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硝煙のエリュシオン  作者: すずなか
― Case2:Jaldabaoth ―
36/39

[ 第六章 Jaldabaoth ] 2

 夜の視界だが、その眼には鮮明に映る。

 闇に溶け込むコートの裾が、疾走する速さに翻った。月明かりに照らされるのは、血の様に赤い瞳。縦に伸びる鋭い瞳孔が、ヒューマには持ち得ない瞳なのを物語っていた。

 ヨハンは血を飲むことで身体の切り替えをしている。ヴァンパイアとしての能力を引き出した時、ヒューマとは比べものにならないほど身体能力が向上する。夜目が効く視界に、筋力、スタミナ、魔力、体の再生能力まで。腕を貫通した怪我は既に血が止まっており、痛みも感じなくなっていた。

 自身の生まれ持ったこの能力を今ほど自由に引き出せる様になるまで、努力が必要でなかった訳では無い。そして、その能力を未だ十全に使いこなせているとは言い難い。

「――ッ!!」

 耳障りな金属音の余韻。鋭く迫るアルスマグナの爪を伸ばしたような四肢を、オルトリンデの銃身で弾いた。ヨハンは生身のヒューマでは到底不可能な膂力で高く跳躍し、引き金を引く。巻き起こる爆風を利用して更に距離を取り、身を捻り建物の屋根に着地する。間髪入れず、わざと誰でも感じられるほど大きく魔力を練りながら走った。そうすると、狙い通りアルスマグナは釣られた様にヨハンを追う。

 なるべく遠ざけようと思った。レンからも、ダンテからも。

 ――ダンテは。あいつは、大丈夫だ。

 脳裏を過ぎる凄惨な光景を振り払う様に、自身に言い聞かせた。

 あらゆる損傷からでも再生する脅威の肉体を持つダンテでも、負傷の程度次第で再生にかかる時間が変わる。四肢切断どころか色々と飛び散っていた壮絶な有様を思うと、復帰にそれなりの時間がかかると踏んだヨハンはこうしてアルスマグナを引きつけていた。

 全力で駆けるヨハンの上空から、光の雨が降り注ぐ。

「っは、クソ」

 小さく悪態を吐きながら高く跳び、建物から着地した地面を勢いを殺さずに転がる。背後すれすれに起こる激しい衝撃音を無視し、ヨハンはもう何度放ったか分からない魔法を放つ。だが、爆炎の向こうであの時と同じ醜悪な笑みが見えた。

 上位の魔法を、それも多重発動で連発している。当然、消耗が下位魔法の比ではなかった。重くなる手足、跳ねる心臓が痛いほど煩い。確実に蓄積していく疲労を感じる一方で、図体のわりに俊敏にヨハンへ迫るアルスマグナにはやはり、それほどダメージは感じられなかった。

 決定打が、ない。長引くとその分だけヨハンが不利になる。

 変形する前と違うのは、その体。前は崩れた肉体を瞬時に再生するスピードが尋常ではなかった。今はそれ以前の問題で、そもそも攻撃が通っていない。弾かれているのか障壁のようなものが展開されているのか、単純に硬いのだ。この硬い防御を貫くのなら、今の魔法を上回る火力を持った魔法でなければならない。第七階位の大魔法なら。

「矮小なる者、その身を捧げよ。汝の救いたらん」

 ずっと頭の中で響いている。同じような事ばかり繰り返すアルスマグナの言葉に集中力が阻害される。もしかしたら、この言葉自体に何らかの作用をもたらす効果があるのかもしれない。

「人の頭ん中でごちゃごちゃと」

 苛々と舌打ちしていると、間近に迫っているアルスマグナへの反応が遅れた。

 いつの間に背後を取られたのか。縦に開いた口にずらりと並んだ鋭利な歯が視界の端に見えたと思った瞬間、左肩に灼熱の様な痛みが走る。

「いっ……! ぁぐ」

 噛みつかれていると理解が追いつく前に、思わず前へ傾ぐ体を何とか踏み止まらせる。腹腔へ力を込め、アルスマグナへ銃口を押し付けた。

「っそがぁ!!」

 エクスハティオをゼロ距離で叩きつける。

 近距離の爆風で頬が焼かれ、無理矢理引き剥がしたことにより肩の肉をごっそりと持っていかれた。ぼたぼたと血を零しながら、縺れる足で距離を取る。

 自身に治癒魔法を発動すると、頬と肩の傷は跡形もなく消え去った。頭を振り、痛みを追い払う。すぐにアルスマグナを探ろうとして顔をあげると、目の前から、何も無くなっていた。

「な……」

 場違いにも、茫然とした声を思わず溢していた。

 気がつくと、何もない空間に立たされていた。

 先ほどまでそこにあった、戦いで破壊されたコンクリートの地面も、何かが焼ける臭いも、潮風を僅かに孕む風も、忘れ去られたかのように消え去っていた。

 音も風景も消え去った白い空間。前方に男が居ることに気が付いて、ヨハンは呼吸を忘れた。骨の髄まで刻み込まれた恐怖を思い出して。そんなはずはないと、小さく首を振った。

 少しクセのある長い髪。上等なスーツを着込んだすらりとした体躯。顔は霞がかってよく見えないが、その醜悪な笑みは過去の記憶を揺さぶった。全身から、ぶわりと嫌な汗が滲みだす。

 この男の目は見たくない。しかし、目を逸らす事は許されない。言いつけを破れば、酷い仕置きが待っている。

 男は口を開き、ヨハンの名を呼んだ。ねっとりと纏わりつく、不快な声で。


 ――お前は誰のものだ?


 そう尋ねられ、全身が硬直した様に動かなくなった。

 耳元で煩いのは、浅くなった自身の呼吸と跳ね回る心臓の音。自覚すると、今度はがくがくと体が震えだす。

 男の後ろには、子どもたちが並んでいた。自分と同じように蹂躙されてきた、愛らしい少年たち。皆がじっと、ヨハンを見つめている。


 ――どうして置いて行ったの?


 子どもたちの目が、一斉にヨハンを責める。

「……ぅ」

 瞬間、込み上げた吐き気に、両手で口を押さえて必死に耐えた。

 あの時は必死だった。必ず追いつくからと言われ、その言葉を信じて一人で逃げた。でも、あの子が来ることはなかった。

 あの子は来ないのだと知っていたら、きっと振り返って戻っていた。そうすれば、その手を掴んで一緒に逃げるのだと引っ張れたのに。見捨てるつもりなんて、一人で生き延びるつもりなんて、これっぽっちもなかったのに。

 ずらりと並んだ鋭い歯を覗かせて。醜悪な笑みを浮かべた悪魔が、罪悪感と後悔で胸を掻き毟るヨハンを見下ろしていた。

 頭の中で、あの声が響く。


 ――罪深キ者、贖イノ時

 ――贄トナリ、ソノ身捧ゲヨ


 断罪の刃が振り下ろされる。


「ヨハン!!」

「ヨハンさん!!」


 二つの声が、同時に重なってヨハンを呼ぶ。

 何か大きな塊が飛来して、派手な音が響いた。何かが小さく叫んで、地面を転がっていく。

 その声と音にヨハンの意識が浮上する。強張った体の拘束が取れ、血が一気に巡りだすような感覚がした。まともに出来るようになった呼吸に、ヨハンはゆっくりと視線を持ち上げる。髪と同じ白金色の睫毛に縁どられたアメジストの瞳が、焦った様にヨハンを覗き込んでいた。

「しっかりしろ!!」

 ダンテの太い腕が、ヨハンの肩を痛いくらいに強く掴んでいる。その腕を握り返すと、ピクリと反応した。

「……聞こえてる」

 答えると、焦切羽詰まっていた表情にあからさまに安堵の色が広がっていくのが分かった。

「よかった。ヨハンは立ったままだし、アルスマグナに食われそうになってたし、かなり焦ったんだぞ」

 どうやらヨハンは幻覚を見せられていたらしいと気がついた。アルスマグナは何かしらの、精神に作用する能力でも持っていたのかもしれない。

 ヨハンから離れた位置で、鉄の塊に潰されて踠いているアルスマグナがいた。先程の派手な音は、ダンテがこれをぶつけた音か。

 ヨハンは苦虫を噛み締めるような心地で、いつの間にか怪我を再生させたダンテを見上げたが直ぐに目を逸らした。隣にはダンテ同様に心配をかけたであろうノアが、不安げにヨハンの事を見ていた。

「何でお前まで来た」

 ヨハンの感情を抑えた低い声に気圧されて、ノアは僅かにたじろいだ。だがすぐに気を立て直した様に表情を改めると、静かにはっきりと答えた。

「僕の眼が、必要だと思ったからです」

 三日月の虹彩が浮かぶ瞳が、強くヨハンを見つめ返してくる。何を言っても自分の意志を曲げないだろうと悟ったヨハンは小さく息と吐いた。

「レンはどうした」

「カエデさんとクリスさんが見てくれています」

「……そうか、よ!」

 ヨハンの荒々しい声と、突如目が回るような衝撃でノアは身を固くする。

 上空から光の槍が降り注ぐ。アルスマグナの魔法を、ヨハンはシールドの魔法で防いだ。ノアは、自身を庇う腕に縋りつきながら、アルスマグナの姿を探す。熱線で激しく点滅する視界を懸命に凝らし、ノアの瞳はついにその魔力の流れを捉えた。

「ヨハンさん! お腹! あいつの下腹部の辺りです!」

 ちらりとノアを一瞥だけして、よく見ていないと分からないくらいのほんの僅か、ヨハンが確かに頷いた。

 攻撃の雨が止むや即座にシールドを解除し、ヨハンはノアの首根っこを掴む。

「え? うわぁ!」

 体を引っ張る凄まじい力に思わずノアは叫ぶ。元いた位置に飛びかかったアルスマグナの大きな肢体が、地面をコンクリートにヒビを作る。顔を上げてこちらをみたアルスマグナがニヤリと笑みを浮かべた。間近で見たノアの背筋に、悪寒が這い上がった。

 しかし次の瞬間、ノアの視界からその不気味な笑みが消える。ノアとヨハンを庇う様に間に立ったダンテが、血管の浮いた腕で激しく地面へ叩きつけていた。コンクリートの地面へめり込んだ頭を更に振り上げた拳で叩きつける。

 あれほど硬かったアルスマグナから、白い体液が飛び散った。小さな悲鳴の様な物を漏らし、だがアルスマグナ周囲から魔法陣が出現する。

「させる、か!」

 語尾に力を入れたダンテが、肉塊の頭部を掴み上げる。腹部を殴りつけると魔法陣が霧散した。

 抵抗したアルスマグナが鋭い爪でダンテの腹部を貫いた。ダンテは口から鮮血を溢すも全く怯まず、逆にその腕を掴むとあらぬ方向へ捻じ曲げる。更に先ほどよりも大きな悲鳴が響いた。さながら、アルスマグナは何が起こったか分からないと言った様子だった。

「ヨハン!」

 不意に、ダンテが叫んだ。

 視線が絡んだダンテの表情は、場にそぐわない程清々しい、いつもヨハンと軽口を叩き合う時の笑顔だった。

 ダンテは自身に突き刺さった腕を引き抜くと、一度全身に力を込めるため息を大きく吸い込んだ。頭は鷲掴んだまま、軽く助走を付けたと思えば上空、渾身の力を込めて蹴り上げた。

 ヨハンは追う様に地を蹴った。

 今の今まで、この機会を捉えるために、戦いと並行しながら密かに術式を錬っていた。

 ヨハンはもう一丁の銃を納めていたホルスターへ手を伸ばす。漆黒の銃身に、オルトリンデと対になる様に描かれた魔力回路が浮かび上がっている。オルトリンデよりもやや小ぶりだが、ノアがカスタマイズした性能は勝るとも劣らない。姉妹銃と呼ぶに相応しいデザインに刻まれた名はランドグリス。その銃口から、複雑に折り重なり、一際大きな魔法陣が幻想的な光を放ち出現する。

 膨大な魔力を操る重圧に身体が軋んだ。

 複雑な術式を演算する負荷に、脳神経が焼き切れるように痛む。

 正直バカみたいにしんどい。それでもヨハンは、口の端で笑みを刻んでいる自分に気がついた。

 この街でチェイサーをやっているヤツは、アドレナリン中毒の馬鹿ばっかりだ。呆れ半分に言ったのは誰だったか。

(ま、例に漏れず、俺もその馬鹿の一員だったってワケだ)

 地獄のような子供時代だったと言えよう。世界は自分の力ではどうしようもない理不尽で溢れている。普通なら誰しも通うであろう学校なんてものはヨハンには知らないし、読み書きはその辺の人間よりも遥かに劣っている。

 だが、背中を唯一任せられる相棒がいる。

 生死の境界、その極限を乗り越えた先の景色を共に分かち合える。信頼できる最高の相棒が。その紫の瞳が、同じだけの信頼を込めて、ヨハンを見ている。

 種族の境で思い悩んでいたレンも、分かるだろうか。

 過去が何だろうと。血筋がどうであろうと。少なくともヨハンは、今の自分は、結構気に入っている。自力で磨いた力を、己の意思で行使する自由を味わえる今の生き方は、悪くない。自分で立てる足があれば、それで十分だ。

 これが、並の人間では辿り着くことすら困難な魔術士としての高み。名前持ちのアルスマグナ≪ベルフェゴール≫すら貫いた第七階位、雷光系最大火力の大魔法。

「エインヘリヤルッ!」

 光の軌跡が、アルスマグナの身体を貫いた。

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