第2話 田舎村に到着
深い森の中を僕は進む。
木陰が差し込み、遠くから獣や鳥の鳴き声が聞こえる深緑。
何日も迷い歩き続け、ようやく見えた入り口に僕は走り出す。
抜けた先に僕が立っていたのは大きな丘の上だった。
遠くまで広がる草原をここから見下ろせた。
肌を撫でる向かい風が気持ち良い。
端の方に目を凝らすと道のようなものが見えた。
「結構歩いたけど、今はどこかな?」
腰を下ろして荷物の中からシスカから貰った地図を取り出して広げる。
ふむ、あそこに見える道……街道が、ここ最近作られた向こうの領主様が治めている交易都市との新しい流通経路か――。
なるほど、ここから東へと真っ直ぐ進むと、その先に農村があるらしい。
僕はその村へ向けて歩き出す。
さて、村に着いたらどう話をしようか。
向こうからすれば得体の知れない男が突然やってきて、いくアテもないから村に置いてくれと言うのだ。
どんな目で見られるのかは容易に想像できる。
とりあえず冒険者のライセンスは残ってるし、それを見せれば信用してくれるだろうか。
一応は農耕の知識もあるから、畑仕事の手伝いもできるはず。
さらに聞く所によるとこの村はいまだに魔物が出没し、作物を荒らしていくという被害にも見舞われているらしい。
僕だってもう勇者の力がないとはいえ、基礎的なステータスはそのままだ。
それならば何か力になれるかもしれない。
――そこまで考えて、グゥと腹の虫が鳴る。
「今はそれよりも今はご飯だな」
かれこれ一週間この森で迷ってしまっている。ガンズから貰ったのは勿論、前の町で買った食料も底をついてしまっていた。
木の実などで飢えをしのいでいたが、そろそろ危ない。
村に食堂でもあるといいな。人の作った料理が食べたい。
「グゥオオオオオオー!」
そこへ突然、獣の咆哮が聞こえる。
目を向けると、子供が魔物が襲われていた。
僕は即座に駆け出す。
咆哮をあげているのは橙色の熊だ。
ヒートベア。脅威度B級の魔物で王国の騎士でも手こずる相手だ。
そんな魔物相手に桃色の髪の少女が戦っていた。
「チッ。こっち来んなあっ!」
吠える冒険者の少女は年はおそらく十代後半と年若い。おそらく僕よりもいくつか下ぐらいだろう。
軽装の鎧を着込んだ彼女は、両腕に装備したナイフを振り回して、ヒートベアを威嚇している。
ひたすらに威嚇するばかりで攻撃に転じないのは、その魔物が手ごわいだけではないだろう。
彼女の後ろの方にはさらに幼い子供が二人が震えていた。
怯えて動けない少女をもう一人の少年が守るように強く抱き締めている。
――なるほど。あの冒険者の子はあの子供たちを守ろうとしているわけか。
どちらにせよヒートベアからすれば格好の獲物だろう。
やがてヒートベアは抵抗を続ける冒険者を黙らせようとトドメとばかりに爪を振り下ろした。
体力を消耗していた冒険者の彼女はロクに避ける余力が残ってなかった。
「……どりゃあ!」
だが、それでも彼女は十字に重ねたナイフで受けきった。
衝撃そのものは殺し切れずに冒険者の少女を襲い、ミシリミシリと彼女の身体が軋ませる。
「づあぁっ!」
「グォオウ!?」
そこからさらに、彼女は渾身の一撃でヒートベアの腕を弾き返した。
思わぬ抵抗にヒートベアの方も驚いているようだ。
子供たちを背に立つ冒険者の彼女のその姿には、絶対に引かぬという意志が見える。
「……ボサッとしない! 早く逃げて!」
次に彼女は子供らへと叫んだ。
彼女の声で我に返った少年はコクリと頷き、もう一人の少女の手を引いて走り出す。
脇目で彼らの姿を見送る冒険者の少女の一瞬の安堵、それが致命的な隙となった。
「ギ――あぁ!?」
すかさず振るわれたヒートベアの横殴りの張り手の一撃に少女は思いきり吹き飛ばされる。
メキメキと嫌な音を立てながら、彼女はそのまま地面を転がる。
「ゲホッゲホッ……! に、逃げて……」
既にまともに動けず、息も絶え絶えにしながら、それでも彼女は子供たちに逃げるように促す。
しかし、既にヒートベアの方は動けなくなった彼女よりも、逃げようとしている子供たちの方へと狙いを定めたようだ。
必死に走る子供たち。
だが、所詮は震えが抜けていない子供の足だ。
本気で駆ける魔物の足にたやすく追いつかれる。
「グゥオオオオオオッ!」
「うわぁああああ!」「いやぁあああああ!」
大口を開けるヒートベアの牙がすぐそこまで迫った寸前。
「グヮアアッ!?」
ようやく辿り着けた僕は子供らを庇いながら、ヒートベアの顔面を蹴り飛ばす。
「ごめん。遠見でずっと見えてたんだけど、辿り着くまで思っていたより結構距離があった」
たかが数百メートル程度の距離にここまでかかるとは思わなかった。
勇者じゃなくなった以前に身体が大分鈍っているのかもしれない。
僕は抱き抱えた二人をさらに離れた場所へと下ろすと、既に体勢を立て直し唸っているヒートベアに向き直る。
「今度は僕が相手になろう」
獲物を逃された事と不意を突かれた事への怒りに身を震わせるヒートベアは襲いかかる。
それに対して、僕はガンズから渡された長剣を抜いて構える。
「グガァアアアア!」
迫るその爪の一撃一撃を僕は冷静に捌いていく。
剣の方もオヤジさん製だけあって頑丈だ。
「グガァ!」
業を煮やしたヒートベアは口から炎のブレスを吐き出した。
「――ウインド」
だが、僕は風魔法で火炎をなんなく四散させた。
流石のヒートベアも獣面に躊躇の色を見せる。
「次はこっちの番だ」
「――ッ!」
僕はゆっくりと剣を柄に戻して、改めて構えを取った。
ピリッと空気が張り詰める。ヒートベアも本能からか動きを止める。
決着は一瞬でついた。
「――グァッ」
ヒートベアの声は続かなかった。
既に両断されていたその身体は上の部分が斜めにズレて、グシャリと音を立てて地面へと崩れ落ちた。
僕はゆっくりと剣を鞘に戻す。
……この一太刀は勇者としての力ではなく、積み重ねた修練と技術の粋だ。
勇者としての力を失っても、やはりこれまでの経験は決して無駄ではなかったのだろう。
それでも勇者であった当時なら、遠くから視認した時点で、空間移動の魔法で駆け付けたり、衝撃波を飛ばしてヒートベアーそのものを吹き飛ばせてたのだが。
なんにせよ勝てて良かった。
不安だったけど、これぐらいの魔物ならなんとか倒せるようだ。
「えっと怪我はありませんか?」
とりあえず転がされていた冒険者の彼女に声をかけてみる。
桃色の髪をした彼女はポカンとしていた。
「あ、ありがとう。それで……アンタどちら様……?」
さて何と答えようか。勇者と答えうるわけにはいかないだろう。
「えーと、どちら様なんでしょう?」
「は?」
質問に対して間の抜けた質問を返してしまう。
冒険者の少女は馬鹿にしているのかと怪訝な顔を向ける。
……まずい。どう説明したものか迷う。
――グゥウウウウウウウウウ!
さっきとは比べ物にならない程の腹の音が響き渡る。
そういえば森の中を飲まず食わずで彷徨っていたんだっけ。
「……えーと、とりあえずお金はあるので、どこかゴハンをいただける場所はないでしょうか?」