第2話「マイネーム・イズ!」
あぁ、空っぽなんだ。
「静粛に! 静粛に! 議長、この集まりの目的を明確にしていただきます」
「え〜、めんどくさっ」
「夏春教授、お願いします」
「はいはい。皆仲良くやってるかい? て集めたの。三人は知り合い? て奴らしいじゃない?」
「俺、二葉さんと初対面だ」
「私、鵞堂さん知りません」
「そうなのか、來花」
「電算室と図書館で会ったて話したでしょうに。二つの部屋は、建物がかなり離れてますよ」
「そっか。私だけ初対面だと思ってたよ」
來花と接点がある三人だが、それぞれは初対面……と考えてすぐに気がついた!嘘を吐くな!
「夏春教授、受け持ちの講義に参加してる学生ですよ、初対面なわけないじゃないですか」
「あー、そうだった」
「しっかりしてください! なんで集まったかも忘れてますよ、夏春教授が名簿で覚えていたから呼んだんです」
「出席とらないから、顔までは知らないんだよ」
「もっと学生を見てください」
來花ひとりの声だけが、広い講義室に響いた。あぁ、一方通行なのだ。話したいことを話している。そして來花が答える。
夏春は、名前以上のものを見ようとはしていない。木更はケータイゲームのダウンロードの進行をぼんやりと眺めているし、二葉は誰とも目を合わせず教壇を見つめているだけだ。
手を伸ばせば触れられる距離だが、なによりも遠いものを感じた。
「チーズケーキ食べます?」
「チーズケーキ?」
ケーキに食いついたのは、木更だ。ケータイのタッチモニターを眺めるだけだった視線が、チラ、チラ、と期待に揺れた。キツイ目つきが細まり、眉間にシワが寄り、そばかす混じりの顔がちょっと怖い。隣の二葉は「ひぃっ」と声を出さずに悲鳴をあげていた。
「夏春教授が焼いてくれたチーズケーキです。レモン風味が強めで、サクサクのクッキーが敷き詰められた抜群の美味しさを保証する一品です」
「美味しそう……じゃなくて! 俺を釣ろうとしたな!?」
「木更さん、そんな魂胆はありませんよ」
來花は一拍考えて、
「いえ!これは先行投資です。先もずっと仲良くしましょうという贈り物。全部はあげられませんけど、そこは勘弁してください」
「ふーん。仲良くしたいわけだ、俺と」
「はい。というわけで、友好のさらに一歩を記念して食べましょうか」
「私が來花君に焼いたのに」
來花はチーズケーキを三つに折った。ナイフもフォークも使わずに、手でガサツにやったものだから、広げたラッピングにはポロポロと、クッキーやケーキのカケラがこぼれる。
「ティッシュを使いますか?」と來花が勧めたが、指先で掴む人間しかいなかった。
形の良い指先がチーズケーキのひとかけらに伸びた。マニキュアのマの字も知らないような爪の指だ。
真っ先に一番大きなカケラを掴もうとした二葉は、ハッと手を引っ込めてしまった。
それから誰もチーズケーキを取ろうとしない。
「いや、取ってください」
「あは〜。ちょっと大人としてはね」
「私は残ったのでいいです」
「数三個しかないじゃん。來花食えねーぞ」
「僕はいいんです。それより、さぁ」
「……」
「……」
「……」
「奥手なのかな? 手を出して」
「何するの?」と両手ですくうような形を最初に作った二葉へ、來花はチーズケーキを置いた。シットリと濡れたチーズケーキは、彼女の掌で光を弾いた。
ぽん、ぽん、とチーズケーキの残りも、木更と夏春にも渡した。広げたラッピングに残った僅かなカケラは、一息に來花の口の中へと流し込まれた。
「美味しいですね。やっぱり夏春教授は、近所のケーキ屋さんにいて欲しかったです」
「パティシエじゃなくてかな?」
「パティシエはちょっと過言です」
「がーん、だよ……」
「美味しいのは間違いないけど、お店の主人として生きていくには独創性が、ちょっと」
「オリジナリティは苦手だ。時間や分量、温度なら正確にやる自信があるけど」
チーズケーキは好評だった。食べたくない、というわけではなかったようだ。口に食べ残しをつけながら、唇の奥で、舌の上でチーズケーキに入ったレモンの酸味、クッキーの食感の違いを楽しんでる。
來花は、自分で焼いたわけではないが、三人が同じように楽しめている、ということが嬉しかった。よかった。
「自己紹介は大切です。僕の名前は、五木來花。來花、て名前を検索したら女の子の名前が出てくると思うけど、男の子です。
趣味は映画、小説、漫画、ゲーム、格闘技鑑賞、他にも諸々。アイドルだと白藤環ちゃんにメロメロです」
「知ってた」
「知ってるぞ」
「知ってるよ」
扱いが軽い。
「じゃ、二葉さん」
「え!?」
「お名前はなんですか?」
「八朔二葉、だよ?」
「自信もって。ではご趣味は?」
「……空想生物」
「ちょっと待て、空想生物が趣味てなんだ」
「質問に関する発言許可はありません。木更さん、お願いします」
「ちっ……しゃーない。俺は鵞堂木更。趣味は鉄と鉄がぶつかるガチンコ勝負。以上」
「で、このチーズケーキを焼いたのが秋冬夏春教授です」
「あっ、私のスピーチ省略? ちょっと考えてた。量子力学て知ってる?」
「古典物理の範囲を超えると我々は脳が爆発するので、殺人呪文は慎んでください」
夏春教授は、しゅん、と犬が耳と尻尾を丸めたようにガッカリを見せた。量子力学は古典物理と相容れない死の世界だ。來花には許可できなった。脳が爆発する。
「……」
「……」
「……」
「ところで、僕はおしゃべりが好きなんです。可愛い女の子が三人もいると心が弾みますね」
まあ、話が弾むなんてことはなかった。來花は、そんなものだろう、と焦りはなかった。
「來花と、他二人の仲はまだそんなに、くらいなの?」
夏春が、じー、と木更と二葉に視線を送りながら唐突に言った。
「來花が友達になれそう、て嬉しそうに話してたから、もっと良い感じだと誤解してた」
「!?ーー仲良しです」
「ッ。俺も良くしてもらってる」
「そうなの? あんまり見えないよ」
「一緒に探してくれる、探検仲間です」
「探検仲間」
「來花はガチンコでも引かない良いライバルだ」
「ライバル」
夏春は不思議そうに悩んでいるようだ。理解できない、という不快を表すようなものとは違った。純粋な疑問を抱いたらしい。
ただ残念なことにもーー時間切れだ。
夏春のケータイがバイブレーションで震えた。タッチパネルを見た彼女の顔が歪んだ。「呼び出し」とだけ短く言うと、結局使わなかった資料を軽々と抱えて講義室を去ってしまった。
「行っちまったな」
「……私用で講義潰したのがバレたから、お上からお叱りかも……」
「あー……」
「そういうのって、すぐにわかるものなの? 來花君」
「ウェーイ、が一斉に放流されれば、誰かしらの目について……というより今日は自習になったぜ! て、ペラペラ喋り倒したからだと思う」
「ファンタズマゴリア、ダウンロード終わってた」
「はいはい。木更の友達コード教えて。フレンドに登録するから。僕のはーースクリーンショット撮った。送った」
「うい。俺のも送った。招待コードとかは?」
「あとから入力できるのが優しいところ。そっちも転送済み」
「楽しそうだね」
「二葉も一緒に始めない?僕もど素人だけど」
「実はもうケータイに入ってます。鵞堂が教えてもらっていたとき、ビビッと来まして先読みです」
「ハンドルネームて何にしてるの?僕はラムネ博士」
「なぜ博士……俺はST侍」
「STこそ何案件だよ」
「私はマジカル☆リムです」
「正気か?」
「空気読めない侍よりはファンシーで好きです」
「蜜柑に俺は喧嘩を売られてる?」
「八朔です」
次の講義までは、時間があった。今は普通なら、講義中の時間だ。講義室に入って、教授からべんたつ受ける学徒がいる一方で、オープンラウンジで親睦を深めあう社交性豊かな学徒もいた。
どちらも、一号舎305号室には遠かった。
305号室には、今はたったの三人。
特別に仲が良いわけでも、古くから知り合っているわけでも、共通の目的を持つわけでもない。
ーーただ、
「八朔、お前がファンシー言ってたからメルヘンだと思ってた」
「ファンタズマゴリアはスペースオペラとマカロニウェスタンなジャンルですね」
「めっちゃSFだ……」
「鵞堂は嫌いなジャンルでしたか」
「嫌いじゃねーよ」
ーーひとりは寂しいものだ。




