[ 第五章 生誕 ] 1
「ヨハン、怪我はないか?」
厚い靴底が床を鳴らす音に顔を上げたダンテは、相棒の姿を見つけて破顔した。
二人があらかじめ合流地点として決めてあったのは、一階の搬入口だった。相変わらず薄暗い建物内を、非常口の緑のランプが照らしている。
「俺は何とも無い。それよりレンは」
ヨハンがレンの方へ視線を落とす。
横たえられていたレンは、薄ら瞳は開いている様だが焦点が合わない。傍に膝を立て顔を近づけると、時おり、呻き声の様な吐息が薄く開いた口から溢れる。明らかに正気では無い様子に、ヨハンは顔を顰めた。
「薬物か」
「ずっと意識が混濁してる。何とかできるか?」
「一応試してみる」
言って、ヨハンはレンの額に手を翳した。小さな魔法陣が淡い輝きを放ちながら出現する。
一歩離れた場所で眺めていたノアは、小さく息を吐いた。
普段通りにも見えるが、どことなく肌を刺すような空気が落ち着かない。
「ヨハンさん、もしかして物凄く怒ってます……?」
ピリピリとした圧に耐えかねて、ノアは思わずダンテの側に寄った。大きな手のひらが、ノアの頭を撫でる。見上げると、ダンテは困ったような、複雑そうな顔でヨハンの背中を見ていた。
「う……」
待つこと僅か。先ほどまでとは種類の違う声が聞こえた。
「レン!」
全員で囲む様に顔を覗き込むと、瞳にはっきりとした意志が宿っているのが分かった。
「みな、さん……」
「調子はどうだ。立てそうか」
ダンテが肩を抱き起こして聞く。
「だいじょうぶです。立てます」
声に覇気は無いが、しっかりと言い切る。多少ふらついているが、言葉通りしっかりと立ち上がる。レンはダンテたち三人の顔をそれぞれ見渡したあと、くしゃりと顔を歪めた。
「皆、助けてくださってありがとうございます。ノアくんも、無事で良かった……」
心底安堵した様子のレンと視線が合ったノアは、レンさんも、と泣きそうになりながら呟いた。
レンとノアの肩を、慰めるようにダンテが叩く。
「怖かったろ。こっちこそ遅くなってごめんな」
レンはふるふると勢いよく首を振った。
「まだ事が終わった訳じゃ無い。安心するのは後にしろ」
オルトリンデを手にしたまま、ヨハンは一点を睨み据えていた。
暗闇からゆらりと、人影が揺れる。ずり、と足を引きずるように現れたのは、きっちりとしていたはずの髪をスーツを乱したサムエルの姿だった。
小さく息を飲んだレンを庇う様に立つダンテとヨハンだったが、レンは一歩前に出た。
「どうして……」
レンのマネージャーだった男だ。震える様な一言の中に、様々な感情が入り混じっている。そんな声音だった。
「……貴方に個人的な恨みはありませんが、我々の崇高な理念の為には、貴方の命が必要なんですよ」
「それは、命を犠牲にしてもやらなければならないこと? サムエル」
レンは知らず、震えるほど強く両手を握りしめていた。
サムエルはずれた眼鏡を力なく直しながら、こちらに聞こえるほど大きな溜め息を吐いた。
「貴方は神の供物として相応しい希少な血を、」
──ドンッ
ヨハンが放った弾丸が、語尾を掻き消していた。驚いた様子もなく、サムエルはどこか濁った目で前を見る。
「もういい」
ヨハンは銃口を向けたまま、空いた片手でレンの肩を引き寄せる。
「ヨハンさん」
「クソ食らえだな。レン。アイツらの気持ち悪ぃ自慰にこれ以上付き合ってやる必要はねぇ」
突然無反応に虚空を見つめるサムエルの体が、突然折れ曲がった。
「わ、わ、我々の……、は、人類の、きゅきゅ救済……」
様子のおかしくなった男に、警戒心が高まる。
キシリ、と、空間が歪む音がした。多次元へと繋ぐ空間の軋みは、怪物が訪れる聴き慣れたサインだ。イカれた宗教を信じる目の前の男が言うには、人類を救済する神とも言う。
「レン、ノア。下がれ」
ダンテが身を盾にする様に、二人を背に庇った。
ガラスが割れる様な音と共に、何かが飛んできた。一瞬見えたのは、黒く長いもの。高速で撓るそれは、派手な音を立てて背後の壁を破壊した。
空間の隙間からずるりと出てきたそれは、触手だった。黒く、滑りを帯びてテラテラと光っている。所々に吸盤の様なものが付いており、先端は花の萼の様に開き、牙がぎっしりと並んでいた。様々な太さのそれらが、絡まり合い、犇きあっている。本体らしい物が見当たらない程に。
「うえ、キモチワルイ」
ダンテが小さく呟いた。鳥肌が立ったのか、腕を擦っている。
「気持ち悪くないアルスマグナの方が珍しいだろッ!」
言いながら、ヨハンが引き金を引く。
爆発に弾き飛ばされた触手はビチビチと跳ねたあと、沈黙する。
しかし、数が多過ぎるのか増えているのか、どんどんと大きくなっている気さえする。
ヨハンは舌打ちすると、すかさず次の引き金を引いた。赤い火種五つが触手の塊を囲うと、先程とは段違いの爆発が起きる。大きな建物全体が揺れ、崩れかけた立派な柱が衝撃を物語る。
「あっつ。何これ上位術式?」
離れた位置からでも肌を焼く熱を感じ、ダンテがヨハンを見る。
「いや、第三階位爆裂術式の五重発動だ」
以前駅前で見せたものとは段違いの威力なのはダンテも感じていた。本気で焼き払うつもりで放ったのだろう。
しかし、炭化した肉片の間に、黒い影が蠢いた。
「こいつは……」
その様子を見たダンテが顔を顰めて呟く。
崩れ落ちていく触手から、みるみる新たな触手が生えてきた。再生したのか肉の壁が厚過ぎて焼き切ることが出来なかったのかすぐさま判断はつかなかったが、一撃で仕留めることが困難な事は分かった。
「無理なやつだな」
ダンテの言葉尻を拾ったヨハンが踵を返した。
「えっ」
あまりにも早い諦めの言葉にノアは思わず困惑し、ヨハンとダンテを交互に見る。
にっこりと笑みを浮かべたダンテがノアとレンを肩に担いだ。
「一時撤退だ!」
ズバリ言い切ると、先程破壊され開けた壁から外へ向かって全力で走り出した。
「ぇぇえええええ!?」
◆
外は完全に日が落ちて、暗闇に包まれていた。
ぽつぽつと立っている街灯の灯りが、辛うじて周囲を浮かび上がらせている。
海がほど近い倉庫群の空気は、潮風を孕んでいる。微かな潮の香りに紛れ、何かが焼けた臭いが鼻をつく。積み上げられた無数の残骸から、その臭いは漂っているようだ。
「ふう。こんなものかしらね」
ストレートの金髪を靡かせて、手で軽く服を払った。アルビオンの特徴である長く尖った耳が、溜息に合わせて小さく震えた。
「クリス」
「あらカエデ。……まさかここまで走ってきたの?」
何処か草臥れた様子のカエデに、クリスは僅かに目を見張った。
アグリコラの身体能力と強化魔法を合わせれば、車並みの速度で走ることも可能だ。しかも、持久力もずば抜けているので、かなりの長距離を全力で走ることが出来る。カエデが自力で辿り着いたとしても、何ら不思議ではなかった。
「アイツらは?」
汗を拭ったカエデが、眉を困らせて尋ねる。それは悪ガキを案ずる様なニュアンスで、ダンテとヨハンの事を指しているだろうとすぐに分かったクリスは、背丈ほどある杖で周囲を示した。無数の肉塊が死屍累々と積み重なっている。
「あたしは足止め。そろそろ救出したんじゃないかしら」
でなければ。自分達が出向かわなければならなくなるな、と、クリスが考えていた時だった。
ドン!と。遠くで派手な爆発音が響いた。
心当たりは一つしかなかった二人は目を見合わせる。音のした方へ足を向けようと振り向いた時、何かに気づいて目を眇めた。
闇に紛れて二人組のシルエットが、街灯の光で見え隠れしている。
「あれは」
独り言の様に、カエデが呟いた。
影はこちらへ向かって走ってきていた。何かに追われている様子で、段々と近づいてくるにつれ、騒がしい声が聞こえてくる。
「しつけぇって! 何とかしろ!」
「無理だってぇ俺両手塞がってるもん」
馴染みのある騒がしさに、カエデの心中で疲労感がどっと押し寄せた。
「あ、姐さんだ! カエデさんも居るぞ、ヨハン! ほらがんばれ!」
よく見ると、ダンテは二人の人間をそれぞれ肩に担ぐように走っていた。攫われた二人が無事だったのが分かり、カエデとクリスは安堵した。
しかしそれも一瞬で、ダンテたちが背後に引き連れて来たものにギョッと目を剥いた。
「ちょっとあんた達、何てもの連れて来るのよ!?」
折り重なった触手の巨大な塊が周囲の物を破壊しながら迫ってくる、怖気の走る光景にクリスは腕を摩る。
「じゃ、俺たちはレンを安全な場所へ連れてくんで! アイツお願いしますね!」
ダンテが綺麗な笑顔で二人に言うと、立ち止まらずに通り過ぎる。
「はあ!?」
「ちっすセンパイ。おねしゃーす」
声を荒げるクリスには頓着せず、平坦な声音でヨハンがダンテの後に続く。振り向きすらせず、颯爽と駆け抜けて行った。
「待ちなさいよ!」
「クリス!」
カエデの怒号の直後、クリスの立っていたコンクリートの地面が激しい音を立てて砕かれた。黒光する触手が突き刺さっている。
「あ、ありがと…」
カエデの腕の中で、クリスは呆然と呟いた。
「構わない。あれを何とかしよう」
言って、カエデはクリスをそっと地面へ下ろした。
柄に手を掛け、抜刀する。
「アイツら後で覚えときなさいよ」
クリスの怨念が篭った呟きは、ダンテとヨハンに届く事はなかった。




