↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
少女と竜は今日も旅をする。  作者: 白浜ましろ
Episode 3.触れたひとひらは何を変えゆるか
PR
57/117

雨の竜


 ウルルルゥ――。


 澄んだ透明な声が、霧に覆われた朝の森に響く。

 宿に泊まるほとんどの人々は、この声にゆっくりと目を覚まし、今の時分が未だ早朝だと知るや、目覚ましから子守唄に差し替えて再びベッドに沈んだ。

 だが、もの好きな者はいそいそと起き出し、身支度を整えて外へと繰り出す。ティシェもその一人だった。

 霧で先を見通せぬ中、ティシェは周囲の気配を探りながら慎重に足を進める。目指すは森の中心地にある湖だ。進むべき方角は森に響く澄んだ竜の声。

 湿った下草を踏み、ひんやりとした空気に襟元をたぐった。普段のつなぎ姿で防寒にも優れたものではあるが、通り抜ける風が首を撫で、少しだけ肌寒く感じさせる。

 だが、ほんのちょっと気を緩めた時だった。襟首を咥(・)え(・)ら(・)れ(・)、勢いよく後ろに引かれる。

 ぐっ、と息を詰まらせつつも、倒れまいと足を踏ん張った。

 襟首はすぐに開放され、ティシェは息を詰まらせた衝撃で軽く咳き込む。

 咳き込む中で視線を上げれば、ティシェの前に樹木が立ちはだかっていた。霧で気付かなかった。このまま歩き進んでいれば、顔面衝突でもしていたかもしれない。

 ティシェは後ろを振り返る。


「グローシャ、すまない。助かったよ」


 グローシャは、気にしないで、との意で、ピールゥ、と一つ鳴いて応えると、ティシェの前へと進み出る。

 そして彼女を振り返り、くいっと顎で先を示した。案内は任せろとばかりだ。

 グローシャは尾先を飾る鉱石に似たそれを灯すと、やわく明滅を繰り返しながら軽く振る。付いて来い、の意だ。

 彼女の姿はすぐに霧に紛れて視認しにくくなったが、明滅する灯りが勧めべく方向を教えてくれる。

 ティシェは迷いない足取りで、朝の森を進んで行った。




   *




 森の中心地に着く頃には霧は晴れ始めており、今は薄ら靄がかって見える程度になっていた。

 湖の湖畔、そこから少し離れた位置に、ティシェは敷物を敷いて腰を下ろした。

 対面の湖畔にも、そこから少し離れて湖を見やる人の姿が幾つか。皆の側には竜の姿がある。

 野花が咲き誇り、色とりどりの小花が風に揺れる。ふわりと優しげな香りが鼻先をくすぐり、昨夜の雨粒が木々をきらめかせていた。


「いい朝だな、グローシャ」


 ティシェの傍らに腹を伏せて寝そべっていたグローシャは、ピルッと一つ鳴いて応えると、頭をティシェに押し付けて擦り付け始める。

 ティシェは拒むことなく、されるがまま。影からこそりと這い出てきたカロンも、グローシャに協力するように身体をティシェへ擦り付け始めた。

 こうしてしまえば、無理に彼(・)ら(・)を刺激することもないだろう。

 ここは元来、人が立ち入らぬ場所だったのだから。


「……匂い付けは十分だろう」


 二方向からぐいぐいと力強く押される状態に、ティシェは小さく苦笑がもらした。

 満足したらしいグローシャは身を離し、ふんすと鼻を鳴らす。

 カロンは湖の方に興味を引かれたのか、湖畔の方へと駆けていく。湖畔から顔を出し、湖面へ鼻先を近付けてはふんふんと匂いを嗅ぐ。

 そして、ふいに顔を上げた。

 ウルルルゥ――。

 森に響く澄んだ竜の声。それは湖の中心地に降り立った彼らのもので、霧が晴れ始めた今ならば、雨竜のその姿をしかと認めることができる。

 四頭の雨竜。体躯からして成竜三頭と、一回りほど小さな若い竜が一頭。家族だろうか。

 頭に二本の角を持ち、被膜を持つのは、グローシャ達と変わらぬ竜としての姿形。

 全身を覆う鱗は形容しがたいが、まるで磨り硝子のようで、不透明な灰の色はさながら曇り空にも見えた。

 そんな雨竜の一頭が、不思議そうに雨色の瞳をこちらに向けた。

 興味を抱いたのか、水の膜のような被膜を軽くばたつかせる。その際に被膜の端が飛沫になって砕け散った。

 ウルル。雨竜が声を上げて後ろに居る仲間を振り返る。どこかねだるような、可愛らしくこてりと小首を傾げれば、それを受けた仲間の雨竜が嘆息まじりに一つ頷く。

 返された答えが期待通りのものだったらしく、雨竜は嬉しげに被膜を湖面に打ち付け、水飛沫を盛大に飛ばした。

 その水飛沫が湖のものなのか、竜の被膜だったのかは判ぜられないけれども。

 雨竜がくるりと方向をこちらに定めた。

 途端、カロンに緊張が走る。普段は丸みを帯びている角先と、尾先を飾る鉱石に似たそれが鋭さを帯びた。

 体制を低くし、紅の瞳に緊張を滲ませて雨竜を警戒する。だが、警告音を発さないところから、ただ本当に緊張しているだけなのだろう。

 雨竜がすいっと泳ぎ、警戒する様子もなく湖畔にまで近付いてきた。


「あの雨竜、まだ若いよな。カロンより少し上くらいに見えるが?」


 離れて見守るティシェが、側のグローシャに問いを投げる。

 ティシェの予想通りだったようで、グローシャは、そうだね、とピルルと答えた。


「同世代との触れ合いも、あの子の刺激になるといいな――あ、拐われた」


 ティシェとグローシャが見守る前で、咄嗟に影の中へ逃げ込もうとしたカロンが僅かな差で雨竜に捕まった。そして、そのまま拐かされていく。

 尾を雨竜に咥えられ、ぶらりんと揺れるカロンが、期待を宿した瞳でティシェらを見た。

 だが、当のティシェは常の乏しい表情下でカロンへ手を振るだけ。カロンが目に見えて嘆息したのが遠目でもわかった。

 拐かされて行くのを手を振りながら見送り、ティシェはグローシャを振り向く。


「成長したな。花竜(かりゅう)の時はこの世の終わりかのような様子だったのに、今はため息をつくだけだ」


 そうだねぇ、と同意するように、グローシャはぱたぱたと尾先を振った。彼女の橙色の瞳が感慨深げな色を湛えてカロンを見つめる。

 ティシェも目元を和らげて、再び湖の方へ視線を向けた。

 カロンを拐かしていった雨竜は、自身の背にカロンを降ろすと、仲間のいる湖の中心地を通り過ぎ、対面側の湖畔へと向かって泳いで行く。

 湖畔に寄れば、ウルルウルルルゥ、と離れて見守っていた見物人の方を呼びかける。正確にはその側に居る竜達に。

 竜達もなんだなんだと気になる様子で、心なしかそわそわと身体を浮かせている。

 カロンとのことも見ていただろうし、興味があるのかもしれない。

 竜達は隣の相方に窺い見をし、苦笑をしながら相方がいいよと頷き返せば、竜達はいそいそと湖畔に向かい始める。

 呼ばれた竜達が雨竜の元に集まって竜の輪ができると、にわかに湖が賑やかになった。その中心になった雨竜は嬉しそうに、ウルルッ、とはしゃいだ声を上げた。

 その光景を微笑ましげに見やりつつ、ティシェは声だけでグローシャに語りかける。


「お前は混ざらなくていいのか?」


 グローシャはちらりとティシェを見やり、ふっ、と息をもらして、彼女の頭へ顎を乗せる。興味がそもそもなさそうだ。

 それならばいいかと、ティシェはカロンを再び見やる。

 カロンも集まった竜達に対して満更でもなさそうで、拙いながら、挨拶をされた竜に挨拶を返していた。

 こうしてグローシャ以外との竜の交流も、きっとカロンにとっていい経験になる。人の中で育った竜としては。

 ――と。ぱしゃっ、と水の跳ねる音がした。湖の中心地で上がった水飛沫は、他の雨竜が湖へ潜ったもののようだ。

 何をするのかと目を向けてみるも、湖に潜った雨竜の姿は視認ができなかった。

 雨竜の鱗は磨り硝子のようだと思ったが、鱗の持つ性質も硝子に似ているらしい。硝子は水を透かし、それを視認するのは難しい。

 気泡も上らないゆえ、雨竜の動きも掴めない。随分と静かに潜水するのだなと関心する。鱗の性質を解っている動きだ。

 そして、ややして雨竜が湖面から顔を出す。その口に魚の尾ひれが覗く。


「なるほど。狩りか」


 朝食だろうな、と呟けば、ティシェの頭に顎を乗せていたグローシャが小さく唸った。


「なんだ、腹減りか?」


 ピルッ、応える声はこの状況に飽いた色も帯びている。

 ティシェはくすと小さく笑い、視線をカロン達の方へと向けた。


「戻れるのは、あの交流会が終わってからだな」


 グローシャはしょうがないなあと、ふすぅと鼻から息をもらすのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。