[ 第四章 降臨の儀式 ] 1
『ゲート発生を確認』
耳に着けた小型の通信機が、中性的でハスキーな声を伝えてくる。
『DMOの予報には無かったわね。アタリよ』
「了解。頼んだぜ姐さん、カエデさん」
『ええ、こっちはアタシたちに任せなさい』
ぶつりと音が鳴って、通信は途切れた。
会場は満員御礼。ステージの裏でも、ダンテとヨハンにまで熱気が伝わってくる。レンたちの音楽が、何万もの観客を魅了している。彼らのライブは、きっと成功する。そのために、イスラフィルは雇われた。
相手はすでに何度も誘拐に失敗している。決して諦めない執念は大したものだが、その回数だけ本気になるだろう。アルスマグナという切り札を必ず使ってくる。もしも襲撃するとして、最も目立つステージの上で仕掛ければ、名前も売れて一石二鳥なのではないか。ミカエルからの情報を得てダンテとヨハンの見立てた予想だった。相手にもリスクがあるので念のため程度の考えだが、レンの傍を離れられないダンテとヨハンの代わりに、外を監視する役割をカエデとクリスに頼んだ。DMOの予測外で発生するゲートは、人工的に作られたものの可能性が高いと踏んで。
先日遭遇したアルスマグナと同程度のタイプなら、カエデとクリスに任せれば心配は無用だ。何せ、この二人はダンテとヨハンよりもチェイサーとしてのランクは上。彼らはもっと大きい奴らを狩るのだから。
慌ただしいスタッフの妨げにならないよう、壁際へ寄りかかって立つ。
ヨハンは細やかなやり取りを完全にダンテに任せ切っていた。子どもの頃にはすでに傭兵として各地を転々としていたと言うダンテは、やはり場慣れしている。加えて、ヨハンは魔力を読むことには長けているが、他人の気配や殺気を読み取る感覚は、ダンテの方が優れていた。
ステージの中央。ギターを繰りながら歌うレンの腕には、控えめに照明を反射するバングルが嵌っている。これを渡すやり取りのしたのは、今朝のことだった。
◆
「これ、俺に?」
早朝。身支度を終え部屋を出る直前のレンを、ダンテとヨハンは二人で訪ねた。ヨハンが作った魔道具を受け取った時、レンの目は心なしか輝いて見えた。
「ライブ中も可能なら着けておけ。いざって時、一度だけお前の身を守る」
「分かった」
素直に頷くと、レンはさっそく左腕にバングルをはめ、眼前まで掲げて銀色の光沢を観察する。揺れると内側に彫られたすかしの様な文様が、きらりと光の筋を描く。
「魔道具なんて初めてだ。すげー綺麗。あ、でも高かったんじゃ」
「俺が作ったからコストは抑えられてる」
「ヨハンさんが!?」
大きく目を剥いたレンをどう捉えたのか、ヨハンは皮肉げな顔で肩を竦めた。
「性能は保証する」
「えっあ、いや! そう言う意味じゃなくて!」
「魔法が使えないやつでも身につけていれば問題なく発動するが、物は壊れるからな。気をつけろよ」
構いなく説明を続けるヨハンに、レンは困り果てて唸る。
「ヨハンさんは意地悪だ……っ」
「? 何が」
二人の問答を黙って見ていたダンテは、微かに肩を震わせた。本当に訳が分からないヨハンは眉を顰める。
「よく分からんが、ジェナスが噂通り魔力が高いってんなら、お前もこれくらいすぐに出来るようになる」
「えっ、ほんとですか! ……と、言いたいところですけど、多分すぐには無理だと思います」
困った風に眉を落とすレンに、ダンテが首を傾げた。
「と言うと?」
「俺、魔法が特別得意ってわけではないんで。オルニットの飛行魔法も、人と比べて別に普通って言うか人並みだし、魔力測定も普通だったし。多分ジェナスとしてはポンコツなんです」
そう言って苦笑するレンは、どこにでもいる青年の顔をしていた。
◆
「みんなお疲れ! 明日も頑張ろう」
ステージから戻ってきたレンは、いつもの快活さでスタッフたちを労っている。昼間に発生した不測のゲートは一度きり、それ以降は何事もなく一日目を終えることができ、誰もがひとまず安堵の息を零す。
ただ一人、その“眼”に何かを捉えたノアは、一点を見つめたまま動けずにいた。
ゲートから生じる歪みが、内側から人を捻じ曲げるイメージ。ノアにはそう見えた。あの人は、きっともう、ダメだ。とっさにそう感じた。震える手で、隣にいるダンテの服の裾を引く。
次いで、異様な魔力の流れを感じたヨハンが顔を上げた。切長の目をスッと細め、腰のホルスターに忍ばせたオルトリンデへ、ゆっくりと手を伸ばす。
二人の様子から何かを察したダンテは、身構える。見渡すとすぐに分かった。駅のサラリーマンと同じ虚な目をした男が、解散するスタッフたちの流れに紛れて佇んでいる。感情の読み取れない目は、明るく喋るレンだけを見つめ続けていた。
裾を引いてくるノアの手をそっと宥めるように撫でた。見上げてくる不安の色を宿した瞳に一体何を映したのかダンテには知りようもないが、落ち着かせようと笑みを返した。
「ノア。何があってもレンの傍にいろ」
おずおずと頷いて、ノアはレンの元へ駆けていく。何事か会話を交わす二人を見届けて、ダンテはヨハンへと視線を投げた。静かな青の瞳が一瞬視線を返し、小さく頷く。二人は男に素早く近づき、ダンテの大きな体で男の視界を遮るように立ちはだかった。
「お客様、本日はどの様なご用件でしょうか」
ダンテの口調はふざけたものだったが、鋭い眼は全く笑っていない。
声に反応した男が僅かに動こうとする。一度どの様に人間が変化するのかは見ているので、術式の発動にだけは注意を怠らない。ダンテは素早く両腕を拘束し頭を掴んで地面へ押さえつけた。
ただならぬ空気に気付き始めた人々が訝しむ。巻き込む訳にはいかないので、ヨハンは素早くレンへ目配せした。ノアから事情を聞いたであろうレンたちは、スタッフたちを下がらせる。
「巻き込まれちゃ堪んねえ。ちょっと裏で話聞かせて貰うぜ」
「……うっ」
ダンテに思い切り引き上げられた男が唸った。苦しげに顰められた眉。だが唇は不気味に歪ませている。
「ダンテ!!」
ヨハンが叫ぶと、魔力の閃光が弾けて男を掴んでいたダンテの腕を焼く。ダンテはすぐ様飛びのき火傷を負った腕を振る。すでに再生が始まっている様子の腕を横目に、ヨハンは片眉を器用に顰めた。
「あんたの体はホント何でもありだな」
「何でもはないし。普通に痛いし」
音に驚いた人々は、悲鳴を上げながら逃げていく。怪我でもされると色々と面倒なので、好都合だ。
ヨハンは気休め程度にダンテの腕に治癒魔法を施しつつ、男に向き直る。空間がひび割れる音がした。
先ほど弾けた閃光は、男が術式を発動させた時のエネルギーが弾けたものだった。ヨハンはすかさず魔法を発動させる。
見えない壁が、男と空間を裂いて現れたアルスマグナを閉じ込めた。本来は自身の眼前に張り、身を守る為の魔法だ。以前にも見た赤ん坊の様なアルスマグナは檻代わりに展開されたシールドに阻まれ、苛立たしげに奇声を上げて頭突きを繰り返す。
「失せな」
ヨハンは呟いて、引き金を引く。
シールドの中で、アルスマグナが弾けた。見えない壁の中で飛び散った体液が、どろりと滴る。
「中で良かった……」
ダンテが引き気味に呟いた。この場で肉片が飛び散れば、自分達にも被って大惨事だっただろう。ダンテはそれを想像して、不快そうに顔を顰めた。
「まあ消えるんだけどな」
既にこと切れたアルスマグナは、光の粒子になって消えかけていた。
「ダンテさん! ヨハンさん!」
血相を変えて走ってきたのは、エドだった。
「レンを見なかったか! ノアくんもいないんだ! さっきまで傍にいたのに!」
「エド」
すぐ後から追ってきたオストが、遮るように声をかけた。
「サムエルとどこかへ行くのを見たって、スタッフの子が」
記憶にない名前にダンテとヨハンが首を傾げると、エドが付け足すように言った。
「俺たちのマネージャーだ。依頼の時に合わなかったか? 眼鏡をかけた」
ああ、とダンテは手を叩いた。確かにいた。スーツ姿に眼鏡をかけた、絵に描いたように神経質そうな男だ。
「そのマネージャーに電話は?」
エドは弾かれたように端末を取り出すと、操作してすぐさま耳に当てる。
繋がりさえすれば、ただの杞憂だったと笑い飛ばすことができる。少し敏感になりすぎていたのだと。だが、機械的なコール音が鳴るだけ。一向に通話が繋がる気配はない。
「……出ない」
何故、こんな時に。混乱した様子の二人を尻目に、いつの間にかどこかへ電話を掛けていたヨハンは端末を耳から降ろすとダンテの肩を引いた。
「ノアも出やがらねぇ。どっちへ行ったかは見たのか」
「多分、駐車場の方だって……」
舌打ち交じりのヨハンに、オストが答えた。
スタッフ用の車も停めてある。車に乗られてしまえば追いつくのは困難だ。
マネージャーと繋がらない電話。事態は、良くない方向へ動き出した。確信したダンテとヨハンはすぐさま駆け出していた。




