第11話「ひび割れ」
イベントは着々と進められた。場所は、大学近くの、学生発表スペースを使う許可を得た。芸術品を並べたり、中間報告を内外に伝えたい、そんなイベントを学生が催そうとしたら使えるよう準備されたありがたい空間だ。
「流石に瓦割りならぬ、ブロック塀ぶん殴りは危険だと言うことで、ただ動くだけになりそうなんだよなぁ」
「いいじゃん。踊らせるか、コイツ」
「なんだかんだで、木更も乗ってきたな」
「やるからには、コイツもしっかりできる子だって見せてやらねーと、可哀想じゃねーか」
「バックダンサーを用意しましたわよー」
「喋りかた変えろ! 気に入ったのかよ、二葉!」
「少女漫画に稀にでてくる、ですわよお嬢様ーーになってみたかったの」
「お前、その死んだ日本人形みたいな顔で冗談とか乱心しても、本気なのかお茶目なのかわっかんねーから怖いんだよ」
「そうですか? 初めて言われましたわ」
元気で仲が良い二人だ、と來花は思った。最近、來花の大学ライフが楽しくなっていた。中退でもいいか、と考えていたのが、まだ大学にいたいな、と思う程度には。
「怖いと言えばーー」
二葉がポン、と手を叩いて思い出したように言った。
「ーー手紙がポストに来ていたのだわ」
「手紙〜?」
「不幸の手紙ですか?」
「來花君おしいです」
「え?」
二葉は溜息を吐いた。
「久方ぶりですよ」
聞けば、言葉にするのもはばかられる侮辱と罵倒の言葉が書き殴られていた、らしい。消印などは不明。それ以前に郵便局などを経由したわけではなく、直接投函されたらしい、ということだ。つまり相手は、二葉の部屋まで正確に知っていた。
「部屋は無事でしたか?」
「一応、何もされていませんでした。ですが安心は……この手の相手はエスカレートしがちです。すぐに直接的な手段に移るかもしれません」
「二葉さんに嫌がらせ、どころかそれ以上の火種ですか」
「図書館にこもっていたときから、うとまれれていましたから」
「具体的には、どんな手段が予想されますか?」
「そうですね……荷物はどこかの川に捨てられるでしょう。鞄、靴、構内にある私が使う備品も攻撃対象です。あとは部屋に不法侵入、生ゴミの投入、夜間の直接的な暴行……もしかしたら、強姦されるという可能性も否定できません」
「ちょっと待て! 強姦て、そんなことをする奴なんか現実にいるのか!? 犯罪者じゃなくて普通の学生なんだろう!」
「木更さんは初々しいですね。犯罪者だからやるというより、これから犯罪者として表に浮上するだろう連中ですね。上手くやって水面下でずっと繰り返すかもですが」
二葉は、彼女の冷たい美しさに相応しい、淡い微笑みを見せた。
「二葉の家は、僕や夏春教授の部屋とも近い。それに寮生が四六時中誰かいるから、異変があれば気づくはずだ。ポストは部屋から離れた場所だから、どうしても目が届かないかもだけど」
「怖いですね。これからしばらくは、來花君の部屋で寝泊まりしてもいいですか?」
「僕はかまわないけど、色々言われますよ」
「安全第一です」
「木更は」と來花は言って、
「大丈夫なのか? 何もないか? 一緒に暮らすなら、僕のところの荷物を二葉の部屋に置いて確保できるけど」
「おめぇのハーレムになんて誰がはいるか」
「むっ……確かに少し、破廉恥なやり方だな。同じ部屋に男女が寝床を共にするのは」
「間違いがなければかまいませんよ。それに……ひとりでいることこそが何よりも危ないです」
「馬鹿らし。俺は平気だよ」
「あっ! じゃあ木更、ケータイの番号を交換して、グループチャットを作ろう。これなら、万が一にもすぐに連絡がとれる」
「まあ、そんくらいなら別にいいけど」
來花がケータイを出すよりもずっと素早く、木更がケータイを出した。遅れてのんびりと二葉が取りだした。番号を交換して、三人のグループチャットを作った。
ーー放課後。
來花は校門前の一号舎の講義室から、ジッと大学の出入り口を見つめていた。講義室にはもう学生はいない。鍵を閉めるなら、と教授から預かった鍵が机に置かれていた。どうしても、ひとりで勉強をしたいので! とお願いしたらあっさり鍵を渡してくれた。去り際の教授は、「あんまり励みすぎるなよ」と含みのある笑いが気になった來花だった。
「……」
本来なら、寮に帰る途中で今日の夕飯を買って、部屋に入るところだ。だが來花は自主的に居残りを選んだ。気になるのだ。今は部活動やら何やらで、講義はどこも全て終わってあちこちに学生があふれている。使われない講義室は全て施錠され、あちこちに人の賑わいが散っていた。ちょっとした町のようだ。落ち着いた空間を構内で持つには、少しの工夫が必要だ。
來花はケータイを取りだした。いくつかメールが届いていた。便利な世の中だ。
〈來花君。講義終わりました。今どこですか?〉
〈一号舎の三〇二号室です〉
〈あら、講義室を確保できたんですか?〉
〈教授がロボット仲間でしたから。お願いしました〉
〈わかりました。なんとか木更さんを確保して連行します〉
〈木更は連れてこなくていいですよ。彼女もロボット作りの大詰めで忙しそうですから〉
〈そうですか。ちょっと寂しいです。ビックリメカ、フロッグ君を試作していましたのに〉
〈木更いつか心停止するかもなので、勘弁してあげてください〉
ふと、木更は校門前を見た。人通りがひと段落して、立っていた警備員が詰所に帰っていた。そんな中で、中から外ではなく、外からやってくる一段がいた。堂々としていて、たぶん大学生なのだろうが、あまりそのような印象はない。ただ……慣れた道選びで、関係者、なのかもしれない。
落ち着いたとはいえ、まだ学生があちこちで話していたり歩いているなかでその一団は容易に溶けこみ、消えていった。
「……」
來花は、講義室に鍵をかけた。鍵をすぐに返しにはいかずポケットに押しこんだ。怪しい一団を追うためだ。木更の工房に向かっていた。その中に、ファミリーレストランでバタフライナイフを見せびらかしたチンピラが、混じっていた。
(なんだ?)
ひとめが無くなっていく。木更の借りている工房は近かった。
ーーその時だ。
背中で足音を聞いた。神経を尖らせていた來花は振り向くが、何か、固いものが後頭部を打った。一瞬、目の前の光が消えた。だがすぐに視界を取り戻し、前へと転がるように避難する。
なんだ、なにがあった!?
激痛と流れる血を感じながら來花が見たのは、三人組だ。女が三人。随分と暴力的だ。手には……チェーンのブランド鞄だが衝撃が桁違いだった。鉄でも入れている可能性があった。ふと、顔に見覚えがあった。図書館で、二葉を「虫女」と呼んでいたグループだ。
「あれ? ちょっと〜全然気絶しないじゃん!」
來花自身でわかることだった。青筋が浮かぶのが、血が、流れ込んでいるのが、ふらつく体幹も、頭を二、三度振れば消えた。流した血の戦いも知らない擬きが、ましてや遊び半分で突っ込む女ごときが。生皮のひとつや二つを剥ぎとる力が、指先に入った。
だがそうはならなかった。幸か不幸か、女どもには間違いなく不幸で、フルスイングの一撃が女を襲った。
も、木製とはいえ野球バット……死んでないか?
「ひぃっ!?」
「や、やめて、誰か助けて!!」
「殺される、誰か、早く警察!」
二葉が渾身で、慈悲もなく、野球バットで気を失うまで殴りつけた。死んではないなようで、腹が動いている。呼吸しているのだ。……病院でなんと診断されるかわからないが……。
「二葉、お前……」
「殺してはいません。木更さんのところへ急ぎましょう」
「それどうしたんだ」
「護身道具です。釘はありません。野球部から貰いました。場所の特定はケータイの衛星測位機能で割りだしました。急ぎましょう?」
來花は、ちょっと二葉が怖くなった。