第11話 聖女との再会
幼い頃のある日、私……シスカ・ガーランドは神託を受けて聖女として選ばれました。
本当に突然の事でした。
ゆえに選ばれた時に、己の心中を占めたのはどうして私がという困惑と焦燥しかなかったのです。
領主の娘として生まれたものの、先に生まれた兄や姉の方がはるかに優秀。
確かに光の魔力こそ有していたものの、魔力の扱いそのものは並以下。
こんな私が教会の象徴である聖女になるなんて何かの間違い。
そう声を大にして言いたかったのですが、周りは既にお祭りムードでそんな異議を唱えられる空気ではなく、私は己の中で何度も自問自答するしかありませんでした。
父様や兄様たちは私の事を家の誇りだと誉めそやします。
いきなりやってきた神官たちは聖女としての心構えを説いていきます。
気心の知れていたはずの領民たちは私を聖女だと崇めてきます。
私はこの不安を誰にも打ち明けられず、取り繕った微笑みを浮かべるばかりでした。
こうして王都の教会へと召し抱えられた私は必死に聖女としての礼節と固有のスキルや光魔法を習得。
その甲斐あって、私は聖女としての仕事はつつがなくこなせていけていました。
……あの事件が起こるまでは。
巡礼として村々へ回っていた途中、私は黒ずくめの集団に襲われ意識を失い、目を醒ました時には薄暗い暗闇で黒ずくめ集団に囲まれる中、祭壇の上で鎖で雁字搦めにされていました。
よくよく見ると、彼らの装束にも見覚えがありました。
邪神を始めとした魔の眷属を信奉する邪神官たち。
「よもや聖女を捕らえる事が出来たとはな。悪竜に捧げる供物としては申し分ない」
私は悪竜を復活させるための生贄にされようとしていたのです。
悍ましい会話が繰り広げられる中、助けが来ることも絶望的な状況で私はひたすらに神に祈りを捧げていました。
聖女としての責務とかではありません。
自分にはもうそれしかできなかったからです。
「それでは儀式を開始する。聖女の魂を捧げよ」
すると、寝かされた台座の下から怪しい魔法陣が浮かび上がります。
すると、ズルリと粘液に塗れた触手のようなものが私の身体に纏わりついてきました。
「嫌。いや。イヤァアアアアアア!」
せめてもの抵抗とばかりに沈黙と無表情を貫いていた私ですが、遂に限界が来ていました。
聖女としての恥も外聞もなく私は泣き叫びます。
その時です。
気付けば、纏わりついていた触手は全て斬り払われていました。
「――もう大丈夫だよ。よく頑張ったね」
私の祈りに答えるように彼は現れました。
「――勇者だ」
「馬鹿な早過ぎる」
「落ち着け。この人数に適うものか。かかれっ!」
襲い掛かる邪神官や魔族たちを斬り伏せていきます。
とはいえ多勢に無勢。
一人しかいない彼に対して、持ち直した彼らは連携で攻撃を仕掛けていきます。
「くっ。――うぉおおおおおおおお!」
彼はそれでもあきらめません。
「聖なる光よ。かの者に癒しの加護を――!」
気付けば私も必死に彼に向けて回復や加護の詠唱を始めていました。
どれほどの時間が経過したでしょうか。
ようやく戦いを終えた彼はこちらへ近付き、私を拘束していた鎖を破壊しました。
「うぅ。うわぁああああああああ――」
私は思わず彼に抱き着き、みっともなく泣き続けました。
「ごめっ、ごめんなさいっ! 私のせいでっ。私怖くてっ。こんな私っ聖女で……」
自分でも何を言っているのかわかりませんでした。
今まで溜め込んできた物をひたすらに吐き出し続ける私に、彼は笑いかけます。
「怖いのは当たり前ですよ。僕だって戦うのは怖いですし」
そんな彼の方こそ怖いと言いながら、ここまで駆けつけて戦ってくれたのです。
彼のようになりたい、私は涙を流しながら手を伸ばします。
それが勇者ラッシュとの初めての出会い。
色褪せる事の無い思い出です。
……。
「――っ」
「おお、目覚められましたか」
そこで私は目を醒ました。
馬車の中で揺られている内に眠ってしまっていたようでした。
「申し訳ありません。向こうではロクに休むことができなかったでしょうし、せめて馬車の中ではと思いまして」
向かいの席に座っていた老人が申し訳なさそうに頭を下げました。
彼は王都で司教を務めていたのですが、私と意見を同じくする者としてほぼ追放同然に左遷が決まってしまったのです。
「しかし安心しましたぞ」
司教殿は安心したように胸を撫で下ろす。
「うなされていたの起こそうかとも思いましたが、途中からそれはとても安らかな寝顔になっていましたよ」
思わず自分でもわかる程に頬を赤くしてしまいます。
そうです。
あの日から私も彼と共に並びたてる人間になろうと誓ったのです。
どれだけ不相応だとしても、彼が進み続ける限り私も進もうと。
ですが、彼はもう王都にはいません。
私は何もできませんでした。
私は今までを振り返ります。
ここまで来るのに苦労続きでした。
聖女として、戦後処理や教会の改革や国同士の橋渡し、できる限りのことをしてきました。
粗方の問題はひとまずある程度の解消は出来たと思います。
……そう思った矢先のウバク公爵による勇者騒動でした。
よりにもよって、英雄である勇者ラッシュ様をあの間抜――貴族たちは追い出したのです。
それによって起きた混乱は計り知れないものでした。
彼を貶めたのはあくまで一部の貴族だけ。
共に戦った騎士団や冒険者たちの怒りようはそれはもう凄まじいものでした。
私とて何度あの貴族と姫をはっ倒してやろうと思ったか……。
教会内部でも私を旗頭にしてウバクやナフシア姫と正面から戦おうという意見やウバクが聖剣に選ばれた以上は受け入れるべきと対立して、どう転んでも争いが起きかねない状態でした。
さんざんに悩んだ末、ひとまず私は司教殿と共に故郷に帰る事になりました。
逃げたと言われても仕方ありません。
それでも私という存在が元となり、国を二つに割る事は絶対に避けねばならないと思ったのです。
これしか方法は思いつかなかった自分の未熟さに怒りを覚えながら、私は交易都市ラグーンへと急いでいました。
「なにやら悩んでいるようですな」
再び司教殿から声がかかります。
聖女というのはシンボルとしての要素が強く、司教である彼は私とほぼ同格です。
そのせいか、随分と気さくに話しかけてくれたものでした。
「なあに、あなたは今までずっとこの国に人々に貢献してくださいました。少しぐらいは休んでも罰は当たりますまい。いい加減あの新勇者も鬱陶しかったでしょう?」
「それは問題発言では?」
内緒ですぞ、と司教殿は屈託なく笑います。
この人もこの人で一度距離を置きたかったのかもしれません。
「しかし、いつまでも逃げているわけにはいきませんわ」
「……まあ、そうですなあ」
司教殿は歯切れが悪くなります。
我々が王都を出た途端、耳に入ってきたのはウバク公爵が魔族領に進軍を開始したという報でした。
「ただの里帰りで終わらせるわけにはいきませんわ」
まずはそのためにも領主であるお父様とも話し合わなければ。
そしてお父様のコネクションを頼りに他の領地へと回って、こちらの味方を増やす。
それが今の自分の出来る事だと思っています。
「やれやれ。聖女様は本当に勤勉でいらっしゃる」
どこか呆れたように苦笑する司教殿をよそに窓から壁と関所が見えてきました。
交易都市ラグーン。
王国の東に位置しするこの街は隣の帝国や東南の商会連合との交易を一手に引き受ける場所です。
そ直後、馬車が足を止めます。
「どうかしたのかね?」
「す、すいやせん。向こうの方で人だかりができていて……」
司教殿の問いに御者が答えます。
確かに顔を出してみてみると、荷馬車や旅人による人だかりができていました。
何やら喧騒も聞こえてきます。
「ふむ。少し見てきましょう」
司教様が話を聞きに出て行きました。
……数刻して、足早に戻ってきます。
「わかりましたぞ。向こうの彼らは明日行われる収穫祭での商人や旅人だそうです」
収穫祭。
故郷で行われる祭りに私もずっと楽しみにしていました。
「――しかし、どうやらこの街道の先に魔物の群れが現れたそうで」
「大変ではありませんか!」
私は身を乗り出して、走り出します。
そういえば最近は国内の魔物の被害も増えてきており、この辺も冒険者の依頼や巡回を増やしたとか。
怪我人が出ていなければ良いのですが。
「ちょっ、聖女殿ー! 魔物自体はもう倒されたようですぞー!」
後ろから司教殿の声が聞こえてきますが、それでも怪我人がいるかもしれません。
どちらにせよ、この目で確かめねば。
人だかりを掻き分けながら進んでいくと、なにやら男女の言い争う声が聞こえてきます。
「やりすぎだよ馬鹿! ここまでするやつがあるか!」
「細かい男だな。怪我人が出る前にちゃんと倒したんだからいいだろうがっ!」
「そっちじゃなくて街道の真ん中にこんなデカいクレーターを作ったのを言ってるんだよ!」
ええと。これは仲裁に入った方が良いかもしれません。
……いえ、待ってください。
どこかで聞いたような声が聞こえてきます。
まさか……。
「もしっ。もしっ。そこの方!」
その姿が少しずつ見えてきます。
「あ。すいません。すぐにこの陥没なんとかしま……あれ。シスカ!?」
そこには……先程夢に見た彼が、勇者ラッシュがいたのです。
「ようやく会えました……え?」
涙ながらに声をかけようとした直後、私は体を硬直させ動けなくなります。
ようやく会えた彼の隣にいたその女は私にとっては一番会いたくない存在でした。
「ん? おお、勇者の仲間の女僧侶じゃないか。久しぶりだな」
その女……戦姫ヴェロニカは獰猛な笑みで私を迎えました。