第9話 その頃の魔族領
場所は魔族領と王国の国境。
そこで人間たちと魔族の軍勢が激突していた。
魔族の中でも魔王と呼ばれる称号を持つ者は今となっては数少ない。
その中でも特に武闘派と恐れられていたゴラゼオスはかつての侵攻で、前任の勇者の手で討ち滅ばされた。
新しい勇者であるウバク・レイダーは勇み叫んだ。
『人類よ立ち上がれ、今こそ反撃の時である』
――と人々はその言葉に猛り魔族領・魔王アイシアの領地へと進撃した。
「グゥウオオオオオオオウ!」
だが開戦して早々、立ち塞がる獣人の軍勢、その先頭に立つ獅子の獣人が単騎で振り回す戦斧で、数多の騎士や兵士が薙ぎ斬られ飛ばざせていく。
人外じみた剛腕と魔法武器である雷や炎を纏わせた斧による一振り一振りが絶大な破壊力を生み出しており、その余波は王国軍の陣営深くまで及んでいた。
「ダ、ダメです。もう持ちません!」
「あきらめるな。なんとかして押し返せええええ!」
「絶対にこの戦線だけは死守しろっ!」
必死に防壁を張る王国軍だが、獅子の獣人はそれらを紙の如く破り捨てて進んでいく。
初っ端からたった一人の獣人の無双により、人間側は出鼻を挫かれていた。
それでも数はこちらの方がまだ上。
逆転の目はある。将兵たちはどうにかして反撃しようと伏せておいた兵に指示を飛ばそうとする。
しかし……。
「ひぃ下から手が……⁉」
「おい。何だコイツら……」
伏兵たちの足元から現れたのは鎧を着たスケルトンやゾンビの軍勢。
骸の兵団は眼光やその眼窩の奥の光をギラつかせながら、錆びた剣や槍を片手に王国軍に襲いかかる。
「ア、アンデッドだあー!」
兵士の一人が恐怖のままに叫ぶ。
各所に出現したアンデッド部隊は統率の取れた動きで奇襲を成功させていく。
クカカカカカ。
ゲラゲラゲラ。
カタカタカタ。
逃げ惑う彼らを、骸たちはおかしそうに嘲笑う。
「ひっ」
「もう終わりだぁ」
「た、助けてくれぇ!」
漏れる弱音と絶望。それがさらに兵たちに恐怖を与え全体に伝播していった。
「ええい、逃げるなあ! ここで逃げたら……」
いよいよ瓦解し始めた王国軍に、半分自棄になりながらも、叱責を飛ばす部隊長はふと空を見上げて絶句した。
そこから見えてくるのは百近くの竜の群れ。
弓矢も届くか届かないかの高度から、彼らはブレス、もしくは背に騎乗していた騎兵が火炎系の魔法を詰めた魔石を落としていく。
「「「うわぁああああああ!」」」
巻き起こる爆発と爆風が王国兵を呑み込んでいく。
獣、骸、竜。
三つの軍団からの猛攻により王国軍は完全に崩壊していた。
「……何だ? 何が起こっているのだ⁉」
そんな惨状を王国軍の本陣にて金髪の貴公子……ウバクは呆然としながら眺めていた。
普段の気品に満ちた怜悧な表情は今や狼狽と困惑に染まっている。
おかしい。おかし過ぎる。
魔王アイシアはこの百年の間、人類に対して何も行わない。
同じ魔族からも最弱の魔王と呼ばれ侮る者までいる始末。
……ウバクは知らなかった。それが、あくまで彼女個人の話だという事に。
他の魔王は個として突出しているが、アイシアは彼らよりも遥かに屈強かつ統率の取れた軍勢と魔王級と呼ばれるほどの実力を持つ幹部を抱えていた。
それゆえに他の魔王からも一目置かれており、王国以外の人間国もうかつに手を出さなかった。
ウバクやナフシアはそれを知らず、どころか諫言し伝えようとした騎士団長や大臣たちも一笑に付していたのだ。
所詮は国王や元勇者のシンパ連中が自分らに押さえつけようとする戯言だと切って捨てた。
もしも、国王が健在だったら、このような無謀な侵攻絶対に許さなかっただろう。
もしも、前の勇者がいたら、これ以上血を流すべきではないと必死に諫めただろう。
そして、そのツケを今、彼は支払う羽目になっていた。
「公爵様……いや、勇者様。既に戦線は崩壊しています。今こそ出番です。そのお力で奇跡を!」
「えっ」
不意に補佐官を務めていた騎士が声をかけてきた。
いや、彼だけではない。周りの騎士や兵士たちもすがるような目でこちらを見ていた。
ウバクは思わずたじろぐ。
そうだ。自分は勇者なのだ。何を恐れる必要があろうか。
ここで逃げるわけにはいかない。
「し、仕方ない。私が出るとしよう。いでよ聖剣!」
「おお!」
ウバクの言葉と共に彼の掌から聖剣が現れる。
威厳に満ちた意匠に刀身からは光の魔力が煌々と輝いていた。
とりあえずウバクは聖剣を高らかに掲げてみせた。
「うおお! あの光は聖剣の光! 遂に勇者様が出陣なさるぞ」
「ざまあみやがれ魔族共。ここから反撃の時だ!」
「正義は我らにあり! 続けェ!」
その堂々たる姿に周囲の者らは歓声をあげる。
それだけ勇者と聖剣の威光の強さを物語っていた。
だが、既に魔王軍はすぐそこまで迫ってきていた。
「勇者様っ!」
「わかっている! どりゃあああああああ!」
ウバクはその場から渾身の一振りを放った。
すると凝縮された光の魔力の斬撃が魔王軍の方まで飛んでいく。
――ドォオオオオオオオン!
凄まじい爆風と衝撃波が魔王軍を襲い吹き飛ばした。
「うああああああああ!」
そこから何度も何度も。
ヤケクソ気味に同じような衝撃波を放っていく。
なんの修練もされてないひたすらに力の塊を放つだけのもの。
されど、その破壊力は絶大。
こちらに向けて進軍していた魔王軍はその攻撃を受けて、進みを止めていた。
「フ、フハハハハハハ! いける! いけるぞ!」
余裕を取り戻してきたウバクは思わず高笑いをする。
「そうだ。最初からこうすれば良かったんだ! 皆の者、私に続けぇ!」
ウバクはそのまま馬に乗って突撃する。
やる事はさっきと同じ、聖剣をひたすらに振り回すだけだ。
これだけで周りの敵がゴミのように消えていくのだから、簡単なものだ。
だが、彼は気付かなかった。
自分の周囲に次第に味方の兵がいなくなっている事に。
そして代わりに敵軍の主力陣が己の周りを囲っている事に。
「ほう。貴様が勇者か?」
既に自分が孤立していると気付く間もなく、ウバクの前に一人の武人が立ち塞がる。
先程、暴れていた獅子の獣人だ。
「我が名はアイシア様に仕える魔王軍三魔将が一人、陸獣大長ガルドフである。ここを通りたくば我を倒して見せろ」
その存在感に蹴落とされる、が自分には聖剣がある事を思い直す。
「フッ。我こそは勇者ウバク・レイダーだ」
すっかり元の調子に戻っていたウバクは堂々と名乗りをあげる。
「ゆくぞ勇者よ! ぬぅううん!」
「はあああ!」
ガルドフの渾身の一撃と光の魔力を纏わせた聖剣の一撃がぶつかる。
普通なら跡形も吹き飛ばせる光の奔流をガルドフは戦斧で真っ向から受けきってみせた。
「はあ⁉」
「……ぬう。なるほど凄まじい一撃だ。だが耐えられんこともないな」
ウバクの表情は驚愕に染まる。
一方で事もなげに言ってのけ、斧で聖剣の刃を弾いてみせるガルドフ。
「どうした。この程度か?」
「な、舐めるなぁ!」
ウバクは激昂しながら、凄まじい剣戟の応酬を仕掛ける。
だが、それはじたすらに振り回すだけの剣技としてはお粗末なもので、ガルドフは戦斧でたやすくいなす。
「隙だらけだぞ」
「ごふぅ!」
遂には柄でウバクは鳩尾に一撃入れられ、ゴロゴロと無様に地面を転がる
「我と戦うにはまだ未熟に過ぎるな」
「ひっ。く、来るなぁ!」
近付いてくるガルドフに対して、ウバクは今度は距離を取り、遠くからひたすらに光の魔力を放つ。
「ほう。恐怖からの行動とはいえ、悪くはない戦法だ」
冷静に分析をしながらガルドフはあえて直撃を受けた。
光に呑み込まれる獅子。
「はは。やった! やった……⁉」
ウバクは歓喜に震えるも、土煙から悠々と出てきたガルドフを見て絶句した。
「良い攻撃だ。返すぞ」
ガルドフの破れた軍服から見える毛皮から縞模様のような魔術陣が浮かび上がっていた。
それは受けた魔力をそのまま跳ね返す反射魔法。
先程の倍の威力の魔力の砲撃が繰り出された。
「ぐわああああああー!」
そのままウバクは本陣まで吹き飛んでいった
「あ。あぁ……勇者殿が……」
「もうおしまいだぁ」
「退避っ! 退避―!」
勇者の敗北。
それを見せつけられた兵士たちは今度こそ心がへし折られる。
遂に敗走を始める人間たち。
しかし、ガルドフは追撃にかけずに彼らを黙って見送っていく。
「あの勇者本当に帰しちゃって良かったのかい?」
すると隣から青い鬼火が現れ、そこから紫髪の少女が現れた。
十代前半ぐらいの幼くも美しい容貌に着ているゴシックロリータと相まって美しい人形を思わせる。
三魔将メア・リオネス。
先のアンデッドを操っていた死霊術師の少女だ。
「構わん。あの程度ならば生かしておいても問題ない」
以前のゴラゼオスを倒した勇者のような男ならば、脅威としてこの場で始末するべきであった。
しかし、あの勇者は見た所、心身とも未熟。
潰すのは容易な上に、なんなら暴走して自滅する可能性すらあった。
「せいぜい自国内を混乱させてもらおうではないか」
「お優しいねえ」
メアはガルドフと同じ軍服の外套を羽織らせた肩をすくめながら苦笑する。
どちらにせよ軍の指揮権は彼に一任されている。
自分がとやかく言う筋合いはないだろう。
「――ならばガルドフ殿は撤収の指揮を。メア殿は引き続き特別任務の準備をお願いします。殿は私が務めます」
上の方からそんな声と共に一人の女が舞い降りた。
二人と同じ黒い軍服を着込んだ長い蒼髪をツインテールにまとめた美女。
しかし彼女もまた人ではない。頭から双角、背には大きく翼を生やしていた。
竜人族……三魔将、蒼竜戦姫レヴィア。
先の竜の群れを率いていたのも彼女だ。
「ああ、任せた。我はこのまま負傷兵をまとめて先に戻らせてもらう」
「はいっ」
ガルドフの言葉にレヴィアは礼儀正しく敬礼する。
「悪いねレヴィアちゃん、魔将に就任してからの初仕事がこんな忙しくてさー」
「いえ。私は新参者ですから。むしろ学ぶ場を多く与えてくださり感謝しています」
どこまでも愚直で真面目な彼女にメアは苦笑する。
「レヴィアちゃんは良い子だねえ。あの暴れん坊の姉とは大違いだよ」
「愚姉の話はやめてください」
レヴィアはその鉄面皮を僅かに不機嫌さを滲ませる。
「竜人の誇りも忘れ、本能のまま暴れ、放蕩に耽る愚か者です」
彼女の放つ殺気と怒りに呼応するように周囲が凍てついていく。
「……そ、それじゃあ私は先に話した通り、王国に潜入して例の作戦の方を進めさせてもらうよ」
慌てて話題を打ち切って姿を消すメア。
三魔将……それぞれ直接戦闘や魔法といった得意分野だけなら魔王級とすら呼ばれている最高幹部たち。
そんな怪物たちが、さらに王国へと打撃を与えるべく各々に行動を始めたのであった。