2.わたしが異世界に転移した顛末
わたしの名前は美杉瑠璃。ごく普通の女子高校生。近所に住む並野真珠子は仲のいい幼馴染。
真珠子とは、保育園に通っている頃からずっと仲良しだった。
そう社交的でないわたしでも片手の指の数くらいは仲のいい友達がいたけど、真珠子はわたしに輪を掛けて内向的で、友達と呼べるのはわたしだけだった。それでも、わたしの一番の親友と言えるのは真珠子だった。
わたしは真珠子ともほかの友達とも仲良く遊びたかったから、真珠子も多人数の遊びの輪の中にしょっちゅう誘ったけど、そんな時、真珠子はいつの間にか居なくなっていた。そのうちわたしは、ほかの友達と遊ぶ時には真珠子を誘わなくなり、真珠子と遊ぶ時には二人だけで、と遊び分けるようになった。
高校に進学してから、真珠子との関係が変わった。と言うよりも、真珠子の状況が変わった。わたしと真珠子は、それぞれ別の高校に進学したんだけど、入学から二ヶ月も経たずに、真珠子は家に引き籠もるようになってしまった。わたしが遊びに行くと、部屋には入れてくれるけど、自分が部屋から出ることはない。
なんでも、高校で陰湿なイジメにあったらしく、それが引き籠もりの原因らしい。わたしもなんとかしてあげたかったけど、他の学校であることもあって何をどうしたらいいのかも解らず、真珠子の家に頻繁に遊びに行くくらいしかできなかった。
真珠子が引き籠もるようになってから一年と少し、いつもはわたしが一方的に訪れるだけだったのに、珍しく真珠子に呼び出された。しかも彼女の家でなく、数年前まで通っていた小学校。時間は夜の八時。
両親は夜の外出に眉をひそめたけど、真珠子のことは二人も知っているので『真珠子に会ってくる』と言うと、心配そうにしつつも送り出してくれた。
都会の学校は周りをフェンスで囲まれていると聞くけど、この辺りは田舎だからか、塀はあるものの全周の三分の一程度。敷地内には簡単に入れる。
暗い校庭に目を凝らすと、黒い服を着た長い髪の女性らしき体型の人が、長い棒を持って何かしていた。手に小型の懐中電灯を持って恐る恐る近寄ると、その人影は案の定、真珠子だった。
「真珠子? 何してるの?」
「あ、瑠璃、ごめん、ちょっと待ってね」
真珠子は棒で校庭に何か描いているみたい。腰に懐中電灯を付けて、チラチラと揺れるその光だけを光源にして。何を描いているんだろう?
自分の懐中電灯で校庭を照らすと、幾何学的な図案が描かれていた。これは、魔法陣? 何かのおまじないだろうか。小さい魔法陣が二つ、並んで描かれていて、さらにその二つの外側に大きい魔法陣が描かれている。ほとんど描き終わっているようだけど、これを描くのにどれだけ時間がかかったんだろう? そういえば結構前から、真珠子の部屋に魔法とか呪術とかの本が増えてってたっけ。
「はぁ、できた」
もうほとんど完成していたらしく、ほどなく真珠子は手を止め、棒を校庭に投げ捨てた。
「えっと真珠子、何してたの?」
「それはこれから説明するね。えっとね、あたし、昔から友達と言えるような子って瑠璃しかいなかったの」
何とも相槌に困ることを話し出す真珠子。わたしは曖昧に頷いた。
「そんな顔しないで。あたしには瑠璃がいればそれで良かったの。瑠璃はあたしと違って他の子とも仲良かったけど、それでもあたしを蔑ろにしたりしなかったし。
でもね、高校に行って、虐められて、もう駄目だって思った。もう生きていたくない、でも死ぬのも怖い。それに、瑠璃もちょくちょく来てくれるし。
だからね、あたし、調べたの。この世界にいなくても、瑠璃と一緒に暮らせる方法」
「……どんな方法?」
「異世界への転移」
「へ?」
真珠子が夢みたいなことを言い出した。
「異世界に行ってね、人生をやり直すの。これまで色々調べたんだよ。どうすれば異世界転移なんていう超常現象を起こせるのか。それに、色んな知識も学んだし。高校なんて行かなくても、今はネットでなんでも学べるから。
それで、瑠璃にも一緒に来て欲しいの。正直言うと、一人で異世界に行って、上手くやって行けるかどうか、自信がなくて。あたし、コミュ障だし、その上引き籠もりだし。だからお願い。あたしと一緒に異世界に行って、一緒に暮らそう?」
「……」
わたしは言葉もなかった。家に、自分の部屋に閉じ籠もって、そんなのことを考えていただなんて。しかも、真珠子の目は真剣そのもの。暗い中で、爛々と輝いている。
「……駄目?」
真珠子が不安そうに言った。わたしが一緒に異世界に行ってくれないかも、と思って不安なのだと思う。でも、わたしの心配はそこじゃない。
異世界転移だの異世界転生だのと言うのは、創作物の中のことであって、現実に起こるわけがない。試してみてできないと知ったら、真珠子はどんなに落胆するだろう? さっきの笑顔を見ると、想像もつかない。
さりとて、彼女にその試みを諦めさせる言葉も思いつかない。家族を引き合いに出しても決心を変えることはないだろう。家族よりわたしを選んだからこそ、ここにわたしを呼んだわけだし。
わたしが行くことを拒否して、あるいは別の理由をでっち上げて、今日のところは諦めさせたところで、今度は別の日に一人で試すかも知れない。そうしたら、異世界転移に失敗して意気消沈する彼女を誰が慰めるの?
「……うん、解った。一緒に行くよ」
どうせなら、わたしのいる時に異世界転移に失敗してもらって、そのままわたしが慰める形で諦めさせるのがいいだろう、と結論を出して、頷いた。真珠子は、猫のように瞳を輝かせた。
「いいのっ!?」
「いいよ。真珠子の頼みだもん」
「良かったっ。断られて、一人であっちで路頭に迷ったらどうしようって思ってたのっ」
悩むなら、異世界転移できない可能性にして欲しいものだけど、真珠子はそれについてはまったく心配していなさそう。これは、実験の後でどう慰めたものか。
「それじゃ、こっちに来て。あ、線を踏まないように気をつけてね」
「うん」
荷物を用意しなくていいのか、とちょっと考えたけど、どうせ異世界になんて行けるわけがない。わたしは真珠子に指示されるままに、魔法陣の中に入った。
「そう、そこ、そこに立って」
わたしは、大きな魔法陣の中にある二つの小さな魔法陣のうちの一つに立った。もう一つには真珠子が立つ。
「両手を出して」
「あ、うん、ちょっと待って」
わたしは懐中電灯を消してショルダーバッグにしまい、両手を真珠子に差し出した。真珠子がわたしの両手を握る。わたしに微笑んだ真珠子は目を閉じると、何やらブツブツと呟き始めた。異世界転移の呪文かな。
これで異世界に転移できるなら、日本人の三割は異世界に引っ越してるよ、などと思いつつも、真珠子が納得するようにと、邪魔をせずに沈黙したまま待つ。
ふと、周りが微かに明るくなっていることに気付いた。わたしが懐中電灯をしまったので、真珠子の腰の懐中電灯だけの小さな明かりしかなかったのに、わたしたちの周りの地面が発光している。地面、と言うよりは魔法陣ね。LEDでも仕込んでいた? そうは思えないけど。っていうかマジで異世界に転移しちゃう?
地面はますます明るく光り、わたしは目を細める。光ばかりか、地面から風も吹いてきているような。
「……ぼるて、うゔぇーるとっ」
それまでボソボソと小声で呟いていた真珠子が大きな声で唱えた途端、ブワッと上昇気流が発生し、地面が眩く光り輝き、わたしは薄く開けていた瞼を完全に閉じてしまった。
そして、異変が終わったことを感じて恐る恐る目を開くと……