第6話「要塞009」
〈009号室〉
ーーは、落書きされて1が0になっているだけで、109号室が本当の部屋番号だ。
玄関を開けたとき、照明はついていなかった。ひとり暮らしなのだ。
畳の上に敷いたままの布団を避けながら、教科書や貸本の入ったバッグを置いた。簡素な部屋だ。小さいが。物が無さすぎて狭くはなかった。無機質な壁紙が、引っ越してきた当日ままで、來花を囲った。
ぼすん、と布団に倒れた。じたばたと声にできない叫びをあげる來花だった。
(どうする!?)
留年すれすれで遊んでいる暇はないのだ。勤勉な諸兄なら励んでいるところだ。だが、そんなことはどうでもいい!
留年したなら中退だ。
どうでもいい話は傍に置いて、同期生の鵞堂木更と八朔二葉だ。二人には素晴らしいものを感じていた。今でも決して色褪せない輝きだ。
ーー美しい!
美人。お友達になりたい、真剣に、とても真面目に考えていた。寝転がったまま、メモ用紙とペンをバッグから出した。男の子の必需品だ。
(木更は巨大ロボで皆をギャフンと言わせたい。二葉はなんか妖精みたいなロボを作りたい、と。情熱がある。作って形にしたい情熱が。見据えた瞳は本物だ。力になりたいな、やはり好きだ。一目惚れだしな)
三秒間考えた。
(二葉の屋内飛行実験は図書館から、うちに引っ越させよう。家でやらずにあの場所を選ぶのは理由がある、はず。だがあのまま図書館は危険だ。よし、家に引きこむなら少し片付けとく)
メモには〈片付け〉と殴られた。
(木更は動かしようがない。そもそも動かせない。なら、イベントを選ぼう。ロボは迫力があった。走る、それだけで目を惹かれる。だが漠然と構内を走っても意味がない。集客して、イベントにしないと……)
年間行事のお知らせを、穴が開くほど確認したが、夏休みまで特に何もなかった。ふぁっきゅー!
対外試合? 巨大ロボットを作るマニアなんて世界中にいるだろう。いや! そんな調整の時間も暇もない。ブロック塀を正拳突きで割るパフォーマンスは? 瓦割りみたいにパワーのアピールは?
許可という問題に來花はあたった。ブロック塀を破壊する、野蛮な演目に許可がポンと出るとは思えない。だがここは、何も大学内でやる必要はないのだ。
問題は広告、宣伝か。頭数は多ければ多いほど、ファンが生まれやすいのは自明の理だ……大学の印刷機をちょっと拝借しよう。
過程をすっ飛ばして、來花のなかでは計画が組み立てられていった。
ただ、
(できることなら、二人の仲も進展させたい)
性格も目的も違いすぎる、木更と二葉。なぜこだわるのだろうか。ひとりに限れば、いや、今は欲張らずどちらかに集中したほうが効率が良い。
だが、と來花は考えた。
今、掴んだ手を離して仕舞えば、たぶんもう二度と掴む機会はなくなってしまう。
「よし!……よし!」
來花は気合いをあらたに、仕込んでおいた鍋を求めて台所に向かった。蓋を開けたその中には、鍋の直径に等しい長さの豚肉のブロックだ。角煮を作った。
まな板でひとくちサイズに包丁を滑らせたところ、少し固いが、味は辛すぎない程度で済んだらしい。匂いでわかった。これを一本作るのに、來花はミスを犯して鍋ひとつが犠牲になった。
謝花も言っていた。存外、仲良くなるためには簡単なことの積み重ねだと。來花は帰ってきたばかりの玄関をまた跨いだ。
「お裾分けですよー」
学生寮の一室のインターホンが連打された。
ーーピンポン!
ーーピンポン!
ーーピンポン!
ーーピンポン!
ーーピンポン!
「だぁっ!? う……るさいですねぇ!!」
「夏春教授、こんばんわです」
「用は何!?」
「角煮のお裾分けです。ビールにあいますよ」
「……ありがと。でも連打はやめなさい、拷問の技よ、それは」
「すみません。もしかして、お休み中でしたか?」
「帰ればね、寝るんだよ」
「くんくん……アルコールの臭いだ……」
「相変わらずだねぇ。そんなに苦手? ビールを二本開けただけだよ。それも小さいの」
「アルコールは苦手です。鼻にキツい」
「一杯くらい楽しめるようになっておかないと、大人になったとき苦労することになるわよ」
「コーヒーやお酒、それに煙草。大人って苦しまないと大人な関係になれないのは不思議です」
「あはは!中にあがっていきなさい。ビールは片付けとく。あと、ちょっと汚れてるのも。暖かくなったとはいえ、薄着で夜は少し寒いよ」
「お邪魔します?」
「おう、邪魔するなら帰ってねー」
「王道!」
來花が訪ねた夏春の部屋は、同じ建物の中だ。寮暮らしと言っても、学生しかいないわけではないのだ。
夏春の部屋は少し汚れていた。ゴミが転がっている汚い部屋、というわけではギリギリないのだが、缶ビールが二つ、それに開けられたお摘みのは袋がコタツの上に並んでいた。あと、少女漫画がダンボール詰めにされていたり、少女漫画が壁を作っていたり、やたら巨大なぬいぐるみが見ていた。
「二葉の部屋に一緒に来てください、て言おうとしただけなんですけど」
「一方的に私を利用するだけってのはフェアじゃないよね」
「仕方がありません。対価を払いましょう」
「そっか。じゃ、脱ぎなさい。下からではなくて、上からセクシーに」
「はい……て夏春教授それはおかしいです」
「騙されないか……」
「あたりまえでしょうに」
「残念だ」と夏春は落ち込む。彼女は酔っているのだろう、口からも強いアルコール臭が流れて、
「上半身だけでも駄目ぇ?」
「駄目です」
「じゃ! もう秋冬ちゃんいかない!」
「子供のわがままですか。行きますよ」
「やだやだ!」
「はぁ……」
酔ってるな、と來花は思った。
「夏春教授、お水飲みますか?」
「いらない」
「角煮食べます?」
「……食べる」
「じゃ、台所借りますね。ひとくちサイズに切らないといけませんから」
……。
夏春の台所は綺麗なものだった。生ゴミが詰まっているとか、ゴキブリが走っているとかはない。だが、食器もまな板も完全に乾いていて、およそ使っている雰囲気がなかった。來花は夏春の食事事情を考えた。そして考えるのをやめた。
「お皿を勝手に借りますがよろしいですかー?」
「自由に使っていいよー」
「はーい」
トン、トン、トン。切り分けた角煮は、猫柄の平皿に並べた。使った包丁とまな板を洗い、タオルーー手をふくタオルがない。
「夏春教授、タオルどこですかー」
ぶおん、と部屋をまたいで飛んできたタオルで手を拭いて皿と箸をコタツに置いた。
「美味しいですよ」
「脂が多いね」
「脂がないと美味しくありませんよ」
「カロリーとか気にするよ」
「今は忘れましょう」
気にするんだ、と來花は意外な心に触れた。
「あっ、來花。そこのビールとって」
「飲むんですか? 冷えてませんけど」
「常温のがいいのよ。來花も飲む? 角煮のお礼」
「アルコール苦手て知っていて言ってるでしょ」
「バレた?」
まったく。
夏春は茶目っ気で目を潤ませながら、角煮を食べはじめた。「あらちょっと固い?」と言いながら、二枚めを口にいれた。
ーーピロリン。
「……」
無機質な着信音に、夏春は自分のケータイを見た。チラリと、タッチパネルに誰かからメールが着いたことを知らせているのを見た。
「……」
もぐもぐと、角煮を食べながら返信した、らしい。少したって玄関がいきなり開けられた。
「うおっ!?」
來花は驚いた。夏春のひとり暮らしとばかり、完全に思いこんでいた。いきなりインターホンもなしにやってくる人間がいるなんて想定外だ。夏春相手だから緩んでいた体が急激に、緊張で硬くなった。
「夏春教授、角煮を焼いたってーー」
入ってきたのは、ラフを通り越して、透き通っているのではと青年の心を刺激する薄いパジャマ。桃色で、牛をイメージしたデザインにフード付き。それは八朔二葉、彼女だ。
「ーーわっ!?」
玄関から入ってきた彼女は、入ってすぐのトイレへ隠れた。來花からは死角だ。
「來花君がいます!」
「そりゃいるよ、來花が角煮持ってきたんだから」
「聞いてません!」
「今、メール送ったよ」
「遅すぎますよね!?」
トイレの中からは、「ひぃぃ」とでも言っているようなうめきが漏れてきた。酷い夏春は、小首を傾げていた。「なんで?」と角煮をさらにひとつパクリ。
トイレの妖精と酒の魔人。
修羅場だ。




