[ 第五章 生誕 ] 2
「よかったんでしょうか……」
置いてきたクリスたちの方向を心配そうに見ながら、ノアは呟いた。
止まることなく走り続けたダンテとヨハンは、乗り付けて来た車を見つけるとそこで足を止めた。
「あの人たちはプロだから大丈夫さ」
言いながら、ダンテは二人をそっと地面へ下ろした。
「それよりもごめんな二人とも。ずっと揺さぶられてしんどかったろ」
「しんどいのは実際走った俺の方だわ」
ヨハンは乱れた呼吸を整えながら、文句を溢す。小柄とは言え人間二人を抱えて全力疾走したにも関わらず平然としているダンテの方を恨めしそうに見た。ダンテは特に痛くも痒くも無い視線を受け流す。
「レン、大丈夫か?」
「あ、はい。すみません…俺は大丈夫」
少しぼんやりしているレンに気が付いたダンテが様子を伺った。
答えるレンの言葉に覇気が無い。額に浮いている汗が気になった。
「まだ完全に薬が抜けきって無いんだろ。後で医者に診てもらえ」
ヨハンが顎を掬うと、瞳を覗き込む。すぐに手を離すと、先程使った解毒の魔法を軽くレンにかけた。
「治癒系の魔法もあまりかけ過ぎると体に悪い。これで我慢してくれ」
「う、あ、は、はい」
レンは挙動不審気味に視線を彷徨わせる。その頬が僅かに赤らんでいたがヨハンはそれに気づくでもなく、魔法の光を収めると手を下ろした。
その光景を眺めながら、そう言えばさっき僕もやられたな、とノアは密かに内心でレンに共感した。具合を確かめているだけなのは理解しているが、中性的な顔立ちがとにかく整っているので男相手でも照れさせる。当の本人はお構いなしときた。ダンテも察しているのだろう、どこか生暖かい視線を向けていた。
――ミ ツ ケ タ
背筋を這い上がる悪寒に、ダンテとヨハンは弾かれた様に顔を上げた。
「ふふ、はははは、いたわ、みつけた」
緩んだ空気を一変させる、ねっとりとした声音を夜風が運んできた。夜の闇に浮かび上がる真っ白なローブが揺蕩う。ゆらゆらと、左右に体を揺らしながら、女がゆっくりと歩いてくる。正気を失った様子に、この女ももう駄目だろうと、この場にいる誰もが悟った。
「チッ、しつけぇのはアイツだけじゃなかったか」
忌々しくヨハンが舌打ちする。
「天使さま、見つけました。すぐに、連れて、行き、まッ」
女が言い切る前に、引き金を引く方が早かった。女の体が大きく傾いだが、倒れる事はなく中途半端な姿勢のままぴたりと止まる。
空間が軋む。
幾度となく見てきた、肌に感じてきた光景。次元を繋ぐゲートが開く。負荷に耐えられず、女の体が粉々に弾け飛んだ。内側から、異形が顕現する。
「救済とは即ち、浄化。これこそハ慈悲」
血で汚れた純白の羽が辺りに舞い散った。肉の塊を無数の眼が埋め尽くし、眼球が忙しなく動いている。そこから生えた六対の翼が、羽搏いた。
「滅却シマス」
頭に直接響いてくる様な声だった。
巨大な魔法陣が出現し、光が収束する。
「二人とも伏せろ!!」
ダンテがレンとノアを纏めて覆い被さる。咄嗟にヨハンが前に出て、オルトリンデの引き金を引く。発動された光の壁と、アルスマグナのレーザーの様な魔法が激突した。
「っぐ!」
衝撃を耐えるヨハンの表情が歪む。
シールドが軋んだが、耐えられ無いほどではなかった。幸い光の帯の急襲はすぐに消えた。シールドを解除して、ヨハンが息を吐く。
「上位魔法級の威力だな。コイツ名前持ちクラスだろどう考えても」
舌打ち混じりに悪態を呟いた。先ほど置いてきたカエデたちに任せたアルスマグナと比べて、明らかに感じるプレッシャーが違う。まるでベルフェゴールの時のような、醜悪な悪意が肌に突き刺さる。殺気に当てられて身を強ばらせる腕の中の二人を安心させるように一度撫でると、ダンテは背に庇う様に立ち上がった。
先ほどはレンとノアが居たので一時撤退を言う手段を取ったのだが、どうせ戦うなら向こうの触手お化けにしておけば良かったと、ダンテとヨハンは後悔していた。
「贄、ニエ、捧げよ」
複雑な陣形を描いた魔法陣が広がる。
「……え?」
光の幾何学模様が、レンを取り囲むように出現する。
「レン!!」
ダンテとヨハンが叫ぶ。ダンテが腕を伸ばしてレンを体ごと覆うのと、魔法が発動し光の槍が降り注ぐのは同時だった。
レンを抱えたままダンテは地面を転がる。二人の元へ駆けながら、ヨハンは魔法を放った。先の鋭い氷柱がアルスマグナを取り囲む様に無数に突き立ち動きを阻む。
「ダンテさんが……!」
今にも泣きだしそうな顔で、レンが側まで駆け寄ったヨハンを見上げる。レンには目立つ外傷は無さそうだが、ダンテの右肩から鮮血が溢れ出ていた。
「……掠っただけだ」
そう言うダンテの右肩は肉が深く抉られていた。ふらりと立ち上がると、ダンテは破れて血を吸ったジャケットを脱ぎ捨てる。レンに心配するなと笑いかけ、すぐ深刻な表情でヨハンと向き直る。
「急にレンに執着してきたな」
ダンテが言わんとしている事は、ヨハンにも分かった。
基本アルスマグナは無差別に人を食らう。別次元からの出現にあたり受肉した肉体を馴染ませるためとも、単にただの食事のためとも言われている。強さと知能の高さは比例しているようだが、意思の疎通をとる事は困難なのでヤツらの目的は分かりようもない。今回特定の相手を狙った行動を取った理由で考えられることは。
「依代になった女の思想が何かしら影響してる」
「俺もそう思う。とにかくあいつからレンを引き離そう。ヨハン頼む」
「ちょ、ダンテさん!? 動かない方が……」
引き止めようとするレンの手をひらりとすり抜け、ダンテはアルスマグナへ向かう。
アルスマグナを足止めしていた効果は僅かなもので、すでに殆どが壊れかけていたのがダンテには見えていた。
全身をバネに跳躍し、左の拳に力を込める。その頃には、すでに肩の出血は止まっていた。細胞の修復が猛スピードで加速し、身体が熱くなる。じきに、怪我は跡形も無く治る。
「らぁぁああっ!」
突き出したダンテの拳が、アルスマグナの無数にある眼球の一つに突き刺さる。
ずぶりと、肘まで埋まる生々しい肉の感触が不快で顔を顰める。すぐに引き抜くと真っ白な体液が噴き上げた。どろどろとした体液がその身に降りかかるのを無視して短く息を吸い、全身に力を込めるように大きく身を捻じる。鞭の様に撓らせた脚で、ダンテは思いっきり蹴り上げた。
壊れかけていた氷柱を粉々に舞い散らし、アルスマグナごと吹き飛ばす。
ダンテはすぐさま追いつき、体勢を整えさせる暇を与えず追撃する。
少しずつ引き離されていく戦場を背に、ヨハンは腰のポーチからタブレットケースを取り出した。中の錠剤を慣れた手つきで口に含む。奥歯で噛み砕いた音がして、嚥下するのに合わせて喉仏が上下した。何をするつもりなのだろうとその一連の動作を眺めていたノアは、はっと息を飲んだ。
深海のように青かった瞳が、真紅に染まる。
目の前に立つのはいつものヨハンのはずなのに、それだけでまるで別人の様だった。彼の中で何かが作り変わったような、元々抑圧されていたものが表へ出てきたかの様な、そんな不思議な感覚だった。
ノアの目に映るヨハンの魔力の色は、いつもの青より赤が強く出ている。感じる圧力も強くなっていた。
でも、これが初めてではない。
あの日の夜に、一度だけ。
「ノア、レン」
「は、はい!」
呼びかけられ、ノア同様、今の状況をすっかり忘れて呆けていたらしいレンと、同時に返事をした。
「俺たちが戻るまでこの中で待っていろ」
赤いSUVのドアを開け、二人に入る様に促した。
中に乗り込んだ二人に、ヨハンはそれぞれ漆黒の鉱石を渡した。ノアには心当たりがあった。以前も持たせてもらった、魔除けの加護があるとされるオニキスに、ヨハンの守りの魔法が込められた物だろう。
「一応持ってろ」
短く言うヨハンの瞳は、見慣れない鮮やかな真紅のままだ。
どうして、今まで気づかなかったのだろう。
ノアはこの色を見ながら、その思考で埋められていた。
あの日。
死がじっとりと纏わりつく、嫌な夜。
首筋に突き立った牙と、灼熱感を持った痛み。
燃え盛る炎を背にこちらを見つめる、血の様に赤い瞳。
人の血を飲み、赤い瞳を持つ種族を何と言ったか。
ノアはヨハン本人の口から、彼がどのような種族なのかを聞いたことがなった。外見だけの先入観で、勝手に決めつけていた。
ノアにしか見えない、人が纏う魔力も。
街を歩いても、その色を持った他の人など見たことがなかった。
レンと同じ、二色が入り混じった魔力なんて。
「ヨハンさんは……」
知らず、ノアの口から漏れた呟きが耳に届いたのか。戦線へ戻ろうとしていたヨハンが足を止め、肩越しに振り向いた。
「何だと思う?」
皮肉げに、口の端が僅かに持ち上がる。その表情が見えたのは一瞬で、すでにノアへ背を向け相棒の元へ走り出していた。




