9.『第六陣』の立場
「どうしてお前を助けなければいけないんだ?」
遮るもののないエリアスの手の甲には見紛うこともない異色の魔法陣が浮かんでいる。
本来ならばダンジョンに入るべきではない者がここにいる。つまりそういうことだと。
流石にそれはもし王国だったとしても変わらないだろう。
男3人女2人で構成されたそのパーティーはすぐさまその場から去ろうとする。どうやら口を開いた男がリーダー格らしく他の者達もその行動に誰も異を唱えず、後ろを黙ってついていき通り抜けようとする。
「ま、待ってください。僕戦えます。対価だったら地上に戻ってからでも払います。だから……だから」
新たな力を手にしたエリアスとはいえどもここはダンジョン
さっきは一体のみの相手だったからどうにかはなった。
だけれどもこれから2体、3体はたまたモンスターハウスにでも出会ってしまえばエリアスに勝ち目はほぼないのだ。
身体能力もまだ低く、〈収束〉だって対象を個々にしかとることが出来ないのである。
つまるところ彼が生き延びるためには、ぼそぼそとダンジョン内で生活しながらいつになるか分からない自らの成長を待つかほかの人に寄生するしかないのである。
「だから何だ。今払えるものなんてないだろう?口約束を信じるほど落ちぶれてはいないつもりなんだ。それにお前の陣は見えている。それがすべての答えだろう?」
異なる色の入り混じった彼の魔法陣に視線だけを寄越しながら彼は嘲笑を浮かべる。
「足りるかは分かりませんが……これが今の精一杯なんですけど……」
エリアスは自分の持つ唯一の価値のあるものを出す。
それが魔石。
基本的に魔石は紫紺色の塊である。
大きさは相手の持つ魔力や力など能力値をトータルしたものが、倒されると同時に核と成し、潜在力として凝縮されたものである。
エリアスが出すのは黒い魔石。
エリアスには魔石を見る機会がこれが初めてであるためその価値に気づかない。
「なっ……黒い魔石だと?」
どうやら探索者たちはそれに対して興味を覚えたようであった。そして一箇所に集まり何やら相談を始めた。
(おい、お前ら。なんで『堕天使の隠れ家』ごときがあれを持っていると思う?)
(そんなのここで誰かが相打ちしたんですよ。ほら、このルームの隅っこにそこそこ新しめの装備の類が落ちてますよ。)
(そうね、それ以外考えられないわ)
(それにしても"黒い魔石"とはおいしいものを持ってるな。)
(ねえみんな、あの子を連れていくなんてありえないでしょう?それなら騙してアレを回収したところでとんずらすればいいと思うのだけれど。『堕天使の隠れ家』ごときに戦闘能力があるわけないでしょう?それかここで始末していくのもいいかもしれないわね。)
(確かに殺しても文句は言われねえな。)
(((((そうしようか)))))
(ならレーラ、油断したところを魔法で頼んだ。)
(わかったわ。)
どうやら冒険者たちの話し合いは終わったようでこちらへと今度は先ほどとは異なり怖いくらいの笑顔でこちらへと近づいてくる。
「こんなに素晴らしい魔石を貰っちゃあしょうがねえな。さっきの言葉は撤回する。25階層に存在する転移陣までお前を連れてってやるよ」
「ありがとうございます!」
その瞬間に目の前に火炎弾が飛来する。
(はぁ。予想したとおりだったな。)
無邪気な笑顔を振りまいている心の中はこれまでの数々の出来事によりそこらの大人よりも成長し、いつでも冷静さが保たれていた。
目の前で止まった魔法はフレアがはじけ、小さな火山のように表面で小さな爆発を繰り返しながら中空に座標を固定されていた。
「「「「なっ!」」」」
明らかに異常な現象が起こっていることに探索者たちは焦る。魔法を相手が使った気配はなく、あれは相手のスキルであることは伺えた。
人間を殺すための魔法であるが故にレーラもかなりの魔力を込めているのもわかる。
が、
「お前、第六陣だろ?」
「そうですけど何か?」
底冷えした視線を相手にやりながらエリアスは答える。
「なら黙って殺されてればいいのよ!」
「おし、お前ら今度は一斉に射撃だ」
探索者である者達はほとんどがが第一陣か第二陣に分類されるものであるから魔法はそこそこに威力の高いものが使える。そうなると、防御力が紙であるエリアスにとっては弱い魔法でさえ致命傷となり得るために危機感を顕にした。
そんなエリアスの目の前には4色の光の奔流が混同し、謎の反応を起こしながら真っ直ぐ炎雷として、水刃として、炎嵐として、そして雷氷となり彼らの今持てる最強の技でエリアスを滅しにかかった。
もはやそれは混合魔法の域に達しており、エリアスがどうこう出来るはずのない類の魔法であった。
そもそもの話エリアスには魔法は同時に"一人の対象"からのみしか魔法を収束できないはずなのである。
そのため2人以上に同時攻撃されてしまえば対抗のしようがないのである。
それでも驚きはしているものの表情は崩さなかった。
彼には"力"がある。
«異能»がある。
「短剣と交換に魔法の消滅」
そう言葉をつぶやく。
正直今回も賭けである。ダンジョンに来てからというもの毎回毎回命のやりとりに追われているがために、三回目ともなれば二度あることは三度ある精神で戦闘に対する抵抗はほぼなくなってきた
最初はためらっていた。
いくら相手が来たからといって殺すことには流石にためらいを覚えた。だが、自分の命を狙われた時はどうなるだろうか。そんなものは正当防衛に決まっている。
ひとつこの帝国の探索者たちは大きな勘違いをしている。
帝国は魔法陣が階級にそのまま結びつく魔法陣主義だ。
さて、その根底にはどんなものがあるのだろうか?
答えはひとつ。『第一陣』『第二陣』こそが優れた魔法陣であり最強であるという前提だ。
だから『第六陣』は殺しても罪に問われないという法律ができたのだ。それは第六陣が弱い前提の法律なのである。
本当に殺そうと思って失敗したものは今まではおそらくいなかったであろう。
つまりこの状況ではそんなものは関係ない。
殺し損ねればただの殺人未遂なのだから。
エリアスの目の前からは混ざり合い虹色の輝きを覚えさせる魔法の存在そのものが消滅した。
そこには最初から何も無かったかのような虚空のみがあった
手に握りしめられた短剣がホロホロと手の中でこぼれ落ちていき、分子となり、原子となり、輝きを最後にまるで燃え尽きた流星のように消えていった。
「「「「……」」」」
探索者たちは目の前の光景に息を呑んでいるのがわかる。
そりゃあそうだろう。魔法を発動するためには自らに溜め込んだ魔力もしくは周囲の魔力を利用して行使するものである。
それなのにだ。
自分は魔力など使っていないのだから。
その事にはおそらく彼らは気づいてないだろう。
ただ、《|等価交換〈エクスチェンジ〉»を使用したためにこの空間には彼らの使った魔力の残滓さえもが全く見られなかった。それがどれだけ異常なことに映るだろうか。自分たちのすべてをつぎ込んだはずの魔法が魔力ごとこの世界から消え去っているのだ。
残念ながら収束していたファイヤーボールまでもが消失したことから探検だけでは足りずに追加分の徴収という応急処置をする結果となったのだろう。
そう言えばと思い出す。
レッサースピリットと戦った時に土壇場ではなったあの魔法。今使うことは出来ないだろうかと考える。
だがここで使うのはためらわれた。
一つ目に目の前の探索者たちを殺さなくてはならない。
二つ目にあの魔法は本来、長い溜めの必要な魔法であるからその間にボコされる運命しか見えないのだ。
別に一つ目の壁は正当防衛なのでいいのだが、そもそもの話で相手の防御力、戦力が未知数であるがために使いづらい。というか使えない。
追加でいうと魔力をごっそり持っていかれる感覚になれていないためにあの魔法を使用するとその後の戦闘が不可能になるという捨て身の一撃になってしまうのだ。
つまりこの後の展開は相手の出方による。
「お前ら怯むんじゃねえ!」
リーダーは続ける。
「どうやらこいつは強いスキルを持ってるようだが第六陣だ。だから俺らは接近戦をすればいいんだよ」
「「「「さすがリーダー!」」」」
ちょっとまずい展開になってきたな。
正直に言うと転移陣へと命からがら飛び込んだあの戦闘の時に感じたことは、"身体能力における攻撃の収束は対象を一つにしか絞れない"という事だ。
つまり正直に言いますとこのままだと絶体絶命。
そんなことを思っていたら……
「オラぁぁぁぁ!」
リーダーの男がいつの間にか目の前へと迫ってきていた。
流石に第五陣程度の力では第一陣の身体強化には敵わないといったところか。
全く近寄ってくるまでの過程が見えなかった。
ここで新しく身分差別の本質的部分を身をもって体感できる
迫ってきている男の拳は握られ、腰のひねりまで入れて振りかぶられている。
そうしてその拳が風を切る音を添えて洒落にならない威力を持ってエリアスの頬へと襲いかかってくる。
もちろん寸での所で〈収束〉を使う。
その瞬間目の前の拳は見えない壁に当たったような感じで剛腕は動かすことが出来なくなる。
まずひとりを抑えたことに安堵して気を引き締めて次の相手を警戒しようと一瞬だけ気をぬいた瞬間だった。
「ぐはっ」
横っ腹に衝撃が加わるとともに気づいた時には壁へと吸い込まれていくようにご対面をしていた。
がっ。
壁にあたる衝撃で一瞬呼吸が止まる。この威力を何発もくらい続けたならば命が散るのも近いと感じるほどには危機感を感じる。が、頭が動かずフワフワする。
「よくも俺たちを馬鹿にしてくれたな『第六陣』のクセしてな」
今度は衝撃による硬直で体を動かせず、意識も朦朧としているエリアスに向かって先程の鬱憤も込めて拳を振り抜く。
ゴンッ
綺麗にエリアスの頬を捉えて、骨を粉砕し、片目の視力を奪い、エリアスをクリスタルの壁へと打ち上げる。
なんとか朦朧とする意識の中でなんとかしないと本当にまずいと感じながらも男3人にエリアスはそれから殴り続けられた。
ガスっ、ゴンッ、ボコッ、ガンッ……ぽわー ガンっ……
殴りすぎてエリアスの意識が落ちたり、死にそうになる度にエリアスの体力の限界が訪れるまで回復魔法を使用しながら何度も何度も、執拗にエリアスを壊し続けた。
そのルームはクリスタルの発する白色光に染められていたはずが今ではぼんやりと朱殷に染まる。
至る所のクリスタルの檻にはエリアスが殴られ、蹴られ、殴られを繰り返す度に飛び散る血が装飾を施し、このルーム全体が元々赤暗いものであったかのように思わせるほどに。
「リーダー、そろそろ鬱憤も晴れてきたけどどうしますか?」
「ここに置いとけばいいんじゃない?どうせ『堕天使の隠れ家』なんだからどうせ何も出来ないわよ」
「えーっここまでやったんだから最後までやろうよ〜」
「俺らもそろそろ人殺しの一つや二つは経験しないといけない時期になってきたしこいつならお手軽ですよ」
そんな会話をしながらも手を止めずにエリアスを更にボロボロな姿へと変えていく探索者パーティー。
だんだんと攻撃が過激になっていくうちに最初には参加していなかった女性陣までもが殴ることはしないまでも蹴って楽しそうな顔を浮かべている。
エリアスはもう蹴られても、殴られても、吹き飛ばされても呻き声さえ挙げることが出来なかった。
…………なん、とか……ここ、で、死ぬ、わけ、には……
壊れて人形のようであったエリアスにまた意識が戻り始めた。
………ボク、は、シャロ、ン、に、両親に、もう、一、度。…
「がはっ、 ぐほっ」
エリアスは我慢比べを開始した。
……こ、れが、最後、の、希望……
エリアスは魔力を溜め始める。相手にバレたら一瞬にしてやられてしまうのは言うまでもなくわかっている。
だからこそ相手が気づかないほど微小な魔力を練り続けることを決めた。
魔力というものは発動までの間に練り上げるものではあるのでそれを戦闘中は基本素早く行わなければならないのだが、そのために短時間による魔力の高まりに周りの人々は機敏になり魔法攻撃に気づくという現象が起こる。
その間にもエリアスは殴られ続ける。
これは捨て身の一撃だ。
自分の命が尽きるのが先か魔法が完成するかの二択。
再び呻き声をあげ始めたエリアスに先ほどとは打って変わってまた楽しそうに暴行を加え続ける探索者たち。
その中でも少しづつ。少しづつではあるが着実に。エリアスが命を削られるのと同様に魔法も完成へと近づいていく。
いくつも出来た血だまりの一つに方頬を浸しながらも。壁へと飛ばされても死んでも意識を手放さなかった。
そして時は満ちた。
「そろそろやっちまいますかリーダー?」
「私もそろそろこいつ気持ち悪くなってきたしそれがいいと思うわ」
「ココ最近のストレスもこれでスッキリしたぜ」
「じゃあやるか」
探索者のパーティの決意がここで決まった。
今度はこれまでの素手とは異なって剣を構え、槍を携え、杖を握る。
リーダーがエリアスの胴を切断するように無慈悲な剣閃が趨る。
誰もがこれで終わりだと思っていたが、これをエリアスは命の終を前にした火事場の馬鹿力とも言うべき力で急所をなんとか避ける。
だが命を助けるには代償であった。
左腕の付け根より先には虚空のみが広がっていた。
「うぁぁぁぁぁぁーー」
痛みに、自分の腕の無くなっている現状に慟哭するエリアス。
「はっ、まだ動ける元気があったか。しぶといやつだ。よし、槍で心臓に一突きお見舞いしてやれ」
「あいよ、リーダー」
片腕を失い体の舵を奪われたエリアスにはもう避ける能力は残っていない。そして痛みに耐えながらも続ける魔力の高まりはまだ足りていない。ほんの後少し。この攻撃さえ耐え切れればが生き残れる希望が見つかるのに。
そうだけ思いながらエリアスは静かに目を閉じて覚悟を決める。それでも行動と意志が伴わないとはよく言うもので最後まで魔力をため続けることは止めない。
そもそもの話、ここで最後の魔力を一瞬で溜めて魔法を撃てば良かったのになんてことはエリアスの頭の中にはない。
魔法を打つ瞬間はどうしても無防備にならざるを得ないために予備動作の段階で首チョンパがいい所だからそんなことは間違ってもできないことであると先に断っておく。
そして動くことの出来ないエリアスの心臓部位へと正確に槍が貫こうとしていた。
その時、何かが弾ける。
辛うじて周りの者達に見えたのはそれが黒と光の相反するはずの光が混ざりあっていたことだ。
エリアスが決して〈収束〉を使った訳では無い。かといって他にエリアスができることは何も無いので自分の意思では何もしていなかった。
殺そうとしていた探索者の持つ槍は弾かれたところから半分以上の部分が融解して使い物にならなくなるという謎の現象に見舞われる。
このルームにはこの現象を説明できるもしくは理解できるものは誰ひとりとしていなかった。
だが、繋がれた命。
絶妙なタイミングで完成する魔法。
喉を潰され声の出せないエリアスは魔法名を唱えることが出来ない。その分だけ頭の中でこの空間に起きる事象改変を強く、レッサースピリットとの戦いよりもさらに強く意識した。
その瞬間魔力光が迸る。
溜められていた魔力が、組み上げられていた魔法が一気に可視のものとなって目の前に現れる。
探索者集団にはその魔法自体は見えていない。
エリアスの使う魔法は風の刃──エアースラッシュ──であり不可視の斬撃である。
だが不可視のはずなのに。『第六陣』程度の魔力?が込められているはずなのに。そこらにいる『第一陣』よりもよっぽど綺麗な魔法が、不可視の斬撃を可視の斬撃に変えるほどの圧倒的な魔力錬成のセンスと膨大な魔力量を気づかれること紡ぎあげる耐久力と集中力。どちらを取っても『第六陣』で燻っていていい人物ではないとおそばせながら探索者パーティーは理解した。
槍を構えていた男はその魔法の持つ圧倒的な雰囲気に飲み込まれ後ずさり、後ろで待機している者達は戦闘態勢をなんとか維持し続けることが限度だった。
そして。
(エアースラッシュ)
空気を震わせられない喉の代わりに頭の中に刻み込まれるかのように、その魔法の情報構造を鮮明に脳にインプットするかのように念じ想像した。
そこに現れた風刃は赤色をしていた。
耐えてきたダメージを、攻撃に耐え続けてきた証であるそのルームを薄らと照らす赤色を吸収していった。
それは意図せずともこのルームほぼ全体へとばらまかれた血糊が触媒となり、魔力をさらにさらに増幅させていく。
結局人間とはそんなものである。
悪いことをしたらそれが自分に跳ね返ってくる。
ただそれだけのことである。
そんなものは確かに迷信である。
だが人間はそれに縋らないとやっていられないような矮小な存在であるからこそ信じるしかないのだ。
それがいつ起きるかはわからない。
そんな迷信信じなくても必ず人生に一つや二つ悪いことは起きるであろうかららこじつければなんとだって言える。
それが不幸であったのか運命であったのかは分からないが探索者パーティーにノータイムと言っても過言ではない時間で跳ね返ってきた。それだけの事である。
その赤風刃は相手に気づかせぬうち間に5つの命を刈り取った。
残った風には血の匂いのみがまとわりついていた。
その血の匂いは探索者達のものであったかのようにも思えるし、エリアスのものであったかのようにも思える。
そしてまたエリアスはレッサースピリットの時と同じくしてまた眠りへと誘われていた。