1.異世界へ転移したわたし
「な、な、何よーーーーーーーーーーっ。ここどこよーーーーーーーー」
白い光に包まれて思わず目を閉じたわたしが、恐る恐る目を開くと、見知らぬ景色の中に一人立っていた。
右。どこまでも続く平原。遥か彼方に山並。
左。十メートルぐらい先まで平原。その先は森。
後。平原の中をどこまでも続く土の道。
前。やっぱり続く道。けれど遠くに家々の屋根らしきものが見える。
ついさっきまで、真珠子と一緒に、昔通った小学校の夜の校庭にいたはず。なのに、なのに、何で大草原の真っ只中にいるのぉ? 真珠子はどこ?? 一緒にいるはずなのに。
けれど、理由を考えている暇はない。まずは現状把握。
服と靴は一応、身につけている。
履き慣れた革の運動靴と膝まで隠すロングソックス。デニムの膝丈のスカート。腰に巻いているベルトは革製で、見た目は可愛いけど触る結構ゴツいやつ。服は白い綿の長袖ブラウス。
……だけど、何でボタンが一つもないの??? うん、ボタンがない。外れているとかじゃなくて、ボタンを止めていた糸はしっかりと付いているのに、ボタンだけが全部ない。何で? どうして??
ないものは仕方がないので持ち物の確認。持ち物と言っても、肩に掛けたショルダーバッグだけ。中身は、ハンカチ、ティッシュ、コンパクト、ヘアブラシ、リップクリーム、絆創膏、ソーイングセット、メモ帳とミニペン、小型の懐中電灯、スマホ、一口チョコ、ガム、飴、etc.。……なんだけど。
どうしてコンパクトが鏡だけ? フレームはどこ?
ヘアブラシはどこ? あれ?? 入れ忘れた???
スマホケース、何でないの? っていうか、スマホ電源が入らないんだけど。
ああっ。飴が裸だよ。なんで? どうして? このままにしておいたらバッグの中が大変なことに……。うー、仕方がない、ティッシュで包もう。
……あれ? ポケットティッシュの袋がない? わたしの手縫いの布製袋はあるけど、ポケットティッシュをビニールの袋ごと入れたのに、ビニールがない。なぜなぜどうして? って、考えている時間が惜しいんだった。とりあえず飴をまとめてティッシュで包んで、ショルダーバッグの内ポケットに入れる。
なんだかちょいちょい物がなくなってるなぁ。何でだろう?
そうだ、ブラウスの前、安全ピンで留めておこう。ソーイングセットに何個かあったはず。
ケースを開くと……。
だからなんでまち針の頭がないの? 安全ピンも、プラ製のカバーがなくなっている。なんでよ。
とりあえず、三個あった安全ピンを全部使って、ブラウスの前を閉じる。これで少しはマシになった。
自分の状況は確認した。次は安全の確保。ひとまず周りに生物の姿は見えないけど、このままここにいても何もならない。ここは道らしいから、待っていれば誰かが通るかも知れないけど、陽が西に傾いて来ているから、誰かが通ることを当てにはできない。いや、本当に西に沈もうとしているのか判らないんだけど。もしかしたら、あっちは東かも知れないし。それはどうでも良くて。
空気の感じは朝ではなく夕方。こんな開けた草原で夜を明かすなんて無謀なことはしたくない。凍死するほど気温が下がるかも知れないし、いつどんな野獣に襲われるかも判らない。
向かう方向はと言えば、ここに出現した時に向いていた前の方向。家らしきものが見えるから、あそこまで行けばここにいるよりはマシだろう。方角は、太陽が沈もうとしている方向だから、多分、西。
わたしは、遠くに見える家らしき物、集落らしき物に向かって歩き始めた。
左右のほかに後ろにも注意を払いつつ、わたしは沈む太陽に向かって道を歩いた。太陽は真正面ではなく、やや左に沈もうとしている。……うん、何の役にも立たない情報だね。
近付いて行くと、小さな集落かと思った家々の集まりは、そこそこ大きな村っぽい。まだ距離はあるけれど、入口に立派な門があって、村の周りを柵で囲ってあるみたい。
その時、道に少し近くなっている左手の森で、ガサガサと音がした。思わず足を止めて、音の方向を凝視する。
暗がりに、光が灯る。そして、のっそりと出て来たのは、オオカミ、あるいはオオカミに似た動物の、群れ。六頭。待って待って待って。もうすぐ人のいそうな村に辿り着けそうなのに、こんな場所で人生を終えたくない。
わたしはオオカミっぽい獣から目を逸らさず。止めていた足をゆっくりと村に向けて動かす。いきなり走り出したら、オオカミたちも追ってくるだろう。そうしたら、すぐに追いつかれてしまう。
わたしはオオカミから離れるよう、かつ村に近付くように、そろりそろりと歩きながら、ショルダーバッグを下ろして両手に持つ。武器になりそうな物はこれしかない。
ジリジリと後退るように村に向かって躙り寄るわたし。村の誰か、気付いて助けに来てくれないかな。
とか余所事を考えたのがいけなかったのか、一頭のオオカミが全力で襲い掛かって来た。
「ひぅっ」
情けない声を上げつつ、両足を踏ん張って、飛び掛かって来たオオカミに向けて両腕をいっぱいに伸ばす。
「痛っ」
オオカミがバッグに噛み付き、前足の爪が左腕を引っ掻いた。思わず叫んじゃったけど、もう無我夢中で両手を振り回す。あまり深くは食い付いていなかったのか、オオカミはバッグから口を離して地面にシュタっと着地した。
続けて襲って来たオオカミにバッグを振り回す。
「あっ」
手が滑ってバッグを取り落とした。けれどそれが良かった。肩紐が腕に絡まって、振り回したバッグが二頭目のオオカミの鼻っ面をひっ叩いた。オオカミは空中で体勢を崩したけど、それを見ている余裕もない。
ショルダーバッグの肩紐を両手で持ってぶんぶんと振り回してオオカミを牽制しつつ、村方面へと後退る。ああん、誰か助けてっ。
「あ痛っ」
道の窪みに足を取られて、わたしは尻餅をついた。倒れる時に両手を後ろについてしまって、前が無防備。そこに飛び掛かってくるオオカミ。
「ひいっ」
思わず、右手を上げて顔を庇い、左手で地面を掴んで少しでも後ろに下がろうともがく。
「いぎゃああああああああっ」
オオカミが右腕に噛み付いた。痛い痛い痛い痛い痛い痛い。死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。やだあああああああああああっ。いやあああああああああああっ。
ヒュンヒュンという音がどこからか聞こえた。気がした。キャンキャンと犬のような声。ふっと右腕が軽くなった。
視界に人の顔が映った。歪んで見えるのは、涙のせい? わたし、泣いているみたい。
「※☆♪◇#%〆」
何か喋っているみたいだけど聞き取れない。でも、どうやら助かったことは確からしい。
緊張の糸が切れたわたしは、意識を手放した。