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硝煙のエリュシオン  作者: すずなか
― Case2:Jaldabaoth ―
30/39

[ 第四章 降臨の儀式 ] 2

「待って、待って下さい!」

 胸騒ぎがしていた。この男がマネージャーとして宛がわれて一年近くだろうか。勤務態度はまじめで守秘義務はしっかりと守る。スケジュール管理も完璧で、堅そうに見えるがたまにジョークも飛ばす愛嬌もある。信頼もしていたし、尊敬もしていた。それが今、ここに来て。何かおかしいという違和感は、不気味なシミの様にレンの内心を掻き立て、耐え切れずそう叫んでいた。

 しかし、不安を肯定するように、その叫びが聞き入れられることはなかった。トレードマークのスーツ姿の背をこちらに向けたまま、無言の彼の表情を窺うことはできない。

 息が切れていた。ライブの後で疲れていたのもあるが、痛いほど強くレンの手首を握りしめたマネージャー、サムエルの歩く速度は、ほとんど走っていると言っても過言ではない速度だった。

 絶対に傍を離れないよう指示されたらしいノアも、困惑を隠せないながらもレンの服の裾を掴み、懸命に着いて来る。不安そうな瞳をなんとかしてあげたくて、レンは自分よりも小さな手をぎゅっと握った。自分だって情けなくも不安なくせに。

 昇降機を経由してなお突き進み、たどり着いた駐車場は明かりがついているとは言え薄暗い。一台の車の前でようやくその足を止め、サムエルはドアを開けた。そこに乗れ、と言うことらしい。レンは首を左右に振った。

「俺、やっぱりエドたちのところへ戻るよ」

 何とかそう絞り出せば、サムエルは大きく溜め息を吐いた。レンを掴んでいた手を放し、その後ろへと伸ばした。その動作は至極自然で、一瞬なにが起きたのか二人が理解するのに一拍遅れた。

「はじめは余計なものがくっついてきたと思いましたが、これはこれで活用方法がある。そう思いませんか」

 サムエルは、ノアの首へ腕を回して拘束すると、こめかみに銃口を押し付けた。

「大人しく着いてきてくださいますね」

 表情の削げ落ちた男は、ようやく口を開いたかと思えば静かな圧力でそう言った。



「いない、か……」

 ダンテとヨハンは辺りを見渡して、どちらともなく呟いた。

 人工の明かりが灯る駐車場は、人の気配がまるでなかった。二人分の足音と、急いだ事で乱れた呼吸音が、嫌な予感を増長させた。スタッフの車を探す。不自然に抜けている場所はないか。

 一台、空いているスペースの前で足を止める。一緒に来たはずなので、記憶にある。ここにワゴン車が止まっていたはずだ。レンたちバンドメンバーを乗せてきたはずの車が。

「まずいな」

 思わずといった風にそう零すダンテが片目を眇めた。ヨハンはすぐさまインカムの通信を入れる。

『はい、どうされました?』

 間髪入れず答えたのは、事務所で待機しているアルマだった。

「アルマ、今から送る術式の信号を追えないか」

 言いながら、ヨハンは素早くスマートフォンを操作する。

『やってみますね。少しお時間いただけますか』

「時間がない。なるべく早く頼む」

『分かりました』

 通信を切ったヨハンは、ダンテと目が合った。その目がどう言うこと? と問うている。

「あの時渡した魔具に、ちょっとな。ノアの案で仕込んでみたが、上手くいくといいけど」

 初めてのものを、自作で構築した試験的な術式なので自信がないと零すが、ヨハンなら大丈夫だろうとダンテは頷いた。そして、何か引っ掛かりを覚える。

「あ! そう言えばノア」

「あ」

 ヨハンもたった今思い当たったように、文字通り一言漏らした。

「もしかしなくても、律儀に俺の指示を守って一緒にランデブー……?」

 茶目っ気に小首を傾げてみても、いつものノアの鋭いツッコミが飛んでくるはずもない。それはそれで、どこか物足りないものを感じた。

 アルマに、念のためノアの信号も拾えないか連絡を入れたのは言うまでもない。



 売られた子どもの人生何て、碌なものにはならない。

 大人たちの玩具にされ、好き勝手に弄ばれいらなくなれば捨てられる。

 虐げられた子どもを見た。処分された子どもも見た。そんな場所から逃げて。逃げた先でもまた裏切られ、また逃げて、そうして生きてきた。

 他人は信用してはいけない。人間は残酷で、恐ろしい生き物だ。それでも、玩具のままではいたくなかった。


 ――俺は生きて、自由になりたかった。


 ヨハンは知らず、握りしめた拳に力を込めた。

 今目の前で、まさしく同じことが起きようとしている。実際目の当たりにすると、ここまで腹立たしいことだとは思っていなかった。ヨハンは自身のことをもっと薄情な人間だと思っていた。

「ヨハン」

 アメジストの様な紫色の虹彩を持つ双眸がこちらを見ていた。他の何でも無い、ヨハンの事を案じた目だった。

 紫の瞳は、僅かな青の色素と光で透けた血管の色によって生み出される。世界人口でも数パーセントしか存在しない希少な色だ。短く刈られた髪の色も透けるようなプラチナブロンド。眉と睫毛まで同じ色をしているので地毛だろう。肌は定期的にサロンへ通い、艶やかな褐色を人工的に維持しているのを知っている。元々ダンテは、色素が薄い体質なのが分かる。

 このような知識も、以前ヨハンの飼い主が()()を選ぶときに口にしていたから得たことだ。人種、色、容姿。より希少価値が高く、美しい人間を求めていた。その最たるものが、ジェナスと言われる種族――。

 覗き込むように割り込んできたダンテの顔を見詰めたままぼんやり考えて、ヨハンは装備の確認をする手が止まっていた事に気が付いた。

「……、何でもない」

 思いのほか近い位置にいたダンテの顔を押しのけた。ダンテはじゃれる様に笑いながら痛いと溢すが、しつこくは踏み込まずあっさりと離れてゆく。

 過去の記憶に揺り起こされる鬱屈とした感情は、すでに霧散していた。つくづく、ヨハンの扱いを心得ている男である。

 ウエストポーチを身につけ、オルトリンデをホルスターに収めると、ダンテに振り返る。視線を交わすと、ダンテが頷いた。

 急がなければ。このままではレンは、碌なことにならない。

 音を立てて車のトランクを閉める。カエデとクリスが乗ってきた、イスラフィルが所有する赤いSUVだ。前方の座席には、カエデとクリスが既に乗車していた。ダンテが後部座席のドアを開けると、運転席側にいたクリスが振り向いた。

「警察とDMOには連絡を入れておいたわ」

「助かります」

 ダンテが柔かに返す。ヨハンが後ろからダンテを押し込むように乗り込んできたところで、呼び出し音が鳴った。グループ回線になっていたようで、全員が通信をオンにする。

『お疲れ様です。ヨハンさんの信号拾えました』

 ヨハンは周囲に聞こえないほど微かに安堵の息を零した。

『そちらから南東方面に向けて移動したみたいです』

 すぐさま地図は開いたのは、ダンテだ。同時にクリスはエンジンをかける。

「となると港の方、か」

『はい。そこから移動は止まっているみたいで、今なら追いつけるかもしれません。座標も送っておきますね』

「わかった、ありがとうアルマ」

『いえ、皆さん気をつけてください』

 通信が切れた。

「港なら、倉庫街の辺りなんて夜は人気もないわね。悪の組織の定番ってカンジ」

「俺も姐さんと同じ意見」

「じゃ、飛ばすわよ」

 言葉と同時に踏んだアクセルで、車が加速する。

 港と倉庫群へ向かう海沿いのハイウェイは、幸いにして交通量が少ない。日が暮れかけて薄暗いのもあって、都会とは思えない閑散さだった。

「なんだ」

 アクセルを踏み込んで走り抜ければ早く辿り着けると感じさせた矢先、前方の様子に気付いた小さな呟きはカエデだった。次いでクリスがブレーキを踏む。急に停車する車に、ダンテとヨハンも訝しんだ。

「敵襲、かしら」

 遥か前方、道の中央を塞ぐようにワゴン車が停まっていた。ぽつぽつと走っていた一般車両が、迷惑そうに躱していく。ワゴン車からは、種族も服装もバラバラな男女が六人、降りてきた。彼らは生気のない足取りで横一列に並んでいく。魔力感知に優れているクリスとヨハンが先に反応した。ひび割れる空間は、異次元から現れる異形の合図だ。

「あいつらだ」

 ダンテが懐の銃を探りながら、険しい顔で呟いた。

 しかし、今まさに飛び出そうとしていたダンテとヨハンよりも早く、カエデが車から降りる。

「俺が道を作る。お前たちはその隙に行け」

 返事を待たず、カエデはドアを閉めた。

 ヨハンたちが乗っていた車体を揺らすほど凄まじい踏み込み。身体強化の魔法を用いたのだと認識した頃には、カエデは一足で集団に詰めていた。

「あんたたちはまだ大人しくしてなさい。大仕事が残ってるんだから」

 前に視線を向けたままクリスがアクセルを踏む。

「ちょ、おい」

「……っ」

 焦るダンテとヨハンの抗議が言い終わる前に、爆発の様な衝撃音がした。二人がぶつかると身構える寸前、アクセルを踏むクリスはまるで分かっていたかのように、道を塞ぐように止まっていた車両が宙へ吹き飛んだ。カエデの剛腕が、着地と同時に跳ね飛ばしたのだ。

 無理矢理空いた道を、クリスがハンドルを握る車が駆け抜ける。更にアクセルを踏み加速すると、アルスマグナを相手どるカエデの姿が一気に遠ざかっていく。

 寸前で免れた衝突に、後部座席の二人からは思わず安堵のため息が出た。

「ふざけてんなよ」

 小さく悪態を吐くヨハンに、クリスは声を出して笑った。

「うちのカエデは凄いのよ」

「……凄いのは、姐さんとカエデさんの息の合ったコンビネーションなのでは」

 ダンテもどこか疲れた表情を浮かべている。

「あんたたちはまるでダメよねぇ……、あら」

 言葉の途中で、クリスは何かに気づいたようだ。ダンテとヨハンは、釣られるように背後を確認する。

 カエデの刃から免れたのかそれとも全くの別件か。翼の生えた今までのものとは形態の違うアルスマグナが、咆哮を上げながら一直線に迫ってきていた。

「ヨハンもうすぐ昇級試験だっけ?」

「……そうだけど、それは今する話か?」

 場違いなクリスの問いに、ヨハンは眉間の皺を深めた。

「試験には実技もあるもの。お姉さんが見てあげるわ。術式の効率的な構築と、周囲の被害を最小限に抑えつつ対象を早急に殲滅せよ、ってね」

「お、いいねぇじゃあ俺も見てようかな」

 ヨハンよりも等級の高い二人は、息を合わせてノリノリだった。

「はあぁ? んだよそれ」

 舌打ち混じりに文句を溢すが、ダンテは近接型、クリスはハンドルから手が離せないので自身がやるしかないのは分かっていた。

 不満そうにしながらも、合間にヨハンは車に積んであった荷物を漁り、太めのワイヤーを取り出した。フックが付いた先端を自らのベルトにかけると、半ば放り投げる様にワイヤーをダンテに持たせる。ダンテがにこりと笑った。窓を全開にすると、枠に片足を掛け身を乗り出した。

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