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硝煙のエリュシオン  作者: すずなか
― Case2:Jaldabaoth ―
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[ 終章 らしく在れ ]

 エリュシオンの空の玄関口、国際便も通っているエリジウム空港はいつでも人でごった返している。敷地内には様々な商業店舗が入っており、ハイブランドを扱う店やレストランなどもあるので、買い物や遊ぶだけでも時間が潰せる。

 第二ターミナルのロビーにて、ダンテとノアの後を少し遅れた位置で着いて来るヨハンが歩いていた。前方に居た人物に気が付いたのかダンテが軽く片手を上げた。

「お、いた」

 見知った人達がダンテたちに気付くと、一斉に破顔した。

 オルニットの特徴の翼を背に持った三人は、人気ロックバンドのNoaHたちだ。いつも忙しい彼らは、エリュシオンで予定していたライブが終われば即帰国の予定だったらしい。ダンテたちは最後の挨拶にと見送るためにと急いで空港まで訪れていた。

「来てくれて嬉しいです。今回は本当に…、ありがとう」

 エドが言いながら差し出した手をダンテが受けて、握手を交わす。

「俺たちは俺たちの仕事をしただけさ」

「それでもレンがこうして元気で居られるのは、あなた達のおかげだ」

 何てことは無いと肩を竦めるダンテに、オストが言った。

「あ、あの、ヨハンさん」

 挨拶も雑談も完全にダンテに丸投げで、少し離れた位置でぼんやりと彼らを眺めていたヨハンは、片眉をぴくりと持ち上げる。所在無く視線をあちこちへと動かしながら、伺う様に見上げてくるレンだった。

「ちょっと、二人で話しませんか」



 ダンテたちに軽く声を掛けた後、ヨハンとレンは少し距離を置いたところまで移動した。一瞬何かを案ずる様なダンテの視線を受けたが、ヨハンは何事もないかの様にスルーしておいた。

「ヨハンさんは、俺と同じだったんですね」

 複雑な感情を湛えた瞳が、ヨハンを射抜いた。何となくその話だろうなとヨハンは分かっていた。あれから忙しくしていたレンとは、二人になる機会は全く無かった。迂闊に人前では出来ない話だ。今しか無いとレンは思ったのだろう。

 自重の笑みが、ヨハンから溢れる。

「苦しんでる同胞に見向きもしない卑怯者だと、失望するか?」

「そんなこと絶対しません!」

 必死の様相で、レンは強く否定した。

 レンならばそう言うだろうと、分かっていてヨハンは聞いた。

「ヨハンさんが大変な目にあってきたんだろうなって言うのは、分かりますから」

 肩を落とすレンの瑠璃色の頭をぐりぐりと混ぜくると、驚いた様子でヨハンを見上げてくる。

 純粋そうな瞳だ。ヨハンの青とはまた違う、髪と同じ瑠璃色の瞳は、酷い目にあった後でも変わらず穢れのない綺麗な目をしていた。

 彼になら、少しくらい話をしても悪くないだろう。らしくなくそう思える自分に、ヨハンは小さく息を吐いた。

「……俺はヒューマとヴァンパイアの混血だ」

 改めて、ここまではっきりと自らの口で断言したのは初めてかもしれない、と、ヨハンは思った。

 今まで上手く隠してこれたのも、一見して目立つ身体的特徴の無い種族同士だったからだ。

 イスラフィルの人達は皆知っているが、彼らもあまりジェナスであることには触れずにヨハンに接してくる。腫れ物の様に気を遣っている訳では無い。ヨハンの事を、ただのヨハンとして見ているから。そう思える精神的余裕が、今のヨハンにはある。

「ガキの頃、ニブルヘイムにいた。知って……、るみたいだな」

 ニブルヘイムと聞いたレンの顔色が一気に悪くなったのを見て、ヨハンは小さく頷いた。

 大きな事件があった街。十年以上前とは言え、分かる人には分かる。レンの様な活動をしている人間なら尚更だろう。

 人身売買が当たり前の様に横行していた腐った街だった。

 犯罪組織と富裕層が癒着し、そこに聖職者の総本山たる教会まで結託していたのだ。

 レンを狙った宗教組織は、頭がおかしいとは言えまだ人類のためと自己満足の正義を掲げていただけマシと言える。あの街に巣食う大人たちは享楽にふけり、己の欲望の為だけに暴力を振るう様なクズの集まりだった。

「俺を飼ってたのは子ども好きの変態野郎だった。俺以外にも子どもはいたが、ある日いつの間にか居なくなっていて、気付くと新しい子どもが増えている。毎日大人になるのが怖かった。飽きられたら殺されると思ったからな」

 あの時見せられた幻影を思い出すだけでも、怖気が走る。

 例えまやかしだろうと、ヨハンの心を抉るには確かに有効な手段だった。

「まあ何でそんな話をしたかって言うとだな」

 一旦区切ると、バツが悪そうにヨハンは後頭部を雑に掻いた。ヨハンよりもレンの方が傷付いている様な顔をしていたからだ。

「俺みたいなヤツがいたら、助けてやって欲しい」

 感情が極まったその瞳からついに涙が溢れ出し、レンは何度も頷いた。彼も、きっと色々な体験をしなかった訳ではないだろう。

 濡れた瑠璃色の瞳は、やっぱり純粋そうで綺麗だな、と。ヨハンは他人事のように思った。

「ヨハンさん。俺もお願いがあります」

 次に顔を上げた時、すでに彼に涙の跡はなかった。レンはポケットを探ると、スマホを差し出した。

「俺と友達になって下さい」

 晴れやかな笑顔で、レンは言った。



 ヤルダバオトを撃破し、自国へ帰るレンたちを見送ってから数週間。イスラフィル事務所の応接室兼、休憩室にも使われるソファの定位置で、だらしなく寝転がりスマホを操作しているヨハンに、アルマが近づいた。

「ヨハンさん、お手紙が届いてますよ」

「おー、サンキュ」

 封筒を雑に開けて内容を確認するヨハンが、ぴたりと動きを止めた。

 様子のおかしいヨハンに気が付いてノアが首を傾げていると、ヨハンはがばりと勢いよく立ち上がる。突然のことにノアは驚き、小さく体を震わせた。

「……った」

「え?」

 上手く聞き取れなかったヨハンの呟きに聞き返すも、ヨハンはノアに見向きもしない。硬い靴底を鳴らして、つかつかと歩いていくのはドレイクの執務机だ。握りしめて少し皺になった手紙を、ずいと突きつける。

「おら、受かったぞ試験。今日からナイトだかんな」

 少し顎を上に反らして、唇の端を上げながら言い放つ様は得意げだ。

 ドレイクは片眉をピクリと跳ねさせて、ヨハンが見せに来た手紙を見る。視線を何度か往復させたかと思うと、見る見るうちに表情が喜色に満ちていった。

「ヨハン! やったじゃないか!」

 言うが早いか、ドレイクが机越しに身を乗り出して、ヨハンの頭をその豊満な胸に抱き込んだ。

「お前はやればできる子だ! 私は分かってた!」

 ドレイクの興奮の度合いに比例して、ぎりぎりとヨハンの首が締まっていく。ヨハンはじたばたと踠くも、ドレイクはびくともしない。何度か暴れたのち、ようやく顔だけ胸から脱出する事に成功した。

「殺す気かババア!」

 喚くヨハンの額に、あやす様なキスが落とされる。

「今日は祝いだ。アルマ、店の予約を。ヨハンが好きな甘い酒を出す店だ」

「はいボス」

 アルマまで嬉しそうに頬笑んで、早速とタブレット端末を操作し始める。ドレイクの腕を引き剥がす事に成功したヨハンは、額をごしごしと擦りながら大きく溜息を吐いた。

「お、どうしたんすかボス。何かはしゃいでる?」

 ドアを開けて入って来たのは、ダンテだった。苛烈な瞳に喜色を浮かべるドレイクと、疲労感漂うヨハンの理由が分からず首を傾げる。

「ヨハンさんが昇級試験に合格して、今夜はお祝いだそうですよ」

「そうだぞダンテ。俺はついにナイトのアンタと同列だかんな」

 ノアの説明に得意げに頷き、ヨハンはダンテの肩をばしばしと叩いた。

 しかし、ダンテの目が怪しく光るのに気が付いて、ヨハンは少しダンテから距離を取る。警戒する猫のような姿に、ダンテは笑みを浮かべる。にやりと音がしそうな意地悪な笑みだった。

「いやぁ悪いなヨハン」

「な、なんだよ」

 ずい、とヨハンの眼前に一通の書面が突きつけられた。そこに書かれていたのは――

「な……ッ」

 わなわなと震えだすヨハンが気になり、ノアも覗き込んだ。

「チェイサー昇格試験、ごう、かく……?」

 読み上げたノアを、ヨハンは音がしそうな程の視線で睨んだ。とばっちりを受けて表情を引き攣らせるノアを宥めるように、ダンテが頭を撫でる。

「まあそう言うことだヨハン。俺は今日からビショップだ」

「はぁぁあああ!?」

 親指を立てるダンテに、ヨハンが絶叫する。

 今までダンテは全く試験を受ける素振りなんて見せなかった。ヨハンも隠していたが、ダンテも隠してこっそり試験を受けていたという事だ。クラスによって試験会場は異なるので、意図的に隠されていたなら今まで気づかなかったとしてもおかしくはない。

 追いついたと思えばさらに先を行かれる。ヨハンは悔しさで頭を掻きむしった。

「なんだダンテも合格したのか。今夜は空けとけよお前の分も祝うぞ!」

「大丈夫っすよボス。今日は夜の仕事も無いんで!」

「よし。クリスとカエデの席も取っておけよアルマ」

「もちろんですよボス」

 アルマは端末を操作しながら答える。

「あれ、ドレイクちゃん。私の席は…?」

 いつから聞いていたのか、壮年の紳士然としたフランシスが、自身を指差しながらひょっこりと現れた。

「チッ、お前の席は無い」

「可愛い息子の祝いの場に、私の席がない…だって…?」

 素気無く言うドレイクに、フランシスは愕然としている。

 ヨハンとしても、この鬱陶しい保護者は居ない方がいいのだが、と内心考えているとヨハンのスマホから通知を知らせる音が鳴った。

 メッセージアプリを介して届いたのは、本日のランチの写真。この様なものを送ってくる間柄の人間は、ヨハンには限られてくる。何事も全力で楽しむ瑠璃色の青年が、美味しそうに頬張っている顔が浮かんだ。

 ヨハンは適当な動物のスタンプをタップした。



「あ」

 まずい、とダンテが思った瞬間には既に遅かった。

 指の先からどんどんと鮮血が溢れ出す。

 料理中にこの様なドジを踏んだのは久しぶりだった。料理が好きで器具にもそこそここだわっているダンテは、それなりに名のあるブランドの包丁を使っていたりする。包丁は切れ味が良いに越した事はないが、軽く指に当たっただけでも切り傷が深くなるのは如何なものか。

「どうした?」

 リビングからひょっこりと顔を出したのは、ベルフェゴールの一件以来すっかりダンテの住居に居着いてしまったヨハンだ。

 ノアはまだお世話になってるんですかと子どもながらに達観した様子で呆れていたが、ダンテ本人は特に気にしていない。家賃も食費もダンテにきっちりと入れているヨハンは、むしろ自立している方だと思っている。イスラフィルに来るまで、それこそ本来庇護が必要であるはずの年齢の頃から誰にも頼らずに生きてきたヨハンだ。こうしてそばに居る事を許されると、懐かない猫に懐かれたようなむず痒さがあった。

「ちょっとドジった」

 ダンテが苦笑すると、ヨハンは形の良い眉をピクリと上げた。

「珍しいな。治すか?」

「いや、俺なら大丈夫だってヨハンも知ってるだろ。こっちはすぐに出来るから、先に風呂にでも行ったらどうだ」

「……アンタがそう言うなら良いけど」

 肩をすくめると、ヨハンは踵を返し廊下の方へ歩いて行った。

 静かな足音が遠ざかっていくのを聞いた後、ダンテは視線を手元へ戻す。食材は別段血で汚れてはいないようで、小さく安堵した。

 先ほどすっぱりと切れてしまった指は、つるりと綺麗に塞がっていた。流れ出た血で汚れていなければ、どの指だったのかすらも分からない程に、跡形もなく。

「――……」

 いつもと同じ、肉体の修復。そのはずだ。そこに何処となく、感じる違和感。ヤルダバオトとの戦いの辺りから、じわじわと始まっている変化。はっきりと分かるようで、全く分からない。

 ダンテは首を傾げ、まあ良いか、とその違和感に蓋をしたのだった。


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