[ 第六章 Jaldabaoth ] 1
ヴァンパイアと呼ばれる種族がある。
白い肌に、黒い髪、血の様に赤い瞳の外見をした者が多い。
アルビオンにも劣らない高い魔力を持ち、何よりも、超人的な身体能力が常軌を逸している。魔法の強化を施さずとも岩をも砕くアグリコラのような怪力に、ヒトならば致命傷の怪我ですら死ぬことはない高い自己修復能力。物語の中で怪物として扱われても遜色ない強力な力を持った種だが、現在は絶滅寸前まで極端に数が減っている。
この種の最も異端なところは、ヒトの血を欲すると言う吸血衝動を抱えているところだ。
高い身体能力の維持のため、ヒトの血が必要だったと文明が発達した現代では推測されている。血から魔力をを得て養分としているのでは、と考えられる。血を摂取するための鋭い牙もあるが、直接噛み付いて飲まなければならないと言う訳では無い。ましてやヒトの致死量程の量が必要とと言う訳でもないので、仮に与えたとて命を落とすと訳でもない。血を飲まれた者は同じ怪物になってしまうなどと言う逸話もあるが、それは完全にフィクションから生まれたデマである。
彼らが数を減らしたのは、その事を知る由もない当時の人間が産んだ愚かな過ちとも言える。
恐怖した人々がこぞってヴァンパイア狩りを行った過去は変えられない。その背景に政治的な思惑が絡んだ故の悲劇でもあった。
現代では、ヴァンパイアは数が減った。それだけでも希少価値の高い種族だ。現代でも人身売買のレートとしては、相当に高いものになるだろう。
もちろん法律上禁止している国がほとんどだ。それでも、富裕層や権力者達の中ではヒトを飼うのがステイタスともされる。だからどれだけ取り締まろうとも無くならない。
人身売買の目的は様々だが、やはり見目が麗しいものが好まれる傾向だ。理由は、押して図るべし。ジェナスの中でも、アルビオンが混ざっていることが望まれるのは、アルビオンが例外なく持つ美貌のためだ。
なら、滅多に生まれないジェナスに、希少価値のあるヴァンパイアの血が混ざった者の見目が麗しければ。
◆
ヨハンを見上げる三日月の様な不思議な虹彩を持った瞳は、何かに気付いた様子で呆然と見開かれていた。
生い立ちからか、何かと知りたがる好奇心で意図せず他人の地雷を踏みそうなそそっかしい所のある少年だが、何処か憎めない。今回ばかりは察しが良かったみたいだが、そう言えば彼には普通の人間には見えないものが見えてしまう特殊な目があったか、とヨハンは納得した。
この少年の目にどのように映ったのかはヨハンには分からないが、隣にいたレンも同じ様に何かを察する顔をしていたのは意外だった。
同じ混血としてのセンサーとも言い切れないが、元々ヨハンにもレンに対して漠然とした何かを感じる気持ちはあった。あまり他人に興味が無く、人の顔を覚えるのも時間がかかるヨハンにとってはそれだけでも珍しいことだった。
レンと接して、彼が純粋で目標に向かって行動を起こす真面目な青年であることは分かる。そんな彼が、ただただ理不尽な理由で命の危険に晒されている。依頼だからと言う理由を抜きにしても、守ってやろうという気になった。
オルトリンデが、ヨハンの魔力に目を覚ます。
「ダンテ!」
追いついた背中に叫ぶと、引き金を引く。
ダンテは近接していたアルスマグナから飛び退いた。五つの火種が舞うようにアルスマグナを取り囲む。先ほども放ったイグニールの五重発動だ。
いろいろ試そうとしたが、五重が今のヨハンができる限界の様だった。
以前の武器なら、二重すら魔力の負荷に耐えられず発動できなかった。ヨハンの魔力に着いて来れず、回路がボロボロになっていたくらいだ。今は無理でも、このオルトリンデなら、恐らくはその先すらも耐えられる。
下位魔法とは思えない威力の爆風で、アルスマグナを吹き飛ばした。屋外なので、遠慮はいらないだろう。
しかし、飛び散った肉片たちをものともせず、凄まじい勢いで再生していく。
「一本縄じゃいかない、か」
「それを言うなら一筋な」
「うるせぇなどっちも同じだろうが」
同じかなぁ? と、しょっぱい顔で首を傾げるダンテを罵りながら、そんな相棒の有様にヨハンは顔を顰めた。
「オイ、ちょっと見ねぇ間にどうなってやがる」
ぴんぴんとしているダンテだが、ほとんど上裸と言っても過言ではないほど上質なシャツがぼろぼろになっており、おまけに白い返り血まで浴びてどろどろだった。
「どうしたもこうしたも、見ての通り。ちぎって投げても見事に再生していきやがる。どうやったら死ぬんだ? アイツ」
「……」
以前にも聞いた覚えのあるダンテのセリフに、ヨハンは無言で対応することにした。
ちらりと見上げるダンテの、決して軽くはなかった肩の怪我は跡形もなく無くなっている。この体質故か、ダンテは防御も回避も全く気にしない。よって、いつも服をぼろ切れに変える。纏いついた布切れもとい、服だったものを邪魔そうに剥ぎ取って、ダンテは分厚い筋肉を惜しげもなく晒す。
「ヨハン、来るぞ!」
ダンテの鋭い怒号。左右に分かれて飛ぶ。二人が立っていた地面に無数の光の雨が突き刺さった。すでに轟音を背にしたダンテが疾走する。
「っラァ!」
左拳を振り上げ、二連撃を叩き込む。アルスマグナが僅かに怯んだが、翼の付け根辺りから伸びた鋭い勢いで迫る触手が、ダンテの右の肩を貫いた。その間を置かず、触手は銃声と共に弾け飛ぶ。
ダンテは一瞬ヨハンへと視線を飛ばすと、大きく飛び退いた。
膨大な魔力の波動で大気が震える。
アルスマグナの無数の目が、一斉にヨハンを捉えた。
銃口をアルスマグナに向けたヨハンが引き金を引く。複雑な図形を描いた魔法陣が展開される。折り重なった五つの陣は、クインテッドの魔法。五発同時展開されたイグニールがアルスマグナを吹き飛ばす。はずだった。
「ヨハン!!」
ダンテがアルスマグナを挟んだ向こう側で叫ぶ。
「ぃッ――……!!」
腕を貫く激痛に、ヨハンは苦悶の悲鳴を喉の奥で飲み込んだ。アルスマグナが展開する魔法陣を目の端に捉え、腕に突き刺さった触手を強引に引き千切りながら地を蹴る。激痛に奥歯を噛み締めて飛んだ先に回り込んだダンテがヨハンを抱き込むと、庇う様に地面を転がった。
ダンテの背中で魔法が弾ける音がしたが、ダンテはお構いなしにすぐそばの建物の影にヨハンを下ろす。
「ヨハン大丈夫か!?」
普段自分大怪我をしてもけろっとしているダンテが、険しい顔で焦燥を滲ませている。今の熱風で背中に怪我を負っただろうに。ヨハンは肩を掴んで揺さぶってくるダンテを強引に引き剥がした。
「俺だってこっちの時はそれなりに頑丈だ。アンタも分かってんだろ」
ヴァンパイアなら、この程度の怪我は怪我の内にも入らない。何故か不満げな顔をするダンテを艶やかな赤い瞳で半眼に睨み、ヨハンはため息を吐いた。
それよりもアルスマグナだ。
反撃速度の速さ。初めの時と同じ威力の魔法を放ったはずなのに、先ほどよりもダメージが少ない。
「あいつ硬くなってやがる」
ヨハンと同じことを感じていたらしいダンテが、神妙な面持ちで頷いた。
恐らくは爆破に耐える強度を、得た。凄まじい速度で成長している。
ならばより強力な威力で吹き飛ばせば良い。
ヨハンは術式の構築と、魔力をオルトリンデに通わせる。
どうやらアルスマグナは強い魔力に反応するようだ、と、気付いた時には攻撃の手がヨハンへと伸びていた。
「贄ダ、贄ヲ捧げヨ」
頭へと直接響く様な声。思いのほか眼前まで迫るアルスマグナに、ヨハンの背筋を悪寒が這い上がる。ヨハンだけを狙った攻撃に僅かに身を固くさせるが、ダンテの大きな背中が遮った。一瞬、肩越しにヨハンを見る濃紫の視線と交わる。
魔法を使おうとするとアルスマグナのターゲットになる。それならばダンテは、ヨハンが魔法を放てる様に動けばいい。
ダンテは腕を伸ばしアルスマグナを掴むと、大きく体を捻り膂力を込めて地面へ叩きつける。放たれかけていたアルスマグナの魔法陣が空中で霧散したのを横目に、おもむろに六対ある翼の一つを鷲掴んだ。
「ふ……ッ!!」
短く息を吸い、腹腔に力を込める。片足で肉塊を押さえ込み、爪を食い込ませるほど握り締めた翼を根元から引き千切る。
めきめきと軋む音を立てたあと、白い体液が一気に噴き上がる。返り血を浴びるダンテの目だけが、狂気染みた光を放っていた。
「ダンテ退けぇ!」
術式の構築を終えたヨハンが吠える。
構えたオルトリンデの銃口から、複雑な紋様を描いた魔法陣が展開されるところだった。ダンテは慌ててアルスマグナから飛び退いて、可能な限り距離を取ろうとする。
眩い光の粉を撒き散らす軌跡が貫いた瞬間、灼熱の光が爆音と共に弾ける。
イグニールよりも強力な熱と爆発。第五階位の爆裂系術式、エクスハティオ。それを、五重にぶつけた。
急激な魔力の消費でヨハンの体が疲労を訴える。荒い呼吸を繰り返し、眼前を睨み据えた。アルスマグナの焼ける臭いが鼻に付く。
「終わり、か……?」
恐る恐る呟いたダンテだが、すぐにその考えは打ち消される。
まだ煙が立つアルスマグナから、ぼたぼたと肉が剥がれ落ちていく。その隙間から、めき、と音を立てて何かが蠢いた。
「まだだッ!!!」
怒声を発したのはどちらだったか。
ダンテが渾身の力でヨハンを弾き飛ばす。
元いた位置を、眩い熱線が襲った。そこには、ヨハンを庇ったダンテがまだ――
「我々ノォ崇高なる目的ハァ人類の救済ィィィィイイイイ」
頭の中で甲高く響く絶叫に、ヨハンは頭を押さえて蹲る。
「っあ、ぐ」
喘ぐ様に呼吸を零し、地面を這いつくばいながらヨハンは必死でダンテの姿を探した。
血は無かった。何故なら超高温の熱線に、傷口が焼かれたから。だが、何かの塊が点々と転がっている。
それが何なのかを頭で理解する前に、どちゃり、と、塊を潰して突き立った。
つるりとした表面の長い棒の様に見えたのは、足だった。人間の様な形をした足。二本の足で立ち、胴体がある。そこから生えた腕が二本。更に視線を上に持ち上げると、やたらと大きい頭があった。生殖器は無いつるりとした身体に反して、肉塊の様なグロテスクな色をしている。先ほどまであった無数の目はなく、代わりに縦に裂けた口の様な物があった。
変形したアルスマグナは、縦向きに裂けた口を更に広げる。恐らくは、笑みを刻んでいる。
瞬間、ヨハンの頭の中は怒りで赤く染まった。
コイツが今しがた踏みつけたものは。嘲る様に笑ったのは。
「ぶっ殺すぞてめぇ」
低く、押し殺した声でヨハンは呟いた。




