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硝煙のエリュシオン  作者: すずなか
― Case1:Belphegor ―
21/39

終章 Everyday is a New Day

 未だふわふわとおぼつかない足取りで、ノアはDMO本部内にある廊下を歩いていた。

 白で統一された窓のない通路だが、明々とした証明に照らされてとても明るく清潔感がある。装飾品などは少なく、つるつるとした金属製の壁には、幾何学模様が凹凸で刻まれており、底を度々様々な色の光が走って行くのがノアには見えていた。

「大丈夫?」

「は、はい。お心遣い、ありがとうございます」

 歩きながら壁の模様を走る光をぼんやりを目で追っていたノアの隣には、背中まである柔らかそうなグレージュの髪の、糸目だが整った顔立ちの女性が歩いていた。

 腰からは、広げれば女性の身長よりも大きさがありそうなほど大きな、鳥の羽によく似たふかふかとした翼が伸びており、器用に折りたたまれて女性の背後に収まっていた。不意に立ち止まった彼女に気づき、立ち止まって女性にしては高い位置にある顔を見上げると、すっと腕を差し出されてノアは首を傾げる。

「ん」

 表情があまり動かず、何を考えているのか、感情が読み取れない女性だったが、ほっそりとした腕を差し出して捕まるよう促してくるのを、ノアは優しさだと受け取って控えめに笑う。

「だ、大丈夫ですよ。ありがとうございます、フレデリックさん」

 小さく手を振って辞退すると、「そう」と小さく言って、首元でもたついている黒のストールを引き上げると口元を隠して、何事もなかったように歩き出す。ノアは再びふわふわとする足で、彼女の背を追った。

「……ここ」

 それからまもなく、通路にいくつかある扉のうち、一つを指さしたフレデリックを見上げ、軽くお礼を言って、ノアはそのドアの前に立つ。人を感知した扉はすんなりと横にスライドして開き、中の様子を伺うことができた。

 さほど広くはない部屋の、ドアから入った左右に見える壁はすべて、扉がガラスでできたロッカーが敷き詰められており、中にはDMOと刻印のある黄色の防護服が一式おさめられている。

 防護服のおさめられたロッカーの前には低い革張りのベンチが左右3台ずつ置かれており、細長い部屋の中心は通路のようになっていた。

「座ってて」

 部屋の中に入り、辺りを物珍しそうに見回していたノアに短くそう言うと、フレデリックはどこから取り出したのかスマホを片手に、ノアがお礼を言う間もなく入ってきたドアから出て行った。

「……いい人だなぁ、ヴィヴィアンさんの相棒とは思えないや」

 苦笑いして少し失礼なことを言ったノアは、入り口に一番近いベンチに、ロッカーを背にして座ると小さく息を吐き出した。

 改めてくるりと部屋の中を見回すが、特に変わったところはなく、廊下とは少し異なった、電子回路図のような模様が浮かび上がっている。そんな床をしばらく見つめてから、ノアは目を閉じた。

 それからわずかな間を開けて、部屋の奥の壁の中央にあるこの部屋の扉と同じような扉が、わずかな駆動音とともに開く。音に気がつき目を開けたノアの瞳には、床の模様は見えなくなっていた。

 そのまま開いた扉の方を見ると、中から男が不機嫌そうな足取りで歩き出て来るところだった。

「……屈辱」

 黒くつややかな髪は、もみあげ部分が長く後ろは綺麗に刈られた髪型。袖の無い黒のハイネックに同色のパンツは、太いベルトが巻かれている。澄んだ湖のような色の瞳は不快げに細められ、形の良い眉はこれでもかと言うほど顰められていた。腰をかるく叩きながら大股に歩くその見知った姿を見て、ノアは安堵のため息を漏らした。

「ヨハンさん」

 ヨハンは嫌そうに顔を歪めると視線を逸らしたが、ノアはヨハンの疑問を口に出す。

「あれ?ダンテさんは、一緒じゃないんですか……?」

 ノアの言葉に、目線を一度だけノアに合わせ踵を返すと、先ほど出てきた扉へと歩いていく。何も言わないヨハンに戸惑っていたノアだったが、その背中を追って開け放たれたままの扉をくぐった。

 そこははただの通路のようにも思えたが、入って左側の壁が透明になっており、隣の部屋が見られるようになっていた。

「あ……」

 ノアが小さく声を上げると、中にいた人物もその姿に気がついたのか、ガラスのところまで近寄って、にかりと歯を見せて笑った。

「よう、調子はどうだ?」

「だ、ダンテさん!」

 透明なカーテンのようなもので四方と天井を覆われた、真っ白のベッドがいくつか並んでいる部屋。透明な壁で区切られたその部屋に、衣服は元着ていたものではない真っ白な病衣で、目立っていたピアス類もつけて居ないダンテが、ノアがいる通路と部屋を隔てる透明な壁に手をついて、ノアの姿を見て笑みを浮かべていた。

 その後ろにもう一つ見知った顔があることに、ノアが気づいて目を瞬かせる。

「テオ先生...!」

「おう、ノア。大変だったな」

 町の病院で一度世話になったヴィンフリートが、相変わらずの眠そうな顔で、ダンテの後ろからマグカップを片手に、驚いているノアに挨拶する。

「こいつの事なら心配いらないぞ、こんな図太いやつ殺したって死にゃしねえよ」

 大げさにため息をついて肩をすくめたヴィンフリートは、チラリと隣に居るダンテを見る。へらりと笑みを返してくるダンテの様子に、眉間に深い皺を刻み頭を軽く振ってから、ノアに視線を戻した。

「この馬鹿はな、直接ベルフェゴールの毒に晒されたせいで、これから検査やら消毒を入念にやるんだよ。だから今日は帰れないだろうな」

「あ、そ、そうだったんですね……」

 目の下にはっきりと隈を作ったヴィンフリートの盛大なため息に、ノアは苦笑いを返してヨハンを見上げる。その視線に気づいたヨハンも、ノアに視線を向け、気になっていたと片眉をつり上げた。

「そういやお前、なんでここに居るんだよ」

 立ち上がったノアを見つけたヨハンは、顰めた眉の片方をつり上げ、訝しむような視線を向ける。

「えっと、……ですね」

 ばつが悪そうに頬をかいて言いよどんだ言葉にヨハンが首を傾げ、ダンテとヴィンフリートは顔を見合わせて首を傾げると、ノアは苦笑いを浮かべる。

「……それが……」


 ◆


「ハァ~!?ここで働くだぁ!?」

「は、はい」

 ヨハンの驚きによる声が、イスラフィル事務所の応接室の中に大きく響く。驚きながらも眉を顰めて、嫌そうな顔をするヨハンに、ノアは首をすくめて頷いた。

「お前、冗談も存在だけにしとけよ!」

「その節は、すみません……」

 軽口にも律儀に頭を下げたノアを見たヨハンは、嫌そうに鼻にしわを寄せ顔を逸らす。

「……真面目に受け取んじゃねえよ」

「え?な、何ですか?よく聞こえなかったです、すみません」

「うるせえな!」

「うるせえぞヨハン!今大事な話してんだ静かにしてろ!」

 ドレイクに一喝され、深くため息をついたヨハンは、それ以上関わりたくないとでも言うように、ソファに横になって目を閉じてしまった。

 ドレイクの机の前には、ノアたちがフレデリックに送ってもらい到着した時から、ノアには見慣れないような見たことがあるような男が立っていた。

 ヨハンとドレイクを交互に見ていたノアだったが、執務机の隣に立っていたフランシスに、口元しか見えないがにこやかに手招きされて、おとなしくフランシスの隣に立つ。そして、自分たちに背を向けていた男の顔を見て目を丸くした。

「あ、れ?ヴィヴィアンさん……?」

 ノアが首を傾げて見上げたヴィヴィアンは、これまでのワイルドな印象とは違い、髪は丁寧に整えられ、質の良さそうな黒の三つ揃えのスーツに身を包み、ゆったりとかまえ落ち着いた微笑みを浮かべていた。

「よぉ、ノア。単純な洗浄で済んだみたいで何よりだ」

 そう言うと器用にウインクしたヴィヴィアンの顔を見上げ、ノアは内心自分の知っているヴィヴィアンだなと少し安心して、詰めていた息を吐く。

「能書きは良い、説明しろ」

 不機嫌そうに睨み付けるドレイクに、やれやれと芝居がかった様子で肩をすくめてみせると、ヴィヴィアンは手に持った皮のブリーフケースを机の上に置いた。

 パチンと軽快な音をたてて留め金を外して中からいくつかの書類を取り出してドレイクの前に、薄緑色の紙と白の紙を二種類差し出す。

「後はこちらにサインしていただければ完了ですよ、Ms.」

 胸元から革巻きのボールペンを取り出して差し出すが、ドレイクはその手を無視して書類を掴み上げると、内容を改めるように、その上に記された文字を視線で追っていく。

 その様子に苦笑いしたヴィヴィアンは、今度はノアとフランシスに向き直り「さて」と笑みをうかべる。

「お前にとってもグッドでビックなニュースだ、良かったな」

 そう楽しそうに言って、何枚かの紙を取り出すと、二人の前に押し出した。

「えーっと……、出生登録…、住民申請、就業報告、養子、縁組み……?」

 書類の一番上にかかれた文字を目で追い、思わず読み上げたノアは目を見開いてヴィヴィアンを見上げるが、ヴィヴィアンは何やら含みがあるような笑みを浮かべると、ノアにウインクを返してくる。

「ここにサインでいいかね?」

「ええ、結構ですよSir」

「え?え、ちょっと待ってくださいあの」

 ノアの戸惑いなど知らない様子で、フランシスが胸元から万年筆を取り出すと、それぞれの書類の、長い規約などが記された後に、間を開けて引かれた下線の上にさらりと流麗な文字を書き込んでいく。

 記入された文字は、いずれの書類もインクが溶けるようにその紙に消えると、書類の縁を囲う幾何学模様の上を黒い光を伴って走り、書類上部の紋章のようなものの中心に収束する。

 その様子を見届けたフランシスは、「ふむ」と一言納得した声を出すと、書類をノアの前に押し出して、自分の万年筆をくるりと回し持ち手をノアへと差し出した。

「さ、名前を書きたまえ」

「ちょ、ちょっと待ってください、話について行けません」

「何を言う、私が父親代わりでは不服かね?」

 サングラスの奥で片眉を上げている気配がすると、ノアはサングラスの闇に覆われた奥の瞳が、赤く輝いたように感じた。

「ひ、え、いえ……そういう……訳でなく」

 どうしてか霞がかかる頭を振ってフランシスを再度見上げると、柔和な微笑みを口元に浮かべたフランシスが、ノアの背を優しく叩いてサインを促す。

 すると、「養子縁組」という言葉が聞こえた辺りでがばりと身を起こしていたヨハンが近寄ってきて書類を見ると、あきれたような視線をフランシスに向けた。

「お前の養子なんて、誰でも嫌だろうよ」

「何だって、おじいちゃまは……悲しいぞ……」

 じとりとした視線をむけるヨハンに、フランシスは芝居がかって大げさによろめいて、うなだれて見せる。

 ヨハンは、大いに眉を困らせて、自分に助けを求めて見上げてくるノアを見下ろし、嫌そうに眉を顰めたものの、大きくため息をつくと口を開いた。

「ここで働くなら必要な事だし、養子縁組はアレだ……強引な背景作りだろうよ」

 書類を眺めたまま、ノアに視線を向けずにそう言うと、面倒そうに眉を顰める。

「とにかく、このおっさんが仮親ってのは嫌だろうけど、この街じゃ身元は確かだ。おとなしく従っとけ」

 ノアが何かを言う前にヨハンがそう早口にまくし立てると、ノアはそれ以上何も言えず、小さく頷いて机の上に置かれた万年筆で各書類に名前を記していく。

 フランシスが記入したときと同じように、インクが滲み溶けて、縁を赤い光ではなく、白い光を伴って滑っていき、紋章のようなものに収束するのを見届ける。

 すると、それまで後ろでうなだれていたフランシスが含み笑いをし、それはだんだん高らかな笑いになる。ノアは眉を困らせて、気味悪げにフランシスを見つめたヨハンを見るが、ヨハンもよほど気味悪がっているのかノアの視線に気がつかない。

「はっはっは!ノア、これでお前は私のものだ!これより先、お前は私の為に命を尽くし、その身をかけ働かなくてはいけない!」

「ええええ!?そ、そんな書類だったんですか?」

 縮こまるノアの肩をつかみ、高らかに笑ったフランシスの姿に、ノアは涙目になりながらサングラスの奥を見つめたが、なぜか全く見え無い瞳から感情を読み取れるわけもなく、不安だけがノアの中で膨らんでいく。

「話ややこしくしてんじゃねえぞクソジジイ!お前もすんなり騙されてんじゃねえよ!」

 ヨハンはノアの肩をつかんでいるフランシスの腕を掴み、ついでとばかりにノアの頭をごく軽く叩いた。

「彼があまりに純粋だから、つい可愛がってしまうんだ。パパを許しなさい、我が息子」

「誰が誰のパパだジジイ」

 ヨハンの腕からするりと離れながら大げさにため息をついたフランシスに、ヨハンは地を這うような声を出して睨み付けながら威嚇する。

「おい」

 しかしそれよりも圧倒的に、地の底から這って響いてくるような声で、3人のやりとりは中断される。そこに居た全員が、油の刺さってない機械のような動きで首を動かして、声の出所の方を向いた。

「これは、どういうつもりだ」

 声の威圧感からは到底考えられないほど、それは美しく微笑みを浮かべた隻眼の美女が、ヴィヴィアンに向かって書類を突き出している。

 怒りの矛先が自分たちでなかったヨハン・ノア・フランシスの3人はお互いにアイコンタクトをとると、それぞれ口を押さえて、静かに執務机から離れて、その前にあるソファの方へと避難する。

 ドレイクの宝石のような瞳の瞳孔が引き絞られて細くなり、煌々と光り出すと、ヴィヴィアンは引きつった笑みを浮かべて、首を傾けた。

「あ、の?何か書類に不備が……?」

 その言葉が引き金になった。

「不備、不備だと?お前、今回の件。この正規の報酬のみで済ませようという腹じゃないだろうなと、聞いているんだが」

 美しい笑みが、嘘のように凶悪な笑みに変わる。

「そ、れは……」

 言い淀むヴィヴィアンの瞳を見つめながら、ドレイクは笑みを深くする。

「特異系列アルスマグナ討伐・ノアの保護・そして私の後詰め、……こちらの不備を差し引いても、この金額になるはずはないな?」

「……ドレイク様、後詰めの件は、確信犯ですね……」

 愉しげに笑みを深くしたドレイクに、ヴィヴィアンはがっくりとうなだれ肩を落とし、大きなため息をついた。

「私は、後詰めには私が入る、不満はあるかと聞いたぞ?」

 そんなヴィヴィアンにとどめの一言が入り、ヴィヴィアンは降参、とばかりに両手を挙げて首を振った。

「報酬は書類の倍額、そしてノアの住居の斡旋と敷金礼金、でいかがでしょうか」

「うむ、苦しゅうない」

 満足そうに書類を破り捨てたドレイクは、微笑みを浮かべて腕を組んだ。

「ハァ……やっぱり貴女との仕事は、全身の骨が折れるようですよ」

 さすがに疲れ切った顔をしたヴィヴィアンは、ノアとフランシスが記名した書類を集めてブリーフケースにしまうと、懐から取り出したスマートフォンを操作し通話を始める。

「フレディ、俺だ……誰だって、ヴィヴィアンだ。……何?知らない?いやいやいや、至急だ。……、そうだ、倍額の書類を……はい?直帰?いやいやいやいや、君今日はまだ……、って直帰したってことは俺、徒歩で帰るのか?本部まで?」

 出口に向かいながらそんな会話をしているのを聞いてしまったノアは、不憫に思いながらヴィヴィアンの背を見送った。

「ノア」

 憐憫の視線を送っていたノアの背中に、ドレイクの柔らかな声がかけられ、慌てて振り返ると声の柔らかさそのままの微笑みがそこにある。

「ようこそイスラフィルへ、今日からお前は私の大事な従業員だ。よく働き、よく役に立つんだぞ」

「あ……」

 自分に“何だ”と問いかけたときの、押しつぶされそうな程の威圧感を思い出して、少し身をすくめたノアだったが、ソファーに座り無表情にノアを見据えているヨハンと目が合うと、ドレイクに向き直ってその目を見つめ返して息を吸う。

「僕は、元アルスマグナのノアです。皆さんに受けた大きな恩に報いるため、精一杯働かせてもらいます。至らないところもたくさんあると思いますが、どうぞよろしくお願いします」

 はっきりとそう言って、深々と頭を下げた。

「ふふ、ヨハンよりもよっぽどしっかりしているな。よし、引き続きノアの事はヨハンとダンテ、お前たちに任せるか」

「な!ふざけ……。チッ……おい、ノア」

 愉快そうに笑ったドレイクに抗議しかけたヨハンだったが、途中で言葉を止め苦々しい表情になり、目をそらすと舌打ちしてノアを呼ぶ。

 不意に名前を呼ばれたノアは、勢いよく顔を上げて首を傾けた。

「手間、かけさせんなよ」

 ぶっきらぼうにそれだけ言うと、ヨハンは立ち上がり出口へ向かい歩いて行く。目を丸くしていたノアは、目に浮かびそうになる涙をこらえてその背中を追いかける。

「……ッ、はい!」

 ブラインドから光が零れるイスラフィル応接室に、ノアの明るい声が響いたのだった。



硝煙のエリュシオン― Case1:Belphegor ―


END

これにて、硝煙のエリュシオン本編、第1話が終了となります。

お付き合いくださいましてありがとうございました!


次回2話からは、書き手が変わりまして、相方のなかみさんの執筆となります。引き続きどうぞ、よろしくお願いいたします。

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