3.豹変
シャロンは帝都へと旅立った。
これは国民に課せられた義務である。力あるものは皆中央へと集められ、戦力強化のための訓練へと従事させられる。
何のためにそんなことをするのか?
その理由は一つである。
隣にある国──リーゼル王国に対抗するためである。
そうは言うもののこの世界はダンジョン。
世界そのものがダンジョンである。
今二つの国がしのぎを削り合う場所もダンジョンの1階層。
ただモンスターがポップしにくいだけの実際は危険地帯。
彼らは1階層だけでは生きていくことが出来ない。
1階層の環境は生活をする上では悪くない。
この階層にはいくつもの湖が広がり、地脈に沿って川も四方八方へと向けて流れている。中央部には山が存在し、そこら中には短めの草たちが朝露を煌めかせながら風に揺れる草原が広がっている。
だが森は存在しない。
存在しないのではなく存在できないように設定されているとも言い換えられる。
植物が安定して手に入ってしまえば、この階層だけですべてが事足りてしまうようになる。そうなれば神や天使達の娯楽は結果を見るまでもなく失敗するのは目に見える。
彼らの願いはあくまで人間にダンジョンを攻略してもらうこと。そして、その競走馬を自らが作り出したという名誉を得ること。
それゆえに国は強者を求める。
第一階層はとても広い。神の管理する異世界で例えるならば大陸一つほどの大きさがあるだろうか。
それゆえに第一階層から第二階層に行く時だけは特別で階段の移動ではなく、至る所に存在する転移陣から飛べるようになっている。
そんな広さを誇る1階層で、お互いの国が命をかけて上階層から仕入れてきた食料を浪費し、戦争を起こすなど愚の骨頂であった。
だから二つの国はある種の停戦協定、ある意味では宣戦布告とも取れるこんな約束を交わした。
《ダンジョン最上階を攻略した国こそが勝者である》
シャロンが帝都へと旅立ってから彼らの住む街には中央から来た騎士たちがエリアスたちの住む村へと残っていた。
何やらこの近隣で普通ではポップしないような比較的強力な魔物が出現したとのことだ。いわゆるイレギュラーとやらだ。
そしてそこで新たな問題が巻き起こる。
「なあいるんだろ?『堕天使の隠れ家』さんよー」
「どうしてあなたのようなものがこの地で平気で生きてられんでしょうか」
「『堕天使の隠れ家』をサンドバッグにして遊びたいな〜」
ただ今絶賛家の周りを人々によって囲まれるエリアスの家。
こうも早く村の人々が行動を起こしてくることをエリアスと両親は予想をしていなかったが、恐らくあの神殿にいた神官や今回イレギュラーで残っている騎士たちが焚きつけたのであろうと容易に想像ができる。
村の人々が自分で立ち上がったという可能性は出来ることであれば考えたくはないが、どっちにしろエリアスに牙を向いてることには変わりはない。
エリアスは子供たちの中では人気のリーダー格であった。優しく、みんなに気を配ることが出来てみんなから慕われていた。
しかし、『堕天使の隠れ家』であることが判明してからも変わらず彼に接してくれたのはシャロンだけであった。
本当のことを言えば、シャロンは彼女の両親からエリアスに
会うことを控えるようにと言われていたのだが、シャロンはそんなことばに一切靡くことなくエリアスに変わりなく接してくれていた。
シャロンは今の状態のエリアスの心のオアシスだった。
それがなくなった今──唯一この村で立場の高いシャロンがいなくなった今──このような状況になることは必然と言ってもよかった。
両親が今でもエリアスの事を味方し続けてくれていることが村の人々にとって抑止剤になるかと思われたがそういう訳にも行かなかった。
「エリアスー?ちょっと出てきますからねー。静かにしていてくださいね」
「エリアス、ちょっと外で村のヤツらとお話してくるから待ってろ」
まるで後ろにメラメラと燃える怒りのオーラが幻視されるような2人は村人の前に出ていく。エリアスは家の中から外の様子に聞き耳を立てる。
「まずお前ら、俺たちを殺したらお前らは殺人鬼だ。一緒に死ぬことになるだろう。それを覚えとけ」
言葉による先制パンチを繰り出すエリアスの父マークレン。
「はっ?何言ってんだ。『堕天使の隠れ家』を守ってるやつにも人権なんてないって神官様は仰ってたぞ」
「騎士様たちもそう仰っていましたわ!」
まさかの先制パンチの効力が暖簾に腕押し状態だったこと、この国の法律に存在しないようなとんでも理論が村の人々から飛び出してきていることに対してエリアスの両親は顔をしかめる。
「ほんとにそうなのですか?あなた達は神官や騎士の手の上で転がされているだけでなくて?自らの手で法を調べる努力をしてから出直してもらえます?」
エリアスの母サリアはそう凄みながら言う。
「もしあなた方が私たちに攻撃するというのであれば、私達もあなた達を賊とみなして正当防衛の反撃を加えなくてはならなくなりますけれど?」
「おいみんな、堕天使に愛されるような子を生んだやつの言葉なんて聞くもんじゃないぞ。おし、構えろ!」
その瞬間彼らの家の周りを包囲していた人々が皆現る。
目の前にいる人々は咄嗟に自分の得物を構える。
エリアスの家の周りの家の屋根には弓を持った人々がこちらに照準をしぼりながら待機する。
剣などの獲物を持った後ろには魔術師や回復術師などが待機し万全の注意状態がとられる。
その人数を見て流石のサリアとマークレンも冷や汗を浮かべる。正直10数人の相手ならどうにか追い払うくらいなら出来ると思っていた。けれども、弓で狙いをつけようとしている者達を見るだけでもざっと15人ほどいる。
そこから一斉に放たれる弓を避けることならなんとか出来るかもしれない。だが、目の前にいる者達からの攻撃を避ける術を失ってしまうであろう。
サリアとマークレンはもともと冒険者である。
それもそこそこに高位の。
だが、多勢に無勢という言葉が今の状況にぴったりの言葉だ。
エリアスを守るためにここで命の覚悟を決めたいところだが、両親を失ったエリアスがどうなるかなんて考えただけでも恐ろしい。
だがこの状況を打破するにはここにいる全員を打ち倒さなくてはならない。
絶体絶命だと思われる。
そんな時にギィーーという音がその場に響く。
「皆さんの狙いは僕なんでしょ?なんでお母さんとお父さんを殺そうとするの?流石に僕もそれは許せないよ」
中から煮えくり返った様子のエリアスが現れる。
「エリアス!何しに来たの!早く家の中に戻りなさい!」
「エリアス、父さんと母さんが合わされば勝てるさ。だから家に入って大人しくしてろ」
両親からの叱責がとぶ。
それと共に、
「やっと主役がお出ましだな」
「もう逃さないぜ」
気が早いものがいたのか、なにかの功績を取り合っているかのようにも見えるほどの前のめりな勢いで弓の弦が弾かれ、勢いよくエリアスの元へと何本もの矢が襲いかかる。
タイミングを外されたエリアスの両親はなんとかエリアスを守ろうとするくらいしか出来ない。
一般で言っても魔法の発生は無詠唱で可能ではあるが、それでも腕を上げて狙いを定めるくらいの動きは必要となってしまうのだ。
その結果、風を切る音を響かせながら近づいてくる全ての矢の標的はエリアスの両親になっていた。
エリアスは焦った。自分の不注意のせいで両親を死へと誘おうとしているこの現状がどうにか出来るものでは無いと悟っているから。
でもそれでもなお希望を持ち続けるのが人間である。
弓を撃った者達は殺った手応えを感じており、矢が刺さるのを見るまでもなく口元に笑みを携え弓を静かに下ろしている。
そんな中でエリアスはこの一瞬の時間の中で自分が母親達を助けるための方法を考えて考えて考えるが……見つからなかった。
だからもう彼は願うことにした。
自分のこの不幸な運命を運んできたこの世界の神に。
こんな事態にさえ助けてもくれないような神様の世界ならもう自分は死んだ方がいいのではないかとも感じていた。
矢が両親に当たらないように。それだけを願った。
だが、願うだけではどうしようもないこともある。
それをエリアスは知っていた。
それこそ自分の手の甲に残る印がそのことを証明している。
だから願い方はただ願うだけではない。
(人の人生を困難に陥れたのなら責任をもってくれよ。僕のスキルがゴミスキルだったら死んでも恨むからな。〈収束〉)
その瞬間、サリアとマークレンのすぐ目の前へと加速しながら風切り音をあげながら迫る矢の方向が変わる。
エリアスの両親は表皮をかすめる矢により捲られ、赤い一筋の線を頬や腕に作っているが、大怪我はないようである。
それを見届けたサリアとマークレンはもうダメだと人生の終わりを覚悟した様子の瞬間の不可解な光景に首をかしげながらも反撃のための魔法を練る。
エリアス家族の目線は迫り来る悪魔の手先とさえも見える村人達に視線を注いでいるが、一方でエリアスたちの家を囲む村の人々はみんな揃ってエリアスの頭上を見上げていた。
そこにはエリアスたちを貫き、真っ赤に染めるはずだったすべての矢が空中の1点に集まり浮きながら静止していた。
それはただ静止しているわけではなかった。
矢の先が刺さるその空間は見えているのに、本当は何も見えていないような不思議な空間。この世界であるのにこの世界とは別なる世界であるかのような口を開けていた。
「皆さんはアホなんですか?僕を殺してなんの得があるんですか?ほっといてくださいよ。落ちこぼれがいたらそれでいいじゃないですか。なんでわざわざ殺すんですか?」
つい先日までは普通に接してくれていたはずの人々へと向かい声をかけるエリアス。
「百歩譲って僕を殺すならわかりますよ。でも、僕のお母さんとお父さんを殺そうとしたのは罪ですよ?僕よりも下等な存在なんだよ。ここにいる人たちは」
エリアスは瞳の中に静かな怒りを写しながら続ける。
「でも僕はそれでも知ってる人と戦うのも殺すのも嫌なんだ。だから今この場からさってくれれば今回だけは見逃したいと思う。それでも残るのなら容赦しないよ。僕も、お父さんとお母さんも」
エリアスは自分の言葉を聞き、少しの人々くらいならば改心するとは言わないがこの場から去るくらいの柔軟性を見せてくれると思っていた。
しかし……
「いや、お前を殺さないとこの村の名が汚れるんだよなー」
「俺たちは犯罪者みたいだけど?証拠隠滅さえすれば犯罪者になんてならないから?みたいな?」
「『堕天使の隠れ家』が偉そうな口聞いてんじゃねーよ」
誰1人としてエリアスの言葉を耳にし立ち去る者はいなかった。それどころか先程一旦構えを解いた弓使いたちは、もう1度弓に矢をつがえ打てる状態を整えようとしていた。
「あらあら、エリアスだけじゃなくて私たちも狙うなんて愚かな者たちねあなた」
「ああそうだな。あんな矢が刺さったくらいでほんとは死なないけど怖がる演技してたのがあほらしくなってくるな」
さっきまでとはエリアスの両親の雰囲気が一変する。
今まではその心のうちで煮えたぎるものを弱火でじっくりコトコトと温め続けてきたのに対し、今は言うのであれば最大火力で一気に沸騰状態まで持ってってなお火力はそのままを維持しているような状態だ。
つまりとてつもない威圧感を周囲に振りまいている。
その威圧感に指向性を持たせているという高等技術をさらっと使っているがためにエリアスはプレッシャーを受けなくて済んでいる。
そんな中で特に両親の近くにいた近接武器を持った者達や魔術師連中は行動を行うことは不可能となっていた。
だが懲りないことに遠くからエリアスたちを狙う弓使いたちはもう一度狙いを定めている。先程からの言葉が聞こえていないのに加え、エリアスのあのスキルを見たにも関わらずだ。
そのことを察知し両親が魔法の発動をしようとするがそれをエリアスは手で制す。
そして彼は念じる。
(矢を元あった方向へと〈放出〉)
その瞬間エリアスの頭上に浮かんでいた矢を捕まえ離さなかった空間は急に閉じ、矢たちはそのまま様々な方向へと飛んでいく。
自分で起こした火種は自分で鎮める。
そんな意志の灯る行動だった。
一撃を放った場所と同じ場所にいたものは矢が心臓に突き刺さりその命を終えた。
違う場所へとポイントを変えていた者達は助かった。助かったものの、あらゆる方向で血の噴水をあげているこの場をさる決断をしたのは正解だろう。
そこにはサリアの魔法が轟き逃げるなんて許さ無いのだが。
「〈ライトニングスピア〉」
小さな魔法陣が空間にいくつも多重に現れ死角にいたものをも皆を捉えて一筋の光が落ちる度にそこら中で人々は命を散らしたり、軽くないダメージを負った。
「さーてと。さっきまでの威勢の良さはどこに行っちまったのかな?それじゃあこれから俺が君たちにちょっくらと″違い″ってやつを教えてやるよ」
そこからは一方的な展開だった。
サリアによる後方支援へと相手への威圧に乗じてマークレンは目にも留まらぬ早さで相手に接近し正確に手足を刈り取っていく。その様子は、心臓を一突きして殺してもいいがその後にしなければならない剣を抜くという行為さえもが時間の無駄であると言っているようであった。また、命を大切にするというのは後付けのような感覚さえ抱かせる。
その様子で敵の魔術師を全員倒した後には前衛職の人々の元へと向かうのだがその時には大半がサリアの魔法に飲まれ、戦闘不能状態へと陥っていた。マークレンは残りの村人を殲滅すると家へと戻ってくる。
「さあさあエリアス、帰って休みましょうね」
「大丈夫だぞ。俺たちは負けないからな」
敢えて先程エリアスの使ったスキルには今の段階では触れなかった。エリアスもこれで意図せずとも人を殺すということを知ってしまった。
表面には見せていないが、その心のうちは推し量りきることが出来ないがためにエリアスにはまず心を落ち着け休んでもらうことを優先した。
そしてエリアスは自分の部屋へと戻りベッドの上で少しの間考える。
戦闘時にサリアとマークレンがいつもしていた手袋を外した
そこには自分の不遇を呪って、呪ったが故に調べた魔法陣の知識が今まさに使えるようになっていた。
「『第一陣』と『第二陣』…………」
人を殺してしまったことよりも、去り際にちらっとだが見えたエリアスの両親の手の甲に浮かんでいたその模様が彼の中の謎を大きく膨らませていく。
考えればダンジョンに潜ったことがあるという話をしていた時点で分かるはずのことであった。が、それに気づくことはなくこういう形での気付きとなってしまったのだ。
そのことで今日の出来事がトラウマになったりと言うことがないためによかったとも取れるともいえようか。
どちらにしろその日は眠れぬ夜を過ごすのであった。