悪しはわからない。
ピィ、と鳴いた彼の声の調子が上がる。疑問符をつけたような声だった。
「ははっ、わかんないか。そうだよね。いいんだ、それで。僕ももう、あんまり違いは気にしてないから」
ラッフィルの身体が揺れる。それはトールが身体を揺すって笑っているから。
「気にしなくなるくらい、僕の中で馴染んで普通になってるってことなんだろうなぁ」
ぼんやりと夜空を見上げ、トールは夜の空気に溶かすようにそう呟いた。
*
水桶の水を街の定められた場所に流し、空になった桶を籠代わりに洗い終えた木皿を入れて戻る。
桶を抱えてトールが炊事場に入ると、どんっと目の前に突き出されたそれに鳶色の瞳を瞬かせた。
ピィ、と肩に留まったラッフィルの声がその場に抜ける。
「えっと……?」
戸惑いを瞳に滲ませ、差し出されたそれを見つめる。
それが炊事場の片された調理台に改めて置かれた。ちゃり、と何かを擦った音がする。まるでそれは。
「賃金さね」
それを置いた主――ケイトが言う。
やはり、金の入った袋だった。
「賃金って……夕食の後片付けの手伝い賃にしては、多くないですか……?」
「話はそれを戻してからさ。水桶は重い上に、皿が多いと何往復かしなくちゃならないし、男手があるのはありがたいんだよ。ありがとさね」
先に居間に行ってるよ、とケイトが袋を持って炊事場を出て行く。
そして、入れ違いにティシェが入ってきた。彼女は戸口で廊下を振り返る。
「さっきそこで、ケイトが話があると」
「あ、うん。これを戻してからだって僕もさっき言われた」
二人は顔を見合わせて首を傾げつつ、片付け作業に取り掛かるのだった。
居間の卓に着いた二人は頭を突き合わせ、ケイトに渡された袋を覗き込んでいた。
ちゃり、と擦れる音を立てるそれは、紛うことなき金だった。
二人はそっと顔を上げる。
「手伝い賃にしては多いと思うんですけど」
トールの言葉にティシェも頷く。ティシェも口にしようと思っていたことは同じだ。
二人の対面に座るケイトは、腕を組んで呆れたように息を落とした。
「手伝い賃なわけないだろう。これはあんたらが働いてくれた分――謂わば報酬だよ。街の連中からのね」
「だがそれは、滞在費や医者の訪問費で――」
「言っただろう? 想定以上に働いてもらってるって」
つまりはこれは、滞在費や訪問費では振り返れなかった分ということだ。
じぃと卓に置かれたそれを見つめる。
「こんなにか……?」
「こんなにさ」
その多さにティシェは思わず確認してしまうも、ケイトに断言されてしまう。
「あの鉱山には、もう何十年も奥までは入ってなかったんだ。調査のためには装備の用意はもとより、そのための事前調査も必須だねぇと、街の連中で話し合ってるところだったんだよ。場合によっては、領主さまのとこに話を持っていかなきゃなんないねぇって。街には専門の人はいないから」
ケイトの言に、隣のトールが納得した様子でなるほどと頷く。
何がなるほどなのかとティシェは小さく眉を寄せるも、トールは他に気になったことがあるらしく、別のことを訊ねる。
「何十年も奥には入っていなかったんですか?」
トールの驚きを含んだ問いに、ケイトはそうさと一つ頷く。
「もうずっと、あの鉱山からは屑石しか採れてなかったんだ。そりゃ、わざわざ奥までは行かないさね。必要分の灯煌石はよそから取り寄せて仕入れてたさ」
「それをどうして、今になって奥を調査しようと?」
「星が流れたからさね」
ケイトの言葉に、二人は小さく目を瞠った。
だが、二人の様子にケイトは気づかなかったようで、彼女の話は続く。
「街のじいさんばあさん連中が言ってたんだよ。昔、それこそあたしが生まれるよりも前、あの夜と同じように星が流れた夜があったらしいんだ。そのすぐあとさね。とうに枯れたと思っていた鉱山から、質のいい灯煌石が採れるようになったと言うじゃないか」
「今みたいに、か……?」
そっと訊ねたティシェに、ケイトは、そうさね、と少し興奮気味に答える。
「そんな話があったからねぇ、じゃあ今回はきちんと調査に入って、今後のために記録に残そうじゃないか、となったわけさね」
まぁ、そしたら本当に質のいい石が採れるじゃないか。街としても沸くもんだよねぇ。
と、ケイトはうんうんと一人頷いている。
だが、ティシェとトールはちらりと互いを見やり、なんとも言えぬ表情を浮かべていた。




