銀と金の邂逅
Eternity~銀髪の守護者ルーファス~の登場人物、リカルド・トライツィとルーファスが出会った時のエピソードです。5話中のリカルドに繋がっています。
【 銀と金の邂逅 】
――俺の名はルーファス・ラムザウアー。
エヴァンニュ王国にあるヴァンヌ山で、大怪我をして倒れているところを、当時まだ少年だったウェンリーに助けられ、ここヴァハの村に保護された。
俺にはそれ以前の記憶がない。その時の怪我が原因なのかはわからないが、自分について何も思い出せないのだ。…それでも、生きて行くことはできる。…たとえ自分が、周りの人々と違っていても――
これは俺が守護者になる少し前の、リカルドと初めて出会った時の話だ。
――その日は、早朝から冷たい霧雨が降っていた。
しとしとと、周囲の音すらも吸収してしまうような静かで、それでいて微かな音を立てる細かい雨。
畑仕事に立つ人も少なく、こんな天気の日は皆、自宅でのんびり過ごしているのだろう。村の中を歩く人影はほとんどない。
俺は朝食を済ませ、雨避けのフード付きのマントを羽織ると、“なにも今日でなくても”と心配するゼルタ叔母さんを宥めてから、愛用の使い古した剣を手に、家を出た。
確かに普通なら雨の中魔物の討伐に出る者は少ないだろう。
このまま止まずに、もっと酷くなれば足下は泥濘むし、視界も悪く、汗をかけば濡れた服が体を冷やす。一見良いことなどまるで無いように思うかもしれない。けれど今日の俺にとって、この雨は味方だ。
ヴァハの村には、守護者がいない。通常ここのような小さな村や集落は、魔物駆除協会に依頼して警護のための守護者を雇う。だがそれにはかなりのまとまった金額が必要なため、金銭的に余裕のない村は、自警団などを作り、自力で魔物から身を守ったりしているのが現状だ。
幸いなことに、今までは村を襲う魔物がほとんどおらず、特に大きな被害が出ることもなかったため、どうにかなっていた。
ところがここ最近ヴァンヌ山で、急激に魔物の数が増え始めたのだ。物資を運んでくれる行商人が襲われ、配達にも支障が出ている。今まで見かけられることのなかった種類も見られるようになったため、このままでは村に危険が及ぶと判断した俺は、長と相談した上で、何日もかけてその原因の調査を行っていた。
そしてようやくその元凶が、隣町メクレンに隣接した『メク・ヴァレーアの森』 にあることを突き止めた。それはヴァンヌ山に出現した魔物の多くが、この森から何かに怯えて逃げて来たのだとわかったからだ。
考えられる要因…おそらくは強力な魔物の出現。そうなるともう、それを倒すしか方法がない。
村の住人から寄付を集め、守護者を雇うと言った長を説き伏せ、先ずは俺がその魔物を詳しく調べることにした。そして可能なら、守護者を雇うまでもなく、倒してしまえばいい。…もちろん無理をするつもりはないが、俺がヴァハの村にできる恩返しと言えばこのぐらいしかないのだ。
だから俺は今、そこへ向かってヴァンヌ山の登山道を進んでいる。
そのメク・ヴァレーアの森に向かう前に、念のためメクレンに立ち寄ってギルドの掲示板を見ておこうと思う。俺は守護者ではないが、一般用の掲示板に張り出されている依頼を見ることによって、周囲の状況がどうなっているかを判断することができるからだ。
可能な限りヴァンヌ山での戦闘を避け、短時間でメクレンに辿り着いた俺は、真っ直ぐにギルドへ向かう。一際目を引く大きな三階建ての建物だ。『自動ドア』と呼ばれる入り口を入って正面にある巨大な掲示板の前に立つ。
一枚一枚、張り出されている依頼を見るが、メク・ヴァレーアの森に関するものはほとんど無かった。
それはそうだろう。あれだけの数の魔物がヴァンヌ山に逃げ込んでいると言うことは、本来いる場所の魔物は減っているはずなのだから。
――張り出されている依頼は…『ヴァレーア・マンティス』『ヴァレーア・スパイダー』の二種類に関する物か。この魔物も今のまま放っておけば、餌となる小型の魔物や動物が減って、いずれヴァンヌ山に移動を始める。そうなれば以前の状態に戻すことはほぼ不可能だ。
できるだけ急いだ方がいい。…それは確かなのだが、もう少し情報が欲しかった。
事情を話して、二階の守護者専用フロアに入らせて貰えないか聞いてみるか?いや…難しいだろうな、確か守護者が同行していなければ、絶対に通して貰えなかったはずだ。かと言って俺には守護者の知り合いはいないし、通りすがりの誰かに頼むわけにも行かない。 情報を知りたがっている理由を聞かれれば、これからやろうとしていることを邪魔されかねないからだ。
考えている時間もあまりない。あきらめようと後ろを振り返ったその時、背後にいた人物に突然声をかけられた。
「――銀髪とはこの辺りでは珍しい。あまり見かけない方ですね、なにか魔物に関しての困りごとですか?」
その声に振り向いた俺は、あまりにも人目を引きすぎるその容貌に、思わず驚いて目を見開く。
俺の銀髪を珍しいと言ったが、この人物は輝くような金髪だ。しかも結びもせず、腰まで伸ばした長髪をしている。だがそれよりもっと驚いたのは、その端整な顔立ちだ。声や仕草から男性に間違いないと思うのだが、およそこの場所には似つかわしくないほどの美形だった。だから思わず、珍しいのはそちらの方だろう、と口に出しそうになった。
「ああ、突然声をかけてすみません。随分真剣に掲示板を見ていたでしょう?少し気になったものですから。」
そう言ってその人物は、俺の警戒を解こうとしているかのように微笑んだ。
「いや…メク・ヴァレーアの森に関する情報が欲しかっただけだ、仕事を頼むつもりはない。」
依頼目当ての守護者だろうが、必要以上に踏み込まれないよう、その場を立ち去ろうとする。だが相手はその俺の事情を見抜くかのように続けた。
「良ければ私と一緒に上の掲示板を見に行きますか?」
「!」
その申し出は願ってもないことだったが、俺は思わず警戒した。なぜなら、この男が人並み外れた力の持ち主だと気が付いていたからだ。
「――あんた…守護者だろう?初対面の俺を伴って専用フロアに入るつもりか?」
「ええ、いけませんか?…少なくとも、一瞬で私が守護者だと見抜くような実力の持ち主には、そうそう巡り会えませんからね。」
再び男が微笑む。
そうは言うが、そっちこそ俺が剣を装備しているのに、民間人だとわかっているじゃないか。今“実力”と言ったが、まさかこの男…俺の能力まで見抜いているのか?
「急いでいるようですし、必要以上にあなたの事情に踏み入ったりはしません。余計な手出しをするつもりもありませんから、一緒に行きましょう。」
そう言うとさっさと俺の前を歩き出す。
不思議な男だ。相当の実力者に見えるが、俺に興味を持ったのだろうか?いったい、なぜ――
…まあいいか、折角の機会だ、この後のことを考えれば遠慮せず厚意に預かろう。
そう思った俺は、素直にこの美丈夫の後について行くことにした。
二階へ向かうセキュリティゲートで、男が守護者のID端末らしき古びたペンダントをセンサーにかざす。ピッと言う音の後、なにやらモニターを操作して振り返ると、紙製のカードのような物を差し出した。
「これが許可証です。私の名前が記入されていますから、ここを出るまでは持っていて下さいね。」
「…ありがとう。」
俺は素直に礼を言う。思惑はどうあれ、助かるのは事実だ。
「――リカルド・トライツィ…」
カードに書かれた名前を読み上げる。
「ええ。リカルド、と呼んで下さい。あなたのお名前も伺ってよろしいですか?」
丁寧な口調だが、信用していいものか少し考える。
守護者と言えば聞こえは良いが、その実ならず者のような柄の悪い輩も珍しくはない。俺がこんなに警戒をしているのは、なにかに巻き込まれれば、俺が世話になっている長にまでも迷惑をかけることになるからだ。
だが取り敢えずは名前ぐらいなら教えても大丈夫だろう。
「――ルーファスだ。…一応、そう呼ばれている。」
「…?」
俺の言葉にリカルドが一瞬怪訝な顔をして首を傾げた。 …が先ほどの言葉の通り、なにも訊こうとはしない。
なるほど、言った言葉には責任を持つ、か。約束を違えたりするような人間ではなさそうだ。
二階の守護者専用フロアに入ると、周囲がリカルドを認識した途端、一瞬にしてシンと静まり返った。それなりに混み合ったフロア内の、ほとんどの守護者がリカルドを見ている。
…だがその視線は様々で、尊敬や、畏怖、好奇心や嘲り、羨望や憧れと言った感情がない交ぜになっており、見事なまでにバラバラだ。
それを感じ取った俺は、この男を取り巻く周囲の環境がどんなものか、なんとなく理解した。
おそらく守護者としても相当高ランクなのだろう。親しげに声をかけてくる人間が一人もいないことから、人付き合いはあまり上手くなさそうだ。一見優しそうな口調とその顔立ちから、絡まれることも多いのではないかと思う。尤も、この様子だと、絡んで来た方は大変な目に遭っていそうだが。
「メク・ヴァレーアの森に関する情報が欲しかった、と言っていましたね?討伐依頼は下に出ていたマンティスとスパイダーだけでしたが、どんなことが知りたいのですか?」
その質問に、俺はまた少し考えてから返事をする。
先ほどの言葉を信じるのなら、この男が俺の邪魔をすることはないだろう。
「――ここ最近…それも一週間くらいの間で、強力な魔物の目撃情報が無かったか知りたいんだ。」
そう答えると、リカルドが少し考えてから、俺に言った。
「――なるほど、それを知りたいと言うことは、ヴァンヌ山…ですね。」
「!」
「あなたはヴァハの住人ですか。」
正直に言って、俺は驚いた。何の説明もなく、あれだけで俺の目的を理解したのか。…やっぱり、只者じゃないな。
「ああ、すみません、詮索するつもりはないのですが、あの山のことは気にしていたので、つい。急激に環境が変化した場所ですからね。その原因を私の方でも調査している最中だったのです。」
「俺以外にあの山のことを調べてくれる人間がいたのか…意外だったな。あんたの言う通り、俺はヴァハの住人で、目的はヴァンヌ山の安全だ。」
「そういうことでしたか…では私の方で把握している情報を教えましょう。」
調査している最中だと言ったが、掴んでいた情報は俺より細かく、さすが守護者だと言わざるを得なかった。リカルドの方でも考えられる要因が、メク・ヴァレーアの森に、何らかの強力な魔物が出現したことだとの答えに行き着いていて、その目的の魔物についても、僅かだが情報を持っていた。
「――シルフ・バード…強風を巻き起こす大型の鳥系魔物だったな。」
それはかなり前だが、一度だけ戦ったことがある魔物だった。
「そうです、よく知っていますね。」
「ああ、まあ…」
さすがに戦ったことがある、とは言わなかった。根掘り葉掘り訊かれたくないからだ。
「でもシルフ・バードなら、この辺りに強風の被害が出ていてもおかしくないんじゃないか?」
それなのにそんな話は聞こえて来ない。
「そこなのですが、あなたはこんな話を聞いたことがありますか?極稀にですが、シルフ・バードの中には、強風を起こすための風羽根を持たない個体が生まれることがあるそうです。」
「…そうなのか、知らなかった。」
感心して話を聞く。
「はい。風羽根の無い個体は、生息域であるパスラ山脈を追われ、他地域に流れ着くことが多い。以前にもヴァレーア渓谷やヴァンヌ山脈の外れに、そう言った魔物が現れたことがあったのです。」
ああ、それでか…俺が出会したことがあったのは。そう言えば、あまり風の攻撃を使わない個体だったような気がする。
「もしそれらの個体なら、通常の魔物よりも体力や攻撃力が高いので、戦う際はかなり気を付けなければなりません。油断すればあっという間にこちらが狩られてしまいますから。」
リカルドの様子から、厄介な相手だと言うことは良くわかる。だが、それは相手をしたことがない場合に限ってのことだ。
「――良くわかった、ありがとう。」
俺はそう言うと、念のためここの掲示板も端からざっと目を通して、目的に関わる物がないことを確認すると予定通り向かうことに決めた。
「――待って下さいルーファス。あ…と、呼び捨てにしても構いませんか?」
「ああ、構わないが…なんだ?」
「もしかしてシルフ・バードを狩るつもりなのでは?」
――邪魔をしないだろうと思ったが、止めるつもりなのか?
「…――」
余計な口出しをされたくはないので、俺は答えないことにした。
「もしそうなら、たった今、掲示板に緊急討伐依頼として私の名で張り出しましたから、もう少し待ってみてはどうですか?」
「!」
これには少しだが腹が立った。
「なぜそんなことを…俺が素人だからか?守護者の助けを頼んだ覚えはないし、余計な邪魔が入る。情報をくれたことには感謝するが、それは大きなお世話だ。」
それだけ言うと、許可証を返してこの場を後にした。
実際、依頼を張り出すことによって、報酬目的の守護者が森に入れば、折角の雨で行動が鈍っているヴァレーア・マンティスとスパイダーが活発化する。そうなればシルフ・バードの元へ辿り着く前に体力を消耗しかねない。俺を心配してのことだろうが、迷惑な話だった。
――やっぱり守護者には関わるべきじゃないな。賞金や報酬が目的じゃないのなら、今のままの方が自由に動ける。俺が守りたいのは、ヴァハの村だ。それ以外には手が回らない。長やゼルタ叔母さん、そして親友のウェンリーも心配しているし、守護者になるのは必要に駆られたらで十分だな。
俺は足早にメクレンを後にし、メク・ヴァレーアの森へと入っていった。
――私の名はリカルド・トライツィ。
ここエヴァンニュ王国のメクレンで、ある目的を持って守護者を生業としています。…それは遠い日の約束。いつか魔物のいない世界で、自由気ままに旅をする。かつて笑ってそう話したことを思い出さない日はありません。…たとえその友人が、もういなくなってしまったとしても――
――失敗しました。ようやく“彼”と親しくなれる機会を得たのに。一年待って、ようやく“彼”に私の存在を認識して貰えたのに。…いくら心配だからと言って、要らぬ気を回すべきではなかった。
一般フロアの掲示板の前で声をかけた私を、最初は不審に思っていたのでしょう。
“余計な手出しをするつもりはない”そう告げたことで、ほんの少し警戒を解いてくれていた様子だった。だからこそありがとう、とお礼を言ってくれて、名前を教えて貰い、事情をほんの少しだけれど話してくれたのに違いない。…もっと上手く接すれば、シルフ・バードの討伐に協力させて貰えたかもしれないのに。 …ああ、本当に失敗しました。
今のこのどうしようもなく落胆した胸の内を、いったいどこにぶつけたら良いのでしょう。
…気が付けば、周囲の鬱陶しい雑魚守護者達が、私から放たれる負の感情のオーラに、尻込みをしている。
――まあ、そうでしょうね。おまえ達のような力のない守護者では、私のそばに近寄る資格さえない。遠巻きにこちらを見て、精々恐れ、敬うと良いのです。
…ハッ!!…いけません、あまりの落胆につい荒んでしまいました。
――思えば、“彼”…ルーファスの噂を聞いたのは、もう二年近くも前のことです。
『この辺りに守護者でもないのに、恐ろしく腕の立つ民間人がいる』
ここギルドで守護者達がそう話していたのを、耳にしたのが最初でした。
――その姿を見かけるのは稀で、どうやらヴァンヌ山には頻繁に出没しているらしいこと。背はあまり高くなく、年若く見え、この地方ではほとんど見ることのない、月の光を写したような銀髪をしていること。そしてなにより、高ランクの守護者でさえ複数人で狩りにあたる強力な魔物を、単身片手剣の一本で難なく倒してしまえることなど、話題には事欠かないようでした。
それだけの人間であれば、いずれは守護者になるために、ここのギルドを訪れるだろうと思っていたのですが、私の予測は見事に外れ、彼が来ることはありませんでした。
その後も時折噂だけは聞いていましたが、一向に会う機会はなく、結局私が彼の姿を見たのは、噂を耳にしてから一年も過ぎた、昨年のことでした。
それは偶々、ギルドからの依頼でシェナハーンから訪れた守護者見習いの研修につきあい、通りにある武器屋を訪れようとした時のことでした。
目的の店の前に、何やら人だかりが出来ている。そう思って訝しんでいると、柄の悪い男の怒鳴り声が聞こえてきました。
「…んだとこの野郎!!もう一度言ってみろ、ガキが!!」
人だかりの隙間から覗くと、そこには、つい最近この辺りに姿を見せるようになったばかりの、あまり評判の良くないならず者守護者がいたのです。
「――悪いが俺はガキじゃない。聞こえなかったのなら、何度でも言ってやる。満足に依頼の一つも熟せないのなら、守護者などやめてしまえ、と言ったんだ。」
「嘗めてんじゃねえぞてめえ!!」
ならず者守護者が怒り狂って誰かに殴りかかろうとしている。
その相手を見て、私は驚きました。
――銀色の髪…!!
彼は、ならず者守護者を相手にもしていなかった。どれだけ殴りかかろうとしても、その拳が当たることはなく、胸倉を掴もうとしてもするりと躱され、触れることすら叶わなかったのだ。
「…まったく、話にならないな。とにかくここの親父さんには依頼料は払わせない。もちろん、俺は守護者じゃないから報酬は受け取らない。これ以上騒ぐのなら、さすがに俺も容赦しないぞ。」
その優しげな言葉とは裏腹に、恐ろしいまでの覇者の気。あれを受けて戦意を失わないのなら、余程の馬鹿だ。
そう思い見ていると、ならず者守護者はその“余程の馬鹿”だったらしく、今度は腰に下げた剣を抜こうと、柄を掴もうとした。
――その瞬間何が起きたのか、私を含め、その場にいた誰にもわかりませんでした。
気付いた時にはもう、ならず者守護者は剣を抜くことも出来ずに、倒れて気を失っていたからです。
そしてすぐ後、騒ぎを聞いた憲兵が二人駆けつけて来て、唖然とする周囲を余所に、彼と当事者らしき武器屋の息子、そして気を失っているならず者守護者を引きずって、その場を去って行ってしまいました。
初めて彼を見た私は、圧倒されました。あの神懸かった能力…噂に違わぬ実力の持ち主であることは、一目瞭然。彼こそは私がずっと探し求めていた、最強の守護者(今は民間人)に違いない。
そう確信した私は、その日以降ただ只管機会を待ち続けました。町中でいきなり声をかけたりはせず、彼がギルドを訪れ、なにか助けを必要としているタイミングで、さりげなく話しかける。
――完璧です。
この方法ならきっと感謝され、私の願いも話しやすくなるはず。そして今日、その絶好の機会が巡って来ました。あまりの嬉しさに小躍りしそうな心を落ち着かせ、やっと話しかけたのに――
結果はこの通り。
ああ、口惜しい。このまま諦めるしかないのでしょうか。
――そのまま掲示板に張り出された自分の失敗を恨めしげに眺めていると、募集の張り紙を見た守護者のパーティーが声をかけてきた。
「リカルド・トライツィ…さんだよね?シルフ・バードの討伐依頼を見たんだけど。」
そう言ったその声は女性の物だった。
「あたしはこのパーティーのリーダーをしてる、ヴァレッタ・ハーヴェルって者だ。良かったら引き受けさせて貰えないかい?」
――そう言うからには、それだけの実力があるのでしょうね。…そう思って相手を見た私は呆れてしまった。
リーダーの女性はともかく、連れている三人の男共が最悪だ。この連中では、頭以外森の雑魚にさえ手子摺るだろう。
「――あなた…リーダーだと言いましたね。…正気ですか?」
最早説教をする気にもなれない。
「メク・ヴァレーアの森に入った経験は?」
「ああ、あたしはあるよ。後ろのこの三人は初めてだけどね。どういう場所かは話してあるし、あんたとあたしが守ってやれば、何の問題は――」
女リーダーのこの言葉が、私の逆鱗に触れた。
――守ってやれば、だと?私を馬鹿にしているのか。自分で自分の身を守れないような足手まといを連れ、おそらくは飢え始めているマンティスとスパイダーしか残っていないあの森を、シルフ・バードの居場所を探して歩き回れと言うのか。
フ…フフフフフフフ…(笑いが込み上げて来る)
まったく、何という日だ。恋い(意味が違う)焦がれた相手には不興を買い、落胆している所にさらに追い打ちをかけられるとは…笑うしかない。
…ハア。…いけません、またもや荒んでしまいました。冷静に、冷静に。
「…なにか勘違いをしているようですが、私が張り出した依頼には、“シルフ・バードを討伐可能な実力者に限る”と条件を指定してあったはずですよ?…リーダーのあなたはともかく、ほかの三人がその条件を満たしているようには全く見えませんが。」
可能な限り冷静に務め、私にしては珍しく優しく言って聞かせようとしました。
「ほら、だから言ったろ?まだあんたらには無理なんだって。リカルドさんにだって迷惑なんだよ。」
女リーダーが男衆に向かって言う。
む?…そこまで私を馬鹿にしていたわけではないのか?…と思ったのも束の間――
「けど姐さん、こんなチャンス滅多にありませんぜ。かのリカルド・トライツィと一緒に依頼を熟したとなりゃ、今後俺らの評判は鰻上りでさ。向こう数ヶ月は仕事に困ることもなくなる。なんとか頷いて貰いましょうや。」
その男の言葉に腹の底から怒りが湧き上がってくるのを感じた。
「――――」
要するにこの連中は最初から、自分達の名声のために私の名を利用するつもりだったのだ。
――こういう輩を放置しておけば、今後も同じような身の程知らずが現れることは目に見えている。二度とそんな気が起こらぬよう、痛い目に遭わせなければわかるまい。
「…忠告はしましたよ?募集の張り紙はもう外します。これから私は討伐に向かいますが、あなた方には一切関知しません。それでも付いて来ると言うのなら勝手にすると良いでしょう。」
今度はあからさまに蔑みの視線を投げかけて言い放つ。これでも理解出来ず、まだノコノコと付いてくるようであれば、あとは知ったことではありません。…まあ、腸が煮えくり返っているので、マンティスの巣にでも放り込んでやれば、囮として少しくらい役に立つでしょう。精々雑魚を引きつけていただきましょうか。
――こうして私も、彼が一足先に入ったであろうメク・ヴァレーアの森に、不愉快なお荷物を引き連れて向かうことになりました。
結局今日は朝からの細かい雨が止まず、酷い降りにはならなかったものの、地面が泥濘み始めている。これは足下の状態に気を付けなければ命取りになりそうだ。…そう森の状態を具に調べている私を余所に、後ろの集団は浮かれていた。
「ちょっとあんたら、遊びで来てるんじゃないんだよ!!」
女リーダーが窘める。
「いやあ、姐さん大丈夫ですって。なんてったって二年連続トップハンターのリカルド・トライツィと一緒なんですぜ?万が一ってことすらありませんよ。」
そう笑いながら話す愚か者達。
――いったいこの連中はなぜ守護者になったのだろう?そしてこの女は、よくこんな男共と連んでいられるものだ。…なにが大丈夫だと言うのか。私は“一切関知しない”と言ったのだ。まさかもしものことがあっても、助けて貰えるとでも思っているのか?
森をしばらく進んだ所で、数体のヴァレーア・マンティスの死骸を見つけた。
「ヴァレーア・マンティスの死骸…!」
女リーダーが調べる。
「――凄い、こいつらみんなほとんど急所の一撃で倒されてる…!いったい、誰が…?」
――急所の一撃…!?…あり得ない。…いや、彼ならばこんなことが可能なのか…?確かに他の目立った外傷は見当たらないようだ。解体されずに放置されていることからも、彼が倒したのに違いない。…なんと言うことだ、あのルーファスという彼は、私の想像の遙か上を行く腕の持ち主のようだ。彼への思いが一層募り、気分が高揚するのを抑えきれない。
彼と共に守護者として働けたら、どれほど楽しいことだろう…!あちこちの国を旅して、いつか魔物を完全に駆逐する…その私の夢が、叶うかもしれない…!!
それを想像して私は、思わず一瞬、意識を違う世界に飛ばしてしまうところだった。…だが、その最高の気分を吹き飛ばしてくれたのは、またも後ろの愚者共だ。
「おお、姐さん、このマンティス、希少部位が残ったままですぜ!!解体されてさえいねえ、こりゃ儲けものだ!!」
「ひゃっほーう!!」
大喜びで解体し始める男達。
「何してんだい、ギルドの規約を忘れたのかい!?自分達で討伐した魔物の戦利品で無けりゃ、手柄にならないんだよ!!」
「手柄にならなくても売ることはできやすよね!マンティスのブレード、こいつは無傷です。いい金になりますよ!!」
「な…」
これにはさすがの女リーダーも呆れたようだ。だがそれ以上に私の怒りは限界を超えていた。
――いい加減にしろ。心底この輩に嫌悪する。どうしたらここまで浅ましく成り下がれるのか。
…そうだ、今ならここでこの者達を始末しても、誰にもわからない。いっそのこと殺してしまおうか。
おそらくこの時の私は、相当恐ろしい顔をしていたのでしょう。なぜなら、女リーダーが私の表情に酷く怯えていたからです。
その視線に気付き、私は男達を無視して先へ進む。これ以上気分を害される前に、もう一度彼に会いたかった。
さらに暫く進んだ時、少し先で戦闘しているらしい音が聞こえてきた。
「!」
「戦闘音…!あんたたち、気を引き締めな!!誰か魔物と戦ってるよ!!」
装備していた剣を抜く女リーダー。
私は彼らに構わず、素早く音の発生元へと駆けつける。
――ああ、やはりそうだ。…マンティスとスパイダーを同時に相手し、おそらくは先ほどと同じように一撃で倒したのでしょう。涼しい顔でこちらを見る彼…ルーファスがそこに立っていました。雨に濡れた銀の髪からは水が滴り、その手に握られた剣は使い込まれて古びてはいても、なんと素晴らしく絵になる姿でしょう。
――おや?あの剣…かなり使い込まれていますね。大分古くなっているようですが…
私はふと、その剣が気になりました。
「――あんた…追いついてきたのか。…思ったよりも時間がかかっているな。」
ぽそりと呟いた後、私を見て顔を顰めている。
「ここまでの魔物を倒して来たのは、やはりあなたでしたか…ルーファス。」
女リーダーが驚いて声を上げる。
「ちょ…このヴァレーア・マンティスとスパイダーをあんた一人で…!?しかもほぼ一撃で仕留めるなんて――」
その言葉に何を驚いているのかわからない、と言った表情をしている彼が言い放つ。
「リカルド、だったか…どういうつもりなんだ?討伐依頼を張り出したと言っていたが、そこの女の人はともかく、後ろの三人はこのまま進めば死ぬぞ。なぜそんな連中を連れて来る?…信じられないな。」
後ろの男達が自分達を低く評価されたことに腹を立て、騒ぎ立てる。
「なんだとこのガキ…!!」
「――またか…俺はガキじゃない。どうも若く見られているんだな、服装のせいか?…まったく。」
やれやれ、と首を振る彼を余所に、私は愕然としていた。
先ほど私に向けられたあの言葉は、またもこの胸を深く貫いていたのだ。
――完全に私が疑われている。…この連中のせいで、私が悪いと思われている…!!
…もう立ち直れないかもしれません。…それほどのショックを受けてしまいました。
「とにかく、シルフ・バードは俺が狩るから、あんた達はもう戻れ。東の空が明るくなって来たし、もうすぐ雨が止んでしまう。今は身を潜めている魔物が、一斉に動き出すぞ。そうなればあんた達じゃ逃げ切れないかもしれない。悪いことは言わない、死にたくなければ今すぐ引き返せ。」
ルーファスの忠告は適切でした。ここまで魔物が少なかったのは、彼が狩って進んで来たのもありますが、なにより雨が苦手で魔物の方が動かずにいるからなのです。
「いいな、引き返せよ!」
そう言うと彼は、止める間もなくあっという間に先へと駆けて行って、見えなくなってしまいました。
「――驚いたよ、誰だいあれは…あんな目立つ銀髪なのに、見かけたことのない守護者だね。知り合いかい?」
「今日知り合ったばかりですけれどね。彼は守護者ではありませんよ、民間人です。」
「なんだって…!?」
「民間人のくせに、あの言い草かよ、嘗めやがって…!!」
「ちっ、ガキが…!!」
「馬鹿だね、あんたたち、わからないのかい?あれは只者じゃないよ。あたしだってここの魔物は一人じゃ到底倒せない。それをああも簡単に倒せる腕の持ち主なんて、守護者の中にだっていやしないよ!?」
女リーダーが顔色を変えている。彼女の言うことは正しい。ほんの少し見直しましたよ。
「――あの様子だと、彼はシルフ・バードの居場所が既にわかっているようですね。道は分かれているのに、迷わずあちらの方へと走って行きました。これだけの腕があれば、確かに単身でも狩れてしまうでしょう。」
そう思いつつも私は一抹の不安を抱きました。単なる杞憂であれば良いのですが――
「それはまずいですぜ、守護者でもねえ民間人に標的を横取りでもされた日にゃ、俺らの面目が丸つぶれだ。急いで追いかけねえと…!」
「あの生意気なガキを見返してやりましょうや、ヴァリーの姐御!」
「リカルドさんと姐さんなら、負けやしませんよ、行きましょう!!」
「あんた達ねえ…」
これはもう救いようがないのだから諦めた方がいい。
だがすぐに追いかけた方がいい、と言うのには賛成でした。私が案じているのは、腕や標的の問題ではなく、彼の装備です。
一撃で倒して来たとは言え、ここまでにあれだけの魔物の外殻を貫くには、武器にも相応の負担が掛かる。それなのに使用していたのは、年代物のミレトスソード…大切に使っていたようですが、もう替え時を迎えているように見えたのです。
シルフ・バードはさすがに一撃で仕留められる相手ではありません。戦闘の最中に剣がいってしまわなければいいのですが――
嫌な予感がしました。
――ルーファスを追いかけるにはこのお荷物は邪魔すぎます。報酬目当てで付いて来られても迷惑極まりない。さて、どうしましょうか。
そうこうしているうちに、雨が止んでしまいました。彼の言葉通り、森中で魔物の気配が動き出し、色濃くなって行くのを感じます。
…ええ、そうですね、予定通りこの連中には役に立って貰いましょう。
「――で、あたしらはどうするんだい?リカルドさん。」
私の企みに気付いているのか、女リーダーが不審な顔をしている。
…にも関わらず、ここに至ってもそう問いかけると言うことは、まだ私の言った言葉の意味を理解していないのか。腕はそれなりに持っていても、リーダーとしては失格ですね。少なくとも私ならば、ルーファスの助言に従ってすぐに引き返しますよ。仲間の命が大事なら、ね。
「――彼はこちらの道を行きましたが、私はあちらへ向かいます。奥地までショートカット可能なルートを知っていますから。」
「おお、さすがはリカルド・トライツィ!!」
「良かったっすね、姐さん、きっと先回りできますよ!」
「…あ、ああ…そうだね。」
嘘は言っていません。奥地への最短ルートを辿れるのも事実です。
ここで優秀な守護者ならば、ルーファスがなぜこちらを選ばないのか、その理由を考えることでしょう。そうすればこの先に待っている危険を回避することが可能でしたから。
けれどこの連中は“私”を盲目的に頼り、自らで考えようとしていない。私が首位を行く守護者だから、正義のヒーローだとでも思っているのでしょうか?世の中はそんなに甘くありません。
ここで思い出して下さい。私がルーファスに掲示板の前で声をかけた時の、彼の反応を。
『あんた…守護者だろう?初対面の俺を伴って専用フロアに入るつもりか?』
あの言葉の意味をあなた方は理解できますか?
――私は少しでも早くルーファスの元へ駆けつけるために、急ぎました。
途中何度か動き始めたヴァレーア・スパイダーに襲われましたが、彼のようにはいかないものの、これでも守護者ですから、この程度の魔物には苦労しません。女リーダーご一行は目を丸くしていましたがね。
ああ、一応説明しておきましょう。私の主な攻撃手段は、属性術…“エレメンタル・アーツ”です。
この世界には所謂“魔法”や、“精霊術”と言った幾種類かの特殊な力が存在していますが、どれも使用するには膨大な魔力と天賦の才が必要です。幸いにして私にはその才能が備わっており、一般的な人間よりも遙かに魔力が高かったため、ある知識を得て、習得することが可能でした。
ですが守護者として単身で魔物と戦うには、詠唱を必要とする魔法は不向きです。そこでそれらを独自に発展させ、詠唱を必要としない魔力変換で、強大な力を放つ方法を開発しました。
それがこのエレメンタル・アーツです。もちろん、この属性術は開発した私にしか使えません。
本来なら詠唱しなければ放てない魔法を、一瞬で的に食らわせられるのですから、大概の相手は逃げることすら不可能でしょう。まあ、魔力の通じない相手には無力ですけれども。
…おや?…そう言えば、私はいったい、いつ魔法を習得したのでしたっけ?…おかしいですね、覚えがない。
――まあ今はそれどころではありませんから、後で考えましょう。
さて、そろそろですね。おあつらえ向きに正面から複数体のヴァレーア・マンティスがやって来ます。あれを囮にして罠に嵌めるとしましょうか。
…え?どっちがどっちか、ですか?フフフ、決まっているではありませんか。
「マンティスが複数体だよ!分散するかい?」
戦闘態勢を取り、囲まれないように走りながら未だ私にそう訊ねる女リーダー。
惜しいですね、それなりの力はあるのに、リーダーとしての能力は皆無です。私はあらかじめ、関知しないと言ったのですから、仲間を率いているのはあなたですよ?そもそも、初対面の守護者を名が売れているからと言って、頭から信用するなど以ての外です。他者の命を預かるリーダーにおいては、絶対にあってはならないことなのですよ。
もう何年か経験を積めば、モノになるかもしれませんが、他人任せのこんな連中と連むようではいつまで生き残れるやら。
「――私は左から回り込みます。そちらは任せますよ。」
私が言ったのは、ただそれだけです。右へ行けとも、マンティスと戦え、とも指示は何も与えていません。その後の判断は、彼女が“勝手に”したことです。
思惑通り、女リーダーとそのお供は見事なまでに罠に嵌まった。
襲ってきたマンティスの背後には、少し小柄なマンティスがいた。それの意味するところは、その先に“巣”があると言うことだ。私が向かった左のルートは、その巣から遠ざかる道。対して女リーダーが向かったのは巣へと突っ込む道だった。
当然、襲ってきたマンティスはあちらを追いかける。追っ手を撒いた私は、マンティスの巣を見渡せる高台の上に立って下を見た。
「しまった、ここは…マンティスの巣じゃないか!!あいつはどこだい!?」
大量の魔物に囲まれた女リーダーが周囲の状況に気付く。
「あ、姐さん!!リカルド・トライツィの姿が消えましたぜ!!どうなってるんでやすか!?」
「や、やべえぞものすごい数に囲まれてる!!逃げられねえっ!!」
逃げ場のない窮地に立たされたことに慌てるパーティー。
「あ…あんなところに…姐さん、上です!!」
仲間の一人が高台に立つリカルドを見つける。
見上げた女リーダーの目に映ったその表情は、途轍もなく冷ややかな視線でこちらを見下ろす、外見からは想像も付かないほどに無慈悲で冷徹なものだった。
ここまでされて、ようやく女リーダーは理解した。
あのリカルド・トライツィという男は、初めから言っていた言葉の通りに、あたしらを認めてはいなかったのだ、と。そう言えばここまでただの一度も、こちらを見て指示や助言をしてくれたことはなかった。
“一切関知しないがそれでも付いてくるのなら、勝手にすればいい。”
それは依頼を受けることを承諾したわけではなく、つまりは自分達で判断しろと促していたのだ。
――完全にあたしの判断ミスだ。トップハンターとして首位に君臨し、ギルドの依頼では見習い連中を指導していると話を聞いていたから…勝手に信用してしまった。相手は正真正銘のプロなんだ、甘い考えが通用するはずもなかったのに!!
「完全にしてやられたね、これは…すまないあんたたち、あたしの判断ミスだ。リカルド・トライツィは味方じゃないよ。体良く囮に利用されたんだ。」
「そんな…!!」
女リーダーの言葉に愕然とする男達。
「こうなっちゃあもう腹を括るしかない、腐っても守護者なんだ、死ぬ気でこいつらを倒すよ!!」
そう叫んで、仲間を奮い立たせるとヴァレーア・マンティスの巣で交戦を開始するのだった。
私はマンティスの集団と戦い始めたパーティーを見て、ほくそ笑んでいた。
「初対面の守護者を簡単に信じるからですよ。まあシルフ・バードを倒した後で間に合えば、助けてあげても良いでしょう。それまでに全滅していなければ、ね。仮にも守護者なのですから、精々頑張りなさい。」
そう呟くと、踵を返してルーファスの元へと走り出す。
彼が向かったのはおそらく森の最奥…あの場所ならば大型のシルフ・バードが棲みつくだけの十分な場所がある。遅くなってしまいましたが、ここからならそう時間は掛かりません。どうか私の嫌な予感が当たりませんように――
ここからは身体強化のアーツを使い、魔物を蹴散らして進みます。無駄な戦闘は避け、尚且つ必要以上に雑魚の気を引かないよう、気を付けながら。
私が森の奥地の入り口に差し掛かった時、周囲の空気を震わせる、轟音のような魔物の咆哮が響き渡った。さすがに早い、もう既に彼は戦闘を仕掛けていたのだ。
ルーファスがどんな戦い方をするのか興味もあった私は、いつでも助けに入れる位置に陣取り、そのまましばらく様子を見ることにしました。下手に手出しをしてこれ以上嫌われたくはなかったのと、いつもは他人に見られる側の自分が、戦いを任せ、見守る側に回っていることが新鮮で、かつとても貴重な経験が出来ると思いました。
彼は全神経をシルフ・バードに向けており、今のところ私の存在には気付いていないようです。
それを良いことにじっくりと観察させていただくことにしました。一応私も剣を使うので、参考になりますからね。
――なるほど…そこでそう動くのですか。…えっ?今のはどうやって躱したのですか!?…嘘でしょう、攻撃が見えませんでしたよ!?…特定のパターンさえない。…こんな動きをどうやったら身に付けられるのですか…!?
心がワクワクするような感動に浸っていると、その時は突然訪れました。
ガキィィーンッ
ルーファスがシルフ・バードのくちばしと鋭い爪による攻撃を剣で防いだ瞬間、限界を迎えた刃が真っ二つに折れてしまったのです。
「!!」
「しまった、剣が――!!」
すぐにルーファスは体勢を立て直しました。けれどもその隙を逃さず、シルフ・バードの翼による次の攻撃が直後に襲って来ます。
「天雷よ、穿て!!」
カカッ …ドオオオンッ
彼が傷を負う直前に、シルフ・バード目掛けて放った私のエレメンタル・アーツが、巨体を貫くことに成功しました。その衝撃に後ろへ吹っ飛んで地面に落ちるシルフ・バード。
「…!?」
ルーファスが振り向き、私の方を見ました。
「大丈夫ですか!?ルーファス!!」
さっきまでの見学気分は吹っ飛び、急いでその傍らに駆けつけると、彼は驚いた顔をして言いました。
「どうして…いや、今の攻撃はあんたが?」
「はい、間に合って良かった。」
心の底からそう思って笑いかけた私に、ルーファスは一瞬戸惑った表情をするも、すぐに“ありがとう、助かったよ”と言って笑いかけてくれたのです。
「やはりその剣は折れてしまったのですね。チラッと見た時に、危ないのではないかと思ったのです。追いかけて来て正解でした。」
「ああ、そうだったのか。そろそろ限界なのには気付いてはいたんだ。でもまさかこのタイミングで駄目になるとは、予想できなかった。…失態だな。」
「いいえ、大切にしていたのでしょう?見ればわかります。」
私の言葉に、ルーファスが今までとは異なる、とても優しい笑顔を向けてくれた。
これはもっとずっと後で知ることになるのですが、あのミレトスソードは、ルーファスが記憶を失う前から所持していた、たった一つの手がかりとも言える剣だったのだそうです。
やがて話をする私達の横で、ゆっくりとシルフ・バードが起き上がる。
すぐに警戒態勢を取り、身構える。
「まずい、まだ動けるのか。さすがに得物がなければ俺には何も出来ない。足手まといにしかならないな。」
「良かったら私の剣を使って下さい。」
そう言うと腰の剣を素早くルーファスに手渡す。
「いいのか?でもそうしたらそっちが困るんじゃ…」
「大丈夫です。私の主な攻撃手段は、エレメンタル・アーツと言う、魔法のような力です。ほとんど剣は使いませんから、ご心配なく。」
これ以上無いほどの心を込めた笑顔で答える。
「わかった、それじゃ遠慮無く貸して貰うよ。代わりに俺があんたを守る。前衛は任せてくれ!!」
手渡した剣をくるりと回し、シルフ・バードに向かって構えるルーファス。
「了解です。よろしくお願いします、ルーファス!」
――これが私とルーファスが初めて一緒に魔物と戦った瞬間でした。
もちろん結果は…わかりますよね?
…あの一戦は今でも私の心に残る、ルーファスとの大切な思い出です。
それ以降、急速に親しくなった私達は、何彼につけ互いに協力しあうようになり、私が強く勧めたこともあって、ルーファスは守護者になってくれました。…と同時に彼は私の相棒となることも承諾してくれ、それからずっと共に仕事をして来たのです。
――そして、現在…
仕事とは言え、シェナハーンに出かけていたこの一月の間、ルーファスに会えず、辛いのなんの…もう限界です。戻ったことは手紙で知らせてありますから、もしかしたら今日辺りギルドに顔を出してくれるかもしれませんよね。何か事情があるのか、ヴァハには来て欲しくなさそうなので、こちらから会いに行けないのだけは残念ですが、彼の傍らで並んで仕事が出来るだけでも感謝しなければ。
三日間の休養も取りましたし、緊急討伐の依頼が出ていないかだけでも確認しておかないと…
その日、やっとメクレンに戻って来られたことに、少し私は浮かれていました。もしかしたら、とルーファスに会えることを期待してギルドへ向かい、望み通りに再会できたことを喜んだのも束の間、まさかこんなことになるとは…――
「リカルド、紹介するよ、俺の親友のウェンリーだ。」
目の前のルーファスが私にそう告げる。隣には赤毛のまだ若い、垢抜けない男がいた。
その男の顔を見た瞬間、私の世界が…止まってしまった。
親、友…?ウェン、リー……?…違う、その男は…その男の顔は――!!!
――頭の中にガンガンと、警鐘が木霊する。
ルーファスの横に並び立つその姿…違う、違う、違う!!!そこは…その場所は、ずっと昔から私の――!!!
その後は、どうやってあの場を後にしたのか、覚えていない。
――自宅代わりに部屋を契約している、REPOSに戻り、一人ベッドに腰掛ける。
…そうでした、私は…。
手にした自分の剣を鞘から引き抜き、徐に話しかける。
「――グラナス…どうやら、封印が解けてしまったようです。なにもかもすべて、思い出してしまいましたよ。」
手元の剣が、淡いオレンジ色の光を放つ。
『ああ、そのようだな。こうしてそなたと会話を交わすのは五年ぶりだ。…だが無理もない。こんな事態は我とて予想外だ。』
ブウン、と低い音を立てて再び剣が光る。
「――他人の空似、と言うことはありませんか?」
『――…。』
「――そうですか…間違いではないのですね。」
グラナスの無言が何を意味するか、私にはわかっている。
「私はまだ目的を果たせていません。ルーファスは記憶を失っていますが、欺すような真似をすれば後で確実に私達の敵側に回ってしまうでしょう。なんとしてもそれだけは避けたい。…かと言ってなにもかも思い出してしまった今、私は彼に今まで通りに接することなどできません。…どうすればいいのでしょう。」
絶望に瞳から涙が溢れてくる。
『――それでも、これがそなたの選んだ道だ。…忘れるな、ディアス。』
「…そうですね、その通りでした…。」
――私の名は、リカルド・トライツィ。…銀髪の守護者ルーファスの、相棒です。
本編もどうぞよろしくお願い致します!