男
「おい」
どれほど眠っていたのか、めを覚ますと男が怪訝そうな顔をしてしゃがみ込んでいた。
「誰か来て介抱したのか。傷がほとんど癒えてるし熱も下がっている。7つ夜を覚悟していたのに2つ夜でこれは流石に人間じゃないぞ」
「え…」
そう言えば体が楽だ。男の姿もハッキリ見える、目のかすみが取れたらしい。
「人は来なかったけど何かは来たよ」
「なに薄ら笑いしてんだよ、気持ち悪ぃなぁ、女でも来たか」
多少訝しげに、でもふざけて親しみを込めた言い方だった。
「はは!間違ってはないな」
「いいな…俺にも会わせろよ、いい女」
「次に来たら待っててもらうよ」
カルダーは笑いが止まらなかった。
「おう、よろしくな」
また木の実の水を飲ませてくれようと頭にてを添える。
「もう起きれそうだ、体を起こしてくれないか」
「そうか、弱ってるお前もなかなか可愛かったのに残念だな」
男はいつも真面目にこんな事を言う。
「おい、笑わせるなよ、まだ傷が痛いんだ」
愉快な気持ちになった。牢は冷たい空間なのに、今までのどこよりも居心地がいい気がした。
体を起こして貰っても両腕がないので木の実の水を飲ませて貰うことには変わりなかった。男の飲ませ方も手慣れているのかガサツな言葉とは裏腹に口から水が零れないように顎に布を添えてゆっくりと少しづつ傾けてくれた。
「お前はいい父親になるよ。俺の父とはまた違う暖かさがある」
「子供はいる、ただ1人の女もな。2人は今王の元に居る。女は王の妾だ。」
驚いた。男の暖かさからはそんな辛さは微塵にも感じられなかったからだ。
「妾ってことは…」
「ああ、王の子供をたくさん産んでる。もう子供が産めない体になったと風の便りで聞いた、でもその内の一人は俺の子だ。1番年上の子が俺の息子だよ、15年経った。もうそろそろ木を振り回して剣の真似事をしているだろうよ。一度だけ顔を見たよ、立派になってた」
男の表情は動かなかったが、突き刺す痛みがカルダーに流れ込んで来た。
「じゃあお前の希望っていうのはその女と息子なのか」
「ああ、会うことは出来ないが兵になって少しでも側に居たかったんだ、同じ空間に居たかった。あいつらが幸せになれるように、少しでも側で祈りたかった」
最後のセリフだけ笑顔が零れた。この牢屋では見た事もない笑顔だ、多分女を想ったのだろう。
「羨ましいよ、俺にもそんな女が居たらもう少し違う生き方が出来たんだろうな」
「え、お前にも居ると思ったから話したんだよ」
「なにを根拠に言ってるんだ、いないよ、母なら愛してくれた」
「そうか、お前の母さんの空気だったのかも知れないな、すまなかった」
「謝るなよ、自分の方が辛い癖に」
ここまで人間臭く暖かい男は初めてで、また微笑んでしまった。男は目を背けたまま口の端だけを緩やかに上げて笑った。
「体を拭いておこう、陽の光が入らないんだ、体だけでも清潔にしておかないと別の病気になってしまう」
男同士で恥ずかしさもあったが、甘える事にした。いい力加減でマッサージにもなった。恥ずかしさとくすぐったさで体をよじりながら冗談の悪態をついたが、それも男は笑いながら上手にたしなめる。ロジとはこんな関係にはなれなかったが、何故かカルダーはロジを思い出していた。白い光とは違う別の暖かさを感じていた。
更に7つ夜が過ぎた。
2人はできるだけ長い時間を共有してお互いの知識を分け合った。男の医学の知識は豊富でカルダーが覚えるのに苦労するほどだった。そしてよく笑いふざけ合った。
8つ目の朝がくると男は突然言い放った。
「もう大丈夫だな。ここから脱出するぞ。カルダー、お前はここで終わる奴じゃない」
「え、あ、ああ…」
落胆を隠せなかった。初めて完全な安心感を得たので離れがたかった。
「あの剣はここに捨てていけ、もう抱え込まなくていい。剣はおまえには似合わんよ」
そんな事は初めて言われた。恩恵を受けたがる人はたくさん居たが責任放棄など考えた事がなかった。
「東に1つ夜くらいしたら村がある。そこはここよりも安心出来る所だ、強くて愛情深い女達が多い。負傷兵の面倒を見ながら生活してるんだ、あそこなら両腕のないお前でも生きていける」
「そこまで考えてくれてたのか」
「お前の面倒を見る間、息子と話してる気分だったよ。ありがとう」
それで理解できた。カルダーへの優しさも、与えた知識も、本当は息子に受け継いで欲しかったのだろう。
「分かったよ、村へ向かう。絶対死なないよ」
カルダーの瞳に光が戻った。
男は足の付け根にロープを丁寧に巻き、それを胴から方へと繋げた。
「向こうの窓から脱出させるが、地へ降りたら振り返らず行け。少しでも早く塔と城から離れろ。それでもなく両腕がなくて歩き辛いんだ、絶対転ぶなよ。その為に一歩一歩を大事にしろ。ロープは村に着いたら女達が外してくれる。村にお前が行くことはもう伝えてある。」
「それより、あんたこんな事した事がバレたら王に殺されるぞ!」
今まで見て見ぬ振りをしてきた言葉を口にした。身の世話をしてきた事も見つからなかったのが奇跡なくらいだ。
「大丈夫だ、王は何故か俺を殺さない。施しもしてくれるくらいだ、既になにかに気付いてるのかも知れない。」
「そんな…あの王がそんな事するはずがない…」
「王だって人間だぞ。あれでも幼い頃はただの可愛い子供だっただろうよ。あんなになっちまって可哀想に」
「俺はあんたからもっと色んなものを教わりたかったよ」
「ああ、俺も教えたかった。お前の体験は人を超えたものがある」
本当に別れるのか、そう思うと胸が知らない痛みで締め付けられた。
「なぁ、あんたの名前教えてくれよ。ずっとはぐらかして教えてくれなかっただろ」
男はふっと笑うと
「教えねーよ、名前呼ばれたら行かせる自信ないからな」
カルダーと同じ寂しさを男も感じていたのだ。「父さん」そう呼びそうになって唇を噛み締めて堪えた。それは一番呼んで欲しくて何より言ってはいけない言葉だろう。
窓から体を出す時、男は軽々と体を持ち上げた、人に身を任せて抱えられるなんてした事がなかった。その身を任せる安心感は一瞬で、そしてずっと心に残るだろうと分かった。
「元気でいろよ、お前が望むただ1人の女を見つけろ。そして長くて退屈な幸せを手に入れるんだぞ」
頷くだけで何も言えなかった。男の大きな手が頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でて離れた。
男が慎重に降ろしたのでカルダーはふらつく事もなく地に足を降ろした。
そしてそのまま歩き出した。振り返ることはしなかったし、出来なかった。
少しでも振り返ればそこで泣き崩れる事が自分で分かっていたからだ。
教えられた通り、一歩一歩、確かめるように踏みしめた。長いロープが地に引きずられていたが邪魔とは思えない、男が一緒に居るようで安心した。
「カルダー、いい名前だ…。幸せになれよ。本当は俺が今離さないと離せなくなるって分かったんだ。もう俺は女と息子を大事にする事で精一杯だったんだ。すまない、ここに置いてやれなくて、すまない。すまない。」
男は次々と涙を流しながらカルダーを出した窓に右手をかけ、顔をぐしゃぐしゃにして膝を付いていた。




