[ 第六章 Jaldabaoth ] 3
DMOの魔術顧問を名乗る、その中性的な顔に胡散臭い笑みを浮かべたノインは、アルスマグナの死骸の前で覗き込むようにしゃがんだ。
角度によって変化する七色の神秘的な瞳を、楽しそうに細める。
男にしては少し小柄で、女にしては少し長身。ゆったりとしたローブが絶妙に身体のラインを隠している。高いとも低いとも思える声音。大人とも子どもとも言える様な佇まい。何もかもどちらとも判断がつかない、この口を開けばふざけた事しか言わない男(名義上、男としておく)に、ヨハンは非常に苦手意識を抱いていた。初対面で全てを見透かす様なこの異様な目が、自分でも気づいていない深層心理まで暴かれてしまうようで見ていられない。最も、この男が苦手な人間は少なくないだろうとヨハンは思う。
アルスマグナを倒した現場までノインを案内したのは、消滅前にどうしても見たいからヨハンに連れて行けと彼が煩かったから。事後処理で駆け回っているDMOの職員と、先輩に当たるカエデやクリスは何やら忙しそうだったし、ダンテは色々と格好がアレだったので、怪我と疲弊した体を押して仕方なくヨハンが要求を飲むしかなったのだ。
鼻歌混じりに観察する背中を蹴り飛ばしてやりたい気持ちを抑えながら、ヨハンは腕を組み軸足とは反対側の足のつま先を鳴らす。
ヨハンの爆発寸前の怒りを知ってか知らずか、ノインはちょこちょこと飛び散ったアルスマグナの体液にも頓着せずマイペースに歩き回る。ノインが靴の底で踏み付けるたびにねちゃりとした不快な音がする。それが一層ヨハンの苛立ちに拍車をかけていた。
「おい」
ついに耐えかねたヨハンが、乱暴に呼んだ。しかし、変わらずご機嫌な鼻歌が途切れることは無い。ヨハンはこめかみをひくつかせた。
「おい!」
先程よりも声を大きくして呼んだ。ヨハンを苛立たせていた原因の一つの鼻歌が、そこでようやく途切れた。七色の瞳が、ヨハンを捉える。
「なんじゃ希少種」
拗ねた様に唇を尖らせて、ノインは抗議の声を上げた。
「何じゃねぇんだよ。いい加減にしろこちとら疲れてんだ。あと希少種言うなつってんだろ」
「やれやれ相変わらずにゃんにゃんと文句の多い男じゃのう」
さも仕方ないと聞き分けのない子どもに言い聞かせる様な言い草をされ、ヨハンの額に血管が浮いた。
「まあこんなもので良いじゃろう。そろそろ消滅しそうじゃ」
呟いて、ノインはアルスマグナの死骸をもう一度覗き込んだ。
現次元に定着出来なかったアルスマグナから、光の粒子が舞い始めていた。
「色んな術式の気配があるのう。此奴を召喚する程とは、中々の犠牲を強いたのでは無いか?」
きらりと煌めくオパールの瞳が、ヨハンを見た。
「面倒ごとに目を付けられんように気をつけろよ希少種。もう遅いかな」
「は?」
意味深なことを言うだけ言うとノインは、すでに肉塊となったアルスマグナへ手を伸ばす。そして、右の人差し指と中指にたっぷりと付着した白い体液を、何と口へ運んだ。
見るんじゃ無かった、と、ヨハンの表情が不快に歪む。
「よし」
少し吟味する様に口をもごもごとさせた後、何かに納得した風に一人相槌を打ち、ヨハンの方へと振り返った。
「此奴は《ヤルダバオト》じゃ」
そう言って、胡散臭い男は無邪気な笑みを浮かべた。
◆
ヨハンがうんざりとした様子で置いてきた車のところまで戻ると、その周囲だけ何とも言えない雰囲気に包まれていた。理由は分かっている。
「あんたはよくそんな格好で平気な顔してられるよな」
開口一番、ダンテの背にそう投げかけると、ダンテはヨハンへ振り返り破顔した。
「おかえりヨハン」
「おー」
ダンテはDMOの職員から借りたのか、全裸の上に毛布を巻き付けた状態だった。
アルスマグナの攻撃で一度派手に飛び散ったダンテだが、肉体は修復した。しかし、共に消し飛んだ服が戻るわけでは無い。事後処理で現場に駆けつけたDMOのスタッフたちは目のやり場に困るのか気まずそうにしていたが、当の本人は清々しいほど堂々としている。
「まあ今さら照れてもな。俺の職業なんだと思ってるの」
これは先程投げかけたヨハンの疑問に対しての回答だろう。あっけらかんとしているダンテに、ヨハンは苦笑いしか出ない。
「あんたが素っ裸でノアと現れた時は何のギャグかと思った。途中まで作った術式が頭から吹っ飛ぶかと思ったわ」
「えぇ、仕方ないだろー。そんな俺に助けられたクセに」
そこを指摘されるとヨハンは弱い。視線を逸らし、忌々し気に舌打ちした。
「んなことより、ノアとレンは?」
強引な話題転向をし、ヨハンは周囲を見渡してみる。
周囲はいまだ慌ただしい。事後処理に無関係の要員ならダンテの傍にいるだろうが、どこにも姿は見当たらなかった。
「二人は病院。カエデさんに付き添ってもらってる。ちなみに姐さんはまだ現場検証の手伝い。俺はヨハンを待ってたの。健気だろ」
ダンテはにやにやとしながらヨハンを見る。その視線を鬱陶しそうに、ヨハンは顔を顰めた。
「あのちんちくりんに連れてかれてヨハンは結局会えなかったもんなぁ。レンがな、ずっとヨハンのこと気にしてたぞ」
「ふうん。俺なんかよりてめぇの心配してろ」
「はは、ヨハンならそう言うと思うって伝えておいた。ヨハンも病院に行かなくて大丈夫か? 結構派手にやられてたろ」
「俺はいらん」
短く言ったヨハンは気怠げだ。
今は普段の深い青色に戻っているヨハンの瞳には、疲労の色が見える。魔力枯渇と、肉体を酷使した疲労で体は怠そうだが、魔法で治したのだろう当人が言う通り外傷は無さそうで、とりあえずダンテは納得した。
「もういいだろさっさと帰ろうぜ」
「いやダメだから。俺たちだけ先帰ったら姐さんがどうやって帰るのさ」
車は一台しか無いので、そのまま帰れば足がなくなるクリスが相当怒る事は想像に難くない。ヨハンは舌打ちすると、周囲にダンテしか居ないのをいい事に煙草に火をつけ始める。
「お前らこんなところで何乳繰り合ってんの。俺も混ぜろよ」
片手を上げて歩いてくるのは、DMOの文字が書かれたジャンパーを着たヴィヴィアンだった。
「げ」
ダンテとヨハンの嫌そうな声が重なる。ヴィヴィアンは二人の様子に全く気にも止めず、すぐそばまで来ると手に持っていた物を投げる。ダンテが咄嗟に掴んで確認すると、それは缶コーヒーだった。胡乱げにヴィヴィアンを見ると、ウインクを飛ばして来る。先ほどまであれだけ堂々と裸を見せつけていたダンテは、ぎゅっと毛布を巻けつけるとさっと視線を逸らした。
「若者に差し入れだよぉ、もっと素直に受け取って欲しいんだけど」
「……日頃の言動をどうにかしてからな」
「酷ぉ。ヨハンちゃん、俺にも火貸してくんない?」
「こっちでよけりゃ見舞ってやるよ」
ヨハンはオルトリンデを軽く指で叩いた。
「酷ぉ丸焦げになっちゃう」
白々しい泣き真似をしたあとヴィヴィアンは、渋々と自分でライターを取り出すと煙草に火をつけている。
「どうせサボりに来たんだろうが。さっさと仕事に戻れよ」
「いやいや、ちゃんと仕事してますって。いやあ中はすんごい有様だったな。あれ全部生贄?」
信者達が集まっていたホールは見たが、ヨハンたちは彼らがどうなったのかまでは見ていない。
「精神干渉に高位アルスマグナの召喚。相当な技術がいるんだけど、コレ本当にあの団体だけでやったのかちょっと疑問に思ってな。お前たちは他に何か見たりしなかった?」
ダンテとヨハンは顔を見合わせると、首を左右に振った。
「……いや、全く見てない」
レンを探すことに集中していたので、魔術的なものも気にも留めていなかった。
「あ、そう。まあ参考までに聞いただけだから〜」
気にすんな、とヴィヴィアンは言うが、何処か思案げだ。
「偽りの神か」
煙草の煙をくゆらせながら、ヴィヴィアンがまた違う事を言った。
「名前持ちのアルスマグナを二体も撃破するポーンにナイトなんて前代未聞だぞぉ。早く昇級してくんない? 苦情が来んのよウチに。最下級に名前持ちを充てがうな! って」
実力が伴わないランクを充てがえば、死亡率が当然高くなる。チェイサー連盟と言う組織から怒られた、とは以前ヴィヴィアンが溢していたことだ。本来名前持ちは、ルークやクイーンクラスの実力者が充てがわれて然るべきものだ。
「知るかよ。ベルフェゴールの時はてめぇが強引に押し付けてきたんだろうが」
冷ややかな視線で、ヨハンも煙草の煙を吐き出した。
「だってぇ優秀な人材を遊ばせるほどこの街も穏やかじゃないし。名前持ちと渡り合える人材なんて何人いても足りないんだって」
「じゃあ筆記を免除しろよ。そしたら受かってやらぁ」
「ダメダメ。それはそれで苦情が来るもん」
実力だけは文句なしにポーン以上なんだけどなぁと、ヴィヴィアンは内心で溜め息を吐いた。詠唱短縮に多重発動なんて、魔法に長けた種族のアルビオンでも中々難しい芸当を涼しい顔でやってのける魔法馬鹿だと、密かにヴィヴィアンは思っている。
「なあヴィヴィアン。こんなに頻繁に名前持ちなんて出てくるもんか? 最近多くねぇ?」
ヨハンの隣で缶コーヒーをちびちび飲みながら、ダンテは小首を傾げた。ヴィヴィアンは相槌を打ちながら、もふもふの三角耳を小刻みに震わせる。
「まあ≪夏至≫も近いしな」
「うえ。もうそんな時期?」
嫌そうに顔をしかめるダンテに、キリキリ働けよチェイサー共! とヴィヴィアンは笑ったのだった。




