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硝煙のエリュシオン  作者: すずなか
― Case2:Jaldabaoth ―
23/39

[ 第一章 胎動 ] 1

 ビルの狭間の薄暗い路地裏で。ヒュッ、と風切り音が掠めた。

 吹き飛ばされた人間が壁に激突し、路地に放置されてあったゴミを巻き込んでけたたましい音を立てる。衝撃で蹲り、立てないでいる男に徐ろに近づくと、ヨハンは硬いブーツの先で容赦なく男の頭を蹴り飛ばす。男は小さく呻いたあと、ぴくりとも動かなくなった。

「ハッ、でけぇ口叩いといて情けねぇなァ?」

 唇に酷薄な笑みを刻んで振り向くと、連れの男たち二人がビクっと体を揺らした。彼らの目からは完全に戦意は喪失していた。ヨハンの容姿を見て舐めてかかってくる男たちがほとんどなので、初めの一撃で大抵の輩はこのような反応を示す。

 ヨハンは詰まらなそうに舌打ちすると、足元で伸びている男を指さした。

「コイツ連れてとっとと帰んな」

 男たちは弾かれたように駆け寄り、ヨハンが早々に叩きのめした男を連れて行こうと腕を掴む。

「おい」

 男の一人に乱暴に声をかけると、ヨハンは銃口を突きつけた。ヒッと掠れて引きつった声が聞こえたが、それも無視する。

「二度目はねぇ。次同じことしてきやがったらその時は、……分かるよな?」

 艶やかにすら見える笑みの、瞳の奥。そこには底冷えするような殺気が垣間見えた。

 男は可哀想なほど顔を青褪めさせて、必死で頭を縦に振った。

「行け」

 短く命令する。大の人間一人を担いでいるとは思えない素早さで、男たちは逃げて行った。

 慌ただしい足音と入れ替わる様に、こつり、と穏やかな足音がする。ふり返ると、ヨハンよりも遥かに体格のいい相棒が太く男らしい眉を困った風に下げて、苦笑いを浮かべていた。

「ずいぶん容赦なくいったなぁ」

 呆れたようではあるが、ダンテは窘めているわけではない。

 闇に溶け込む出で立ちをしながらも、真珠の様な白い肌が完全にはそうさせない。見ようによっては女性とも取れる中性的な容姿がどこか危うげな雰囲気を醸し出し、人々を惹きつけてしまう。喧嘩好きな乱暴者と思われがちなヨハンだが、本人から吹っ掛けて回っている訳では無く、勝手に周りから寄って来てしまう。それが分かっているので、ダンテもあまり叱責する気はなかった。ただ、それにしてもヨハンのあしらい方に難があるのは否定できないが。

「馬鹿にはあれくらいはっきりやっとかねぇと分かんねぇんだよ」

「まあ相手さんはしばらく再起不能だろうな」

 わはは、とダンテは快活に笑い飛ばした。

 路地裏から出れば、チンピラがたむろしていた陰鬱な道とは打って変わって活気のある大通りに出た。駅前に面したこの道は、様々な人が行き交い様々な店が立ち並んでいる。ショッピングを楽しむ女子学生の集団を避けながら、ダンテとヨハンは駅の方へ向かって歩く。

 雑踏や車のエンジン音、果てはどこかの宗教団体の喧しい演説などでごった返す都会の喧騒の中で、どこからか聞き覚えのある旋律が流れてきた。

 街頭の大型モニターに映るのは、今話題沸騰中、ヨハンもよく聴くロックバンド、NoaHノア。彼らの新曲のコマーシャルだった。

「あのお兄さんたち、無事にやってるかな」

 モニターに視線をやりながら呟くダンテに、ヨハンは空返事を返す。曲は気に入っている割に生み出す人間には全く興味が無い、なんともドライな反応だ。


 遡ること一日前。ダンテが夜中に拾ってきたオルニットとアグリコラの混血の青年は、夜が明けてから目を覚ました。

 はじめは堅気に見えないダンテの外見にたいそう怯えていたが、なんとか事情を説明すると今度は平謝りとお礼の連呼を始めた。連絡を取って迎えに来た仲間二人へ引き渡して、気が付いた。彼らこそ今をときめくロックバンド、NoaH本人たちだと言うことに。


「ちゃんと病院行ってるといいけど」

 モニターでは新曲のメロディをBGMに、インタビューの映像が流れている。

 本来身を隠して生きるジェナスが多い中、翼と角を持った己を隠すこともなく堂々とした態度で語るのは、ボーカルのレン。ジェナスたちへの偏見や間違った知識を無くし、理不尽な脅威に怯えることなく堂々と外を出歩くことが出来る、そんな世界を作りたい。と、真剣に語りながら活動しているのは有名な話だ。

 ちなみにヨハンは今の今まで全く知らなかった。有名なバンドのボーカルがジェナスであることも、彼の崇高な理念も。

「……あんたが気にすることじゃないだろ」

 ダンテの話にテンション低く相槌を打っていたヨハンが、ぴたりと足を止めた。

 あまりにも唐突だったので、ダンテも足を止め、ヨハンを見やる。深海のような深い青の瞳を眇め、じっと人混みを注視している。倣うように、ダンテもその視線の後を追った。

 行きかう人々の中で、様子のおかしい男がいた。よれたスーツに、乱れた髪。どこかこけた頬は青白い。やつれた様子の四肢とは打って変わって、腹部だけが異様に膨らんでいる。まるで、胎児でも身籠っているかのように。

「なんだ……?」

 ダンテが眉間に皺を寄せ、ぽつりと呟いた。

 男の目は虚ろで、焦点が合っていない。ぼんやりと立ち尽くし、時折ふらりと揺れる。だが、誰も気にも留めない。存在感が、まるで無い。

 気になったダンテが踏み出そうとした足を、ヨハンが腕を掴んで止めた。険しい視線で、相変わらず男を注視したまま。

 訳を聞こうとしたとき。びきりと、空間にひびが入る音がした。いびつで不快な不協和音は、チェイサーたちには聞きなれた音だ。

 男の体が大きく痙攣したと思えば腹が割れ、中から腕が突き出てきた。丸みを帯びてぷっくりとした幼い手の平は、人間の赤ん坊のものを連想させる。しかし異様に大きい。到底人間一人に収まるサイズではない。空間ごとぱっくりと割れた男の中から、異形が這い出して来る。

「アルスマグナ……!」

 ダンテが唸るように呟いたとき。女の、甲高い悲鳴が響き渡った。

 瞬間、弾かれたように逃げ惑う人々の波が混乱を生む。

 ずるりと這い出したアルスマグナは、異様に大きい赤ん坊のような頭と両腕に対して体と足は小さく、腕を使って這いずるように動き、逃げる人間を追う。

 ――面倒臭い。

 ヨハンはまずそう思った。

 街中での戦闘は厄介ごとが多い。ましてや下手に民間人が死んだ場合、責任を取らされることもある。仕事とあらば責任を果たすつもりだが、今回はたまたま居合わせただけ。報酬もまともに出ない可能性もあるのに、自身の命を懸けて他人を守る理由が、ヨハンには見つからない。

「おいダンテ」

 召集でやってくる他のチェイサーに任せ、一般人の顔をして人混みに乗じて逃げる。そう、ダンテに声をかけようとしたが、すでに遅かった。隣にいたはずの相棒は駆け出し、アルスマグナへ一直線に向かっていく後ろ姿が見えた。

「あー……」

 行き場の無くなった手で、ポケットを探る。ダンテの背を追いながら、スマートフォンを取り出すと、手早くアプリを立ち上げて通報の信号を送信した。

 ヨハンはドライだが、いかにも強面な外見に反して存外お人好しの相棒を放っていく程、冷血ではない。



 ダンテは人の波を器用に躱しながら、全力で走る。恐怖で動けなくなっている少女へ今まさに飛び掛かろうとしていたアルスマグナへ、勢いを殺さず地を蹴った。いびつな図体をした横っ面へ、揃えた両脚が叩き込まれる。ダンテの体重と膂力が乗ったドロップキックの衝撃に、アルスマグナはボールのように吹き飛ばされ、派手な音を立ててタイル張りの大きな柱に激突した。

「大丈夫か。動けそうなら早く遠くへ」

 体をひねり身軽に着地したダンテは、すぐさま少女へ声をかける。少女は茫然としたまま頷くと、ゆっくりとだが言われた通り後退していく。それを満足げに見やるダンテの背後で、二度銃声が鳴った。

「油断してんなよ」

 ふわりと軽い身のこなしでダンテの前に相棒が立つ。アルスマグナはよろよろとたたらを踏んでいた。

「アンタの怪力も実弾もダメージなし、か」

 呟いて、ヨハンの右手にある銃から、青白い燐光が舞う回路のような模様が浮き上がる。

 漆黒の銃身には、“ORTLINDE”と彫られてある。元々ワルキューレと名付けられていたヨハンの銃にちなんで、戦女神の一人から名前をとりました、と。得意げに語っていたノアの蘊蓄は、話半分どころか九割ほど聞き流してきた。

 ノアから受け取ったばかりのこの銃は、今回が初陣となる。ヨハンの魔力にも素直に反応を示すオルトリンデは、中々いい子なようだ。魔力の伝達速度も、回路の強度も格段に良くなっている。以前はヨハンの魔力と術式の処理速度に耐え切れず、回路にガタがきていた。第七階位の魔法を使う度に壊れられては困るが、あれ以上の性能のマキナとなると、値が張りすぎる。どうしたものかと、思案していたところでノアの意外な才能だった。

「物理がダメなら、ヨハンの出番だな」

 面倒そうにしながらも、ダンテのためならばなんだかんだと動いてくれる。本人に言えば臍を曲げるので黙っているがつい顔に出てしまうのを隠せない様子で、ダンテは親指を立てた。ヨハンは察しているのか、ダンテの嬉しそうな笑顔を見て不服そうに眉を顰める。が、すぐに小さく首を振り表情を改めた。

「まあ、そうだな。燃やすか。試してみたい事もあるし……来るぞ」

 コイツならいけそうだ。と、オルトリンデを握り直すヨハンに意図を問う間もなく、遮られてしまった。

「あ……、ぶ……」

 喃語のような、意味をなさない声を漏らすアルスマグナは、赤ん坊、と呼ぶにはあまりにも大きく、歪な形をしている。異様に膨れ上がった頭部に対し、胴体は小さく、下半身部分には小さい人間の足が無数に生え、もぞもぞと悍ましく蠢いていた。小さな体と足では頭部を支えきれなさそうな分、発達し肥大した両腕で、小さな足を引き摺りながらゆらゆらと前進してくる。

「まん……ま……ァ」

「っ!!」

 緩慢だった動きから一転、アルスマグナは突如大きく口を開き、飛び掛かってきた。ダンテがヨハンを庇いながら横へ飛び込むように躱す。

 空振りに終わったアルスマグナは、ゆらりと起き上がり、再びずるりと音を立てて二人を追う。

「急に俊敏になったなコイツ」

「ミルクをご所望だってよ。アンタ乳でけぇし、いけんじゃね?」

 実弾でけん制しつつ間合いを図りながら、ヨハンはニヤリと意地の悪い笑みで、悪態を吐いていたダンテを見た。ダンテは豊満な胸筋を両腕で隠し、わざとらしく恥じらう仕種をする。

「出るとしてもパパのミルクかな……」

「ぶはっ! アンタ最高に狂ってんな」

 途端、ヨハンが秀麗な顔に似合わない大きな口を開け、大声で笑った。お陰で照準が大きくぶれ、すぐに距離を詰められるが二人は慌てた様子も無い。

 ダンテがすかさず前へ出て、拳を振り上げる。硬い物同士がぶつかるような鈍い音が響き、アルスマグナの動きが若干怯んだように見えた。僅かな隙を狙うように、爆発が巻き起こる。ヨハンが放った魔法弾だった。

「言っとくけどヨハン、俺じゃなかったらセクハラだからな今の」

「パパのミルクとか言うやつに言われたかねぇな」

 いまだツボから抜け出せないでいる様子のヨハンに、火傷をこしらえて慌てて飛び退いていたダンテが恨みがましそうな視線を向ける。その間にも、ダンテの火傷はみるみる修復されていった。異様な、しかしヨハンにとっては見慣れた光景だった。

「オーケー、じゃ片付けるか」

 言って、構えた銃口から光の法陣が生まれる。

「あ……ぎゃ」

 喉から音を漏らすアルスマグナに構わず、引き金を引く。

 銃声が一つ。ひと際大きな魔法陣が弾けた。放たれた弾丸がゲートを介し、空中で魔法に書き換わる。

 先程放った爆裂魔法は第三階位イグニール。攻撃魔法の基本中の基本とも言えるポピュラーなものだ。術式が単純で詠唱が早い割にそれなりに威力が出るので、よく使うチェイサーも多い。ダンテもよく知るその魔法は、アルスマグナを左右で挟み込む様に爆発する。

 ダンテは即座にヨハンを庇った。叩きつける爆音と爆風に、飛ばされまいと踏ん張る。

 二重に発動した様に見えた爆発は、単純計算で二倍以上の効果を生み出してアルスマグナを消しとばしていた。近くのガラスは全て砕け散り、外壁にもヒビが入っている。

「上出来」

「……ヨハン」

 ヨハンが満足そうに呟いた。周囲の惨憺たる有様は眼中にない様子に、ダンテはじと目で咎める。魔法を放った本人ですら想定外の威力だったのだろう。庇った時の一瞬、呆気に取られて青い瞳が二、三度瞬いていたのを、ダンテはしっかりと見逃さなかった。

「にしても、いつもと何か違わなかったか?」

 よくぞ聞いてくれました、と、ヨハンが得意げに笑う。

「二重展開にしてみた。今までのポンコツじゃ回路が焼き切れてたからな。ノアもいいもん作るじゃねえか」

 ヨハンの『試したいこと』とは、これだったらしい。

「ま、あんたにゃ分かんねぇかなァ」

「いやそれぐらい分かるし! 俺だって昔勉強したからね使いたくて!」

 だから、魔法の多重展開が容易ではないことも、ダンテは知っている。それを事も無げに言うヨハンには、空恐ろしいものを感じた。そうとは知らず上機嫌らしいヨハンは、やけにダンテに絡んでくる。それを適当に宥めていると、ダンテは野次馬の中に見知った人影を見つけた。

「あ」

「なんか騒がしいと思ったらあんたたちだったの」

 こつりと硬いヒールの音を鳴らして人混みから現れたのは、長い白金の髪が陽光に眩い美女だ。アルビオンと呼ばれる種族の特徴である、長く尖った耳を持っていた。

 彼女の隣にいる、片角の折れたアグリコラの男が腕を組んで渋い顔をしている。東方の島国の民族衣装が、多様な民族が集うこの街でもどこか異彩を放っていた。

「お前たち……」

 周りの惨状をちらと見て、武骨な指で眉間を揉み、溜息を吐く姿はどこか哀愁が漂う。

「カエデさんにクリス姐さん! 遠征お疲れっす」

 どこ吹く風のダンテは、呑気に手を挙げてひらひらと振る。

 ダンテでも見上げるアグリコラのカエデが、肩を落として小さくなった。

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