[七章 Belphegor]3
「はぁ?」
ノアの突然の願いに、ダンテは目を丸くして、ヨハンは顔を歪めた。二人の反応に怯むこともなく、ノアは言葉を続ける。
「僕はアルスマグナです、これからベルフェゴールのようになる事があるかも知れない、そうなったらもう」
ぱしんっ、と乾いた音がして、ノアのほほに小さく痛みがはしる。
「だから殺してほしいとかいったらぶっ飛ばすぞ」
「ヨハン、ぶっ飛ばしてから言うのやめよ?ね?」
頬を軽くはたかれただけだったが、よほど力が入っていないのか少年の薄い体は、いとも簡単に地面に倒れ込む。地面に尻餅をついたノアを、ヨハンは嫌悪感をあらわにした瞳で見つめていた。そんな二人を交互に見て、ダンテは眉を困らせている。ノアは睨み付けるように自分を見ているヨハンを見上げると、立ち上がって強い決意を込めた瞳で見つめ返し、再度口を開いた。
「殺してください」
「……次言ったらマジでぶっ飛ばすぞ」
「待て待て待て待て!!おまえのぶっ飛ばすはシャレになって無ぇ!やーめろって、この、アグリコラ擬き!」
今度は額に青筋を浮かべ明らかな怒りに染まる表情で、固めた拳を上げるダンテの腕を、つかんで引き留めようとするヨハンだったが、その腕の力は存外強く、前進していくダンテに引きずられていく。
「お願いします、僕は、あんな……」
こらえきれなくなったノアが俯くと、涙の膜が張った瞳から滴がこぼれ落ちた。だんだんと声が小さくなっていくノアの肩も、握った掌も細かく震え、それが悲痛な決意と恐怖を物語っているようだった。そんな姿を見たダンテは、形ばかりの怒りをおさめて、無言でノアを見つめているヨハンに視線を向ける。ヨハンはチラリとダンテを見て深いため息をつくと、ホルダーから銃を取り出し、ノアからさらに1歩距離をとると遊底を引いた。
「わかった」
短い言葉だったが、それはノアにとって救いの言葉だった。
救済の声に慌てて顔を上げると、怒っているわけでもない、静かに澄んだ青い瞳と視線が合って、これで本当に死ぬんだなと、ノアはどこか他人事のようにぼんやりと思った。ダンテは感情の読めない無表情で二人からさらに一歩離れたところから、腕を組んで二人を見守っている。
「ありがとう、ございました」
そう言って笑顔を浮かべた少年の胸に、ヨハンが銃を向けると、銃身をその瞳と同じ青が走る。銃口から放射状に広がっていく円形の幾何学サークルを、ノアはどこか祈りを込めて見つめていた。
青の空気に、赤い閃光がスパークする。銃口の奥へ光が流れ込み、収束していく。
(これで、ぼくは)
ノアは目を閉じて、そのときを待った。
――― ガァン……! 暗闇の静けさに包まれた公園に、銃声が一つ鳴り響く。
目を閉じで衝撃を待っていたノアだが、その時はいつまでたってもやってこない。恐る恐る目を開けると、目の前には透けた青色の膜がノアを覆っていた。その膜にヨハンが放った銃弾が突き刺さっており、そこからだんだん罅が広がっていく。そしてガラスが割れるように、その膜がパシンと音を立てて消えた。
「え……ええ……?」
目を白黒させるノアに、不機嫌そうな顔をしたヨハンがつかつかと寄ってくる。なんとなく、叩かれるのだと思ったノアは、体を強ばらせて目を瞑る。少年の目の前で立ち止まったヨハンは、あからさまに怯えた様子の少年の反応を、しばらく無言で睨むように見つめていた。
「う、……わぁ!」
叩かれると思っていたノアがうっすら目を開けると、ヨハンが小指を下にして立てる指先をそろえた掌を、ノアの髪が跳ね回っている頭に落とすところだった。軽い衝撃が頭に伝わり、ノアの口から気の抜けた声が上がると、その姿に舌打ちをして、ヨハンはくるりと背を向ける。
「……満足したろ」
そう、ぽつりと言うと、公園の入り口へとノアとともに歩いて来た方向へと何も言わずにズンズンと歩いて行った。
「えっ、なんで……えっ、あの」
「ほら、帰るぞノア。後はDMOに全部任せようぜ」
一部始終をただ見守っていたダンテは微笑んで、混乱してヨハンの背とダンテを交互に見て涙目になっているノアのそばへと歩いてくる。殺されなかった、という結果がノアの混乱に拍車をかけて、差し出されたダンテの手を、首を振って拒否した。
「……ワガママ言うやつは、こうだ!」
青ざめ後ずさるノアの拒絶をワガママ扱いして、ダンテがノアの服の首根っこの下あたりを掴みあげ、空中に浮かせると、ヨハンの背を追い歩き始める。元々歩幅の大きいダンテは早足に進んでいき、ヨハンの背もみるみる近づいてくる。その間ノアは足をばたつかせたり、つかんでいるダンテの腕を叩いたりと反抗を試みていたが、何をされたとも感じていないダンテはニコニコと笑っていた。
「どうして、どうして殺してくれないんですか!」
暴れながらそう叫ぶと、ダンテがピタリと立ち止まり、ノアを自分の目線の高さまで持ち上げ、肩眉をつり上げて口を開く。
「ベルフェゴールは死んだ、あの腐った泥の中でな」
そう言ってニヤリと笑うと、ノアの胸ポケットをぽんぽんと叩く。そしてまた、ノアをつり上げた状態のままでヨハンの背を追っていく。唇をかみしめたノアが、ダンテに叩かれた胸ポケットに手をあてると、何かが入っている感覚があり、手を突っ込んで中のものを取り出した。
「……これ……は」
それは、下水道に降りる前、ヨハンがノアのために作り出した、守護石となったダンテのピアスだった。掌に置かれたそれは、役目を終え罅が入りもろくなっていたのか、ノアの掌の中でボロボロと崩れて、砂のようにさらりと風にさらわれて消えると、手の中にはピアスの金具だけが残った。
「俺たちは【チェイサー】、アルスマグナを殺すのが仕事だ。だからもしも、そんな時が来たら、俺たちに任せろ。頼まれなくても、きっちり殺してやるよ」
そう言ったダンテがどんな表情をしているのかは、金具を握りしめて顔をうつむけたノアには、見ることができなかった。そんなノアに、いつの間にか追いついていたのか、ヨハンの声が聞こえてくる。
「頑張ったガキのために、俺がわざわざ一個くらいお願い聞いてやるかなんて思った途端これだ。何だ殺せって、珍しくまごころ出してみりゃ訳のわかんねぇ事言いやがって、俺の良心を返しやがれってんだクソッ、クソッ」
矢継ぎ早に繰り出される悪態の数々に、ダンテが笑いをこらえて頬を震わせていると、「何笑ってんだアンタ」と地を這うような低い声が飛んでくる。自分にも不機嫌の火の粉が飛んできて、ダンテは目を丸くしてヨハンを見た。
「だいたいなんだアンタその匂い、マスクとった瞬間鼻ぶっ壊れたかと思ったわ」
「酷いな!下水道に半日浮いてりゃ、誰だってこうなるだろ?!」
ダンテとヨハンの賑やかなやりとりを聞きながら、不器用な、そして真っ直ぐな、二つの形は違うが同じ優しさに胸が詰まり、ノアの瞳からはボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちていた。
◆
ダンテとヨハンが騒がしく言い合いながら戻ってきた公園入り口には、3つの影があった。
「おぉ~?ダンテお前生きてたのか!」
はじめに声を上げたのは、ボロボロのダンテの姿を見て驚きに目を見開き、しかしうれしそうに笑ったヴィヴィアンだった。
しかし、衣服のあちこちが破れ、上半身に至っては破れて布のかけらのようになった赤いシャツが引っかかっているのみで、ほぼ上裸の状態のダンテの体を、ヴィヴィアンにじっくりなめるように見つめられ、ダンテは眉間にしわを寄せた。
「よくやったお前たち!」
ヴィヴィアンの頭を軽く平手打ちして吹き飛ばすと、ドレイクは豪快に笑って両手を広げた。軽くはたかれただけに見えたヴィヴィアンの体はまず宙に浮かび、それから地面に激突し、ごろごろと転がって電灯の柱にぶつかって動かなくなった。そんな姿に目もくれないドレイクは、三人を抱きしめようと近づきかけて、眉を顰めピタリと足を止める。
「おまえたち、なんだその酷い匂いは……残飯の上から牛乳をかけて発酵させ、牛とトロルのクソを一緒に混ぜたみたいな匂いだ……」
「ふざけんなババア!俺じゃねえ!ダンテだ!」
「俺下水に浮かんでたんすよ!もっと気遣ってくれても良かないですかね!?」
眉を顰めて鼻を摘まんだドレイクに、ヨハンとダンテは抗議の声を上げるが、ドレイクは嫌悪を隠さない顔で下がっていった。もう一人、圧倒的な存在感を放っていたノインが身を乗り出し、まじまじとその姿を見つめて確かめると、長く息を吐き出して口を開く。
「ばっちいのう、だんてとやら……しかしばっちいのう」
「二回も言うなよ、傷つくだろ!って、誰だあんた!」
「DMOの魔術顧問じゃ、ノアのマブダチじゃな」
「駄目だノア!こんな変な怪しい人と付き合うのは、お兄さん許さないからな!!」
声を荒げたダンテにかわいらしくウインクしたノインを指さし、ノアの肩をつかんで揺する。目の前で起こる目まぐるしい様子に、目を瞬かせたノアは、助けを求めるようにヨハンを見るが、鼻筋にしわを寄せたヨハンにはふいっと目をそらされてしまった。
「いててて……さ、さあさ、お前たち」
ドレイクにいとも簡単に吹き飛ばされ、首を押さえながら三人の元に戻ってきたヴィヴィアンがパチリと指を鳴らす。すると、どこから現れたのか、バイオハザードの印がついた黄色の防護服を着たDMO職員が三人を取り囲んだ。
「は?何のつもりだ」
じりじりと距離を詰めてくる、黄色い防護服の男たちを睨み付けながら、ヨハンが後ずさろうとすると、なぜかダンテに肩をがっしりとつかまれる。そして、ヴィヴィアンはにんまりといやらしい笑みを浮かべてダンテとヨハンの様子を見たあと、そのまま大げさなやけに芝居がかった様子で肩をすくめると長いため息をついた。
「何のも何も、お前たちは病原体の塊と戦闘していたんだぞ?」
がっしりと肩をつかまれたヨハンと、逃げようとする相棒の肩を拘束していたダンテは、あっという間に黄色の防護服を着た男たちに拘束されて、有無を言わさず連行される。
「もちろんお前たちは、消毒だ」
語尾を上げるヴィヴィアンに呪詛のような言葉を浴びせながら、にっこりと言い笑顔を浮かべているダンテとともに、ヨハンもなすすべ無く連行されて、DMOの特装車に押し込められてしまった。
◆
「まーまー、別に取って食おうってんじゃないんだから、そう暴れてくださんなって」
相変わらず首を押さえたままだが、ヴィヴィアンは特装車の前の座席に乗り込んで、隔離された車両後部に押し込められたヨハンとダンテに声をかける。すると、急におとなしくなったヨハンが、眉間にしわを寄せて自分を見つめていることに気がついたヴィヴィアンがにっこりと笑みを浮かべて首を傾ける。
「なんだい?ヨハン、お兄さんに聞きたいことでもあるのか?俺の電話番号なら……」
「アイツは、どうなるんだよ」
ヴィヴィアンの軽い調子の言葉を遮って、ヨハンは彼を睨みながら静かに問いかける。その問いかけに、片眉を上げるとヴィヴィアンは口元から笑みを消した。
「処分」
「ッ、そんなこと……!」
あまりに簡素な答えに、ダンテが思わず身を乗り出して、座席と車両後部を隔てる透明な防壁を叩いた。ヨハンは動きこそしなかったが、鋭い支線をヴィヴィアンに向けている。
「なーんてな、嘘でーす」
すると、ヴィヴィアンは両手の人差し指を自分の頬に左右それぞれあて、にっこりと笑顔を作った。
「なあヨハン、あいつ一回ぶん殴って良いか」
「あぁ行けダンテ、フルスイングしてやれ」
「はは、悪かったよ」
おどけた態度にあからさまな怒りを向けてくるヨハンとダンテの様子がよほど面白かったのか、声を上げて笑ったヴィヴィアンは、ばつが悪そうに座ったダンテと、ようやく視線をただの嫌悪のそれへと変えたヨハンに向かって片手をひらりと振る。
「その判断は俺がする訳じゃねえから、その可能性は0でもないが、まあ恐らくそんなことにはならねえだろうさ」
ヴィヴィアンは真面目な顔でそう言うと、二人から視線を外し、手を頭の後ろに置いて座席に深くもたれかかる。それ以上二人と会話をするつもりはなさそうな態度に、ヨハンとダンテはお互いに視線を向け、目が合うとダンテは元の場所に座り直し、お互いが向かい合うかたちに落ち着いた。
「……、なあ」
しばらく相方の顔を見つめていたヨハンだったが、居心地悪そうに座り直した後、その正面に座って壁に凭れ、目を閉じていたダンテに向かって声をかける。
「ん?」
すぐに紫の瞳がヨハンを見て、ヨハンは思わず、といった様子で視線を外したが、少しの間をあけて視線を戻す。不思議そうに見つめてくる相棒に、小さくため息をついて、ヨハンは口を開いた。
「アンタ、なんで止めなかったんだ」
そう言って眉を顰めたヨハンを、ダンテは目を丸くして見つけ首を傾けた。
「……信じてたからな」
そういったダンテに、ヨハンは視線をわずかに下にずらして自嘲気味に鼻で笑ってみせる。
「はっ、俺が殺すわけ無いってか?」
「いいや」
ヨハンの想像とは違い、すぐに否定を返した相棒に再び見ると、紫の瞳は全く曇り無く輝いて、真っ直ぐにヨハンを見つめていた。ヨハンが呆けたように、その瞳を見つめ返すと、ダンテはふっと口元を緩める。
「もしあそこでノアを殺したのなら、それがヨハンの覚悟だったんだろ」
そう言って、目元も柔らかく緩めたダンテに、ヨハンは耳が熱くなるのを感じて視線を逸らして舌打ちする。それを微笑ましげに見つめたあと、ダンテは目を閉じそのまま眠りへと落ちていった。
「アンタは、本当に厄介だな」
ダンテが寝息を立て始めた頃にぽつりと零れたヨハンのつぶやきは、誰に届くこともなく、車内に消えたのだった。
◆
「あの、ヨハンさんと、ダンテさんは……」
黄色の集団に車へと押し込められてしまった二人を見送ったノアは、眉を困らせ上目使いにドレイクに問いかける。ドレイクは小さくため息をつくと、ノアの髪を乱暴にかき混ぜるようにして撫でる。
「うわ、わ、あの……」
「あいつらは、DMOの本部で徹底的に除菌やら消毒やらをされるんだろうな……」
少年の頭を乱暴に撫でながら、小さくなっていく車の影を目を細めて見つめたドレイクはそう言ってから、困惑しきった様子のノアに視線を移すと、頭を撫でるのをやめてそのまま少年の両頬を掌で包むと、その瞳をじっと見つめる。おびえるように身をすくめたノアに、小さく笑いかけながらドレイクはそのままの体制で口を開く。
「あいつらもだが、お前も。よく帰ってきたな、ノア」
あまりにも苛烈な美貌のドレイクには、どこかなじまないような慈愛に満ちた微笑みは、少年の心にじわりと温かいものを広げていく。それはつい先ほど、恩人に死をねだった少年には、優しすぎる言葉だった。頬を包む両手から、ドレイクの体温が伝わって、ノアの瞳からは涙がこぼれ落ちる。
「なんだ、泣くんじゃない。どこか痛いのか?」
少し困ったように笑ったドレイクに、小さく首を振ると小さな声で謝罪をして頬を離してもらうと、ノアは深く頭を下げた。
「ありがとう、ございます」
深々と下げられた頭を見下ろして、ドレイクはその頭を再びかき混ぜると踵を返し、後ろに立っていたノインにチラリと視線を投げる。意味深な笑みを返すノインの横を通り抜け、ドレイクはDMOの車へと乗り込んでいった。
「さて、ノアよ」
下げたままの頭にかけられた柔らかな声に、ノアはゆっくりと頭を上げる。うっすら光るようなノインの姿を見つけると、ばつが悪そうに目線を下げた。
「お前とは、話をせねばならぬ。我々もゆこうか」
「どこへ」というノアの言葉は、形になることはなかった。瞬きをする程度の一瞬、ノアが顔を上げるとそこは、闇に沈黙する公園ではなかった。
無機質な白の壁に囲まれた、明々と照らされた部屋。白の机、白の椅子、そして白のベッドが置かれただけの、生活感のない部屋。ドアが見当たらないその部屋に、いつの間にか移動していたノアは、慌てて辺りを見回して、それからノインから少し距離を置くように一歩下がった。
「さあ、話をしようか」
オパールの瞳が、ノアを見る。七色の輝きはいつしか、ノアと同じく月の色をしていた。




