第1話 婚約破棄&聖剣剥奪
「勇者ラッシュ、私はあなたとの婚約を破棄します!」
魔王を倒した祝いの宴。
招待された賓客たちが歓談に勤しんでいる中、食事に夢中になっていた僕は婚約者の王女様にいきなり大声でそう言われうろたえる。
人類の脅威であった魔王が去り、皆が歓喜に沸き立つ中で突然彼女の宣言に、他の皆も動揺するしかなかった。
「も、申し訳ありません、王女殿下。何を仰られているのか理解できないのですが」
とりあえず、言われた当の勇者……僕は純粋な疑問を投げかける。
魔王を打倒した僕は、目の前にいるルインズ王国の王女、ナフシア・ルインズと婚約が決まっていた……はずだ。
とりあえず状況についていけてないので、ちゃんと説明してほしい。
「わかりませんか勇者ラッシュ。いえ、今のあなたを勇者と呼ぶことすらおこがましいでしょうね」
王女様は怒りに燃えながら、さらに強い眼光で僕を睨みつける。
ここまで何か彼女の不興を買うようなことを僕はしてしまったのだろうか。
皆目見当がつかない。
「ラッシュ、最早証拠は出揃っています。あなたがどれだけ惚けようと罪からは逃れられません!」
「あの……罪とは何の事でしょうか?」
自分で言うのも何だが、魔王討伐を成し遂げた僕は今回の最大の功労者の一人だと思う。
それを上回るほどのマイナスとか僕は何をやらかしてしまったのだろうか?
「しらばっくれるつもりですか、この愚か者!」
また怒られた。
さっきからずっと頑張って思い当たるフシを探しているのだが、そんな僕の様子をシラを切っていると取ったのか、さら眉尻を上げるナフシア王女。
「良いのです、ナフシア王女。後は我々が引き継ぎます」
そこへ穏やかな声と共に、王女様の後ろから燕尾服を着た長い金髪の男が現れた。
まさに貴公子とも呼ぶにふさわしい出で立ちのその男は、彼女とは逆に冷たい目で僕を見据えてくる。
「君は……」
彼の名はウバク・レイダー。
レイダー公爵家の令息……現在は爵位を継いで公爵。
そして、かつては勇者パーティーの付与術師を務めていた男だ。
やがて彼に続くように、後ろからゾロゾロと何人もの取り巻きらしき女性たちが出てくる。
彼女たちにも見覚えがあった。――というかか女騎士、魔女、女僧侶と皆が皆、勇者パーティーに所属していた子たちだった。
「我々は魔王を倒すために王命の元に集結して、勇者であるそこの彼と共に旅に同行していました」
いまだに困惑している僕を余所に先頭に立つウバクは毅然とした口調で話を切り出す。
「――ですが、そこでの生活は苦痛そのものでした」
一転して悲嘆と悔恨を滲ませたような声を出すウバク。
「……勇者殿は我々を使い捨ての道具か何かとしか思っていなかったのです。魔物との戦いで我々の役割は肉壁は当たり前。魔力を切らしたり、手傷を負って動けなくなれば囮になれと言い出す。まさに鬼畜の所業でした」
……いや、何ですかソレ。全然覚えがないんですけどっ!
流石にそんな身に覚えの無い事で糾弾されてはたまらないと、声を張り上げようとした時、遮るようにウバクの後ろの女たちも喋り始める。
「彼の無茶な命令のせいで何度死にかけたかっ!」
「挙句は夜の奉仕まで命じてきて――ウバク様が庇ってくれなければどうなっていた事でしょう……」
「彼は勇者ではありません。外道です!」
彼の出まかせに全力で乗っかる勇者パーティーの仲間たち。
共に戦ってきたはずの仲間たちに悪し様に言われるのは流石にショックを覚え――あれ? あんまり覚えないな。
……あー。よくよく考えれば、彼女らと共に戦った事なんてほとんど無かったなあ。
女騎士の子はこっちの制止も聞かずに勝手に突っ込んで、挙句は人質にされて命乞いしながらこっちの情報を向こうにベラベラ漏らすし。魔法使いの子もやたらと強い魔力を持つ自分は至高だからもっと重用しろとうるさい割に、いざ戦闘になると怯えきって参加しないし。女僧侶なんてそもそも帰ってきたら回復してあげるから戦いにはアナタ方だけで行ってください、と言って自分一人だけ宿でお留守番だ。
あくまでこれはほんの一例だ。
なんなら、それこそ勇者の仲間という権威を笠に着て好き放題暴れる連中もいた。
何度、僕が騒動の火消しに努めたかわかってるのだろうか。この自称勇者パーティー共は。
まあ、その中でウバク・レイダーは比較的働いてくれていた方だった。
付与術師である彼は戦闘中の僕に後ろから何度かバフをかけてくれてたりしたものだ。
……もっともその彼も今では率先して僕へのバッシングに精を出しているのだが。
「――というわけで私も何度も暴力を振るわれ続けたのです。貴様のような付与術しか取り柄が無いのだから、追放しないだけありがたいと思えと」
だから、そんな事言った覚えはないんだって。
一方で、レイダー公爵を隣にいるナフシア王女は頬を赤く染めながら、潤んだ目で見ていた。
「ああ。ウバク様、おいたわしや……」
――ああ、なるほど。そういう事か。
こういうのに鈍い僕でも色々と察した。
つまり、この二人はそういう関係で、僕の存在が邪魔になったという事なんだろう。
それならば先にそうだと言って欲しかったなあ。
元々は国王様が勝手に取り決めた事だ。
彼女自身にその気がないのなら、こっちだって丁重に身を引くつもりだった。
ちゃんと他に意中の相手がいると事前に相談してくれていれば、もっと穏便に婚約の解消に持っていくように話し合ったりとかできたはずだろうに。
……いや、この辺りは彼女が本音で話してくれる程の信頼を勝ち取れていなかった僕自身の不徳なのかもしれない。
とりあえず、せめて彼らが言っている出まかせだけでも否定しておこうと思ったが、話はそこで終わらないようだ。
「――そして、今のあなたに勇者である資格すらない。これを見るんだ」
続いて、レイダー公爵は上に向けて手を掲げる。そして何やら唸りながら、力を込めるような挙動をする。
すると、彼の掌から光が集まり、剣の形となっていった。
どこか他人事のようでいた僕もさすがに驚く。
「聖剣……」
勇者の証である最強の武器。
魔王との死闘の以降、僕がいくら呼びかけても応じる事が無かったが、それが今やウバクの手にある。
聖剣だけではない。
ウバクの身体から溢れる程の光の魔力が迸っていた。
勇者や聖者固有の莫大な光の魔力。それも僕が聖剣と同様に失ったものだ。
勇者の力が消えたのは、僕が魔王を倒して世界を救うという使命を終えたからだと思っていたが、まさか今度はウバクに宿っていたとは……。
「わかるかい。これこそが君が勇者としてふさわしくないと天が判断した証だ!」
いやそれは暴論でしょ、と思わず呟いたが、勝ち誇ったように笑う彼に周囲の拍手や歓声で掻き消える。
前から根回ししていたのか、彼らの手の平返しが早いのか、どちらにせよ、もう趨勢は決していた。
賓客たちの嘲笑そして僅かな同情と動揺の視線が僕へと集まる。
「最早ここに君の居場所はない。早々に立ち去るといい」
ウバクの言葉に僕は何も返せない。というか、返すつもりはない。
……ようやく僕も気付いた。彼の言う通り僕はここにいるべきではないのだと。
「――わかりました。王女殿下、及び貴族の皆々様、今までお世話になりました」
最後にそう言い残して、僕はその場を去った。
元々、貴族の位なんて興味はなかったし、向いているとは思えなかった。
自分には今のような気侭な冒険者暮らしの方が断然良い。
一時の恥ぐらい我慢しよう。
……だが、断罪劇はそこで終わらなかった。
その数日後、買い物をしに家を出ると、周囲の人間は刺すような視線と共にヒソヒソと話をしている。
「あの勇者、王女から婚約破棄をされたらしいぞ」
「なんでも好き放題暴れてたのがばれたとか」
「でも魔王を倒してくれたし……」
「――でも内心は何を考えているか」
僕を見ながら、口々に語る人々に思わず溜息をつく。
祝賀パーティーでの一件はあっという間に噂が広まっていた。あるいは王女たちが広めたのか。
どちらにせよ、視線が鬱陶しいことこの上ない。
「おうおう、勇者様よぅ」
そこへ、いかにもチンピラ然としたガラの悪そうな男がヘラヘラと笑いながら近付いてきた。
「はい。何か御用でしょうか?」
「俺の住んでた家はなぁ。お前らが来るのが遅れたせいで魔族にぶっ壊されちまったんだよぉ。責任取れんのか。あぁ?」
「……それはすいませんでした。力及ばず申し訳ありません」
「誠意が足りねえんだよぉ!」
頭を下げるも、向こうは怒りが冷めやらぬと言った面持ちで怒鳴り散らし始める。
「オラァ……イデェエエエエエ!」
とりあえず僕は殴りかかってきた男の拳を避けて腕の関節をキメる。
「痛い痛い痛いよぉおおおおお!」
最初の威勢から一転して泣き喚くチンピラ。
おそらくは僕に勇者としての力が無いと聞いて、タカをくくって絡んできたんだろう。
そもそも、本当に家を壊されたのかも怪しい。
勇者として活動していた当時、彼らのそれを一身に受けた事があるのでわかる。
住む場所や家族を奪われた人々の絶望と糾弾はこんなもんじゃなかった。
どっちにしろ、目の前の彼は所詮僕を体の良いサンドバッグだと思って突っかかってきたに過ぎない。
「ゆ、勇者の癖に暴力を振るいやがって覚えてろよー!」
腕を放してやると、チンピラはほうほうの体で逃げていった。
いや、直前の自分の言動を思い出してほしい。
僕は彼の後ろ姿を見送った後、もう一度辺りを見回す。
野次馬たちはバツが悪そうな顔をして目を逸らしていた。
「全く……嫌になるな」
憂鬱を込めて呟き、その場所から離れる事にする。
――にしても、勇者としての力が失ったというのも含めて、ああいう手合いが増えてきた。
この王都で心許せるのは一緒に戦った冒険者ギルドの人たちや聖女様とその関係者、あとは鍛冶職人のドワーフのおじさんぐらいか。
「……もういいかもしれないな」
こうして僕は今夜にでも王都を出る決心をした。
……その夜、荷物を一通りまとめた僕は思案する。
出ていくのは良いけど、どこへ行けばいいのだろう。
最初に思いつくのは僕が生まれ育った田舎の孤児院だが……大丈夫だろうか。
一転して鼻つまみ者となってしまった僕が帰る事で彼らに迷惑をかけたりとかなるかもしれない。
ならばどうするか。
悩んでいると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「ラッシュ様」
扉を開けると白い法衣をまとった金髪の美しい女性が立っていた。
聖女シスカ。
彼女こそ魔王を討伐した時のメンバーの一人だ。
真勇者パーティと言っても良いだろう。
彼女は僕の姿を見て、安心したように深々と頭を下げた。
「良かった。間に合いましたか……」
僕の部屋の端にまとめられている荷物を見て、シスカは肩で息をしながらも安堵する。
ここまで走ってきたのだろう。
「――わかっていたんだね」
「それなりに付き合いも長くなりましたからね。本来ならば話を聞いた時点ですぐにでもあなたの傍へと馳せ参じたかったのですが」
……シスカは口惜しそうに歯噛みする。
教会は魔王との戦いで魔王と通じていたり、戦時にかこつけて私腹を肥やしていた大司教たちを捕えた結果、人手不足。
聖女としての象徴だけでなく実務も請け負っている今の彼女は多忙なのだ
「世界を救った勇者様に対しこのような所業。この国を代表してお詫び申し上げます」
「あなたが謝る事じゃない。それにもう勇者じゃありませんよ」
「いいえ。あなたは間違いなくこの世界を救った勇者様です」
頑として譲れぬようにシスカは断言する。
「本当に大丈夫だよ。元々王族暮らしや貴族の位なんて僕には過ぎたものだったんだから」
できるだけ穏やかに答えたつもりだったが、シスカの目はあの王女様以上の憤怒に燃え滾っていた。
「いえ、だとしても。世界を救った恩人に対して、あのような所業。決して許される事ではありません。このままでは終わらせませんわ。聖女の名において勇者様への行いについて抗議するつもりです!」
「ちょ、ちょっと落ち着いてくれ!」
息巻く聖女様を僕は何とか宥める。
聖女でもあり、魔王討伐の立役者でもある彼女の影響力は強い。
しかし、やっと世界が平和になったのだ。
ようやく復興も始まったのに、よりにもよって魔王を倒した僕らの手で再び諍いを起こすわけにはいかない。
「……わかりました。当の貴方がそこまで言うなら、私もこれ以上は何も言いません。でしたらラッシュ様、せめてこれを」
落ち着いた彼女は何かが入った布袋を僕に手渡す。
ズシリと重量を感じるソレを開けてみると、その中には沢山の金貨が入っていた。
「世界を救った褒賞としては少なすぎるでしょうが……」
「いや充分だよ。早速だけどこれは全て孤児院の方へと送ってくれないかな」
シスターのお婆ちゃんや弟妹たちの生活の足しにでもなってくれたら嬉しい。
報奨金が出るらしかったけど、あの調子ならちゃんと送られているか怪しいし。
「相変わらず他人の事ばかりですのね。――そちらには戻られないのですか?」
「うーん。あの騒動を考えるとね」
もしかしたら僕の一緒にいるだけで余計ないちゃもんをつけられる可能性がある。
縁者、生まれ故郷というだけで言われる可能性もあるし、一応は落ち着いたら、様子を見に行くつもりではあるが。
「ご安心ください。ラッシュ様の家族には指一本触れさせません」
シスカが強い口調でドンと大きな胸を叩く。
彼女が言ってくれると心強い。
最後に彼女は地図を手渡してくれた。
「こちらの復興を終えたら会いに行きます。その日までどうかお元気で」
「ああ。またいずれ」
シスカに別れを告げた僕は荷物を背に家を出る。
ふと、振り返って、住んでいた仮宿を惜しんだがすぐにまた歩き続ける。
まずは彼女から教えられた土地へと行くとしよう。
「よう。待ってたぜ」
すると今度は王都の門の前で鎧を纏った男が待っていた。
重戦士のガンズ。歴戦の傭兵でもある彼はその戦闘経験と自慢の大盾で魔族や魔王たちの攻撃を一身に受けてくれた偉丈夫だ。
「お前さんならここを通るだろって思ってな」
シスカといい、僕の行動ってそんな読みやすかっただろうか。
「ほれ、俺からの餞別だ」
投げ渡された荷包みには水の詰まった皮袋に干し肉といった保存食が入っていた。
「そんな軽装であてもない旅に出るとか何考えてんだよ。それにほら聖剣はもうないんだろう?」
最後に渡されたのは長柄に収まった鋼の剣だ。
「これって……」
「お察しの通り、ドワーフの親父さんの所の奴だよ。つーか別れの言葉もなしかよ。怒るぞ、あの人」
「なんか本当にゴメン」
親父さんにもだけど、一応は皆の所へはそれぞれ置手紙を置いておいたんだけどね。
ずっと彼らには世話になってばかりだった。
「まあ、貴族なんてお前さんには似合わんだろうしな。考え方を変えりゃあ、今回のアレは良い機会だったのかもしれねえよ」
苦笑するガンズに僕も無言で同意する。
「学術都市にいるアンジュの方は俺の方から伝えておくぜ」
「ありがとう。あの子にもこういうしがらみには関わらせたくないからね」
魔法使いアンジュ。
全ての知識が集うと言われている学術都市を裏から掌握しようと暗躍していた魔族と戦う際に、出会った魔法使いの少女だ。
最初こそ怯えてロクに戦えない子供だったが、才能を開花させ神童と呼ばれるまでに成長して魔王との最終決戦にも駆け付けてくれた少女。
もう戦いは終わったんだ。彼女には好きだった魔法への探究にのびのびと勤しんで欲しい。
「しかし本当に一人で大丈夫か? お前さん、浮世離れしてたからなあ。騙されやすいし」
「子ども扱いしないでよ。大丈夫さ」
「いやいや、実際貴族連中にはめられてるだろうがよ」
「それは言わないでってば」
ひとしきり軽口を叩いた僕らだが、やがてガンズは初めてお使いに行く子供を見送る親のような顔でこちらの頭をガシガシと撫でる。
僕はそれを振り払いながら、王都を出発した。
こうして僕のあてのない旅が始まったのだ。