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硝煙のエリュシオン  作者: すずなか
― Case1:Belphegor ―
1/39

[ 序章 ]

 その街の夜の姿は、お世辞にも綺麗とは言えないものだ。毒々しいネオン、姦しい売女の声、調子の外れた鼻歌と、酒の臭気が辺りに漂う細い裏路地が、その街の乱雑な夜を象徴しているようだった。

 重く冷たい空気が満ちる空き缶の転がる路地は、朝日が照らし出す頃にも闇が辺りを包む頃にも、誰の気にも止まらない、打ち捨てられた物ものと同じ、あるいは人々が目を背けたくなるような、そんな存在たちの寝床だった。

 冷たい夜風が路地の上を彷徨い、ビルの隙間を見つけると、そこに向かって滑り込んでいく。その隙間には、吹き付ける風から逃れるように、背中を丸めた男が両腕を抱いて、がらくたと共に横たわっていた。

肩がわずかばかり上下するのをよく見なければ、男が息をしているかもわからない。オイルと泥で汚れた衣服の裾は擦り切れ、元から茶色なのか汚れでその色なのかも、わからない程薄汚れていた。大きく穴の開いた靴からは指先が見え、唯一首に巻いたマフラーだけが、真新しく鮮やかなモスグリーンだった。

 男の脇に置かれた、あちこちがガムテープで申し訳程度に修繕された、ガラクタのようなラジオからは、弱弱しいノイズ混ざりの音楽が流れてくる。

 早いテンポのバンド音楽と、澄んだ夜空に浮かぶ月の光を思わせるしっとりとした声は、鋭いギターの旋律や腹の底にたまるように響くベースの音、早いリズムを刻むドラムの打音。歌声は力強い楽器の音とは不釣り合いなようでいて、それでしか得られない、キャッチーなサビ部分は耳に残る曲で、爆発的な人気を博していた。

 やがて楽曲が終わると、穏やかな女性の声が聞こえる。

「話題沸騰中のアーティスト・ノアで『月の箱舟』お聞きいただきました。続いては、あの大物アーティストがついに……」

「番組の途中ですが、ここでただ今入ったニュースです」

 流行の楽曲を紹介する深夜のラジオ放送は、アナウンサーの感情のない声で遮られた。

 それまで息がないかのようにじっとしていた男だったが、そのノイズ混ざりの声が流れ出した途端に、のそりと身を起こし、黒ずんだ指先でラジオのつまみを捻る。淡々と語るアナウンサーの声が、ノイズと共に大きくなって、うつろな目で虚空を見つめつつ耳を傾けた男の耳にはっきりと届いた。

「次元広報局より、本日23時ごろ、エリュシオン・ロードウェイパークにて中型ゲートの発生予報が発表されました。今回の警戒レベルは3です。そのためこれより、ロードウェイパークは完全閉鎖されます。ロードウェイパーク付近にお住いの市民の皆様は、戸締りを行い今夜の外出をお控え下さい、すでに外出中の市民の皆様は、近くの建物内に避難してください。繰り返します……」

 物騒な内容にしては感情の伴わない平坦な声が、淡々とニュースを読み上げる。

 アナウンサーが同じ内容を繰り返して読み上げたあとには、すぐに何事もなかったかのように、番組を進行していた女性の、穏やかな声が戻ってきた。続いて流れたご機嫌なナンバーは、やがてだんだんと小さくなり最後にはノイズだけが残る。

 次第に大きくなっていたサイレンの音が、ラジオから流れるノイズとのハミングを始めた頃、男は大きな息を吐いて、ラジオのスイッチを落としたのだった。


  ◆


 毒々しいネオンの裏通りからさほど遠くないところにある、しんと静まり返った住宅街。猥雑な空気が一変するこの通りには、普段ならばまだ人の姿もまばらに見えているはずだが、夜も更けきらない時間帯にも拘らず、広々とした通りには人間の姿はおろか、猫などの動物の姿も見当たらない。

 静けさに満ちた住宅街の中にある公園ロードウェイパークの周囲には、《DMO》と白字で書かれた、黒塗りのビークルがずらりと並んでおり、閑静な住宅街には不釣り合いな、緊迫感を含んだ異様な雰囲気に包まれていた。正面入口には、忙しなく無線からの指示を受け、慌ただしく辺りを歩く男たちの姿があった。車両と同じDMOの文字が書かれた、暗色のジャンパーの男たちが、パーク入口を封鎖している。

 その男たちの内の一人は、しばらく無線で何らかのやり取りをしていたが、その途中ふと顔を上げた。男の顔は精悍で、きっちりと整えられた前髪、びしりと伸ばされた屈強そうな体躯は、軍人のそれを思わせる。男は辺りを見回して道路を歩いてくる存在をみとめると、その精悍な顔いっぱいに渋面を作った。

「おい、お前たち。先刻のニュースを聞いていなかったのか」

 不機嫌そうな鋭い言葉が飛んだ先には、談笑しながらパークへ歩いてくる二つの影があった。鋭く低い男の声が住宅街の壁を打ったにもかかわらず、男が見とめたその二つの影は、足取りもまったく変わらず、男の方へと真っ直ぐ歩いてくる。

 暗く静かな通りにはいささか頼りない街灯の灯りだったが、声を掛けた男に近づいた2つの影の姿を、ぼんやりと浮かび上がらせた。男は闇になれた目を凝らして、その姿を確認する。

 濡れたようなつやのある髪は、もみあげの部分だけ夜風に舞い上げられるほどの長さがあり、後ろは短く整えられている。後ろだけひざ裏辺りまで裾のあるレザーコートには、フードが付いているようで首回りが膨らんでいた。革の手袋や衣服の全てが黒で統一されており、一瞬闇に溶けそうな印象を受ける姿の若い男。歩くのに合わせて小さく革の軋むような音と、金属が擦れるような音が聞こえてくる。月明りに反射するほど白い肌は、闇の中に在ってなお月明りに薄く光っているように見え、アーモンド形の目には青色の瞳が収まっており、それは月光を思わせるような冷たい光を帯びていた。その容姿は闇の中に在っても、その姿は溶けるどころかむしろ印象的で、顔立ちは道ですれ違っただけでも、誰の記憶にも残りそうな端正なものだ。

 もう一人の男は黒づくめの男とは真逆に、上質そうな白いスーツを、胸元まで釦を外した赤いシャツで着崩した、健康的な褐色肌の男だった。髪は降り注ぐ太陽の光を思わせる鮮やかで透けるような金髪、短く整えられた金髪は、街灯の光を受けると、橙色の光が髪の上をすべらかに滑っていく。やや垂れた目に納まる紫の瞳は、愉快そうに細められて隣の男を見つめている。垂れた目元と言えば優しげな印象だが、眉間に入った皺や眉尻のピアス、表情の作り方など、顔を構成するすべてが、優しげな印象どころか、どこか凶暴な印象を与えていた。そんな男はやけに体格がよく、捲られた袖から伸びる二の腕は筋肉に覆われており、その男の体躯は服の上からでも、筋骨隆々としているのが遠目にもわかるほどだ。声を掛けた男は平均以上に身長があるはずだが、街灯の横を通った時の印象を慮るに、その彼でも見上げるほどの大男なのだろう。

 そんな対照的な、二人の男の姿があった。

 声を掛けた男は、悪びれた様子もなく歩いてくる二人の姿を確認して、一瞬惚けてしまったが、すぐに自らの職務を思い出して青筋を立てる。

「止まれ、ここは立ち入り禁止だ……おい!聞こえないのか!」

 はっきりとした制止の言葉を聞いても、止まるどころか金髪の男はなぜかにやついていて、黒髪の男もとくに気にした様子もない無表情。そんな二人組の様子に、男が腰に下げた銃の方へと手を伸ばしかけた瞬間、男の肩が誰かに掴まれて制止される。男が振り返ると、同じジャンパーを着た女が、首を横に振っていた。

「おつとめ、ごくろーさまです」

 黒髪の男の間延びした声はごく平坦で、言葉の内容にそぐわない無表情である。

「お前らも夜中に大変だなぁ。まあがんばれよ、新人」

 その横で、苦笑いのような笑みを浮かべた金髪の男は、制止しようとした男の肩を二度ほどぽんぽんと叩き、横を通り過ぎる。公園の中へと悠々と入って行った二人の背中は、あれだけ印象的だったにも関わらず間もなく闇に溶けるように見えなくなった。

 ぽかんとして背中を見送った男に、女はため息交じりに声を掛ける。

「あれは今回の件で呼ばれた《チェイサー》達よ」

「あれが…じゃああの二人が《イスラフィル》の……?」

「ええ、新人の内はあの二人に関わらない方が身の為よ」

 女の言葉に、生唾を飲み込んでぎこちなく頷きながら、男は二人が滑り込んだ闇を見つめていた。


 ◆


 パーク内は耳を刺すような、鋭く研ぎ澄まされた静けさに包まれていた。それはまるで、狩人がまさに獲物を仕留めようとしているかのような、緊張感に満ちた空気だった。

 パークをぐるりと囲む木々に沿うように巡らされた遊歩道を横切り、二人が向かった木々に囲まれた広場には、ベンチが等間隔にいくつか並び、ごみ一つ落ちていない様子からは、普段ここが市民の憩いの場であるということが窺い知れる。夜半時であり辺りは暗く視界も悪いと思いきや、空に浮かぶ大きな月から降り注ぐ月光が辺りに満ち、広場は存外に明るい。

「なあ」

 人の気配がない静まり返ったパーク内に、不機嫌そうな声が割り入る。端正な顔をした黒髪の男が辺りに潜む緊張感を気にもかけない様子で、金髪の男に不機嫌な声を掛けたのだ。その声に気が付かないのか、金髪の男から返答はない。

「おいダンテ」

「どうした?ヨハン」

 黒髪の男は再度、不機嫌を隠しもしない様子で、よそを向いている男の名前を呼ぶ。ダンテと呼ばれた金髪の男は、自分の事を不満げに睨みつけていた男の名前を呼び、ヨハンに視線を向けながら微笑みながら言葉に応える。

「おかしいと思わねぇか」

「んー、何が?」

 ヨハンの低い声での言葉に、慎重に周囲をぐるりと見回して、辺りに特に何の異変も見つけられなかったダンテが、首を傾げて尋ねる。要領を得ない顔でヨハンに尋ねたのだが、彼はそんなダンテの方を見ないで言葉を続けた。

「今日の招集だよ。俺ら今日ずっと働きづめじゃねぇか」

「あっ、そっちか」

 不機嫌そうだったヨハンからの予想外の不満の言葉に、辺りの様子についての「おかしい」だと思っていたダンテは、自らの予想とは違う言葉だったことに、思わず視線だけでなく顔ごとヨハンを見た。そこにあったのは、警戒による難しい表情という訳ではなく、疲れに対する不機嫌を隠そうともしないむくれ面であった。

「いやいやぁ、俺達しか近くにいなかったんだから、仕方がないだろ」

 拗ねたように愚痴を言うヨハンに、ダンテは苦笑いを返して首を振る。そしてむくれているヨハンをなだめるように、軽く肩を竦めて大げさなリアクションを取った。

「お前は体力バカだろうけど、それに付き合わされるこっちの身にもなれよな」

 お互いに朝から働き詰めで、二人は同じように疲労がたまっている筈だったが、疲れを全く感じさせないダンテの様子に、ヨハンは、自分の中で苛立ちが大きくなるのを感じて、大きなため息をついた。

 二人が軽口を言いあいパーク内を歩くうちに、元々冷たかった空気が重く質量を増したかのように凍えだす。肌を刺すほど冷たい空気が辺りにわずかほど聞こえていた葉の擦れる音すら押しつぶし、辺りには静寂が満ちた。

「……そろそろ定刻だな。さぁ始めようぜ、ヨハン」

「……ハァ、とっとと終わらせるぞ」

 時が静止したかのような静寂の中、二人の目の前の空間がゆっくりと歪み始める。二人の立っている位置から、硝子に罅が入るような音を立て、その歪みは周囲の空間へ拡がっていく。閃光の伴わないスパーク音が辺りに響いて、薄い光が拡がって行く。

 ヨハンは革のホルスターに納まっていた大ぶりの銃を、広がって行く歪みへと向ける。黒の銃身に刻まれた金の装飾が、明るすぎる月明かりを受けて鈍く光る。その金の装飾に鈍色の光とは別の、淡く青い光が装飾の上を走った。

 歪みが膨らみ、今にも弾けそうな姿になったのを見とめると、ヨハンはトリガーに掛けた指をゆっくりと引き絞る。


 乾いた銃声が張り詰めた静寂の糸を弾き、暗闇が包む公園に響き渡った。


鈴木となかみによる合同創作です。

リレー形式連載、Case毎、交代で描いていきます。

よろしくお願いします。

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