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やさしい家族ごっこ  作者: Mariko
しゃっくり
9/90

3

 お昼休みを10分早く切り上げて教室に戻ってきたというのに、健吾の姿は見当たらなかった。

 そりゃあ確かに、早く戻ってこいとは伝えてないけど。

 あの野郎、ご褒美いらないんかい。


 我ながら理不尽に腹を立てながら待つこと数分。

 やっと健吾がしれっと帰ってきた。


「遅い」

「普通だろ。何?俺のこと待ってたの?」

 鬱陶しくニヤついてくる。

 スルーだ。スルー。

「これでどう?」

 200 ml紙パックのコーヒー牛乳を差し向けた。

 奴はそれをしばらく見つめた後、思い出したような顔をした。

 自分から言い出したくせに。

「これがご褒美かよ」

 ポケットに手を突っこんだまま、手に取ろうともしない。


「何?不満なわけ?」

 中学生の頃は好きだったはずだ。

 当時うちに居候していた智さんが淹れるコーヒーを、砂糖と牛乳をたっぷり入れて、嬉々として飲んでいたものだった。


「んー、コーヒー牛乳かぁ」

 でも、目の前の健吾はそう言って、あまり気乗りしないようだ。


「じゃあいい。私が飲む」

 諦めて引っこめようとしたら、紙パックを押さえつけて阻止された。

「澄麗が飲ましてくれんなら、それでいいことにしてやるよ」

「は?」

 どういう意味だ。

「俺は犬だしな。飼い主様がストロー挿して飲ましてくれるっつーんなら、飲んでやらなくもない」

 飲ませるって、そういうことか。

「そんなことされて、あんたは嬉しいわけ?」

「おう。殿様気分が味わえそうだ」

「最っ低」

「ほら、急がねえと昼休み終わるぞ」

 う。

 午後の授業が終わったらすぐ合唱部の練習だ。

 やけになって立ち上がった。

「ここじゃやだ」

 誰かに見られたら絶対に冷やかされる。

「ふーん?」

 健吾は、コーヒー牛乳から手を離して、意味ありげに笑った。



 予鈴の鳴り響く廊下は、教室に戻ってくる生徒でいっぱいだった。

 どこか人気(ひとけ)のない場所はないかと考えて、いつだったか友達と校内を探検した時に見つけたボイラー室を思い出した。

 あそこなら誰もいないだろう。特に、こんな授業が始まる直前には。

 そう思って、健吾を連れてボイラー室のある1階まで降りて、廊下を進む。

 節電のためか、保健室を過ぎたあたりから薄暗い。私と健吾の足音だけが浮かびあがっているようだ。


 突き当たりのボイラー室に辿り着いて、重たいドアを押し開けて振り向くと、黙って付いてきていた健吾は、ポケットに手を突っこんで少し困ったような顔をしていた。

「もしかして、怖いの?」

 そういえば健吾は怖がりだった。

 陽介たちのデートに付き合わされて遊園地に行った時、お化け屋敷の中で、健吾は足をすくませた。

 あの頃の健吾は本当に可愛かったのに。


「お前の方こそ怖くねえのかよ」

 私の頭越しにドアに手をついて、こちらを見下ろしてくる。

 何ちょっとドキッとしてるんだ、私。

 石川さんが、結構イケてるなんて言うから、無駄に意識してしまった。


「怖いわけないじゃん。連れてきたの私なんだから」

 声が不自然に上ずる。

「そうかよ」

 幸い、健吾が気にする様子はなかった。


「それより、これ、オートロックとかじゃねえよな」

 ドアを上から下まで見て、健吾が呟く。

「違うと思うけど」

 そのまま中に入ろうとしたら、ひとつ結びにした髪を掴まれた。

「いたっ。何すんーー」

「思うけどじゃねえ。閉じこめられたらどうすんだよ」

「ケータイで助け呼べばいいじゃん」

「圏外かもしんねえだろ。いいから戻ってこい。ここで飲む」

 髪を引っ張られるようにして、ドアの外に引き戻された。

 まあいいか。ここでも十分、人気がない。


 紙パックに付いているストローをビニールから出して、紙パックに突き刺す。

 健吾と同じように、私も廊下の壁に背中を付けて腰を下ろした。


 紙パックに挿したストローを、健吾の口元に恐る恐る近づけたら、距離を見誤ったようで、奴の口の縁に刺してしまった。

 薄暗い廊下で、健吾の目がきらりと光って、目元にからかうような笑みが浮かぶ。


「どこ刺してんだよ」

 ムカつく。

 こんな奴に、ちょっとでもドキドキさせられてるのが。

「あんたが調整すればいいだけの話でしょ」

 というか、こいつが自分で飲めばいい話だ。

「しょうがねえな」

 健吾は、コーヒー牛乳を持つ私の手を掴んだかと思うと、ぐいっと引き寄せて、ストローを咥えた。

 白いストローがほのかに色づいて、健吾の喉仏が上下する。

 健吾の息が手にかかってくすぐったい。健吾の大きな手に、訳もなく落ち着かない気持ちになる。


「あっま」

 健吾が、ストローから口を離して、顔をしかめた。

「2年ぶりに飲んだわ」

 後味悪そうに歪ませている。

 その様子が子供みたいで、緊張が少し紛れた。


「甘いの好きだったじゃん」

 コーヒーに大量の砂糖を入れる健吾を見て、智さんが笑っていたものだった。

「別に。2年も経ちゃ味の好みも変わるだろ」

 健吾は目を伏せてそう答えた。


 何かを隠してるように見えるけど、私にはもう健吾のことが分からない。

「変わったよね、健吾。手も、こんなにゴツゴツしてなかったし」

 健吾の手は今や、私の手よりもずっと大きくて分厚い。

 石川さんの言う通り、確かにシュッとした顔をしている。丸いところがなくなって、健吾はすっかり別の生き物になってしまった。


 健吾はパッと私から手を離した。

「お前もな」

 そう呟くように言うと、私から紙パックを奪い取って、勢いよく立ち上がった。

「私のどこがーー」

 変わったの。

 そう尋ねようとした私に背を向けて、健吾はコーヒー牛乳をあっという間にガラガラと飲み干してしまった。


「俺は犬だからいいけど、」

 咥えたストローの隙間から声を出してくる。

 ベリベリと紙パックの耳を剥がしている音がする。

「他の男はこんなとこに連れこむなよ」

 そんなことを言って、健吾は紙パックを潰しながら、来た道を大股で歩いていってしまった。


「何なの……」

 本鈴が鳴るまで、私はその場に呆然と座りこんでいた。

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